第10話
五月も終わり、例年よりも遅く梅雨入りした六月の中旬ごろ。昼まで降っていた雨が上がり、湿度が九〇%を超えるようなべたつく暑さの放課後。そんな中、僕らは、汗をかきながら冷房が良く効いているファミレスに来ていた。
そう“僕らは”
普段は、人の多いファミレスには、行かない僕だが、相手が校内ではなく、ファミレスを指定したので、しぶしぶ行くことになった。ファミレスは、今日も学生や家族連れで賑わっている。
ガヤガヤと騒がしい店内でも聞こえるような通った声で
「それで、用ってなに?」
フライドポテトを食べながら、新井椎奈は敵意を隠すことなく、僕を睨むようにして言った。
なぜ僕が新井さんとファミレスに来ているのかと言うと理由は、今日の昼休みにある。
美香の病気を治すと決意してから二週間ほどが経過していた。
この二週間、なにか変化があったかと言えば、特になにもなかった。美香が、倒れないか見守る普段通りの日々を過ごしていた。
二週間前に送ったメッセージは、既読になったが、美香からの返信は、まだ来ていない。今まで通り普通に会話をしているが、そのことについて、美香は何も言ってこなかった。僕も何か提案できるまでは、この話題に触れないようにしていたから余計にだ。
お互いにけん制し合うようなそんな二週間だった。
いつまでもこのままではいられないと考えた僕は、美香をよく知る人物に助言をもらうことにした。もちろん病気のことは伏せたままで。
そして、昼休みに新井さんのいる教室へと向かった。
新井さんの教室のドアから中の様子を伺う。新井さんの姿は、見えなかった。
どこかに行っているのか。そう思って、時間を改めるために自分の教室に戻ろうとする僕の背中に、怒気を含んだ声が降りかかった。
「何してんの?」
そこには、敵意を持った目を僕に向ける新井さんの姿があった。
「新井さんに用があって」僕は、新井さんに気付かれないように目線を外して、答える。
「何?やっと話す気になったの?」
新井さんは、僕と知り合ってからというもの会うたびに、美香の秘密のことを聞き出そうとしていた。その都度、僕は、はぐらかしてきたので、新井さんは僕のことを完全に敵だと認識したらしい。その証拠に新井さんは、いつも僕のことを睨むし、話すときの語気は強い。
「いや。何度も言ってるけど何も知らないから」
「あっそ。そしたら私は、あなたに用なんてないから帰って」
新井さんはぶっきらぼうに答えると教室に入ろうとした。
今までの僕ならここで引き下がっただろう。だが、今は違う。美香の病気を治すと決めた以上は、引くわけには、行かない。
「菅野さんのことで聞きたいことがあるんだ」
僕は、去って行く背中をそう言って呼び止めた。
新井さんは足を止めて、振り返る。
振り返った新井さんの目には、今まで以上の敵意が満ちていた。その肩は、怒りからか小さく震えていた。それもそうだこちらからは、何も教えないくせに一方的に探ろうとしているのだから。自分でも残酷なことをしているのは、分かっている。新井さんにどれだけ罵られても文句の一つも言えないだろう。
新井さんは、僕の目の前まで近づいてきて、怒気を含んだ声で
「あなた、最低だね」新井さんの敵意に満ちた目には、涙が溜まっていた。
もう一度、振り返り教室に戻ろうとする新井さんを呼び止めようと声を掛けようとした時、新井さんは足を止めた。
「放課後なら時間作れるから、放課後にまた来て」
こちらを見ずに新井さんは、そう告げた。
「ありがとう」
教室に戻っていく新井さんの背中に声を掛けた。
新井さんは、こちらを振り返ることはせず、教室に戻って行った。
そんな一幕があり、不機嫌そうな顔でフライドポテトを食べる新井さんとファミレスに来ている。
さて、どう話したものか。美香の病気のことを伏せたまま、うまい具合に話せるのか不安がよぎった。
新井さんが催促するようにコツコツと人差し指で、テーブルを叩く音が響く。
無難な話題をと。言葉選びながら口を開く。
「新井さんと菅野さんっていつから仲がいいの?」
「はぁ。わざわざそんなことが聞きたかったわけ?あなた相当、暇なんだね。まぁいいよ。話を聞くって決めたのは、私だし」
新井さんは、イライラしながらも話をしてくれた。
