第24話
気が付くと何もない空間に居た。周りは暗く先が見えないが、正面には光のように眩しい白い空間が広がっていた。その白い光のような空間が徐々に小さくなっていることに気が付いた時、自分が暗闇に落ちて行っていることを知った。まるで水の中に沈むようにゆっくりと落ちていく。落ちるのに抗おうとしても体の感覚が希薄で、うまく動かすことができなかった。あきらめて、落ちるのに身を任せることにした。
暗闇に落ちていくとどこからか声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。小さなその声に耳を澄ました。
「……、もう目を覚まさないってことですか」
「……。目を覚ますことのできる別の方法を模索しています」
最初の方がよく聞こえなかったが、徐々に鮮明に声が聞こえてきた。悲しみに包まれた女性の声と優しく冷静な男性の声だった。
「その方法が見つかるまで、この子は美香は大丈夫なんですか」
「はっきりとはわかりません。ですが、一日でも長く美香さんが、生きられるよう全力を尽くします」
お母さんと斉山先生の声だった。
話からすると、どうやら、わたしは眠っているようだ。眠り姫症候群による二度と目覚めない夢の中にわたしはいる。
誰にも何も伝えられないまま、わたしは眠ってしまったらしい。
お母さん。親不孝な娘でごめんなさい。病気になってたくさん迷惑をかけてごめんなさい。
わたしは、お母さんに届くように叫んだが、この気持ちが言葉になることはなかった。ただ、わたしの心の中で独りよがりに響いて消えていった。
お母さんの悲しく泣いている声だけが、何もない空間に響いた。
更に落ちていく。
また、声が聞こえた。
お母さんの声でも斉山先生の声でもなかった。
裏表がなくて真っ直ぐで、優しい声。椎奈の声だった。
ごめんね。椎奈。プールも夏祭りも花火大会も行けなくて。病気のことも…。
椎奈がわたしの病気を知ったあの日のことを思い出す。わたしが病気のことを話すと彼女はひどく混乱した。それはそうだ。突然倒れた親友に病気で残された時間が短いと言われたら、誰だって混乱する。
その混乱と秘密にされていたことにショックを受けた椎奈と喧嘩になった。喧嘩と言っても、わたしは何も言わず、彼女の言葉をひたすらに受けとめていた。彼女が誰よりも優しいことをわたしは知っている。だから、彼女をここまで傷つけてしまった自分が、何よりも許せなかった。
ごめんね。病気のことを知ったら、椎奈は優しいからきっと何よりもわたしのことを優先してしまう。でも、わたしは最後の日まで椎奈と楽しく過ごしたかった。何も変わらず普通の女子高生として、親友として一緒に居たかった。最後の最後でその望みは、わたしのわがままで叶わなかったけど。椎奈に出会えて嬉しかった。ありがとう。
わたしの椎奈への想いは、きっと本人には届かない。一方的な別れを告げ、わたしは暗闇に落ちていく。
更に更に深く落ちていく。
目の前に見えている白い光のような空間は、すっかり小さくなってしまった。
もうそろそろ終わりの時間が近づいているとわたしは悟った。あの白い光が見えなくなった時、すなわちこの暗闇の空間の底に着いたとき、わたしは死ぬのだろう。そう直感で理解していた。
死ぬことに恐怖はなかった。
あの人に会いに行ける。あの日の答えを聞きにいくことができる。そう思っていた。
心残りがあるとしたら、彼に嘘をついてしまったことを謝りたかった。
その願いが届いたのか高来君の声が暗闇に響いた。
高来君の声は、はっきりと聞こえた。彼の声が聞こえただけでもうれしくて、涙が零れてしまいそうだった。
高来君は、わたしと会話をしているかのように真先輩の話をしてくれた。
真先輩の家に行って、お母さんと会って、真先輩の気持ちを教えてくれた。
「……。川崎真は菅野美香のことが好きだったんだ。……」
その言葉でわたしの心が救われた気がした。
真先輩のことがずっと好きだった。憧れて、恋い焦がれていた。亡くなってしまった今でも心の中で真先輩のことをずっと探していた。
お墓に行っては、真先輩に問いかけ続けていた。あの日と同じわたしの精一杯の勇気を振り絞った告白を。何度も何度も何度も。
