第7話 ワンピースの女の子

 女の子の消えた方向に進むと、別の校舎へと続く扉が開かれていた。いったん外に出て、再び室内へ入るという構造だ。


「まっすぐ進めばいいんだよな?」

「多分ね。あちらの校舎に来いってことだと思うわ」


 慎重に歩く2人の前に、再び女の子が現れた。進行方向の奥で、先ほどのように「おいでおいで」をしている。手招きに従い、別校舎に入ったところで、女の子は右へと消えていった。


「親切ね。一本道なのに」

「アンタ余裕だな……」


 道なりに進んでいくと、1年生の教室が並ぶ廊下に出た。フックにかけられた巾着袋が並び、扉ごしには、ちんまりとした椅子と机が見える。懐かしさを抱くはずの風景が、「静寂に包まれた暗闇の中」というだけで、ひどく不気味感じられた。


「こっちだよ」


 ふいに、女の子が姿を現した。驚く2人に対し、女の子は微笑を浮かべ、そのまま横――いちばん手前の1組の教室へと、消えていった。


「行ってみましょう」


 2人は頷き合うと、控えめに教室の戸を開けた。


「来てくれて、ありがと。うれしい」


 中に入ると、女の子は窓際に立っていた。相変わらず、暗闇の中でも姿がはっきりとしていた。


「……っあの化け物は、キミがやったのか?」


 Sがおそるおそる問うと、女の子はふっと笑った。


「うん。びっくりしたよ。『オオカゲオバケ』なのに、包丁とか、なぐったりとかで戦ってるんだもん。さわれないやつには、霊力をつかわないと勝てないよ」

「オオトカゲ?」

「大きい影のおばけで、、でしょう」


 首をかしげるSに、すかさず訂正が入った。


「推測するに、影に対する恐怖から生まれた怪異ね。名前といい、性質といい、いかにも子どもが考えそうだわ」

「いや、影にビビる小学生いねーだろ。せいぜい、幼稚園入るか入らねーかくらいじゃね? 怖がんのは」

「影を影だと認識していればね。そうでなければ、十分恐怖の対象になり得るわ。たとえば、夜道で急に、得体の知れない黒い物体が出てきたら――」

「あ、普通に怖ぇわ」


 呑気に納得するSに、百合花は呆れ顔でため息をついた。


「ねぇ!」


 女の子が、不思議そうな顔をして、2人をのぞきこんだ。


「おねえちゃんたちは、なんでここに来たの?」


 そう言って、首をかしげる女の子。疑問に思うのも無理はないことだった。霊力の使えぬ2体の怪異が、夜に、施錠された扉をわざわざこじ開け、怪異の巣窟に侵入する――。そこに住まう怪異にとっては、異常でしかない。


「私たちは、結界を持つ怪異を探しに、ここに来たの」


 強力な怪異からの歩み寄り。うまく立ち回れば、情報を得られる好機だ。喜ぶ気持ちを抑え、百合花は真剣な表情で答えた。


「私たち、怪物に追われているの。『オオカゲオバケ』のように攻撃は効かないし、あれよりも、ずっと恐ろしい気配を纏う怪異よ。ソレから逃れるためには……」

「え、カゲロウだったらオレが――」

「話がややこしくなるから黙ってて頂戴」

「……」


 ぴしゃりと遮られて、Sはしょんぼりと口を閉じた。


「そっかぁ、わかった」


 女の子が、即座に理解を示した。


「おねえちゃんも、おにいちゃんも、霊力つかえないもんね。かくれんぼしか、ないね」


 百合花は黙って頷き、次の言葉を探る。結界を有する怪異についての情報が得られれば良し、あわよくば仲間に引き入れ、怪異を対処してもらえるならさらに良し。だが相手は強力な怪異、高望みは賢明とはいえない。


 ――今は、情報の入手が最優先だ。


「なぁ。さっきから、ちょくちょく出てくる霊力って何?」


 百合花が話そうとした矢先、Sが疑問を口にした。


「本気で言ってるの?」

「おにいちゃん、オバケなのに知らないの?」

「…………おう」


 軽蔑まじりの呆れ顔をする百合花と、びっくり顔をする女の子。常識知らずと言わんばかりの反応に、Sは気まずそうに返事をした。


「うーん、せつめいがムズかしい……」


 女の子は、難しい顔で唸りながら、分かりやすい言葉を探る。


「オバケがもってる強さ……、かなぁ。あ~、なんて言えばいいかわかんないっ。とにかく、それでぐぁーーっって。こーげきするの。そうするとね、心や体にがいくのよ。その差が大きいほど、きき目があるんだ。あたしがさっき、オオカゲオバケにやったことだよ」

「……?」

「相手に霊的な干渉をする力ね」


 理解できていない様子のSを見て、すぐに百合花が補足した。


「例えば、相手を肉体的・精神的に攻撃する 『呪い』。怨念を沈め、癒す『浄化』。そして、邪を滅する『退魔』。それらを実行する源となる力よ。いずれも、私とS君にはできないことね」