「前も少し話したかもしれないけど、美香と私は、同じ中学だったの。美香と初めて会ったのは、中学三年生のクラス替えで、一緒のクラスになった時だったかな。私たちは出会った時から、すぐに仲が良くなったわけじゃないの。むしろ私は、苦手なタイプだったかな。私は、当時からこんな感じで、周囲に対してあたりが強くて友達なんていなかったし、それでいいと思ってた。でも、美香は、そんな私のことなんておかまいなしに休み時間になる度に話しかけてきて、最初は鬱陶しいと思ってたけど、徐々にフラットな気持ちで話せるようになっていった」
「そこからは、放課後によく出かけるようにもなったし、お互いの家に泊まったりするようにもなって、学校でも学校の外でもほとんどの時間を一緒に過ごしてたかな。そしたら、周囲からの私に対する目も少しずつ変わっていって、気付けば美香以外にも友達って呼べる人が増えてきて、それ以来、美香を含め、いろんな人と仲良くさせてもらってる」
一通り話すと新井さんは、コップに入ったジュースを飲んだ。
美香の話をする新井さんは、僕が普段、見ている姿と違って、どこか優しげで穏やかな雰囲気を纏っていた。
「で、話ってそれだけ?そしたら、私、もう帰ってもいい?」
フライドポテトもジュースも残したまま新井さんは、席を立とうとする。よほど、僕と一緒に居るのが嫌みたいだ。
僕の目的をまだ満たしていないから、新井さんを返す訳にはいかない。
「待って」
「なに?」
新井さんは、敵意を見せながら、僕を睨む。
「えっと…」
「なに?はっきり言ってくんない」
僕を睨む新井さんの目がきつくなる。何か上手い言葉を見つけないと本気で怒らせてしまう。ただでさえ、ここまで嫌われているんだ。そうなったらもう一度、話をする機会を得るのは、難しいだろう。
「実は、知り合いに菅野さんのことがいいなっていう人がいて、それで、そのなんというか…」自分でも声に出しながら、ひどい嘘だと思った。まるで、セリフのように棒読みだし、言葉に詰まった。
「つまり、美香の好みのタイプが知りたいってこと?」
新井さんは、僕の詰まった言葉を話の内容から解釈して、補足をしてくれた。
よく今の話を理解してくれたな。
すんなり受け入れられたことに少しばかり驚いてしまった。あんな三文芝居のようなセリフ真面目に受け取ってくれるあたり、新井さんの根っこは、やはりいい人なのだろう。
ただ、下手な三文芝居のおかげで新井さんを引き留めることができた。ついでに僕の目的も果たすことができそうだ。
新井さんは、椅子に座り直して、グラスに入った氷をストローで数回、遊ぶように回しながら口を開いた。
「美香の好きなタイプね…。私がそういう話に疎いからな。よく知らないんだよね。ていうか、知りたいなら直接、聞きに来いって!その知り合いに言っといて」
新井さんは、聞きに来たら追い返してやると言わんばかりに、手をシッシッと払いながら言う。
「会う機会があったら、伝えておくよ」
そんな知り合いは、この世に存在しないけど。
新井さんなら、美香のことを誰よりも知っていると思っていたけど、予想が外れてしまった。このままだと今日の僕の苦労は、徒労に終わってしまう。
「正直なところ、美香が誰かを好きになることは、ないと思うよ」
新井さんは、氷がくるくる回る自分のグラスに視線を落としながら、言う。
「なんで?」
「なんでって、それは…。うーん。ううんやっぱりなんでもない。忘れて。飲み物、取ってくる」
矢継ぎ早に言い切ると、まだ半分近く残っていたジュースを飲み切って、新井さんは、ドリンクバーコーナーへと向かって行った。
その姿を見送った僕は、自分のアイスコーヒーを飲みながら、新井さんの言葉を振り返った。
美香が誰かを好きになることはないと思うよ。と新井さんは言っていた。断定している訳ではなく、あくまで可能性の話であるように。ということは、美香本人が誰かを好きになることはできない。と言っていたというよりも何らかの事情を知っているであろう新井さんが、そう思っているということだ。ただ、その事情については、教えてくれるつもりはないらしい。それを聞き出すのは、こちらも隠し事をしている以上は、難しいだろう。
教えてくれないことを考えていても仕方がない。なんとかして、美香を好きになってくれる。そして、美香自身が好きになれる相手を見つけなければならない。
アイスコーヒーに刺さっているストローを口から外し、ため息をこぼす。氷の解けたアイスコーヒー水っぽくって味気なかった。
ジュースをグラスに注いだ新井さんとすれ違うように、僕もドリンクバーでアイスコーヒーを注ぎに行った。席に戻ると新井さんが、右手でスマホをいじりながら、ストローが入っていた袋で作った芋虫のようなものに、左手に持ったストローで水を掛けて暇そうにしていた。
器用なことしてるな。そう思って、椅子に腰かけた。
