第8話 理科室の怪

「ついたわ。ここが理科室ね」


 扉を開き、電気をつける。薬品の臭いが、つんと鼻を刺した。

 面積の広い実験テーブル。

 その傍らに置かれた木椅子。

 奥の棚に並べられた標本。――至って普通の理科室だ。


「おー。テーブルちっさ。薬品くっせ」


 Sが、懐かしそうにテーブルを撫でた。


「手分けして、パーツを探しましょう。場所は限られているから、そこまで難しくはないはずだわ」


 そう言うと、百合花はSの返事を待たず、探索を始めた。


「……そうだな」


 Sは、少し名残惜しそうな顔をした。だが、すぐに百合花に続き、探索を開始するのだった。


 百合花が奥の方へ行ったので、Sは手前の黒板から探すことにした。手始めに、チョーク入れを開けてみるが、「それ」らしきものは見当たらない。一応、白チョークに注目してみたが、何も特別なことはなかった。


 その次に、教卓周りを探して見ることにする。引き出しの中にあったのは、教材や定規など、授業に使う物品のみ。机下には、何も落ちていない。


「あとは――」


 黒板の横、入口のすぐ近くにある準備室が目に入ったが、後回しでいいだろう。そう考え、Sは窓際に足を運ぶ。そして、何気なくカーテンを開いた。


「うおあああああっ!?」

「何!?」


 突然聞こえてきたSの悲鳴に、百合花は肩を跳ねさせた。慌てて彼のもとへ駆け寄るが、元凶を見るなり呆れ果てた。


「ただの人体模型よ。何をそんなに驚いているのかしら」

「ビビるだろ! フツー!」


 まるで、人間であるかのような物言い。百合花は大きくため息をついた。


「まったく。本当にあなた、怪異なの?」

「人でいられんなら、いたかったっつーの!」


 百合花の顔色が変わった。表情を強張らせた後、すぐに背を向ける。


「……そう。悪かったわね」

「お、おう……?」


 ――人間から、怪異に転じたモノたち。彼らは、悲惨な生い立ちや、凄惨な出来事が原因で、のがほとんどだ。


 憎悪。愛情。悲哀。絶望。未練――。心に押し殺さなければならない、醜い感情。それが爆発し、暴走を始めた時。人は、ヒトでいられなくなる。ヒトの理から外れ、怪異となってしまうのだ。


(私の父親も、そうだった……)


 物思いに沈んでいると、Sの驚く声が、後ろから聞こえた。


「何!?」


 振り向いたが、彼の視線の先にある人体模型は、ただの物体だった。異常性は、何もない。


「……いや、なんでもねー」

「紛らわしいわね。やめて頂戴」


 人体模型をカーテンの後ろへ追いやると、探索を再開した。引き続きSは手前を、百合花は奥を探す。薬品棚、机周り、床、隙間――。あらかたの場所は、調べ尽くした。


「なぁ、あったか?」


 Sの問いかけに、百合花はジェスチャーで大きな✕を作った。直後、目に飛び込んできた光景に、百合花は固まった。


「何だよ?」

「さっきしまったのに……」


 Sは振り返り、百合花の視線の先に目を向ける。すると、カーテンの後ろに追いやったはずの人体模型が、剥き出しになって直立していた。


「やっぱこいつ、動いて……」

「ええ、そうね」

「ええそうねじゃねーんだよ! んなきめぇのが、うごうごしてる場所になんぞいられるか!」

「気は散るけれど、仕様のないことだわ。今のところ無害だから、下手に刺激しないでおきましょう。準備室を見てくるわ」


 そう言って、百合花は準備室へ入って行った。扉が閉まるのを横目に、Sは人体模型を観察する。


 半分は裸体、もう半分は体の中身。脳みそも、眼球も、筋肉も、心臓も、内臓も。皮膚を隔てた内側にある醜いものが、剥き出しになっている。妙にリアルで、学び舎に置かれるには、気持ちの悪い代物だ。


「オレが小中ん時、こんなんだったっけ?」


 首をかしげながら、伸ばした手を――――すぐに引っこめた。


 Sはすぐさま飛び退いて、距離をとった。たった今、本物になったのだ。つくりものだったはずの脳みそが、眼球が、筋肉が、内臓が。彼が触れようとした途端に、紛い物から、本物へと変貌を遂げた。少し遅れて心臓が、生を持ち始めたことを強調するかのように、鼓動を開始した。


 ギ……、ギギ……、ギギギ……。


 人体模型が、ゆっくりと動き出す。剥き出しになっていない方の足を、引きずるようにして、Sのほうへと歩いている。


 ポタリ……、ポタリ。


 床に血が滴り落ちる。動くたびに、生々しい肉の音が鳴った。Sは能力を発動し、包丁を手に取った。赤いほうの眼球が、ぎょろりと動く。――刹那、腸が、Sめがけて飛んできた。難なく避けると、腸は壁にぶつかり、激しい音を立てた。


「――――!?」


 人間の臓器からは、到底出るはずのない衝撃音。Sは、ぎょっとして後ろを向いた。腸のぶつかった壁は、少しばかり凹んでいた。


「何事!?」


 百合花が慌てて準備室から戻ってきた。人体模型の首がぐりんと動き、彼女の姿を捉える。


「気ィつけろ! そいつの内臓マジで凶器!!」

「え? きゃあっ!?」


 Sが呼びかけるや否や、今度は百合花に向かって腸が飛んでくる。条件反射で避けると、腸は天井に激突した。2人は、唖然として天井を見上げる。獲物を仕留め損ねた腸は、ずるずると人体模型へ引きずられ戻っていった。威力とは裏腹に、生々しい肉の音が鳴る。


「気持ち悪いわね……」


 百合花は口元を抑えた。


「来るぞ」


 にちゃにちゃと音が鳴り、赤い渦巻きが蠢く。予備動作の後、弾けるように飛び出した臓器が、2人に襲いかかった――。

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