第4話 記憶のカケラ~夜の学校探検~
「――はっ!?」
目が覚める。――否、現実に引き戻される。水の中から顔を出したかのように、百合花の身体は激しく酸素を求めた。
「おかえり、百合花さん」
隣に、ゆきが立っていた。
「ちゃんと見れた?」
「ええ。ずっと、見たことのない光景を俯瞰していたわ。なんだか、夢を見ているようだった」
百合花が答えると、ゆきはくすりと笑った。
「夢じゃないよ。それは、わたしが見たまま、感じたままの映像。わたしの記憶そのものなんだから」
「――あなた一体、どういう生活を送ってきたの?」
訝しげに、百合花が問う。先ほど目にした記憶は、あまりにも不自然なことばかりだった。小さな部屋に、年端の行かないアルビノの少女1人。不揃いの家具。深夜に尋ねて、朝に帰っていく兄妹。何故かそれに同行していたショウ。
「普通」ではない百合花でも分かった。人であった時のゆきは、明らかに「異常」だ、と。
「口で説明しても、想像できないと思うよ。記憶を見たなら、分かると思うけど」
たった一部分だけでも、目を疑うような光景。たかだか口頭の説明のみで理解できる代物ではない。まったくもってその通りだと、百合花は深く頷いた。
「……もう少し、見せてもらうわね」
そう言って手に取るのは、「夜の学校探検! ~大好きな兄と一緒に~」というタイトルの本。それを見たゆきの頬が、少し赤くなった。
「そ、それを見るのかぁ。ちょっと恥ずかしいな」
「ダメだったかしら?」
「ううん、ううん! 大丈夫! 気にしないでいいから、いってらっしゃい!」
「ちょっと――っきゃああ!?」
本がひとりでに開く。百合花は再び、記憶の海へと沈んでいくのだった。
「ゆき。……ゆき」
「ん……」
肩を揺すられ、ゆっくりと意識が浮上する。
「着いたぞ」
夏樹が言う。ゆきは目をこすりながら、小さく頷いた。
「良く寝れたか?」
時刻は午前1時。この日はいつもと違い、夏樹はゆきを外へ連れ出したのだった。
初めて感じる外の空気。
初めて見る空。
初めての散歩。
激しい高揚感を覚えながら、必死に兄に着いていった。
しばらく歩いて駐車場に着くと、ゆきは初めて実物の車を目にした。「初めて」の連続に、ゆきは目を白黒とさせた。あれよあれよと車に乗せられると、いつの間にか眠りについてしまったのだった。
「まだ寝てたいよ……」
「はは、まあそう言わずに」
夏樹が、ゆきの肩を抱いた。ゆっくりと、まるでお姫様をエスコートするかのように、妹を車から降ろすと、手を引いて歩き出した。ゆきは不機嫌そうにしていたが、しばらくして視界に飛び込んできたものを見て、目を見開いた。ぼんやりとしていた意識が、一気に覚醒する。
「おにいちゃん、ここ……」
「ああ。学校だよ」
夏樹が連れてきたのは、A小学校。特に縁があるわけではなかったが、ゆきの家から1番近かった学校が、そこだったのである。
「うわあ……! うわああああ、学校だ……。学校だぁ……!」
目を輝かせながら、感嘆の声を漏らすゆき。光を放っていると錯覚を覚えるほどの、まぶしい笑顔。夏樹は、慈愛の笑みを浮かべながら、喜びはしゃぐ妹を見守った。
「んじゃ、散歩しよっか。本当なら、校舎の中に入れれば良かったんだけどな。ごめんな。行ける所だけ行こう」
「うん!」
夏樹が手を差し出す。ゆきはぎゅっと握り返すと、兄とともに歩き出すのだった。
誰でも入れる道から、校庭へ下り立つ。目の前に広がる景色に、ゆきは表情を輝かせた。広大で、何のしがらみもない自由な空間。恥じらいも、遠慮も、息苦しさも、何もかも捨ててしまえそうに思えた。
「う、うあーーーっ!!」
ゆきは、校庭に向かってぎこちなく叫んだ。今まで味わったことのない解放感が、身体中に染みわたる。その勢いで、1、2歩と歩きだす。すると、たがが外れたかのように、ゆきは校庭を走り出した。
「おーい、ゆきー。あんま無茶すんなよー」
兄の呼ぶ声が、小さく聞こえる。ただただ、この広い空間が心地良い――。ゆきは、無我夢中で校庭を駆け回った。しかし、虚弱な身体は言うことを聞いてくれない。あっという間に限界が訪れ、ゆきは倒れそうになった。
「あっぶな!」
固い地面に頭から落ちるのを、夏樹が防いだ。
「う"ー、もう動けないぃ……」
「まったく……」
「んへへ」
兄の腕の中で、幸せそうに項垂れるゆき。口元からよだれを垂らし、満面の笑みを浮かべる妹の姿に、やれやれと息を吐く夏樹。気を失った妹をお姫様抱っこすると、体育館脇の休憩スペースへと足を運んだ。
「うーん……」
数十分ほどして、ゆきが目を覚ました。
「気づいたか?」
見上げる視界に兄の顔が映り、ゆきはゆっくりと身を起こす。
「うん……わたし、つかれて寝ちゃったんだね」
「そりゃ、いきなり走り回ったらな」
「う"ぅ~。だってぇ……。ぴゃっ!?」
むすくれる白い頬に、夏樹が冷えたペットボトルを当てた。
「疲れただろ? 水飲むか?」
「うん!」
緩められたフタを取り、ゴクゴクと喉を潤していく。
「ぷあああっ、外で飲む水って、こんなにおいしいんだ!」
「ああ、そうだな。それに、さっき走り回っただろ? 動いて疲れた後に、飲み物飲むとうめぇんだよ、これが」
「へー! そうなんだぁ! たしかに、超、超超超超おいしかった!」
「っはは、そんなに?」
「うん! そんなに!」
2人で笑い合って、夏樹は夜空を見上げた。つられてゆきも上を向く。真っ黒な無限のキャンバスには、小さな星屑たちがキラキラと描かれている。
「夜空って、こんなに綺麗なんだね」
感嘆のため息を漏らしながら、ゆきが呟く。
「ああ。今夜は特に。良かったな、綺麗な時で」
「うん!」
元気に頷くゆきに微笑み返すと、夏樹は立ち上がった。
「そんじゃ、今日は帰るか。走り回ってだいぶ疲れたろ」
ゆきの表情が、急激に沈み込む。
「やだ。帰りたくない」
「そうは言っても、これ以上動き回るのは無茶だ。また来よう」
「やだ!」
「ゆき――」
夏樹は、小さな唇にそっと指を当てた。
「楽しみは、とっとくもんだぞ」
「楽しみ?」
「そ。まだ、校舎の中見たことないだろ?」
兄の言葉に、勢いよく校舎を見るゆき。目に映る夢の建造物は、ひどく大きくそびえ立って見える。まるで、ファンタジー小説のダンジョンのようだ。未知の領域を想像し、ゆきはごくりと唾を飲み込んだ。
「……ったしかに!」
「だろ? せっかくなら、元気な時の方が良くないか?」
「うん。そのほうがいい!」
「ん。じゃ、帰ろっか」
手を繋いで、夜の学校を後にする2人。車に乗ると、数分と経たずにゆきは眠りについた。後部座席ですやすやと眠る妹を、夏樹は微笑ましく眺めた。
「おやすみ、ゆき。また来ような」
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