第7話 記憶のカケラ~ゆきと桜~

 ある日のこと。

 突然、「図書室」の扉が開いた。ゆきは、驚いて扉の方を見る。なぜなら、。そう、赤い図書室に、自分の意志で入ってきたのだ。


「物好きだね。まさか、自分から入って来るなんて。さよなら」


 入ってきた人物――、桜を焼き殺そうと、手をかざす。すると桜は、目の前の怨霊に臆することなく、平然とした様子で口を開く。


「かわいそう」

「……は?」


 明瞭な口調で放たれた一言に、ゆきは唖然として、炎を発生させるのを止めた。


「あんたの泣き声、あまりにも悲しかった」

「あなたの目は節穴なの?」


 今、ゆきの中に渦巻いているのは、憎悪だけ。涙など流れていない。不可解な物言いに、ゆきは眉をひそめた。しかし、桜はそれを気にも留めずに続ける。


「くやしくてくやしくて、わけが分からなくなってるんだね。あんたの心、ずっと泣いてるよ。ここの近くを通りかかるたび、すごく悲しい声が聞こえてくる」

「そんなわけない! わたしは……っ、憎いの! 生徒たちが、憎くてたまらないの!!」


 ごう、と図書室に火が燃え上がる。襲ってきた熱に、桜の顔がわずかに歪むが、それでもひるまなかった。


「目を覚まして! こんなことしても、あんたは救われないの!!」

「黙れ、おまえに何が分かる! 当たり前のように学校に通えてるおまえなんかに、何がっ!!」

「あたしだって、普通の人がうらやましい!!」


 大声を出す桜。ゆきは驚き、炎が弱まった。


「――あんなモノが視えなくて済む世界なら、どれだけ良かっただろう。本当だったら、あんたの声だって聞きたくなかった」


 桜が、ゆきに歩み寄る。ゆきは、困惑した顔で少し後ずさった。


「色んなモノを見た。交通事故に遭って、顔が潰れて泣いている霊。死んでも自殺を繰り返して、身体がぐちゃぐちゃになっている霊。どうしたらそうなるの? っていう、肉のかたまりになっている霊。どの魂にも、嘆き、悲しみ、恨み……、そんな感情がぐるぐるしてたの。でも――」


 桜は、悲しげな表情でゆきを見つめる。


「あなたから伝わってきた声は、その中のどれよりも悲しかった。くやしさと妬みでぐちゃぐちゃになってる表面のすぐ内側に、大きな悲しみがあって、それがどんどん膨れ上がって……」

「……っ、ち、ちがう。わたしは……」

「あんたの怪談は、知ってる。生徒を図書室に引きずり込んで、焼き殺す“赤い図書室”。本当は、分かってるでしょ? こんなことしても、あなたの悲しみは消えるどころか、大きくなっていくだけだって」


 桜の言葉に、ゆきの動揺が消え失せる。そして、ゆっくりと口角をあげた。


「……ふ、ふふ。ふふふふふ」


 ゆきは、口元を手で覆って肩を震わせた。


「あっはははははは! おかしなことを言うのね!」


 タガが外れたように、狂った笑い声をあげるゆき。


「殺すたびに、わたしが悲しんでる!? むしろその逆! だって、のうのうと暮らしてる奴らを、わたしがされたのと同じ方法で殺すんだよ!? 楽しいし、せいせいするに決まってるじゃない!!」


 ごう、と炎の勢いが一気に強まった。火炎は桜の間近に迫り、熱さに顔を歪ませる。


「あの小さな部屋でひとりぼっちの生活をしないで済んでるんだから、マシでしょ!炎に焼かれるだけにしてあげてるんだから、感謝してほしいくらいよ!!」


 そう叫ぶゆきの頭の中で、何かが引っかかり始めた。よく思い出せないが、大切なものだった気がする。探ろうとするたびに、霞がかかってつかめない。痒い所に手が届かないような感覚に苛立ち、ゆきは朧げな記憶を脳の隅に追いやった。


