第15話 白銀の彼方から

 雄叫びをあげ、吹雪の向こうへ一直線に疾走するS。雪が纏わりつく暴風を、ものともしなかった。今の彼は、理性を失った獣だ。

 百合花の本能が言った。――何か分からないが、とてつもなくマズい、と。そこからの彼女の行動は早かった。Sの足元にネズミを出現させ、噛みつかせる。周辺のネズミの大半は人体模型にやられてしまったが、まだ少し残っていた。

 不意の痛みで不具合バグが生じたのか、Sは糸の切れた人形のように倒れ込んだ。


「はぁ、はぁ……。何だっていうの……」


 そうぼやいて、百合花ははっとした。


『ああ、一瞬で分かるさ。なんせアイツが現れたら、季節も屋内外すらも関係なく、雪が降るんだからな』


 神社での、Sの言葉。百合花は理解した。目の前の怪異は、Sを追いかけ回す化け物である、と。


(でも、妙ね)


 百合花はてっきり、Sは化け物に襲われているのだと思っていた。理性を失うほどに恐怖し、周囲に関係なく暴走するのだろうと。しかし、今さっき起きたことは、むしろ逆だった。


 S


 ――ふと、吹雪が止んだことに気づく。百合花は数メートル先に立つ化け物に目を向けた。白いフードを被った男。全身白ずくめで、髪も肌も全て真っ白だった。Sは”化け物”と表現していたが、外見は人間と大差ない。


(炎じゃどうにもできないと言っていたけれど……。一体何者なのかしら。一般的な氷雪系の怪異ではないの?)


 化け物が、フードを外す。凛とした顔立ちの、20代前半程の男。眉も唇もすべて白かったが、目だけは毒々しい赤色をしていた。所謂、アルビノの色合いだ。化け物は、百合花の姿を目に映すと、ぴたりと動きを止めた。赤い目を見開き、驚愕の表情で固まっている。


「何? 私の顔に何かついているのかしら?」


 百合花が問うと、化け物の表情がみるみるうちに恐怖へと変わっていき――。


「うわあああああああああああああああああああああああああああ!!」


 劈く悲鳴。化け物が、頭に手を当てながら、叫び声をあげたのだ。彼の恐怖を表すかのように、吹雪が強く激しく吹きつけた。


「きゃあぁっ!」


 出現時とは比べ物にならぬほどの猛吹雪。あっという間に雪が降り積もっていき、暗い廊下は白で埋め尽くされていく。至るところに雪が張りついた。


「くぅっ、うぅ……っ!」


 顔面に雪が飛んできて、視界が遮られる。暴風で前に進めない。積もった雪に足が取られ、うまく歩けない。寒さで身体が動かない――。


(どうすれば……、どうすれば、いいの……?)


 百合花は焦りを感じていた。状況を打開できる策が、何も出てこない。頼みの身体能力は、猛吹雪で封じられている。ネズミも人体模型によって大幅に数を減らされ、手持ちでは心もとない。万事休す。このまま吹雪に打たれて、凍死を待つしかないのか……。諦めかけた時――百合花の頭に閃光が走った。


 寒さが戦意を削ぐのならば、そんなものを消してしまえばいい。


 纏わりつく雪を拭い、直線上に立つ化け物を睨みつける。そして、目を閉じると、周辺のネズミへ呼びかけた。


(お願い。私に力を貸して――!)


 ……チュウチュウ、チチチ。甲高い鳴き声を響かせながら、ネズミたちがやってきた。彼らは、円を描くようにして百合花の周りを駆け巡ると、やがて彼女の体を上り始めた。


「んっ……」


 ネズミたちは、百合花の体を上っては下り、右へ左へ動き回る。くすぐったさに、彼女の唇から艶めいた声が漏れた。縦横無尽に動き回るネズミの動きを感じながら、百合花は父親の姿と伝承を思い起こす。


 鉄鼠は、高僧が大鼠へと変化した妖怪。体は灰色の毛で覆われ、鋭い牙や爪を持つ。人間のように二足歩行で移動するが、頭部は獰猛なネズミの形をしている。僧であった名残りゆえに霊力を持ち、”浄化”や”退魔”を行うことができる。ネズミを使役し、操ることができる。数千匹分のネズミの力を自身に反映しているため、人間をはるかに凌駕した怪力を持つ。


 百合花に可能なのは、鋭い牙や爪の再現と、怪力。そして、ネズミの使役。鉄鼠オリジナルよりは劣るが、父親の寵愛を一身に受けた彼女は、歴代の子どもたちの中で最もその力を使いこなせる。仏道修行をしていないため、浄化や退魔を行うことは絶対にできないが、体の一部を獣化することならば――――。


(でき、た……!)


 腕と脚が、ネズミに近い形態へと変化した。激しい寒さと動きにくさが無くなったわけではないが、先ほどよりはだいぶマシだ。風の影響を軽減するため、低姿勢になり雪に手をつく。標的を睨みつけ、狙いを定めるその姿は、まさに獣だ。


 今の状態ならば、いける――そう確信すると、百合花は強く床を蹴った。雪上を駆け抜け、化け物との距離を瞬く間に縮める。その間、わずか数秒。真っ白だが太さのある首を見据え、彼女は大きく口を開いた。


 ――鉄鼠最大の身体武器は、鋭い爪ではなく、歯。その威力は、鉄をも噛みちぎるほどに強大だ。避けられた時のリスクが大きすぎるため、あまり使う機会はなかったが、今はなりふり構っていられない。また距離が開いてしまったら、今度こそ詰みだ。


(取り乱している化け物に遅れは取らないわ。確実に動脈を、噛みちぎる!)


 首を狙った彼女の歯は――突き刺さらなかった。化け物が、後ろに飛び退いて回避したのだ。


「なっ……!?」


 雪の上を転がり、すぐさま体勢を直す。見上げた視界に映った化け物は、自らの顔を両手で覆っていた。


(避けたというの? 視界を覆い隠した状態で!?)


 ぎょろり。指の隙間から、赤い目が覗く。百合花の姿を映すと、彼女を押さえつけるかのように吹雪を操った。


「うぅううっ!?」


 起き上がれない。降り積もった雪の中に、身体を押し込まれる。凍てつく寒さが上下から襲う。百合花は地を這うことしかできなかった。


 パキパキパキ……。化け物の傍らに、巨大な氷柱が形を成す。尖った先端が、百合花に矛先を向けた。


「――――」


 化け物の唇が、おぼつかなく動く。彼の発した言葉は百合花にも届いたが、暴風に紛れて聞き取れなかった。


「夏樹さん!!」


 Sの叫ぶ声。吹雪が、止んだ。化け物が、自らの顔から手を退ける。地に伏すSの姿を目に映すと、赤い瞳を大きく見開いた。


「――――シ」


 男が何か言いかけた、その時。百合花に矛先を向けていたはずの氷柱が、彼を貫いた。鮮血が噴き出す。男が雪上に倒れ込むより先に、彼の肉体は消失した。


 降り積もった雪が消える。何事もなかったかのように、廊下は元通りとなったのだった。

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