第14話 トイレの花子さん

「花子さん……って、あの!?」


 Sが目を見張った。まるで芸能人でも見たかのような反応だ。当然、花子さんがきょとんとする。


「え、なんでびっくりしてるの?」

「気にしないであげて頂戴」


 百合花が死んだ目でフォローを入れた。花子さんは「ふーん」と大して興味なさそうな声を出すと、改まったように姿勢を正した。


「あなたたちに、お礼を言わなきゃ。ムラサキババアを倒してくれて、ありがとう」


 そう言うと、ぺこりとお辞儀をした。


「わたし、よくお散歩するのよ。トイレを離れることがよくあるんだ。そのスキにね、ここをムラサキババアに占領されちゃったの。結界がはられて、入れなくなっちゃって。もー、心配だったよ。あいつ狂暴だから、子どもたちが心配で心配で……」


 外見相応の話しぶりから、ふいに母が我が子を案ずるかのような口調に変わる。幼い容姿とは到底釣り合わず、妙な不気味さが漂った。


「でも、あなたたちが倒してくれたから! あんしんあんしん!」


 腰に手を当てて、力強くそう言う花子さん。Sがぽかんとした。すぐに百合花へ視線を移し、彼女の近くへ寄る。


「なぁ、トイレの花子さんって良い奴なのか?」


 口元を手で隠しながら、コソコソと言う。


。人を襲う花子さんもいるでしょう」


 百合花が答える。


「でも、彼女ほど有名になると、メディア化された側面の方が大きいのだと思うわ。今は、”良い花子さん”の方が浸透しているのではないかしら? 彼女が人間に友好的だとしてもおかしくないわ」


 「?」を浮かべる花子さんを見ながら、百合花は淡々と説明した。


「ねぇねぇ!」


 花子さんが、ずぃっと2人に迫る。


「あなたたちは、どうしてここにいるの? 怪異がきもだめし……ってわけじゃないよね」


 2人を交互に見ながら、不思議そうに言う。彼らが人ならざるモノであることは、誰にでも分かることだった。


「私たちは、結界を有する怪異を探しているの」


 百合花が答えた。


「私たち、怪物に追われていて……。それで、匿ってくれる怪異を探しているのよ」

「怪物? それって、あなたたちじゃどうにもならないの?」


 百合花が黙って頷く。Sが何か言おうと口を開きかけたが、百合花が手の甲をつねったため不発に終わる。


「そりゃそっか。そんな深刻じゃなきゃ、わざわざこの学校に、ドアを壊してまで侵入しないもんね」


 うんうん、と花子さんは深く頷く。ひっそりと為されたはずの器物破損だったが、この小さな怪異には筒抜けだったようだ。


「それにしても、ここに来るまで大変だったんじゃない? さんざん出会ったとおもうけど、良いオバケばっかりじゃなかったでしょ?」


 2人から身を離し、花子さんが問いかける。


「ああ。下駄箱のやつは怖かったし、とかいう奴には殺されかけたし――」

「オオカゲオバケかな。よく無事だったね。この学校の中でも、だいぶ狂暴な奴よ」

「ワンピースを着た女の子が、助けてくれたんだ」


 花子さんの目が、大きく見開かれる。


「オオカゲオバケから助けられたあと、私たちはあの子の怪談に取り込まれたわ。あの子の飼い犬――ポチのパーツを探す怪談にね」


 目に見えた反応。すかさず、百合花が事の詳細を語り始めた。花子さんの目が揺らぐ。明らかにワンピースの女の子のことで動揺している。

 やはり、”1-1のワンピースの女の子”と”トイレの花子さん”には、繋がりがあるようだ。


「けれど、2つめのパーツを見つけた後、あの子はヤツに重症を負わされたわ。……おそらく、無事ではないでしょうね」


 重々しく告げられた真実。花子さんは、俯いて黙り込んだ。心の中に、百合花の言葉が侵食していく。そして――”その映像”を想像し、膝から崩れ落ちた。


「そんな……、せっちゃん……」


 零れた声は、あまりに悲痛だった。小さな肩が震えて、嗚咽が漏れ始める。黒いおかっぱ頭が、悲しみで揺れた。


「せっちゃん?」


 Sが聞き返すと、花子さんはぐいっと涙を拭った。


「っあなたたちを助けた女の子、せっちゃん――節子せつこちゃんっていうの。わたしの同級生だった子。もう、何年……、ううん、何十年になるかなぁ」

「知り合いだったのか?」


 Sは花子さんの近くに歩み寄り、しゃがんだ。


「そうかもしれない。もう、だいぶ昔だから、忘れちゃった。あれがわたしだったのかも、もう覚えてないや」


 花子さんはどこか遠くを見つめると、再びSに視線を戻す。まっすぐで、強い眼差しだった。


「でもね、これだけは絶対なの。わたしたちは友だち。大親友なの。夜の学校で一緒に遊んだり、たまに放課後に残ってる子をおどかしたりしてた。子どもたちが安全に通えるように、一緒に悪いオバケをこらしめたりもしてたよ」


