第16話 Sの正体
廊下に積もった雪が消える。それとともに、百合花についていた雪も消滅した。
「夏樹さん……」
呆然自失としながら、化け物の消えた場所を眺めるS。しばしフリーズしていた百合花だったが、やがて表情を怒りに変え、Sに掴みかかった。
「どういうこと!?」
胸倉を掴み、問い詰める。
「知り合いだったなんて聞いていないわ! あなた達、組んでいるんじゃないでしょうね!? 私、殺されかけたのよ!」
鬼の形相でまくし立てる百合花。彼女の手を掴んで振り払うと、容易に外すことができた。
「アンタ、こんな力弱かったか?」
「――――っ!」
百合花の顔が赤くなる。雪が消えたとはいえ、冷えきった身体が癒えたわけではない。極寒による低体温と、変化後の消耗により、彼女の力は著しく弱まっていたのだ。
「アンタにはどうでもいいことだから、言わなかっただけだ。言ったところで、アンタに何の意味がある?」
ごもっともだ。百合花はぐうの音も出ず、押し黙った。
「それに、オレ言ったよな? ソイツが現れたら、すぐにオレ達から離れろって。勝手に破ったのはアンタだろ」
「っ条件、反射で」
「あーハイハイ。そうですか」
Sは立ち上がると、くるりと背を向けた。
「でも、あんがとな」
「は……?」
唐突に礼を言われ、百合花は困惑する。
「ねぇ、どういうこと?」
すたすたと進んでいくSに追いつき、問いかける。
「なんでもねーよ。それより、早くコンピュータ室行こうぜ」
振り返らずに、Sが答える。訳が分からず、百合花は再び疑問を口にしようとした。だが、質問を投げかけるよりも先に、目的地に到着する。先ほどのトイレは、運よくコンピュータ室に近い場所だったようだ。
怪物に遭わずに済んだことを安堵しながら、百合花は扉を開けた。
「――やぁ。よく来てくれたね」
歓迎の言葉とともに、パッと電気がつく。見ると、黒板の前に11、2歳くらいの少年が立っていた。ぱっつん前髪に細身が特徴的な少年だった。
「キミたちのことは、校舎の中に入ってきたときから観測していたよ。全部、視てた」
「あなたの力ね。学内で起こった出来事をすべて把握することができる。花子さんから聞いているわ」
「ま、夜だけだけどねー」
少年は肩をすくめて笑った。
「あなたがシミズ君ね?」
「うん、そうだよ」
少年――シミズが笑顔で答えた。やはり、花子さんが推奨しただけあって友好的だ。一体、彼はどのような情報をもたらすのか。期待に胸を膨らませていると、ふとSがいないことに気づく。
「彼は招いていないよ。今ごろ、スクリーンでアニメ上映会を楽しんでるんじゃないかな?」
きょろきょろと辺りを見渡す百合花に、シミズは告げた。
「どうして私だけ、結界に引き入れたの?」
「キミだけと話したかったから――というより、彼がいたら不都合、と言った方が正しいかな」
そこまで言うと、シミズは思い出したように「あ、」と呟いた。
「匿ってもらうことを期待してるんだったら、止めてね。ボクはそこまで強い怪異じゃない」
まるで思考が読まれているようだった。たしかに彼女は、シミズも結界を有しているはずなのに、何故花子さんは彼の名をあげなかったのかと考えていた。口に出してもいないことに回答された百合花は、驚いて目を丸くした。
「ボクのこれは、夜限定。コンピュータ室の主導権を完全に握れるから成立しているだけ。生徒が登校してきたら、消えちゃうんだ。だから、花子さんも僕を頼れとは言ったけど、結界の主としては除外したんじゃないかな」
「なるほどね。納得したわ」
心を読まれたかもしれないことには目を瞑り、とりあえず頷いた。
「さて、さっそくだけど本題に入ろうか」
ウィーン、と音が鳴る。黒板の前に、スクリーンが下りた。
「彼――Sとは、今すぐ離れた方がいい」
電気が消え、大画面にSの顔が映し出される。
「あの男は、危険すぎる」
「え……?」
百合花は困惑した。Sの言動や行動を振り返っても、凶暴性や残忍性とは結びつかない。人間気分が抜けていない発言。怪異と出くわすたびに情けない悲鳴をあげる姿。自分を殺しかけた相手に手を差し伸べる優しさ。そんな彼の、一体どこが危険なのか――理解に苦しんだ。
「キミは、あの顔に見覚えはない?」
「ない、けれど……」
「じゃあ、”消える家族”ってのは聞いたことある?」
「ええ、もちろん。去年の10月半ばから12月にかけて発生した、家庭を狙った連続猟奇殺人事件ね。標的となった家庭は無残に殺され、必ず1人は行方不明になる。行方不明者は、まだ1人も見つかっていないらしいわね。……半年前のこの事件が、どうかしたのかしら」
「何を言っているんだい? 行方不明者は、キミの隣にずっといたさ」
「え――」
画面が切り替わり、突然ニュースが流れ出す。
内容は、”消える家族”で最初に犠牲となった家についてだった。
『〇〇ニュースの時間です。昨夜、家族が殺害されるという凄惨な事件が発生しました』
アナウンサーが、淡々と記事を読み上げる。
『
百合花は息を呑んだ。髪色は違うが、間違いない。行方不明の文字とともに映し出された、白峰ショウという男は――紛れもなく、Sだった。
「白峰、ショウ……」
初めて知った彼の本名を、何気なく口に出す。
「っでも、なぜ行方不明者で警戒する必要があるの? 犯人ではないのでしょう?」
百合花が問うと、シミズは呆れたように笑った。
「キミ、あんまり頭良くないよね」
……メキッ、バキバキバキバキバキィッッ!!
