第2話 「図書室」にて

「そ、それじゃあ、まずは自己紹介から……」


 ゆきが控えめに言った。


「さっきも言いましたが、わたしは今淵ゆきっていいます」

木下桜きのしたさくらです」

「園城百合花。敬語は使わなくていいわ」


 ショウが去った後の「図書室」。

 長机で、ゆきと桜が隣同士、向かいに百合花が座っていた。

 状況を整理するため、落ち着いて話をしようという考えからだった。


「わかった。じゃあ、そうさせてもらうね!」

「…………」


 ゆきは明るく答えたが、桜は仏頂面のまま無言だった。


(そういえば、この子には私の"業"がすべて視えているんだったわ。それにしても気味が悪いわね)


 やりにくさを感じながら、百合花は心中でそう思った。


「さっそくだけど、質問していいかな? 百合花さん。聞きたいことが山ほどあるの」

「ええ。分かる範囲でだけれど」

「ありがとう! まず、2人はどういう関係なの?」


 明るい表情から一変、ゆきはじとーっと百合花を見て言った。


「え……? 協力関係にあっただけだわ。神社で出会って、目的と利害の一致で一緒に行動してたの。別にやましいことは何もないわよ」

「協力関係?」


 ゆきが聞き返す。


「ええ。私たちは怪物に追われていて、ソレから逃げるために、結界を有する怪異を探していたの。それで見つけたのが、あなたよ」


 そう言って、百合花は縋るようにゆきを見つめた。


「匿ってくれるかしら?」

「うん、もちろん!」


 弾けるような笑顔での肯定。

 その一言は、己を苦しめるもの全てからの解放を意味する。

 百合花は、嬉しさのあまり泣きそうになった。


「ありがとう……っ」


 涙を押し殺し、百合花は心の底から礼を言った。

 彼女の苦悩を読み取ったゆきは、労わるように、にぱーっと笑った。


「すごく喜んでるところ悪いんだけど」


 冷たい声で、桜が言った。


「あんた、ずっとここにいるつもり?」


 真っ黒な目が、ギロリと百合花を睨みあげた。


「ええ。そのつもりだけれど」


 ゆきに確認するように目くばせする。

 彼女は「もちろんいいよ!」と言わんばかりに笑顔を見せた。


「浅はか」


 桜が短く罵倒した。


「生きるために必死で結界を探したのに、結界の中で死にたいっていうの? 馬鹿なの? ここには、食べ物もトイレもお風呂もないんだよ」

「あなたこそ、そんな力を持っておいて、何も知らないのね」


 百合花が呆れたように言う。

 桜の目がつり上がった。


「結界の内は、現実世界とは隔絶された空間。時の流れから完全に遮断された場所なの。つまり、お腹は空かないし、眠くもならない。だから血眼で探していたの」


 桜の顔が、かーっと赤くなった。


「何よ、いちいち外の時間かくにんして出てたあたしがバカみたいじゃん! 出なくてよかったんじゃん! ゆきちゃん、あたしもここにずっといる! その女だけなんてイヤ!」

