第18話 糾弾と、別離

「ショウさんー!」


 赤髪の少女、ゆきがショウに飛びついた。ゆきは嬉しそうに、肩口に頭をぐりぐりとさせている。


「……S君、知り合いなの?」


 正体を知ったことを悟られないため、百合花はわざと「S」と呼んだ。


「あ、ああ。そう。知り合い! めちゃくちゃ知ってる!」


 問いを噛み砕いていくうちに、ショウは我に返っていった。平静を取り戻すと、穏やかな表情でゆきの頭を優しく撫でる。ゆきがふにゃりと笑った。


「あなたが、"赤い図書室"ね?」


 百合花が確認をとる。ゆきは表情を曇らせ、控えめに頷いた。


「はい。わたしは"赤い図書室"です。この空間に生徒を呼び込み、焼き殺す怪異として知られていることでしょう」


 先ほど見せた無邪気さから打って変わって、粛々とした口調で語る。彼女はせいぜい11、2歳くらいだが、小学生の年齢とは思えぬほどに礼儀正しい。


 だが、告げられた内容は、初耳ならば衝撃でしかない。ショウの目が、飛び出そうなくらいに見開かれた。


「でも、あんまりその呼び方、されたくないです。わたしには、今淵いまぶちゆきって名前がありますから」

「ごめんなさい。では、彼と同じようにゆきちゃんと呼んでもいいかしら?」

「はい、もちろん!」


 ゆきはにっこりと笑った。


「ここで立ち話も何だし、中に入りませんか? ほら、ショウさんも早く早く!」

「あ、ああ……」


 動揺しながら、ゆきに促されて「図書室」に足を踏み入れようとするショウ。


「待って」


 奥にいた少女が、制止した。落ち着いた茶髪を後ろで結んだ、目立たない雰囲気の少女。彼女は仇を見るかのような目つきで、ショウを睨みつけた。


「どうしたの? 桜ちゃん」


 ゆきが問う。桜と呼ばれた少女は、ゆきを守るように抱きしめ、ショウから遠ざけた。


「女の人はいい。でも、その男はダメ!」

「なんで? ショウさんはいい人だよ! わたしの容姿に、何の偏見も持たずに接してくれたんだよ!」

「だまされてるよ、ゆきちゃん! そんなの、全部演技に決まってる!!」


 桜の言葉で、百合花は確信した。確信、してしまった。もう、目を背けられない。


 シミズの言ったことは、すべて正しかった。


 ――何故なら、桜は視えているから。


 百合花はひと目で分かった。桜という少女は、れっきとした人間だが、強すぎる霊感を持っている、と。それほど、彼女から漏れ出る霊力は、あまりにも強大だった。


 そして――そのことを感じ取ったのは、もちろん彼女だけではない。


「全部、視えてんだな」


 昏い目で、ショウが言った。底知れぬ闇を孕んだその目に、ゆきは肩を震わせた。


「――


 明かしていない苗字で呼ばれ、ショウは驚いて百合花を見た。


「実は私、シミズ君から聞かされたの。あなたが――”消える家族”の最初の行方不明者であり、殺人鬼だって」


 百合花が告白する。ショウは、シミズが自分を結界に招かなかった理由を悟った。


「消える……家族って、何? わたし、知らない……」


 怯えながら、戸惑うゆき。ショウは苦虫を噛み潰したような表情で、顔を俯かせた。


「ゆきちゃん、消える家族っていうのは――」

「やめろ!!」


 桜の言葉を、ショウが遮った。


「全部視たなら、言うな。ゆきちゃんに聞かせたくない」

「なに良い人ぶってんのよ、殺人鬼のくせに!」

「お前は親友も気遣えねーのか?」


 ギロリと桜を睨む。桜はびくりと肩を震わせ、涙目になってゆきにしがみついた。霊感が強いとはいえ、小学生の女の子。大の男にガンを飛ばされれば、怖いに決まっていた。


「やめて。怖がっているわ」


 プール更衣室の時とは逆に、今度は百合花がショウを諫めた。


「ねぇ、1つ聞かせて。今まで私と一緒にいた時間――あれは全て、演技だったの?」


 ショウは無言のまま、首を横に振った。


「なら――あなたの狂暴性は、夏樹とかいう雪の化け物によって引き起こされる現象? 今のあなたが、本性なのかしら?」

「なつ、き……?」


 ゆきの目が見開かれる。そして、すぐに真剣な表情となった。


「ごめん、桜ちゃん離して」


 ぐっと肩を押し、桜から離れる。ショウの目の前にやって来ると、彼を見上げてにぱーっと笑った。その直後、強い眼差しで百合花と桜を見た。


「ショウさんは殺人鬼なんかじゃない」


 毅然とした態度で、言い放つ。


「本当に殺人鬼なら、桜ちゃんとそのおねえさんに言い当てられた時点で、とっくに本性を現してるよ」

「ゆきちゃん……っ」


 咎めるように、桜がゆきの腕を引っ張った。


「桜ちゃんのチカラは分かってるよ。桜ちゃんが視えたモノは、全部正しいんだと思う。でも、おねえさんも疑ってるけど――わたしは、ショウさんが殺人鬼だとは思わない」


 確固たる意思で断言すると、ゆきはショウを見上げた。


「解離性同一性障害――多重人格。桜ちゃんが視たものは、別の人格による凶行。そうだよね、ショウさん?」


 首をかしげて見せるゆき。百合花がはっと息を呑んだ。ショウが殺人鬼であることに対する違和感の答えだった。

 ゆきの聡明さに、百合花は舌を巻いた。

 

「…………」


 ショウは黙ったまま、俯いている。だが、ゆきは気にせず彼を見つめ続けた。


 やがて、彼女の心に打たれたのか、ショウは穏やかな笑みを浮かべた。


「信じてくれて、ありがとな」


 ゆきの頭を撫でる。優しい手の感触に、彼女は嬉しそうに笑う。

 ――ふいに、ショウが顔を顰める。ワンテンポ遅れて、彼以外の全員が身を強張らせた。


 ショウは、開きっぱなしの扉の先を睨みつける。真っ直ぐに伸びた廊下の奥に、陽炎の怪物の姿があった。


「悪ぃが、こっから先は通さねーぞ」


 包丁を出現させ、その手に握る。振り返って、百合花に目を向けた。彼女は怪物の気配を感じ取り、ガタガタと震えていた。


「ここまであんがとな。多分、また戻ってくる」

「え……?」


 返答を聞く前に、ショウは「図書室」の扉を閉めた。怪物の目が、怒りでつり上がった。

 


〈また おまえなの。きえて〉


「かかって来いよ、バケモン。てめーこそ、オレの邪魔すんなら消えてもらうぞ!」


 包丁を構え、ショウは怪物に向かって走り出した――。



                        『ゆうぐれのはな』――完


                         次章『シキトタイヨウ』


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