百合花が、PCを上から押し潰し、ぺしゃんこにした。さーっと、シミズの顔から血の気が引く。「あなたもこうなりたいかしら?」と言わんばかりに、シミズを睨みつける百合花。
「ちょちょちょ、怒らないでよ! 説明するから!」
顔を真っ青にしながら、必死で両手を振るシミズ。百合花が敵意を解いたのを確認すると、こほんと1つ咳払いをした。
「まず、本名を明かさない時点で、何か後ろめたいことがありそうでしょ。そして、最初の行方不明者である上に、怪異として存在してるのも怪しい。それに、彼が殺人鬼であることを仄めかす要素がいくつかあった」
「一緒に行動していたけれど、そんな感じはまるでなかったわよ。だって――」
「彼は、自分が怪異なのに、人間みたいに怪異を怖がってた。情けないって思ってたでしょ」
「ええ、そうね」
「けど、人体模型が意志を持って動き出した後の彼はどうだった? すごい冷静だったでしょ。オバケは怖いけど、何故か人体模型――グロいのは平気。それってさ、無茶苦茶になった人の死体は見慣れてるってことでしょ」
――たしかに。人体模型と戦った時の彼は、ひどく冷静だった。非常事態で恐怖を忘れているだけだと思っていたが――怪異を恐れる情けないだけの男が、平然と内臓を切り裂けなどと言えるわけがない。思い返して、百合花は顔を青くした。
「あげく、最後は倒しちゃったじゃん。的確に心臓を狙ってさ。あの時の彼の
「――――」
百合花は何も言えなくなった。スクリーンに映し出された彼の表情は――化け物の猛吹雪よりも、はるかに冷たかった。
「それだけじゃない。キミは、白峰ショウの力を見て、どう思った?」
「便利だとは思ったけれど……得体の知れない力だと思ったわ」
「そうだね。すごい便利だよね。まるで、そこに家があるみたいでさ」
「――――!」
「気づいたかな。彼が出現させていたものは全部、一般家庭に置いてあるもの。包丁、フライパン、テーブル、椅子、棚……あとは、包帯とハサミか。どう? “消える家族”の殺人鬼の力だとしたら、すごく腑に落ちるでしょ?」
ピースが揃っていく。今まで行動を共にしていた男が、凶悪な殺人鬼であるという現実の――。
「……っ! でも、やっぱりおかしいわよ」
抜け道を見つけ、百合花はすかさず抗議する。
「消える家族はあくまで事件。怪談ではないわ。犠牲者が、恨みや無念で怪異と化すのは自然だけれど、殺人鬼の正体が怪異で、ニュースに取り上げられるなんて……あり得ない」
「いや、別にあり得なくはないでしょ。この学校にだって事例がある」
抜け道は、簡単に塞がれる。百合花は唇をきゅっと結んだ。
「最初の方は、怪談というより事件だったってのは、言われてみればそうだね。途中から世間の認識が変わって、そうなったんだった。でも、その過程で考えてみても、おかしいことはないよ。人であったはずの殺人鬼が、怪異へと変貌した、って、普通にありそうでしょ?」
「……っなら、あの雪の化け物は何!? あれは何者なのよ!?」
「それはボクも分からないよ!」
理不尽に怒りをぶつけられ、シミズは苛立って黒板を叩いた。
「っねぇ、何でそんなに怒ってるの? どうしても、白峰ショウが殺人鬼じゃないって信じたい?」
シミズのその問いで、百合花の怒りの熱は急速に冷えていった。一気に冷静さが取り戻される。頭から冷水を被ったような感覚だった。
「そういう、わけではないわ。少し、面食らっただけ」
歯切れ悪く、百合花が言う。
「まあ、そっか。今まで情けないって思ってた相方が殺人鬼だって知らされて、動揺しない方がおかしいもんね」
シミズは理解を示すように頷いた。
「……心当たりはあるよ」
再び画面が切り替わる。何の変哲もない、ブログサイトが映し出された。
「消える家族に、こういうウワサがある。被害に遭った家には、雪が残ってるって話さ。雪男は、それの正体なんじゃない? 白峰ショウが暴走する理由は知らないけど」
「…………」
深まる謎。百合花は顔を顰めた。「消える家族」と「雪」の関連性は、普通に考えれば何もない。S――ショウが「夏樹」と呼んだあの男は、一体何者なのか。全く以て、分からない。
(分かるのは、あの2人が知り合いということね)
化け物の正体に関して、ショウは百合花には「関係のないこと」と言った。だが、アレがショウの怪談、「消える家族」と密接に関わってくるのは明白だ。「消える家族」について分からないことが多い中で、彼と行動を共にして良いのだろうか?
俯いたまま、百合花はひたすら逡巡した。
「――白峰ショウから離れるかどうかは、キミの判断に任せるよ。ボクはオススメしないけどね」
沈黙の後、シミズが口を開いた。煮え切らない表情で、百合花はゆっくり頷いた。
「さて、そろそろキミたちの期待に答えようか」
電気がつく。明るくなると共に、スクリーンが収納されていった。
「この学校で、不可侵の結界を持続させられて、かつ友好的な怪異が1体だけいる」
――ついに、来た。探し求め、切望していた存在の告達。永久に続くかと思われた、闇の迷宮からの脱出口。百合花の胸に、歓喜と希望が満ち溢れた。
シミズは、真っ直ぐに百合花を見据えると、唇を開いた。
「怪異の名は、赤い図書室。その名の通り、図書室に住まうやつさ」
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