第9話 ショウ、B高校へ
「……なつかしいな」
校舎を見上げ、ショウは呟く。訪れたのは、B高等学校。かつて自分が通っていた学び舎だ。
「……やっぱ、キツいな」
慣れ親しんだ風景に、人であった時の思い出が次々と蘇る。
嫌いな座学。
好きな体育。
面白い友人。
楽しい部活。
……恋した女子生徒。
戻りたいと切望して止まぬ、人であった時の記憶。ショウの端正な顔が、辛そうに歪められた。
「いや、止まってちゃダメだ」
両頬を叩き、自分に喝を入れる。そして、改めて目の前にある昇降口に目を向けた。人の気配はまったくない。今は授業時間なのだろう――時計塔の針は、午前10時を指していた。
「絶対、見つけてみせるからな。亜希」
6月にはめずらしい快晴の下。ショウは決意を固めると、昇降口へと足を進めるのだった。
〈…………〉
その後ろ姿を、誰かがじぃっと見つめていた。
昇降口を抜け、廊下に出る。人の気配はない。時おり、車の音や通行人の声が遠くで鳴るくらいで、辺りは静寂に包まれていた。
左に行けば、ショウのクラス。懐かしい風景だ。
「ショウ!」
感傷に浸るショウの背後から、聞き覚えのある声が鳴った。若干掠れるような男の声。それは――。
「クニ……オ?」
人であった時の親友で、クラスメイトのクニオ。幻聴だと思いながらも振り向くと、そこには紛れもない、クニオが歩いてきていた。
「おはよう。どうしたのさ、そんなハトが豆鉄砲を食らったみたいな顔して」
「ぇ……あ……」
目の前にいる親友は、記憶の中とまったく変わらない様子で話しかけてくる。あり得るはずがない現象に、ショウは狼狽え立ち尽くした。
何故なら――――クニオは、ショウがその手で殺したのだから。
「なん……で?」
ショウが問いかけると、クニオはきょとんと首をかしげた。
「なんでって。これからHRでしょ。早く教室行こうよ」
「HRって……、今、とっくに授業始まってんじゃ――」
そう言おうとした瞬間、急にあたりがざわめき出した。見渡すと、静まり返っていたはずの廊下を、生徒たちがぞろぞろと歩いていた。ショウの記憶と何も変わらない、いつもの朝の学校風景だった。
「一体どうなってんだ?」
「何ぼーっとしてるの? 早く行こうよ」
そう言って、クニオはそそくさと歩き出す。ショウは困惑しながらも、親友の後ろに着いていこうとした。
――刹那、ショウの見ていたものが消失する。
「……は?」
瞬きをする間に、クニオの姿は消えてなくなっていた。周囲のざわめきも消え、辺りは静寂を取り戻した。
「何だったんだ? 今の」
辺りを見渡しながら、ショウは呟く。――幻覚か。それにしては、あまりにリアルだった。正体の分からぬ現象に戸惑いつつも、ショウは先に進むことに決めた。
廊下を突き当たって、左へ。そこには、生徒たちが集うカフェテリアがある。自販機や購買部があり、昼休みはいつも賑わっている場所――のはずだった。
「は!?」
視線の先にあったのは、カフェテリアなどではなかった。フェンスで囲まれた殺風景な広い空間――屋上。校舎の1階を歩いていたつもりが、いつのまにか屋上に来ていたのだった。
「何なんだ……、何が起きてるって言うんだよ!? オレは、まだ夢を見てるのか!?」
頭を抱えそう叫ぶと、横のほうで金具の音が鳴ったのに気づいた。見ると、亜希がフェンスをよじのぼろうとしているのが目に映った。
ひどく見覚えのある光景だ。これは、亜希と初めて話した時の――。そう自覚すると同時に、体が勝手に動いた。
「きゃっ!?」
亜希の腕を、思いきり引く。バランスを崩し、倒れこんでくる彼女をとっさに抱き留め、地面に倒れた。
「はーっ、はーっ……、お、お前、何考えてんだよ!」
(は……!?)
気づいたら、そう言っていた。ショウの意思ではない。口が勝手に、言葉を発したのだ。
亜希が勢いよく身体を離す。そして、ショウの頬をひっぱたいた。
「い"っ、……おま、」
「どうして!」
怒声をあげる亜希。――同じだった。あの日と全く同じ場所、言葉、行動。まるで、記憶の再現という名の舞台の上で、傀儡のように操られているようだ。
「どう……して……。邪魔、するんですか……? そんなに生き地獄を味わわせたいの……?」
か細い声で嘆く亜希。言葉も声色も、記憶と寸分違わない。
「いや当たり前だろ! むしろ止めない奴の精神疑うわ!」
勝手に動く口が、あの日言った言葉を繰り返す。自分の意思ではないと分かっているはずなのに、怒りの感情が沸き起こってくる。夢を見ているような、心だけ置いてけぼりにされているかのような――不可思議な感覚だった。
「……いいですね。貴方は。健常な身体で生まれ落ちることができて。健全な思考ができていますし、さぞ平凡に愛情を注がれて育ってきたことでしょう」
「はぁ?」
「だから、私のように死んだほうが幸せな人間を理解できない! 平気で私を地獄へ叩き落すんだ!」
「んなネガティブだからイジメられんだろ、いい加減にしろ!」
「うるさい! お前に、異形に生まれつく苦しみが! それゆえに家族から見放される悲しさが分かるものか!」
そう叫ぶと、亜希は思いきり長い前髪を上にあげた。露わになった、猫のような金色の双眼。たちまちに魅了される。夢中になる。吸い込まれそうな感覚に陥る。ショウは、知らず知らずのうちに亜希へと顔を近づけていた。
「――醜いでしょう? まるで怪物みたいに。こんなものを持ちながら生きていかなければいけないんですよ。もうあんな仕打ちを受けるのは……」
言葉の途中で、亜希は顔をあげた。目が合った彼女は、驚きというよりも困惑の表情を浮かべていた。
「な……、な、に……?」
ショウは我に返り、慌てて離れた。頬は少し赤らんでいる。
「……何で隠してんの。それ」
「は?」
顔を背けながら、ショウは問う。亜希が顔を顰めた。
「こんなものを晒して生きていくべきだったと言うのですか、貴方は」
「めちゃくちゃ綺麗じゃん! どこが怪物なんだよ!」
勢いよく振り返り、顔を赤らめながら言い切るショウ。亜希の顔も、かああと赤くなる。気まずい沈黙。互いに見つめ合ったまま、時間だけが過ぎていく。
――キーンコーンカーンコーン……。
予鈴が鳴る。それと共に、再び景色が変化する。ショウが立っているのは――学校の近くの、小さな公園だった。
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