第15話 白昼の獏

 ――クニオは、何の感情も宿さずに天井を見上げている。


 放心様態で、廃人となった親友を見下ろすショウ。静かに涙を流す彼の脳内に、高らかな嗤い声が響き渡った。


【お前は今、親友を壊した! どんな気分だ!?】


 憤慨する気力すらも、今のショウにはなかった。焦点の合わぬ目で、呆然とするだけ。


「ぅ……」


 クニオがうめき声をあげて、身を起こした。反射的に、ショウは逃げ出そうとした。


「あの、貴方は、"消える家族"ですか?」

「――――!」


 ショウが思わず振り返ると、クニオは目をぱちくりとさせた。そしてすぐに、子どものように顔をほころばせる。


「キミは、白峰ショウ君じゃないか! 校内1モテるって噂の! キミだったんだね!」

「く――」

「そこに、母の首が転がっているところを見るに……。さしずめ今回の被害者は、ボクということだね。実は、僕、"消える家族"について調べていて――」


『実は僕、部活で、"座敷童子の館"について研究していて――』


 下半身から血を垂れ流しながら、爛々と目を輝かせるクニオと、初めて会話した時の彼の姿が――重なった。


「…………っうわあああああああああ!!」


 ――とても、見ていられなかった。


 ショウは、悲痛な叫び声をあげながら、親友の首元を掻っ切った。


「え――」


 クニオは一瞬きょとんとしたが、首から勢いよく血を噴き出して倒れ込んだ。


「はぁっ、はぁ……っはぁ…………」


 床に血だまりができていく。クニオは数回痙攣したあと、ぱたりと動かなくなった。


【ははははははは! これは傑作だな!!】


 たまらず、【声】が嘲笑った。


【お前は今! 初めて"お前"の意志で! 親友を殺したんだ!!】


「あ……っ、あぁ……っ、あああああああ……」


【どうだった? 人を殺した感想は? 親友の首から血が吹き出す様相は! 愉快だなぁ!?】


「ああああああああああああああああああああああ!!」


 親友の亡骸を抱きながら1人、ショウは咽び泣く。


【ああ、ウマい。今日は、今までの“食事”の中で格別だ】


 耳元で囁く声。誰もいないはずなのに、誰かが肩に手を回した感触がした。


【教えてやる。たしかに、家族を殺し、1人だけ残した奴の絶望を、極限に高めて喰らうのは最高だ。……だけどな、ショウ。俺が本当に喰らいたいのは―――】



 ――お前の悪夢だ。



『ショウ、君の配役は、"夢喰いバク"だ。人の悪夢を喰らう妖怪だよ』


 今となってはもう、遠い記憶。クニオの言葉が、頭の片隅で流れ、消えていった。その時、部屋の中に雪が降り始める――。




 ……雪が、降っている。寒い。痛い。けど、熱い。……熱い?


 ――己の状況を理解した途端、あまりの痛みに絶叫した。しかし、激痛に苛まれる身体とは裏腹に、頭はひどく冷静だ。


 嗚呼、またか。この悪夢を、一体何度見たことだろう。


 ふと気がつけば、猛吹雪の中ショウに殺されながら犯されているという状況になっている、その繰り返し。


 亜希の仇に復讐を果たした後、そいつに「亜希を殺した」と告げられて。それを聞いた瞬間、意識が薄れていって――。そのあと、親父とメイドたちを殺して、ショウの家族を殺す、地獄みたいな白昼夢を見ていた。それから先は、ショウに凌辱されては意識が戻っての繰り返しだ。


 俺は、死んだのだろうか? それとも、俺の内にいる怪物の仕業なのか。分からない。何もカも、waからナい――――。


 ×××××、一心不乱に包丁を振り下ろし、腰を振り続けるショウ×見上×る。俺の視線に反応×たことは、1度たりともなかった。偶然目が合った×とはあるが、そのたび×戦慄し××を覚えてゐる。光ヲ宿さず、死んだ魚のように××んだ目は、思い出すだけでもセ※スジガ%オル。



