第16話 離脱と豹変

『私の名前は園城百合花。鉄鼠と人間の女の間に生まれた娘よ』


 プールサイドでの告白を反芻する。目の前にいる鼠頭の男は、彼女が自身の父親だと言った――。


「鉄鼠……!?」


 怨恨から怪異と成れ果て、寺を襲い――復讐を果たした後は人間の女と子を為し続ける。百合花の話からして、ろくな存在でないことは明白だった。


「そう身構えなくても良い。きみと争うつもりはないし、無理に百合花を連れ戻す気もない」


 穏やかな声で、鉄鼠は言う。ショウは信用できず、無言で睨みつけた。


「分かっている。我がしていることは、決して許されることではない。我が子らが気がかりなことに代わりはないが……、そろそろ、我も年貢の納め時だと思っているよ。ただ、赤い図書室に侵入した蓮が気がかりでね。危険な怪異ゆえ、無理な介入はよせと言ったのだが……聞いてくれなくてね」


 やれやれと首を振る鉄鼠。何気なく溢されたぼやきに、ショウがはっと目を見開いた。


「……待て。何で園城さんがオレと行動してるの知ってんだ? 赤い図書室のことも」


 包丁を出現させ、構える。


「オレたちのこと、ずっと見てたのか? 何が目的だ?」

「そう警戒するでない。大したことは企んでおらぬ。だが、見返りを求めてきみを助けたのは確かだ」


 顔色1つ変えず、鉄鼠は言った。


「我の願いは1つ。我とともに、蓮に撤退するよう説得して欲しいのだ」

「蓮?」

「我の最後の息子だ。段ボールにうち棄てられていたのを、我が拾った」

「……」


 短い説明だったが、ショウが嫌気を感じるのには十分だった。


「全く、あの子にも困ったものでな。我が百合花を案ずる言葉を漏らしたら、百合花を連れ戻そうと躍起になってしまったのだ」


 そう語りながら、鉄鼠は肩を落とす。


「使いの鼠をやり、何度も戻るよう伝えたのだが――」


『いいえ! 貴方様のような偉大な父に気を遣わせる娘など、罰を受けて然るべきです!』


「――と、聞く耳を持ってくれなくてな……。故に、第三者であるきみの言うことの方が、聞いてくれると思ったのだ。何せ、百合花とともに"アレ"から逃亡しているのだしな」


 ショウは驚いて、戦闘態勢を解いた。


「マジで……、最初から見てたんだな」

「ネズミは何処にでも潜んでいるゆえ」


 鉄鼠は不敵に笑うと、すぐに表情を正した。


「……して、白峰ショウよ。悪いが協力して欲しい。先ほど言った理由から、我1人での説得は難しいのだ」


 真剣な眼差しとは裏腹に、その声はどこか哀愁が漂っていた。話に聞いていた邪悪さとは全く違う姿に、ショウは拍子抜けした。


「それくらいなら……。分かった」

「ありがとう」


 鉄鼠が礼を言い、笑顔を浮かべる。


「そんじゃ、一緒に図書室行こうぜ」

「ああ。彼女は我が持とう」


 2人がA小学校へ向けて出発しようとした、その時だった。



 ――カ エ セ。



 ノイズのような声が鳴る。直後、2人の足元に水が溜まり始めた。



 オ レ ノ カ エ セ !



 怒りの声とともに、急激に水嵩が増した。ショウの腰が浸かるほどに増えた水は留まることなく、川のように流れ始めた。


「うわあああああああ!?」


 水筋に従って流されていくショウ。掴むことのできぬ水を前に、彼は無力だった。


「くっ……厄介な」


 鉄鼠は、流されずに踏みとどまっているが、長くは持ちそうもなかった。顔をしかめながら、人差し指と中指をくっつけて立てる。


「現を彷徨う哀れな霊よ! 産まれし土に還るが良い!」


 毅然と言い放ち、構えた指を薙ぐ。――刹那、廊下を覆っていた水が、跡形もなく消失した。


「はぁ……はぁ……」


 鉄鼠は肩で息をすると、どっとその場に座り込んだ。


「い……っ、今のは?」


 鉄鼠のもとへ、すぐさまショウが駆け寄った。その腕には、気絶した亜希が抱えられている。


「きみたちを襲った怪異だ。追い払いはしたが……、消滅までには至っていないだろう」


 息絶え絶えにそう言うと、鉄鼠はふらふらと立ち上がった。


「すまないが、蓮の説得を頼んで良いだろうか。赤い目をした、15歳の少年だ」

「ど、どうしたんだよ、急に」


 力なく背を向ける鉄鼠に、ショウが困惑しながら問いかけた。


「力を使い果たしてしまった。しばし休息をとらねばならん。それに……少し探るべきことができた」

「探るべきこと……?」


 鉄鼠は背を向けたまま頷くと、すっと右手をあげた。それを合図に、どこからともなくネズミの群れが現れた。百合花が操った時とは比にならぬほどの大群。廊下は、ネズミの川と化した。


「うわっ!?」


 ネズミたちが、ショウの足元を走り抜けていく。彼らはショウを見向きもせず、ひたむきに鉄鼠を目指し、囲い崇めるように走り回った。


「それでは頼んだぞ。白峰ショウ……」


 ネズミたちが、鉄鼠の巨体を覆い隠していく。集合体が鉄鼠の体の全てを覆い尽くした瞬間、どろりと溶けるようにして消えた。


「一体なんだってんだよ……」


 溶けた液体もほどなくして消え、廊下にはショウと亜希だけが残された。状況が呑み込めず、ショウは困惑するしかなかった。


「……っとにかく、図書室に戻るか」


 気持ちを切り替え、廊下を歩き出そうとした、その時だった。


「っきぃああああああああああ!!」


 突如、亜希が奇声を発した。かっ開いた目からは、赤黒い血がドクドクと流れていた。


「亜希!? おい、どうしたんだよ、亜希!!」


 ショウが必死に呼びかけるが、亜希は錯乱しており気づく様子もない。ショウの腕で暴れる身体は、徐々に重さを取り戻していく。抱えきれなくなり、ショウは彼女のからだから手を離した。


「ああああああああああああああああああ!!」


 床に放り投げられた亜希のからだは、激しく痙攣した。ショウはすぐさまその場にしゃがみ、亜希の上に覆いかぶさった。


「亜希、亜希……! しっかりしてくれ、亜希!!」


 呼びかけも虚しく、顔中から溢れ出る血で亜希の顔は赤黒く染まっていく。血が目以外の隙間なく埋め尽くした時――彼女の顔が、赤く染まった床へと溶けた。すると、からだの痙攣も、劈く悲鳴も、ぴたりと止んだ。大人しくなった彼女のからだは、何かに引っ張られるようにして起き上がった。


「な……、なんでだよ……!? 亜希!!」


 首の無い初恋相手が、床から数センチ浮いた状態でそこに立っていた。












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