第13話 怪談「消える家族」、誕生。

 意識が、浮上する。


 あのまま吹雪に打ち付けられて死んだと思っていたショウは、自分が生きていることに驚いた。しかし次の瞬間、目に飛び込んできた光景に絶句した。


 ――目の前の肉塊は、かろうじて“人”だと分かるくらいで、惨たらしい有り様となっていた。頭部、とおぼしき部分の白色と、白いフードが見えたので、おそらくは夏樹、と思われる。ショウの両手には、肉塊から繋がる内臓が握られており、なぜか自身の性器が夏樹の腹部、と思われる肉塊の中に埋まっていた。


「う"っ……え”っ……」


 瞬く間に嘔吐感がせり上がり、慌てて顔を背けて肉塊を避ける。リビングで盛大に吐いたので、胃液しか出てこなかった。


「ふーっ、ふう"……っ」


 口内に不快な味が充満し、喉はいがんで痛い。鼻腔にひどい腐臭が突き刺してくる。

 ショウはなんとか肉塊の上から退くと、肉片がこびりついた己の性器をズボンの中に収めた。


「一体、なんだってんだよ……」


 纏わりつくような不快感にうんざりとしながら、コンクリートの壁に力なくもたれかかる。上を向くと、背の高い建造物の隙間から、星1つない夜空が見えた。


「……」


 首が疲れ、すぐに下を向く。血肉まみれの自分の身体と、暗い地面だけが視界に映った。


(なんで、こんなことに……?)


 凍えていた身体は、嘘のように平熱に戻っているし、濡れていない。意識がなくなって、そのまま死んだと思っていたのに、どうして生きている? 何故、あのような常軌を逸した行動を――? 理解が追い付かず、ショウはただ座り込むことしかできなかった。


【足りない】


 突如、どこからか声が聞こえた。慌てて辺りを見渡すが、肉片以外に何もない。


【もっと、喰わせろ】


 その言葉を最後に、再びショウの意識が遠のいていった――――。


 ◇


「え……」


 次に気づいた時には、ぐったりとした少女の上に、馬乗りになっていた。少女の目は上を向き、口からはだらしなく舌が垂れている。服は剥がれ、暴行の形跡がある。自分がやったことは明白だった。


 しかし、夏樹の臓物を両手に握っていた時のように、それまでの記憶が全くなかった。


「な、ん……っ!?」


 悪臭が鼻を刺す。辺りを見渡すと、どこかの家庭のようだった。自分の家族がそうなったように、床には血と肉辺が散らばっていた。


「はぁ……」


 見るに堪えない惨状を連続で見てしまうと、もはや嫌悪感はない。夢なのか、はたまた死後の世界なのか。あり得ない現象の連続に、脳が追い付かずに頭を抱えた。――その時。


【何してんだ。喰え】


「えっ……?」


 意識が薄れる直前に鳴った声が聞こえた。周囲を見渡すが、やはり赤色が広がるばかりで誰もいない。


【その女の“絶望”を、喰え。それがお前の役割だ】


「は、はぁ……?」


 いよいよ頭がおかしくなったか。そう思い、ショウは【声】を無視しようとした。その時、身体中に激痛が走った。


「い“っ!? ぎゃああああああああああああああ!?」


 身体の組織が崩壊していくかのような、滅茶苦茶な痛み。ショウは倒れ込み、のたうちまわった。


【お前が肯定するまで、この痛みを与え続ける】


「はひゅ……っ! わ、わかっひゃ、わか……っ、!  から……」


 やっとのことで言葉を口にした。あまりの痛みで、呂律が回らない。しかし、【声】は肯定の意を受け取ったのか、ショウを解放した。


【――とはいえ、さすがにこの状況、理解が追い付いてねぇか。いいぜ、一から説明してやるよ】


「…………」


 ショウは大人しく、【声】の話を聞くことにした。下手なことを言う、もしくは考えたら、先ほどと同様の痛みが来ると思ったからだ。


【お前は、あの化け物の吹雪に打たれて、死ぬところだった。だが、俺がお前を助けた。お前を死なすのは、惜しいからな】


 くつくつと嗤いながら、【声】は続ける。


【だが、その代償は大きかった。お前を助けた結果、俺は身体を失い、力のほとんどを使っちまった。力を取り戻すためには、俺は人の「絶望」を喰らう必要がある】


「ぜつ、ぼう……?」


【絶望は、大きければ大きいほど、ウマいし力になる。それを増幅させるのにはどうすれば良いか。……家族って、強い絆で結ばれている所が多いよな。それを無残に殺して、生き残った1人を甚振り続ければ――】


