第17話 首無し少女
「アアアア……アアアアアアアア…………」
亜希――怨霊は、地の底から響くような声を出す。恐ろしい声に呼応するように、窓が揺れ、教室内の机や椅子がひとりでに動いた。
「嘘……だろ?」
霊である彼女の、首のない姿。――それは、如何にして、彼女の命が潰えたのかを鮮烈に表していた。
「ア"アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
バン! バン! バン! バン!!
教室の扉が激しい音を立てて開く。中で暴れ回っていた机や椅子が、ぶわりと廊下に飛んできた。教室の物品たちは、向かい合う2人を取り囲むように、夕暮れの廊下を漂う。それぞれが接触し合い、壁や窓にぶつかり、鈍い音を立てた。
「あ……ぁ……」
絶望を喰らわずとも伝わる、苛烈な思念。目の前にいる彼女の心には、憎しみしか存在しない。ショウは怖気づき、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
「アアア……ッ、アアアアアアアアア"――――!!」
怨霊から、一層強い思念が放たれる。地が鳴り、窓ガラスが割れる。漂う物品の動きが激しくなっていった。
「う"……っぐ……!」
足元が揺れ、頭痛に苛まれる。ショウは立っていられなくなり、その場に倒れ込んだ。黒い怨念に、身体中が蝕まれていくのが分かる。
「っく……、あ……き、……」
なんとか立ち上がろうとするも、激しい揺れに耐え切れず地面に縫いつけられる。苦しむ背中に、宙に浮かんでいた机が激突した。
「あ"ぐ……っ!?」
それを皮切りに、猛攻撃が始まった。倒れ込むショウの身体に、次々と机や椅子、箒が落下していく。鈍い痛みに悶え苦しみながら、その場に蹲ることしかできない。
「う"っ……、ぐふっ……! が……ッ、あ"……!!」
攻撃は苛烈を極めていく。頭、腕、手、背中、尻、足。ありとあらゆる部位に、鈍器が投げ落とされる。体中に青あざができ、骨にヒビが入っても、浮遊物の落下は止まらなかった。
「あああ……ああああああ……」
怨霊のうめき声が遠のいていく。このまま消滅するのだろうか――沈みゆく意識の中、せめて最期に彼女の顔を見たいとわずかに顔をあげる。暗い視界に一瞬映ったのは、泣いている彼女の姿だった。
「――――!」
刹那、流れ込んでくる記憶。暗い廊下、立ちふさがるいじめっ子の女子生徒たち。トイレに引きずりこまれ、壁に追いやられ、詰め寄られる。そして――――。
主犯格の女子生徒が、亜希の口にハンカチを突っ込んだ。抵抗できぬよう、後ろ手で拘束もされた。彼女を見下ろす全ての目は、殺意に血走っている。恐怖に怯える亜希の太ももに、深々とナイフが突き刺された。それを皮切りに、いじめっ子たちが一斉にナイフを手に襲い掛かった。
ぐさぐさぐさぐさぐさぐさぐさぐさ。
目に、肩に、胸に、腹に。身体のあらゆる箇所にナイフが突き立てられ、鮮血が吹き出す。1つが抜かれれば、別のものが突き立てられる。怒涛の勢いで繰り返される刺突。抵抗することも、叫ぶこともできず――激しい痛みの中、亜希は息絶えた。
彼女の頭の中に、1つの言葉が狂ったように繰り返された。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……
「亜希!!」
宙で蠢いていた物品たちが、ぴたりと動きを止めた。その隙に、ショウは素早く起き上がった。体はとうにズタボロだったが、気にしている暇はない。一刻も早く彼女の元へ行こうと、痛みを忘れ全力で走った。
『怪物そっくりだ』
文化祭のエンディング、キャンプファイヤーの時の記憶。隣に立つ猫耳姿の亜希が、ぽつりと言った。
『――それが、私がお父様に言われた最初で最後の言葉でした』
桃色の唇が、残酷な言葉を紡ぐ。
