第5話 記憶のカケラ~赤い図書室、誕生~

 暗転。

 意識の浮上。


 百合花は再び、「図書室」へと戻ってきた。


「……見た?」


 本棚の上から、顔半分を覗かせるゆき。赤い目をじとりと細めて、恨めしそうに百合花を見下ろしていた。


「見たわよ。自分で見ろって言っておいて、少し理不尽じゃないかしら?」

「うぅ~っ」


 呆れて言い返すと、ゆきは顔を引っ込めていった。


 2つめの記憶。兄との夜の学校探険。内容だけを切り取れば、微笑ましい光景。しかし、端々には明らかな異常さと、少女の抱える闇の深さが垣間見えた。


 学校への異常なまでの羨望。

 1つめの記憶と同様、深夜に来訪する兄。

 2つめの記憶の時点で、外に出たのが初めてであるという事実。


 学校を含め、外に出たことがないということは、「アルビノ」という特徴から鑑みてそこまでおかしなことではない。


 着目すべきは――深夜の来訪。しかも、両親ではなく、兄妹によるもの。さらに奇妙なことに、1つめの記憶で彼らが連れてきたのは、親ではなく、それどころか血縁関係でもないショウだった。


「…………」


 整然と並べられた本を、神妙な面持ちで見つめる百合花。彼女の頭に、1つの最悪な予測が浮かんでいた。


「もう少し、探ってみようかしら」


 そう呟いて、奥の本棚へと移動する。手に取った本のタイトルは、「わたしの罪」だ。ページを開き、百合花は記憶の海に沈んでいった。




「――あ、れ?」


 目を覚まして、ゆきはすぐに疑念を抱いた。


「おかしいな、わたしは、たしか――」


 ――焼き殺されたはず。


 最期の記憶を思い出し、ゆきは戦慄する。忌まわしい記憶を頭から消し去り、何気なく辺りを見渡すと、赤い目を大きく見開いた。


 右にある大きな窓。

 左にある大きな壁を挟んだ2つの扉。

 下にある赤い中心線。

 上にある縦長の蛍光灯。

 そして、手前側の扉の上につけられた表札は、紛れもなく――。


「わ、わたし……学校に来てる!!」


 感極まって、ゆきはぴょんぴょんと跳ねた。もう、窮屈なワンルームでじっとしていなくてもいい。本の世界で見た「普通」のことを、思いっきりやれる。身体が軽い。今なら何でもできる気がした。


 ――そうだ、ここは天国だ。ならば、何でも許されるはず。有頂天になりながら、ゆきは教室の扉を開けようとした。


「あ、あれ?」


 しかし、触れようとしたその手は、すり抜けてしまった。何度やっても、ゆきの手は空を切るばかりで、物体に触れることは叶わない。そうしているうちに、チャイムが鳴り、中から児童たちが出てきた。


「あっ……」


 ゆきは声を掛けようとしたが、児童たちは彼女に見向きもしない。当たり前のように、ゆきの身体をすり抜けていく。先ほどまでの楽しい気分は、一気に曇り切ってしまった。


「そ、っか……」


 ゆきは、確信した。ここは、天国などではない。つい先ほどまで、必死に息をして、耐え抜いて、たしかに存在していた世界――。


「わたし、ユーレイになっちゃたんだ」


 落ち込んで、とぼとぼと廊下を歩く。談笑の声が、ひどく心に刺さる。ひとりぼっちはいやだった。彼らのように、屈託なく嗤いたかった。学校に通いたかった。――それなのに。


「うっ……、うぅ……。うぅう~~っ!」


 悔しくて悔しくて、涙がぽろぽろと零れてきた。聞く者など誰もいないというのに、ゆきは声を押し殺して泣いた。


「山田~、次の授業さ~」

「あ~。国語か。たしか感想文書けって宿題出てたよな。やった?」

「やったぞ~。あのババア怖ぇじゃん」

「えらっ! おれ、めんどくてやってねぇや」


 背後から聞こえてきた生徒の声で、ゆきは逃げるように走り出した。


(――そうだ。あの人たちにとって、授業は特別なことでもなんでもない、当たり前のことなんだ。それなのに、わたしは……、わたしは……っ!)