「要するに、オレらが物理なら、霊力は魔法攻撃ってこと?」


 百合花と女の子が、ものすごく微妙な顔をした。


「うーん、……?」

「まあ……いいわ」

「え、違うん……」


 別段、Sの解釈が間違っていたわけではない。彼女らが「物理」と「魔法」という言葉選びに、馴染みがなかっただけである。しかし、そんなことを知る由もない女の子は、同情の視線を百合花に送った。


「なんだか、すごーく、たいへんそう。おねえちゃんたちだけじゃ、逃げられないんじゃない? さっきだって、あたしが来なかったらどうしてたの?」


 痛い所を突かれた2人が、ぐっと押し黙る。不安しかない先行きに、百合花は唇を噛みしめた。


「ね。いいこと、教えてあげよっか?」


 ふわり。女の子は宙に浮くと、百合花の肩をぽんと叩いた。


「マジか!?」


 Sが喜びの声をあげる。


「うん。でも、ただじゃ教えない。だって、おねえちゃんの言うオバケのこと、あたし、ぜんぜん分かんないもの。協力がバレたら、あたしまであぶないじゃん」

「……何が望みなの?」

「うふふ。顔がこわいよ、おねえちゃん。だいじょうぶ、なんて、めちゃくちゃなことは言わない。あたしのおねがいは――ポチを、見つけてくれること」


 女の子がそう言った途端、明らかに空気が変わった。時が止まったかのような、現実世界から切り離されたかのような感覚――――そう、これは、怪談のはじまり。


 女の子は、異様な気配を放ちながら、どこか遠くを見つめている。その表情は、酷く悲しそうだ。


「ポチ……。あたしがかってた犬。たいせつな友だち。あの日からずっと……、ずっと探してるのに、見つからないの」


 大きな瞳に涙が浮かぶ。かわいらしい顔を両手で隠し、ちいさな肩を震わせた。


「おねがい。ポチを、ここまでつれて来て……っ!」

「おい待て、んないきなり言われても……」

「分かったわ」


 困惑するSを後ろに引かせ、百合花が応じる。女の子の動きが、ぴたりと止まった。顔を覆っていた手を離し、うつろな目で2人を見上げる。その表情は、洗脳でもされているかのように病的だ。戦慄するSを他所に、百合花は物怖じせずに女の子と向き合う。


『おねがい おねがい ポチを見つけて あの子はきっと つれてかれたの 白衣のこわいおじさんたちに』

『きっと きっと 探してみせる あなたはここで 待っていて』


 歌のような、呪文のような応酬。それを終えると、女の子は満足げに笑って、ふっと消えた。


「――どうやら、いきなり厄介な怪異に捕まってしまったわね」


 女の子の消失を見届けると、百合花がため息をついた。


「知ってんのか?」

「ええ。目次のいちばん上の怪異で、1年1組に現れる亡霊――ワンピースの女の子」


 百合花は、ポケットからスマホを取り出すと、該当のページを開いた。


「放課後、1人で教室に残っていると、窓際に、ワンピースを着た女の子が現れる。その姿を見た者は、女の子から、ポチという名前の犬を探すよう頼まれる。断ったり、途中で諦めたりすると、呪われるというわ」

「マジかよ……」


「呪われる」という単語に、Sはげんなりとした。


「怪談が始まったら、歌で指定された場所に、その都度行かなければならないわ。示される場所は、計6か所。6か所それぞれに、『ポチに関連するもの』が1つずつ隠されている。パーツを1つ見つけるごとに、女の子が現れ、次の場所を歌で提示されるわ。パーツを全て見つけ出したら、それらを持って1年1組へ。集めたパーツを女の子に渡して、解放されるみたいね」


 そこまで言うと、百合花はスマホから目を離した。Sが、心底不愉快そうに顔を歪ませる。


「随分悪趣味な茶番だな。パーツってのはどうせ……」

「ポチの体の一部なんだろう、と? 私もそう思うわ」


 図星といったように、Sは目を見開いた。


「でも、集めさせられるものが何であろうと、どんな理不尽を押し付けられようと。全てこなさなければならないの。何故なら、私たちは怪談に取り込まれたのだから。あなたも怪異なら、知らないはずはないでしょう?」


 百合花が、厳しい表情で問い詰めた。Sの目に、深い影が落とされる。数秒の沈黙の後、彼の唇が重々しく開かれた。


「――怪談の中に組み込まれたら、全ての登場人物は、筋書きどおりに動かなければならない。シナリオを破った者は、制裁を受ける」

「そのとおりだわ」


 彼の答えを聞くと、百合花はくるりと背を向けた。


「怪異に対抗できる力がない限り、取り込まれた者は怪談の中で踊るしかない。頼みを放棄すること即ち、サイトに書いてあるとおり……いいえ。それ以上に、とてつもない苦痛を与えられるでしょうね」


 独白のように呟き、教室の扉を開く。ガラガラ、という音が、静寂の中で大きく響いた。


「さあ、行きましょう。私たちに与えられた選択肢は、あの子の願いを叶える以外に他はないわ」

「……最初はどこ行くんだ?」


 Sが問う。百合花は、少し考えるそぶりを見せた後、唇を開いた。


「白衣の怖いおじさんたち。この言葉から連想されるのは、保健室か理科室。まずは――理科室ね」


 そうして、2体の怪異は、夜の校舎を彷徨い始めるのだった。

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