『私という異形が生まれてしまったから、その後極めて珍しい姿で生まれたゆきが、とばっちりを受けてしまったのだと。私さえ生まれてこなければ、お母様は自殺なんてしなかったのだろうと。私は、私の"怪物"が嫌いでした。……でも』
ショウを見上げ、口元を引く亜希。明らかに慣れていない、不器用な笑顔。それでも、炎に照らされたその笑顔は、彼の胸を高鳴らせるのには十分すぎた。
――その時、強い風が吹き、互いの髪が乱れた。
『貴方は、それを受け入れてくれた。だから私は、私を受け入れようと思います。……あの』
そっと、亜希がショウの手をとり、自分の顔の近くへと持っていく。流れていた音楽が変わった。生徒たちの笑い声が、遠くに聞こえる。
『貴方の手で、私の前髪を切ってくれませんか?』
オレンジ色に淡く光る、想い人の可憐な姿。ショウの心の奥底に、熱い感情が渦巻いた。
『――好きだ』
白い手をぎゅっと握り返し、熱に浮かされた目で亜希を見下ろす。亜希は、隠れた目を大きく開き、顔を真っ赤にした。
『好きだ、亜希』
亜希はしばらく目を泳がせ、うろたえていたが、深呼吸を1つすると、ショウに向き直った。
『私も、好きです』
「もう一度、言っていいか」
彼女の身体を強く抱きしめながら、問う。腕の中の怨霊は、何も答えない。だらんと腕を垂らしたまま、ただ宙に浮かんでいるだけだ。
「好きだ、亜希。大好きだ」
腕に力を込める。彼女の身体は、ひどく冷たかった。それでも、ショウは彼女から離れることはなかった。
「覚えてるか? 文化祭の時、キャンプファイヤーの前で言ったよな。すっげー恥ずかしかったし、緊張したんだぜ。OKしてくれた時はもう、嬉しくて死にそうだったよ」
懐かしそうに、愛おしそうに、ショウは語る。亜希は、何も言わない。
「あれからたった1週間で、亜希が行方不明になってさ。寂しかったし、心配でたまらなかったんだ。……落ち込んでるうちに、オレも怪異になっちまったけどな」
ぴくん、と。亜希の指が、わずかに動いた。
「それでも、気になってしょうがなかったんだ。どこで何をしてるのか。生きてくれてさえいれば、それでいいって……! 心のどこかで、ずっと亜希を探してた!」
「……、…………」
亜希の喉から、言葉にならない声が漏れた。
「やっと見つけた。もう離さない」
心の底から、絞り出すように言った。
「辛かったよな。痛かったよな。……大丈夫。お前を蝕む悪夢は、オレが喰ってやるから――」
ショウは己の力――「絶望喰い」を発動させた。「消える家族」の時以外で、初めて使用した瞬間だった。通常であれば、額と額を突き合わせるのが条件だが、亜希への強い想いが発動を可能にした。
――「絶望喰い」。それは、人格を完膚なきまでに破壊し得る恐ろしい力。しかし、使い方1つで人を救うことができる力でもある。
例えば、宿題を忘れた時。例えば、寝坊して遅刻が確定してしまった時。この世界の誰もが、起きてしまった不幸せに「絶望」を抱く。そんな、「小さな絶望」を少しだけ喰えば、喰われた者の気分は晴れる。心の中に程よく「絶望」を残しておけば、その人物は前を向くことができる、という具合だ。
「消える家族」の蹂躙後、最悪の凶器と化していたのは、獲物の「絶望」を極限に高めた状態かつ、その「絶望」を全て喰らい尽くしていたため。今、彼が亜希に行っているのは、傷んだ心を和らげる「浄化」に他ならない。
――「絶望喰い」は、使いようによっては、善良な力にもなり得るのである。
「しらみね……くん?」
鈴の鳴るような声が聞こえる。身体を離し、目に映ったものに、ショウは感極まった。
「……っ亜希!!」
目の前に立つ想い人を、再び抱きしめた。
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