 知識としては知っていた。自分と同じくらいの年齢の人たちは、"小学校"という場所に通い、授業を受けて、友達とおしゃべりをしたり、校庭で遊んだりしているのだと。


 ――けれど、こうして目の前に突き付けられてしまうと、辛くて悲しくて仕方がなかった。


「はぁ……」


 逃げてきたはいいものの、今は昼休み。どこへ行けども生徒たちの声からは逃れられなかった。どこか、1人になれるような場所はないものか。そんな願望を抱きながら、ゆきはふらふらと校内を彷徨う。


「……ん?」


 ふと、前方にある教室に、「図書室」の札がつけられていることに気づく。それを目にしたゆきの表情が、一気に輝いた。


「図書室! 本!!」


 はしゃぎながら、ドアに手をかけようとして――すり抜けた。一瞬にして、ゆきの気分は降下する。


「やっぱりそっか……」


 諦めようとしたとき、はっ、と自分の見落としに気づいた。


「もの触れないんだったら、ドアすり抜けられるじゃん。わたしバカだな~」


 自分に呆れながら、ドアをくぐると、何人かの児童がいた。立ち読みをしたり、カウンター席で何か作業をしたりしている。1人になれなかったことを残念に思いながらも、「静かだからまぁいっか」とひとりごちて、本棚の前に立つ。そしてすぐに、絶望した。


「あ……、わたし、触れな――」


 ちょうど1人の児童が、ゆきが立っている場所の本棚を物色し、彼女の身体をすり抜けて本を手に取った。


「あ、あったね」

「良かった良かった」


 小声で会話して、カウンター席へと持っていくのを、ゆきは呆然と見た。


「なん……で? どうして当たり前のように、ものに触れるの? 会話をしているの? 学校に通っているの? ――――本を読めるの? どうして……?」


 それが、とても幸福であることに、何故気づかない。それが当たり前だというのなら――。ゆきの心を、黒い何かが覆っていった。


「しっかしやだなぁ~。読書感想文書けとか、夏休みの宿題かよって感じよね」

「本当にね! 授業で出さないでほしい!」


 扉の向こうから、先ほどの児童たちの会話が耳に入った時。――ゆきの中で、何かがぷつりと切れた。


「あ……、ああ……っ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」


 図書室の温度が、だんだんと上がっていく。


「――ねぇ、なんか暑くない?」

「ね。暖房効きすぎ……。先生に言ってくる!」


 カウンター席の児童が、椅子から立ち上がる。扉に手をかけるが、熱すぎてすぐに指を離した。


「っねぇ、扉めちゃくちゃ熱いんだけど! 触れない!」

「え、何で!? っていうか、なんかどんどん暑くなってるような……。も、限界……」


 あまりの暑さに耐えかね、生徒たちの意識がもうろうとしていく。温度の上昇は、まだ止まらない。


「あああああああ……、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 断末魔のような叫び声とともに、ゆきの長い髪が、鬼のように逆立った。――刹那、その場にいた生徒たちの身体が、発火した。


「ぎゃあああああああああああああああああ!?」

「いやああああああああああああああああああああ!!」


 全身に炎を纏った児童たちが、苦痛のあまりのたうち回る。火は物品にも燃え移り、図書室は、無間地獄と化した。


「きゃはっ……、あははっ、アハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


 断末魔の中で1人、ゆきは狂ったように笑う。「罪人」たちを業火で焼き、それを見て嗤うさまは、まさに地獄の鬼だ。雪のように白かった長い髪が、赤く、赤くなっていく。血、怨念、炎熱。ありとあらゆる"負の赤"が、彼女を染め上げていった。


 髪が赤に染まり切ると、ゆきは炎を鎮めた。焼死体と、荒れ果て、黒く焦げ付いた物品が、横たわる。ゆきは、惨状を満足そうに見つめた。


「あ~、静かになった!」


 清々しい気分で、ゆきは伸びをした。


「あ、そうだ」


 そう呟いて、ゆきは強い願いを念じた。すると、図書室から彼女の姿が消え去った。図書室に上書きするように「図書室」を作り出し、その空間へと転移したのだ。


 そこは、図書室とまったく同じ形の空間。しかし、ゆきが本に触れることができて、誰も入ってくることはない。まさに、ゆきだけの世界楽園だった。


「よーし、できたーっと」


 力を酷使したため、どっと疲れが沸き起こる。達成感に溢れた様子で、ゆきは床に寝転がった。


「はぁ……」


 ――すっきりした。とはいえ、宿題に文句を言いながら出ていった彼女らを思い返すと、妬みと憎しみが湧いてきて、気分が悪くなった。


「定期的に、生徒を呼び込んで、殺そう」


 そう呟いて、起き上がる。


「幸福を当たり前のように享受してる奴らなんか――」


 無意識に、空間に炎を発生させる。怨念の炎は、ゆきの身体も覆い尽くしたが、既に死んでいる彼女は、焼かれることはなかった。


「みんな、死んじゃえばいいんだ」




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