でも、一度も答えは得られなかった。それでもわたしは、問いかけ続けていた。
そんな日々の中で、わたしは病気になった。眠り続けて、やがては死んでしまう病。治療法は、好きな人とのキスという不思議な病。この病気を患ったと知ったとき、わたしは眠り姫になる覚悟を決めた。わたしにとっての王子さまは、もうこの世にいない。
それから、一年経っても病は進行しなかった。病は気からというが、あれは嘘かもしれない。だって、わたしは病の進行を望んでいたのに、健康そのものだったから。
斉山先生にいつ発病してもおかしくないと言われた時は、嬉しさと苦しさで心がおかしくなってしまいそうだった。
そんな時だった。高来君に出会ったのは。
わたしの病気を知った彼を無理やり巻き込んで、嘘をつかせた。でも、彼はそんな義理もないのにわたしのわがままに付き合ってくれた。
高来君と過ごす日々は、楽しかった。自分の病気のことなんて、忘れて心から楽しむことができた。時折、切なそうな表情を見せる彼のことが気になっていった。遊園地で初めて彼に触れた時、心臓が飛び出るんじゃないかと思うほどドキドキした。冷たい彼の手にやさしさを感じた気がした。
気づくこと高来君のことが好きになっていた。
高来君への気持ちが、膨らんでいくのと同時に真先輩への罪悪感のようなものも大きくなっていった。
わたしが入院した日。わたしが高来君の病気を知った日。その日、高来君は、わたしに告白をしてくれた。
すごく嬉しかった。思わず「わたしも」と心の声が漏れてしまったほどに。彼には、聞こえてなかったみたいだけど。
でも、高来君の気持ちに応えるわけにはいかなかった。彼を死なせたくなった。生きていてほしいとそう思った。
これ以上、大切な誰かを失いたくなかったから、わたしは真先輩を使って嘘をついた。自分のエゴを押し通すために、真先輩を利用した。ひどい女だ。でも、その罪ごと背負って死んでいくから、許してほしい。
真先輩も失って、高来君も失ったら、わたしは生きていける気がしない。
わたしにとって、この恋は死よりもずっと重い恋だった。
白い光のような空間は、夜空に浮かぶ星のような大きさ程しかもう見えない。そろそろこの暗闇の底に、死に辿り着くだろう。
最後に、高来君が真先輩にわたしの想いが届いていたと教えてくれた。わたしの嘘を暴いて、高来君への想いを見つけてくれた。
わたしは、わたしの想いが実っていたことを知ることができた。
もうそれだけで十分だ。これ以上を望むのは贅沢だ。
でも、もし一つだけ望みが叶うなら、ほんの数秒、一瞬だけでも高来君に会いたい。
叶うことのない望みと真先輩への気持ち、高来君への気持ちを抱えたまま、わたしはこの暗闇の底に落ちていこう。
「僕は、美香の小麦色の肌が、栗色の髪が、景色が好きなところが、友達思いなところが、イタズラっぽい笑顔が大好きだ。」
高来君の優しい声が暗闇の中をこだまする。
わたしも大好きだよ。
唇にやさしい感触を感じると、消えかけていた白い光のような空間が一気に広がった。
目に飛び込んできたのは、見慣れた白い天井だった。夕暮れの橙色が部屋を照らし、セミの鳴き声が病室に響いている。
どのくらい眠っていたのだろう。数時間のような数日のような不思議な感覚だ。
不思議な夢を見た。暗闇に落ちていくそんな夢。夢の中で声を聞いた。お母さん、斉山先生、椎奈、そして高来君。
夢のことを思い出そうとしていると、誰かがわたしの手を握っていることに気が付いた。
夏なのに冷たい手だ。
わたしは、この冷たさを知っている。わたしの大切な人の手の温もりだ。
温もりと呼ぶには、あまりにも冷たい。でも、確かな温もりを感じる優しい彼の手だ。
わたしは、寝起きで力のこもらない手で、彼の手を優しく握った。
彼の手が、同じくらいの力で優しく握り返してくれた気がした。
病室が少しだけ暗くなる。
外を見ると、明日へ向かう橙色の夕焼け空と藍色の空が混ざる美しい景色が広がっていた。
FIN
死よりもずっと想い恋 石橋 奈緒 @Ishibashi_Nao
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