「えっ! いいの、桜ちゃん!? やったぁ、ずっと一緒だ。ショウさんも戻ってくるって言ってたし、にぎやかになってうれしいな!」


 ゆきに抱き着きながら、ギャンギャンと喚く桜。

 桜を抱きしめ返し、無邪気に笑うゆき。

 平和だと思いながら、百合花は彼女たちのじゃれ合いを眺めた。


「あ、あと2つめの質問!」


 桜から離れ、ゆきが言った。


「百合花さんは、何ていう怪異なの?」


 ゆきがそう聞く横で、不服そうにする桜。

 もっと抱き着いていたかったのだろう。


「私は鉄鼠の娘よ」


 そう答えると、ゆきが目を丸くした。


「鉄鼠!? 鉄鼠って本当にいたの!?」


 身を乗り出してそう言うゆきに、百合花は思わず吹き出す。


「っふふ、白峰君も全く同じこと言っていたわ! あなたたち、兄妹か何かなのかしら?」


 口元に手を当てて笑う百合花に、ゆきはむっと頬を膨らませた。


「だって、鉄鼠レベルだと、怪異っていうより妖怪じゃん。妖怪ってなるともはや伝説の域だもん。実感ないもん。ショウさんだっておんなじ感覚だったと思う」

「たしかにそうだわ。笑ってごめんなさいね」

「それより、ねぇ、鉄鼠ってどんな姿してるの? 頼豪の姿で人間社会に溶け込んでるの? それとも、大鼠の姿で闇夜に紛れ」


 身を乗り出し、目を輝かせるゆき。

 隣から、桜が制止をかけた。


「ゆきちゃん、深掘りしないほうがいい。この人の逃亡の原因、半分くらい鉄鼠ソイツだから」

「そっか……」


 しゅんとして、ゆきは席に座った。

 だが、しばらくすると、ちらりと百合花を上目遣いで見た。


「次の質問、いい?」

「どうぞ」

「百合花さんたちを襲う怪物って、どんなやつなの?」

「……ただただ、恐ろしいやつよ。陽炎のような姿をしているわ」

「陽炎か。あんまり、想像つかないなぁ。その怪物、ショウさんも襲ってたの?」

「一緒に行動をしていたから、結果的にそうなったかもしれないわ。逃げるのに必死で、記憶がないけれど。でも、白峰君を襲っていたやつは、別にいたわ」

「白い化け物、ってやつ?」

「ええ」


 百合花が頷くと、ゆきは急に神妙な面持ちになった。


「百合花さん、さっき言ってたよね。”夏樹とかいう白い化け物”って」

「白峰君がそう呼んでいたわ」


 ゆきの顔が、今にも泣きそうになる。

 堪えるように下を向くと、柔い唇をゆっくりと開いた。


「夏樹ってね……わたしのお兄ちゃんなの。ショウさんと、すっごく仲が良かったんだよ」


 ぽつりとそう言うと、ゆきは勢いよく顔をあげた。

 そして、縋るような眼差しで百合花を見つめる。


「ねぇ、何が起こったの? わたし、知りたいの。わたしが焼き殺されたあと、大切な人たちに何があったのか。お姉ちゃんはどうなったのか……」

「ごめんなさい、私には――」

「白峰ショウの身に何があったのかは、あたしが知ってる」


 百合花の言葉を遮って、桜が言った。


「でも、詳しいことは知らないほうがいい。トラウマになる」


 桜は、ゆきの白い手にそっと自分の手を重ねた。


「もうっ、桜ちゃんはそればっかり! わたしはそんなに弱くないっ!」


 重ねられた手を、ゆきが乱暴に振り払う。

 突然のことに理解が追いつかず、桜は目をぱちくりとさせた。


「出てって」

「え……」

「出てってよ! もう、しばらく顔も見たくないっ!」

「ちょっと……」


 ぐっ、と桜の目に涙が浮かぶ。

 百合花はゆきを諌めようとしたが、時すでに遅し。


「うわあああああああああ! ゆきちゃんのバカあああああああ!!」


 泣き叫びながら、桜は図書室を出ていってしまった。

 ゆきは乱暴に閉められた扉から、ぷいっと顔を背けた。


「ふんっ、桜ちゃんなんて知らないっ」


 腕を組み、頬っぺたを膨らませてぷんすかとするゆき。

 百合花は席を離れ、彼女の傍らに立った。


「あの子は、あなたのためを思って言ったんだと思うわ。あの子の力、知っているんでしょう?」

「…………」


 ゆきはむすくれたまま何も答えない。

 百合花は腰を落とし、彼女と視線を合わせた。


「帰ってきたら、謝りましょ? ね?」


 言い聞かせるようにそう言うと、ゆきはこくんと頷いた。

 これ以上は何を言っても無駄だろうと判断し、離れようとすると、白い指が百合花のスカートの裾を掴んだ。


「……百合花さん、あのね」


 ぽつり、と言った。


「ここの本はね。わたしの記憶が詰まってるんだ」


 そう言うと、真剣な眼差しで百合花をみあげた。


「百合花さんに、知ってほしいの。お兄ちゃんのこと。ショウさんのこと。そして……お姉ちゃんのことも」

「……分かったわ」


 かくして、百合花はしばし記憶の海に沈むこととなる。

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