第17話 新たな影、そして「図書室」へ
「赤い図書室……?」
明らかに物騒な名前。本当に友好的なのだろうかと、百合花は疑念を抱いた。
「想像のとおり、彼女はもともと、校内1の凶悪怪異だったよ」
シミズは説明を続けた。
「去年の10月――”消える家族”が発生する、ちょっと前だったかなぁ。彼女は突然、この学校にやってきた。そして、図書室に行ったかと思えば、そこにいた生徒を全員焼き殺したんだ」
「赤」は血ではなく、炎の赤だったようだ。百合花は引き続き、シミズの話に耳を傾けた。
「それからは……、まあ酷いもんだったよ。図書室に結界を作り、生徒を呼び込んでは焼き殺してた。結界の中では何でもありなのか知らないけど、呼び込んだ人間を蘇らせては焼き加減を調整して殺して遊んで……、途中から観測を止めたよ」
「それが、どういう風の吹き回しで……」
「1人の女子と仲良くなってから、変わったみたいだね。昼間のことは視れないから、詳細は分からないけど。でも、その子が”図書室”を出入りするようになったら、彼女は虐殺を止めたよ。本当、何があるか分からないよね」
興味深げに、シミズは語った。
「どうすれば、赤い図書室を呼び出せるの?」
「ちょっと待ってね」
百合花が問うと、シミズは教卓のPCを起動させた。それとともに、教室内のすべてのPCの電源が一斉につく。異様な光景に、百合花の肩が跳ねた。
シミズは、カタカタとキーボードを打ち鳴らし、検索欄に「赤い図書室」と入力した。Enterキーを押すと、「図書室」内の映像が、全PCに映し出された。俯瞰視点の映像には、2人の少女の姿があった。彼女らは親友のようで、とても楽しげな様子が映されている。
「うん、ちょうどいるね」
カチカチとマウスを操作しながら、シミズは言った。
映像が、片方の少女にズームされた。
真っ赤な長い髪。
髪色と同じ色の、大きな目。
雪のように白い肌。
彼女こそ、赤い図書室――その顔を見て、百合花は硬直した。
「呼べば答えてくれると思うよ。普通にノックしたら――」
シミズが言葉を止めた。
「聞いてるー!?」
大声を出すと、百合花が肩を跳ねさせた。
「え、あ。何かしら?」
「画面見つめて固まっちゃって、どうしたの? 彼女と知り合い?」
「いえ……。違うわ」
首を横に振ると、百合花は頭を抱えた。
「ごめんなさい。少し、混乱しているの。これ以上、新しい情報を受け入れられる気がしないわ」
「そっか」
項垂れる彼女の姿を見て、シミズは追及するのを止めた。
「……図書室が封鎖されてない状態だったら、そのまま扉を開いて結界内に入れるよ」
シミズが言う。百合花は顔をあげて、彼に目線を向けた。
「封鎖?」
「そ。この学校の図書室は、封鎖されてるの。だって、1つの小学校で1クラス分の被害者が出たんだもん。そりゃあ、世間やPTAは大騒ぎだよ。廃校にしろって声で溢れたけど、さすがに急にはできない話だよね。それで、扉を板で封鎖して、立ち入り禁止になったのさ。でも、赤い図書室が現実世界と
そこまで説明すると、シミズは扉を開けた。
「図書室は、この階を1つ下ったら、右に進んでいちばん奥にあるよ」
「ありがとう」
扉の先は、真っ白で何もなかった。踏み出せば、元の廊下かコンピュータ室に戻ることができる。
「白峰ショウの件、どうする? 逃げたければ、キミのことを少し離れた場所に返すこともできるけど」
百合花は、口元に手を当てて思案した。数秒ほど考えて、シミズと目を合わせた。
「S君――白峰君と怪物だったら、断然、怪物のほうが怖い。どちらも危険なら、怖くないほうを選ぶわ」
「へぇ。なるほど?」
彼も視ていた。ゆらゆらと揺らめく、陽炎の怪物。怪異の巣窟、A小学校の中でも強者である、1-1ワンピースの少女を簡単に消滅させた。
彼女の
シミズは、「消える家族」は空前絶後の凶悪怪異だと推測していた。フィルターを外せば、被害者の死体の画像は山ほど出てくる。どれも人の所業とは思えぬほど、凄惨な状態だった。
死体を量産しておいて、今は女と行動を共にしている。怪異を怖がる情けない男を演じながら、平然と。そんな邪悪よりも、陽炎の怪物が恐ろしいとは、到底思えなかった。
――が、怪物を直接見ていない以上、彼女に口出しする権利はない。そう結論づけ、シミズは目を閉じた。
「名残惜しいけど、ここでお別れだね」
シミズが手を差し出す。百合花は一瞬きょとんとしたが、すぐに意図を汲み取った。
「色々とありがとう。私はもう大丈夫」
2人は握手を交わした。
「健闘を祈るよ」
「ええ。じゃあ、さよなら」
手を離し、百合花は白い空間へと消えていった。
――静寂に包まれた「コンピュータ室」。シミズは扉を閉め、教卓のPC席に腰をかけた。
「ふぅ、久しぶりに楽しかったな」
彼は学校の人間が嫌いだった。生徒も教師も、みんな頭が悪く、稚拙に感じてしまう。
だから、昼間の学校から逃れ、夜の静寂に閉じこもった。自分は普通でないのだと、痛いほどに実感させられるから。
「とはいえ、ここでずっと1人だと、寂しいものがあるんだよねぇ」
キィキィと椅子を鳴らしながら、呟く。
「――さて」
シミズはにやりと笑うと、PC画面に目を向けた。
「キミたちのこと、これからも観測させてもらうよ。ふふ、面白いものが見れそうだ」
画面には、エリアごとの映像が同時に流れている。心を躍らせながら、シミズは画面を食い入るように眺めた。
「ん……?」
昇降口付近の映像に目が留まった。クリックし、そこの映像だけを拡大させた。
「ここか」
メガネをかけた黒髪の少年が、校舎を見上げて呟く。睨みあげる双眼は赤く、まるで血のようだ。年齢は14,5歳ほどで、前髪をやんわり七三に分けている。授業に出るわけでもないのに、学ランを身に纏っていた。
彼は百合花の作った入り口を見ると、侮蔑の表情を浮かべた。
「フン……。たしかに、あの売女の力の痕跡がある。ここにいるんだな」
そう独り言ちると、何の躊躇いもなく校内へと入って行った。
「jqぢぃ84d7t?」
廊下に出るとすぐ、オオカゲオバケが姿を現わす。少年は、全く動じずに黒い異形を見上げた。
「cyx2え0……d94g9r。」
黒い腕が、ゆっくりと少年に向かって伸びていく。獲物を捕らえることを、楽しむように。
――パン!