「――また、泣いてるんだね」


 燃え盛る炎が、桜の身体を覆いかけたその時。彼女は、悲しい顔でぽつりと言った。


「――――!?」


 桜の頬に、涙が伝った。ゆきは驚愕し、無意識に炎を消し去った。

 ゆきが今まで殺してきた生徒たちは皆、死の恐怖におびえ、泣き叫んでいた。しかし、彼女の涙は違う。恐怖ではなく、悲しみから流れる涙だった。


「お願い、気づいて。これ以上、自分で自分を傷つけるのはやめて。見てられないよ……」

「ちがう……。何回言わせるの? わたしは」

「視えたよ。若い男の人や、前髪の長い女の人と、楽しそうに話してた。その時のあなたが、本当の姿じゃないの?」

「わかい……男? 前髪の長い……おん、な? ――う"うっ!?」


 ゆきの頭に、鈍痛が走る。ズキン、ズキンと、激しい頭痛に苛まれた。


「わたし、しらない……。そんなひと……、あ、……な、に? この、記憶……。分かんない……、分かんないよ……」


 覚えのない記憶が、脳を駆け巡る。その感覚に怯え、頭を抱えながらうわごとを言うゆき。桜は迷いのない足取りでゆきの傍に来ると、華奢な身体をやさしく抱きしめた。


「――教えて」


 桜は、優しい声で言った。


「あなたが本当にやりたいことは、何?」

「生徒を、焼き殺――」


 そう言いかけた時、ゆきの目から涙がこぼれた。


「あれ、何で? 何で、涙が……」


 拭っても拭っても、次から次へとあふれ出してくる。動揺するゆきの頭を、桜はそっと撫でた。


「落ち着いて。ゆっくりでいいんだよ」

「わ、わた……っ、わたし、は……っ」


 夏樹とともに夜の学校に訪れた時の記憶が、ゆきの脳に、鮮明に映し出された。それがきっかけとなり、ゆきにとって大切な記憶が、次々と蘇った。


「わたしは……、学校に行きたくて」


「うん」


「授業を受けて、クラブ活動をして……。友達とおしゃべりして、遊んで……」


「うんうん」


「帰ったら、家族がお帰りって言ってくれて……。そんな、日常が欲しかった……」


「うん……」


「ずっと、1人で……寂しかった。わたしも、おにいちゃん達と、暮らしたかった」


「……うん」


「ただ、わたしは――。この学校で見た生徒たちみたいに、過ごしたかった……」


 ゆっくり、ゆっくり。ひとつずつ、吐き出していくうちに、ゆきは、生前からずっと、心の奥底に閉じ込めていた願いに、気づいた。


「ふつうに、なりたかった……」


 その言葉を口にした途端、今までの所業の罪深さを、はっきりと自覚した。


「っご、ごめんなさい! ごめんなさいっ、ごめんなさいぃ……っ!」

「……辛かったね」

「う……っ、うああああ……っ、うわああああああああん!!」


 生まれたばかりの子どものように、大声で泣くゆきの背を、やさしく叩く。何も言わず、桜はただ、小さな身体を抱きしめた。




「――じゃあ、あたし、行くね」


 落ち着いたところで、桜は図書室を去ろうとする。


「まって!」


 ゆきが、それを慌てて引き止めた。桜が振り向くと、ゆきは少し視線を泳がせた後、口を開いた。


「なんで、助けてくれたの?」

「え?」

「だって、わたしとあなたは、赤の他人。そのうえ、あんなことをしてきたし……。この学校の人間は、わたしのことが怖いはずなのに」


 桜は、ゆきに向き直る。


「さっきも言ったと思うけど、あんたの声が悲しすぎて、聞いていられなかったの。図書室の近くを通るたんびに聞いてたら、おかしくなりそうだもん。それに――」


 桜は、少し言いにくそうな顔をしたが、おどけるように舌を出した。


「殺されたは殺されたで、いいかなーって」

「ええええ!? な、なんで!?」


 ゆきが困惑してそう聞くと、桜は暗い顔をした。


「だって、目を開ければ怖いのがいるし、目を閉じても恨みつらみの声が聞こえてくるんだよ? それに囲まれて生きるの、疲れちゃった。想像してみてよ。ずっと、"死ね"とか、"憎い"とか、"殺す"、って恐ろしい声が、聞こえてくるんだよ。耐えられる?」


 その光景を想像し、ゆきは恐ろしくなって、ぶんぶんと首を横に振った。


「だから、最初はほぼそのつもりで、ここに入った。――けど、直接視たあんたは、あたしが想像していたよりずっと、苦しそうだったから……、助けたくなっちゃった。おせっかい、だったかな?」


 ぶんぶん、と首を横に振る。ゆきの反応を見て、桜は安心したかのように笑った。


「なら、良かった」

「あの……、」

「なぁに?」


 ゆきは俯いて、人差し指と人差し指をつき合わせる。もじもじとしていたが、やがて意を決して顔を上げた。


「また、ここに来て、くれる?」


 上目遣いで聞いてくる姿が可愛らしくて、桜の心に矢が刺さった。


「もちろん。オバケに疲れたら、いやしてほしいな」

「わたしもお化けだよ?」

「あ、そうだった」

「変なの~」


 2人で、顔を見合わせて笑い合う。久しぶりに、心の底から笑えた気がした。


「ねえ、名前はなんていうの?」


 桜が、目をこすりながら言った。


「わたし、ゆき!今淵ゆきだよ!」

「木下桜だよ。よろしくね」


 お互い名乗り合って、ぎゅっと手を握る。にこりと笑い合って、再び桜は扉の方に行った。


「じゃあ、今日は帰るね。また明日、来ても良いかな?」

「もちろん! 絶対来て! 毎日来て!! わたし、いつでも待ってるから!」

「ありがとう」


 パタン、と扉が閉まる。自分だけの空間に閉じこもって、誰かを待つ。なんだかんだ、生前と同じだ、とゆきは思った。


 ただ、圧倒的に違うところがあった。生前、夏樹たちは出来る限り来るようにはしてくれていたが、それでも1人の時の方が圧倒的に多く、寂しかった。けれど、今は違う。学校で、大好きな本に囲まれて、ほぼ毎日来る友達と話せるのだ。なんて幸せなんだろう。


「――おにいちゃん、おねえちゃん。わたしの夢、叶ったよ」


 自分の世界で、ゆきは1人、そう呟いた。かくして、「図書室」は2人の少女の空間となった。






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