第10話 今淵

「は……? なんで? 学校にいたはずなのに」


 予鈴の音とともに一変した景色。そこは、B高校近くの小さな公園だ。移動せずに学外に出るという、あり得ない現象。ショウはただ狼狽えるより他なかった。


「何飲む?」

「――――!」


 唐突に鳴った、聞き覚えのある声。隣を見ると、夏樹が立っていた。


「あ、えっと……コーラ」


 勝手に動く口が告げる。夏樹は「了解」と答えると、コーラのボタンを押した。ほどなくして、ガコン、と音がした。


(覚えてる。これは、夏樹さんと初めて会った時の……)


 ――屋上で恋に落ちた。陰気な女子生徒の前髪の裏側に、一目惚れした。そうなったら、恋の奴隷になるだけ。クラスの同調圧力を無視し、いじめの現場に割って入った。そして――主犯格の男子生徒の鳩尾に、肘鉄を食らわせた。


 しかしその先にあったのは、胸糞悪い理不尽だった。担任の教師はろくに話も聞かず、一方的にショウが悪いと決めつけ高圧的な指導をした。生まれてこのかた味わったことのない屈辱だった。


 そんな時、夏樹は突然現れた。ショルダーバッグから大量の札束をばらまき、教師の気を引くと、生徒指導室からショウを解放したのだ。そうして、行きついた先がこの公園だった。


「名乗ってなかったな。俺は今淵夏樹いまぶちなつき。亜希の兄だ」

「は、はぁ……」


 唐突な想い人の兄の登場に、


(……? 何だ、変な感覚が――)


 ――そう。""のだ。


 これは、自分視点で行われる、単なる記憶の再現だと思っていた。かの日と同じ場所、言葉、仕草を、傀儡のように再現する。そこに心はない――はずだった。それなのに、場面に合った感情が沸き起こっている。身体だけではなく、心までもが操られている――!


「亜希から連絡があってな。“生徒指導室にいる生徒を助けてくれ”って」

「今淵が……?」

「ああ。亜希は昔から、他人に頼るってことはしない奴だったからな。その亜希が、俺に助けを、しかも他人を助けてくれ、だなんて珍しくてさ。ちょうど私用で帰省しててよかったよ。……にしてもきみ、何しでかしたんだ? 相当怒られてたけど」


 ブランコを揺らしながら、夏樹が問う。ショウの心に、静かな怒りが宿った。


「……本気で言ってますか、それ」

「ん?」

「もしかして、今淵がいじめられていることも、それが原因で自殺しようとしたことも知らないんですか?」


(何だよ……、何なんだよ、これ……!?)


 言葉や行動だけでなく、感情までもが支配される。理解不能な現象に、ショウはいよいよ焦り始めた。


「おいその話本当か!? いつからだ!? 一体いつから、どこのどいつに亜希は……っ!」


 ブランコから飛び降り、夏樹はショウの肩を揺さぶる。


「入学してすぐですよ。……昨日、自殺しようとした所に鉢合わせました」


 冷めた目で夏樹を見下ろしながら告げる、"過去の"ショウ。錯乱する"現在の"ショウの心とは裏腹に、寸劇は滞りなく進められていく。


「っじゃあ、きみがいなかったら――」

「大金持ちの家庭事情はよく知りませんけど、少しは関心を持ってあげたらどうなんですか? 見放されたって泣いてましたよ」

「……そうか」


 夏樹は悲しそうに目を伏せると、ショウの肩から手を離した。


「――なぁ。今淵が周りからなんて呼ばれてるか知ってるか?」

「知らないです」


 首を振るショウに、夏樹は自嘲するような笑みを浮かべた。


「座敷童子の館、だ」

「ザシキワラシ?」

「ウチが有する莫大な財産が、まるで座敷童子でも住んでいるかのようだと比喩されたものだな。奇異の目を向けられるのは、よくあることなんだ。クソ、いじめに発展する可能性なんて、容易に想像つくっていうのに……」


 悔しげに拳を握りしめる夏樹。ショウは眉を寄せ、首を傾げた。


「でも、金持ちの家なんていっぱいあんだろ」

「もちろん、それだけじゃない」


 夏樹は続ける。


「ウチはな、世界的に見ても莫大な財産を有してるんだ。当然、世間やメディアは放っておかないレベル。それなのに、日本全国どころか、県全体からもそこまで知られていない。現に、きみも知らなかった」

「…………」


 ――座敷童子。彼らの棲まう屋敷には富が訪れるという、あまりに有名な妖怪――その名を冠する所以。ショウは黙って、夏樹の話を聞いた。


「理由は単純。収入がほぼないからだよ」

「え……? は……?」


 ショウは目を白黒とさせた。収入がない、それすなわち、何も持ち得ないのと同義。それなのに、耳にする今淵の話は、誰もが羨む豪邸。全く以て、意味が分からなかった。


「あり得ないだろ? でも、実際そうなんだ。大して働いてないし、社会に進出しているわけでもない。それなのに、創作物みたいな豪邸に住んでる。もはや怪異だろ。無限に金が湧いて出る家、ってね」

「ナツキさん……は、見たことあるんですか。ザシキワラシ」

「まさか! 一度もねぇよ。……前にはいたとしても、もういないだろうけどな」

「どういうことっすか?」


 ショウが問うと、夏樹は仄暗い表情で、ゆっくりと唇を開いた。


「座敷童子が去った家は、決まって災厄が降りかかるんだよ」


 ざああ――――。


 風が強く吹く。夕暮れの肌寒さに、ショウはぶるりと身震いをした。


「っと、もうこんな時間か。話しすぎたな」


 ふいに腕時計を見た夏樹が言った。


「ありがとな。きみには感謝してもしきれない。ええと――」

「白峰ショウです」

「ショウ君。本当にありがとな」


 そう言うと、夏樹はズボンのポケットからスマホを取り出した。


「良かったら、RINE交換してくれないか? お礼と言ってはなんだが、連絡くれれば出来る限りのことはするから」

「お礼……、って! むしろこっちのセリフですよ! 良かったんですか、あんなことのために大金を!」


 ショウが焦りながら言うと、夏樹は軽快に笑った。


「気にすんなって。あんなんはした金だ。あ、コード読み取ってくれるか?」

「は、はい」


 スマホをかざすと、すぐにバイブ音が鳴る。画面に夏樹のプロフィールが表示された。海の背景のアイコンに、満月の背景画像だった。


「連れ出しといて申し訳ないけど、俺は用事あるから行くな。あ、それから、良かったら亜希と仲良くしてくれると嬉しい」


 適当なスタンプを送り合うと、夏樹が言った。


「そのつもりです」


 ショウは迷いなく答えた。夏樹は嬉しそうに笑うと、手を振って背を向けた。夏樹の背が遠ざかっていくとともに、風景がぐにゃぐにゃと歪んでいく――。

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