 ……。


 ……。


 目を×××れ、何も見えな×。頭を××××……が、意識はあル。


 からだがしぬほどいたいのに、しねない。


 体内ニ、生温カイモノガ放出サレタ感覚ガスル。……ア、ヨウヤク、オワッタ。


 イタイ。


 オモイ。


 ツメタイ。


 ネムイ。


 アア、マタ――眠りにつくのか。次に目覚めた時には、オレはまた夏樹さんを


 ××されているんだろう。



 ――誰か。誰か、この悪夢を……終わらせてくれ。



 ……。


「……ウ、……し……、ショウ……」


 だれかが、よんでいる。


 だれが……おれを――――。


「白峰ショウ、気を確かに持て!!」


 覚醒。微睡みに深く沈み込む感覚から、一気に現実へと引き戻される。


「っかは、……ごほっ、ごぽぉっ……」


 迫力のある男の声を耳にした瞬間、ショウは激しくむせ込んだ。口から大量の水を吐き出し、一刻も早く酸素を得ようと喘ぐ。


「落ち着け。ゆっくり息をするんだ」


 男はそっと、ショウの肩に手を置いた。


「……っお、おれは……、俺は、オレは一体……」

「きみは白峰ショウ。この学校の生徒だった」


 錯乱するショウに、男は優しく言い聞かせる。


「ガッコウ……。せいと……」


 鸚鵡返しをしながら、ショウは顔を上げる。うつろな視界に映ったのは、袈裟を着た初老の男。剃髪をしており、仏門に入っているのは明らかだ。


「そうだ。言葉の意味が分かるか?」


 柔和な笑みを浮かべ、声かけを続ける男。彼が言葉を発するたびに、ショウの頭と視界がはっきりとしていく。呼吸も、だいぶ落ち着いてきていた。


「ことば……、こと―――!」


 ショウは大きく目を見開き、言葉を途切れさせた。明瞭になった視界に飛び込んできた、男の脇に抱えられた女子。彼女は、8ヶ月もの間ショウが探し求めていた――。


「亜希!!」


 瞬く間に正気に戻り、ショウは男に飛びつく。彼の視界には、もはや亜希しか映っていない。男は困ったように笑うと、亜希を前に抱え直して見せた。


「はは、刹那の内に正気を取り戻すとは。恋の力というのは絶大だな」


 男の言葉は、ショウの耳には届いていない。ショウは、抱えられた彼女をまじまじと見た。切りそろえられた前髪に、肩にかからない程度の黒髪。華奢な体、白い肌。紺色のブレザーに青のスカートは、B高等学校の生徒であることを示している。前髪で目元が隠されていないこと以外、記憶の彼女と何一つ変わらぬ姿だった。


 感極まった表情で、亜希を見下ろすショウ。すぅすぅと規則正しい寝息を立てる彼女を見て、心の底から安堵した。


「よか……った……!」


 絞り出すように言って、男から亜希を譲り受ける。そうして、彼女の身体を抱きかかえて――戦慄した。


「え…………?」


 ――軽い。あまりにも、軽すぎる。人の――否、生物の重さではない。比喩などではなく、羽を両手で持っているような感覚だった。


「その娘はもう死んでいるからな。意識がなければ、生前の体重を表現することなぞできまい」

「死ん、だ……?」


 衝撃の宣告に、愕然とするショウ。男が黙って頷くのを見ると、ショウはおそるおそる亜希を再確認する。すやすやと眠る彼女は、生前とまるで変わっていないように見えて――。


「う、そだ」

「辛いだろうが、現実を受け入れなさい。その娘の肉体はすでに死滅し、霊体となっている。今、きみが抱えている彼女は、魂分の重さしかないのだ」

「う……うぁぁあ……っ」


 狂乱し、亜希を落としそうになるショウの肩を、男がぽんと叩いた。振り向いた先にあった男の威厳に、暴れ出しそうだったショウの心は、みるみるうちに大人しくなった。


「気を違えるではない。ここに在るのは、きみが想う彼女と同じだ。何も悲しむことはないぞ。きみを襲ったものと同じ怪異に取り込まれ、今は気を失っているがね」

「怪異……? そんなの、いた覚えが……」


 きょろきょろと辺りを見渡す。記憶の海に沈んでいる間、それなりに時が経っていたようで、辺りはもう薄暗くなっていた。


 混乱するショウに、男は深刻そうに息を吐いた。


「無理もない。きみたちを襲っていたアレは、まるで実体がなかった。其処に在るのに此処に無い、其処に無いのに此処に在る――あまりにも曖昧な怪異だった。接触に気づかず、取り込まれてしまうのも仕方あるまい」


 そう語る男の顔が、変形していく。もともと大柄だった体も、徐々に大きくなっていった。手足には灰色の毛が生え、爪は獣のように鋭利なものへと変化する。


「……あ、アンタは……?」


 そう問いかけるショウに、鼠頭の男は口を開いた。


「我は鉄鼠。きみが行動を共にしていた子の――父親だ」









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