乾いた音が鳴る。少年が、両手を叩き合わせた音だった。
「オン、アボキヤ、ビロシャナ、マカボダラ、マニハンドマ、ジンバラ、ハラバリタヤウン」
そう唱えると、少年は流れるように手印を結んだ。右指を左指の上に交互に乗せ、人差し指を立て合わせる。そして、親指で薬指を押す――これは、不動明王の印相だ。
「ノウマク、サンマンダ、バザラダン、カン!」
刹那、巨大な光が廊下を包む。オオカゲオバケの体は、光の中に取り込まれた。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!」
響き渡る断末魔。オオカゲオバケは、じゅうじゅうと音を立てながら光に焼かれた。
ものの数秒も経たず、オオカゲオバケは完全に消滅させられた。
「他愛ない」
少年はそう吐き捨てると、ギリリと歯を噛みしめた。
「傲慢な女め」
下駄箱に拳をぶつける。
「父さんから逃亡など……っあの素晴らしい御方を拒絶するなど、何様のつもりだ! あの淫乱女!!」
すべての下駄箱がグラグラと揺れ、蛍光灯が点滅を繰り返す。
――まるで、彼の怒りを表すように。
「待っていてくださいね、父さん。必ずや、あの女を連れ戻します。
少年――蓮がその場を離れると、一切の現象は止んだ。
「これは想定外の役者だなぁ……」
一部終始を見ていたシミズは、頭を抱えた。
「頑張ってね、園城百合花。キミの敵は、怪物だけじゃなくなりそうだ」
◇
白い空間に足を踏み出すと、次の瞬間には普通のコンピュータ室にいた。
「あ。園城さん」
ショウと目が合う。
「どこ行ってたん?」
今まで接してきた彼と、何も変わらぬ表情、声色。やはり、シミズが語った凶悪さとは結びつかない。
しかし、ショウが殺人鬼であることを延々と語られた直後だ。普通に接することは難しい。反射的に、百合花は身構えてしまった。
「べ、別に……」
「あ、そう」
どもる百合花を、ショウは特に気に留めなかった。
「それにしても、残念だわ。久々にアニメ見て楽しんでたのに、いいところでブツ切りされてさー」
「えー……」
百合花はドン引きした。シミズから聞いてはいたものの、本当に楽しんでいたとは思っていなかった。
「なー。シミズって奴出てこなくね? どーすんの?」
軽い調子で聞いてくるショウ。その言葉で、百合花の心にのしかかっていた重みが消えた。
やはり、彼と残虐性は結びつかない。これが演技ならば、喜んで負けを認めよう。百合花はクスリと笑った。
「もう会ってきたわ」
「は、マジ!? オレのけ者かよ!?」
「ええ、そうね。あなたがいると不都合だと言っていたわ」
「はあああああああ!? なんだよそれ!」
ショウは虚空に向かって「シミズのアホー!」とか「ざけんなやボケー!」などと罵倒し始めた。
小学生よりも悲惨な語彙に、百合花は呆れながらも微笑ましく思った。
「そのアホなシミズ君が教えてくれたわ。怪物に遭遇する前に、さっさと行きましょ」
「えっ、は?」
素っ頓狂な声をあげるショウに背を向け、百合花はすたすたと歩き始めた。
「あっ、おい、待てよ!」
ショウは慌てて百合花の後を追う。そうして、2人は図書室へと向かって行った。
「ここね」
図書室の扉の前に立つ、百合花とショウ。扉は、封鎖されていない平常状態。シミズの話が正しければ――扉の向こうに、赤い図書室がいる。
1つ息を吐き、百合花は扉をノックした。
「はーい!」
中から女の子の声がした。いよいよだと、百合花は胸を躍らせる。はやる気持ちを抑え、そっと扉を開けた。
「いらっしゃいませー、お客さ……ま……」
コンピュータ室で見た通り、2人の少女が彼らを出迎える。赤髪の少女――赤い図書室が飛び出してきたが、すぐにその表情を驚愕へと変える。目を丸くしたまま、硬直してしまった。
「え、どうしたの?」
百合花が問いかけるが、彼女と目が合わない。
その視線の先にあるのは――。
「ゆき……ちゃん?」
隣で鳴る、震えた声。ショウを見やると、彼もまた同様に目を見開いていた。
ふいに、赤い図書室――ゆきと呼ばれた少女が、弾けるような笑みを浮かべた。
「ショウさん、ひさしぶり!!」
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