 そこまで言うと、大きな目にじわりと涙が滲んだ。真剣だった顔が、くしゃりと歪む。我慢が一気に決壊するその様子は、まさに子どものそれで。


「せっちゃああぁん……」


 大声で泣く、おかっぱ頭の少女。そこにいるのは、最も世に名を馳せた怪異の一体ではなく――ただ1人の、少女だった。


「ごめん。オレらが来たせいだよな」


 ショウがそっと、花子さんの頭を撫でる。てのひらの柔い感触を覚えると、花子さんはやんわりとSの手を退けた。


「ううん……っ、いいの。せっちゃんが、あなたたちを守ったんだもの。あなたたちは、悪くないっ」


 悲しみを断ち切るようにそう言うと、ばっと立ち上がった。顔を上げた彼女の表情は気丈だったが、だいぶ無理をしているようだ。――ぷっくりとした唇が、耐えるように震えていた。


「本当に感謝してもしきれないわ。私たちが今ここにいるのは、あの子のおかげだもの」

「そうなんだね。せっちゃんが、あなた達をここに連れて来てくれたんだ」

「ええ。命がけで、ここに転送してくれたの。”花ちゃんを頼れ”、って」


 花子さんの目に、再び涙が浮かんだ。


「ううう……っ」


 ぼろぼろと溢れて止まらない涙を、花子さんは必死に拭う。震える小さな背を、Sがぽんぽんと優しくたたいた。手のぬくもりに、たたく力のやさしさに――じんわりとあたたかいものが滲んだ。


「うわあああああああああああああああああん!!」


 もう、耐えられなかった。花子さんは、大声をあげて泣いた。親友の”死”を、心の底から嘆き、悲しみ――悼む。


 2人の侵入者に見守られる中、少女の慟哭が響き渡った。


 ◇


「うっ、ふぇっ……っぐす、だいじょうぶ。落ち着いたから。ありがとう」


 まだ若干しゃくりあげながらも、花子さんは涙を拭いてそう言った。


「2人が聞きたいのは、結界を持ってるオバケのことだよね?」


 泣きはらした目は赤く、涙声だったが、落ち着きは取り戻したようだった。その様子に安堵しながら、2人は頷いた。


「ごめんね。わたし、そういうオバケで良いやつを知らないの。すごく強いやつは知ってるんだけど、あまりにキケン。入ったとたん、焼き殺すやつだから」

「ひぇっ」


 物騒な言葉に、Sは短い悲鳴をあげた。


「でも、良い情報ならあるよ」


 花子さんが、続けて言う。


「こんぴゅーたー室のヌシ。シミズくんって言うの。シミズくんは、この学校のすべての情報を把握してる。こんぴゅーたー室に行けば、手がかりがつかめるかも」


 コンピュータ室。情報を集めるにはうってつけの教室だ。そこに怪異が、しかも友好的なモノが住まわっているとなれば、先は明るい。


「分かったわ。ありがとう」

「あんがとな!」


 2人は礼を言うと、トイレを後にしようとする。


「あの、おにいさん、おねえさん」


 彼らの背に、花子さんが呼びかけた。


「気をつけてね。いやな予感がするの」


 両腕を抱きながら、不安そうに言う花子さん。直接、百合花を襲う怪物を目にしたわけではない。ただ、なんとなく。彼女の中の第六感が、不吉な影を告げたのだった。


「ええ、気をつけるわ。どうもありがとう」


 百合花が答えた。忠告を受けるまでもなく、危険な旅路であることは重々承知している。覚悟は決まっている――強い眼差しを、心配する小さな怪異へ向けた。花子さんは、安心したように笑うと、小さく手を振った。


 そうして、2人はトイレを退出した。


 ◇ 


「さて、コンピュータ室はどこだったかしら」


 暗い廊下を歩く。明るい場所から出てきたせいで、闇がいっそう深く感じられた。


「そもそも、ここどこだ?」

「たぶん、本校舎だと思うけれど……。とりあえず、階段を探しましょうか。そうしたら、校舎案内板を――」


 ……ちらり。


 ふいに、闇の中を白い粒が舞う。次々と床に落ちては、吸い込まれるように消えていく。白く微小な粒は、だんだんと数を増していき……、床に落ちたものも、形を残すようになった。


 これは――――。


 正体を理解するよりも先に、ソレは牙を剥いた。白い粒――雪は瞬く間に激しくなり、びゅううと不気味な音を立てた。暗闇が、白で埋め尽くされる。吹きつける暴風と、纏わりつく雪で、視界が奪われた。


「うっ……」


 必死に瞼をこじ開け、吹雪の先に立つ者を視界に捉える。白い服に、白いフードを被った――。


「がああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 怪異の姿をはっきりと捉えるより先に、Sの咆哮が彼女の鼓膜を震わせた。




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