 あまりの悪逆さに、ショウは凄まじい戦慄を覚えた。


「っこ、この人でなし! クソ野郎!!」


【何言ってんだ? この怪談は、お前の見た光景が元になってるんだぞ?】 


「は……? 何言って……?」


【とぼけんなよ。そっくりだろ? 家族が無残に殺され、生き残った1人の視界には、血に濡れた男――】


 地獄の光景が、ショウの脳裏に鮮明に映し出された。


「やめろ!!」


 ショウが叫ぶと、【声】は愉快そうに嗤う。


【おっと、思い出しちまったか? すまねぇすまねぇ】


 申し訳なさなど微塵も感じられぬ様子で、「声」は謝った。


【――これから“俺”は食事と、存在の保持ために、家庭を襲う。お前の役割は、残した1人の絶望を吸収することだ。やらねーなら……】


「う“っ、わかった、従う……。どうすれば、いい」


 ダメ押しと言わんばかりに、頭に鈍い痛みが走る。逆らえば、めちゃくちゃな痛みが全身を襲うことだろう。ショウは、素直に従うことにした。


【絶望を喰う――ということは、人の精神に干渉する必要がある。その手段を、自分のイメージする方法でやってみろ】


「………………」


 人の精神に入り込む。それすなわち――ショウはイメージを膨らませ始めた。


 人は、頭でものを考える。


 頭の中を、覗く。


 他人の頭の中に、入りこむには――。


 考えた末に、ショウは少女の額に自身の額をくっつけた。


「――――――!!」


 猛烈な勢いで、ショウの頭の中に異物が入り込んできた。騒々しく、触れたこともない異質なナニカが、目まぐるしく暴れ回る。激流のごとき感情の波に、ショウは驚いて少女から身を離した。


【何をしている。続けろ】


「う"ぅ……っ!」


 せかすように、ズキリと頭に痛みが走る。ショウは再び、少女の額に自身の額をくっつけた。



 ――お父さん。お母さん。嫌だ。怖い。なんで。怖い。恐い。苦しい。怖い。助けて。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!


「う"……っ、……」


 ダイレクトに伝わる、少女の悲鳴と、底知れぬ恐怖。同時に、楽しい記憶やかけがえのない思い出までも流れ込んできた。


 身体を乗っ取られていたとはいえ、その幸福を破壊したのは、自分だったのだと思うと――頭がおかしくなりそうだった。だが、顔を離せば……。


「……く、そ……ぉっ」


 ショウは歯を食いしばりながら、絶望の激流に耐え続けた。


 そうして、ほどなくして、何も流れてこなくなった。


【終わりだ。お疲れ】


 その言葉に安堵を覚え、ショウは少女から顔を離す。


 ――彼女の表情を見て、しでかしたことの重大さに気づいた。


「ご……っ、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめ――」


 謝罪の言葉が、不自然に途切れる。ショウの頭上に、雪がちらつき始めた。


 室内に降る、ゆき。それを目にした途端、ショウの理性は消え失せた。


「あ"あああああああああああああああああああああ!!」


 咆哮をあげながら、ショウは雪の化け物に襲い掛かった。歪んだ笑みを浮たまま、化け物は血まみれの床へと倒れる。ショウは化け物に馬乗りになると、少女の傍に転がっていた包丁を手の内に呼び寄せた。


 そして――化け物の腹部をめった刺しにした。


 瞬く間に、白で埋め尽くされた化け物の身体が、赤に染まる。全身から鮮血が流れ出し、臓物が掻き出され――化け物は、無残な姿となっていく。


 凶刃が、心臓を突き刺す。直後、ショウが動きを止めた。、うつろな目でショウを見上げる。ショウは、夏樹のズボンをずり下ろすと、彼の足を自身の肩にかけた。


「おい、ショウ……?」


「…………」


「ショ――、あ"ああああああああああああああああ!?」


 呼びかけた声は誰にも届かず、断末魔となって消えた。めった刺す音と、体組織が破壊される音――そして、肉のぶつかり合う音だけが響く。


 惨劇の中でも雪は降り続け、存在するものすべてを埋め尽くしていった――。





 ――絶望を喰われる。それはすなわち、「絶望するに至った事象」がどうでも良くなる。家族を目の前で殺されたことへの絶望を奪われたのなら、家族のことがどうでも良くなってしまう。


 大切なものを喪い、絶望するということは、それだけ、その人物にとってそれが重要なもの。人格を形成する、大切なもの。それが、綺麗さっぱり奪われた時――人格も、心も、破綻してしまうのだ。


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