「おかえり。で、何の話してたっけ?」
スマホをテーブルに置き、椅子に座った僕に声を掛ける。
「菅野さんの好きなタイプの話」
「そうだった。私は知らないだから、その話は、もうおしまい。で、他に話はあるの?」
「いいや。もうないよ」
これ以上、新井さんから教えてもらえることは、ほとんどないだろう。お互いに秘密を握っている以上、どちらかがそれを開示しない限りは、膠着状態のままだ。
「そっか。そしたら、逆にこっちからあなたに、聞いてもいい」
「なに?言っとくけど菅野さんが何かを隠してるってことに関しては、なにも知らないからな」
「そんなに何度も聞かないわよ。あなたは、絶対に口を割らないし」
いや、何度も聞いてきてるだろう。そう思ったが口には、出さないでおいた。
僕が知ってる前提は、新井さんの中では、覆らないらしい。
「あなたは、どうして美香と仲良くなったの?」
「どうもこうもないよ。クラスメイトだから仲良くなった。それだけ。新井さんと同じだよ」
もちろん本当は、それだけではない。ただのクラスメイトだったのなら、僕と美香の人生が交わることは、なかっただろう。名前の知らないクラスメイトとして、同じ空間に居ながら、平行線の人生を歩んでいたと思う。
不可思議な病気が繋いだ不可思議な縁だ。それに新井さんと同じとも言い切れない。美香の病気が治れば、僕たちの人生は、また平行線に戻り、もう交わることはないのだから。
「ふーん。クラスメイトね」
新井さんは、意味ありげな視線を僕に向ける。見透かそうとする視線が怖くて、思わず目を逸らしてしまう。露骨な態度がばれないようにアイスコーヒーを一口飲む。
新井さんは、僕の態度を知ってか知らずか言葉を紡ぐ。
「でも、美香が男子と仲良くしてるのって、本当に珍しいことだからね」
そう言うと新井さんは、フライドポテトを一口ほおばった
「それ、前も言っていたけど昔の菅野さんは、どんな人だったんだ?」
新井さんと初めて会った日に言っていたこと。菅野美香が中学から高校に上がって、変わったと。それは、男子との関わり方に変化があったと言っていた。成長するに合わせて、異性との接し方が変化するのは、よくあるケースだが、それだけじゃないように思えた。美香が誰かを好きになれないということと関わりがあるのは、間違いないと思った。
うーん。新井さんは、ひとしきり唸ってから、これぐらいはいいかと小声で呟くと、ジュースを飲んで喉を潤してから、口を開いた。
「中学のころの美香は、男女関係なく仲良くなれるタイプの子だったの。一クラスに一人か二人はいるでしょ。性別という壁、他人という壁が存在しない人。人類皆兄弟とまでは言わないけど、名前を知っていて、一言でも話したら友達って感じの人」
確かに僕にも思い当たる人が小学校、中学校のクラスメイトで何人か出てくる。軒並み名前も顔を忘れてしまっているけれど。
「私は、そういうタイプ苦手だったから、初めて会った時、絶対に仲良くなれないと思っていたんだけどね」
新井さんは、自嘲気味な笑みを浮かべながらフライドポテトを一本食べた。美香の話をする時の新井さんは、自嘲気味な笑みも含めて、よく笑う。
確かに、新井さんの性格を考えると分け隔てなく、他人との壁を気にしない性格の人とは、そりが合わないだろうな。そう思った。
美香が僕に対して、初対面の時から面倒くさい絡み方をして来たのも本来の性格は、そういうタイプだったからなのだろう。
「それじゃどうして今は、男子と話さなくなったんだ?」
フライドポテトを食べていた新井さんの手が止まった。指先についた油と塩をおしぼりで拭き取って
「それは、話せない。美香があなたに話していないことを私から話すわけにはいかないから」
新井さんは、覚悟を持った強い目をしていた。
「人には、他人踏み入ってほしくない領域があると思うの。私は、そのあたりのさじ加減が苦手だから、何度か人と衝突したことがあるけど。美香は大事な親友で私を変えてくれた人だから、美香の心には、例え、あなたでも踏み入ってほしくない。」
新井さんは、キリ長い目で僕を睨みつける。
「あなたにもそういう領域があるんじゃないの?」
試すように見つめる新井さんの視線が、痛いくらいに僕の心をえぐった。新井さんは、今、僕の領域に踏み込もうとしていた。
「ごめん。私、帰るね。これお金」
僕から視線を外した新井さんは、荷物をまとめて千円札を一枚、テーブルに置いて、店を飛び出していった。
僕は、何も言わず、動けず、その背中を見送った。
ただ、いつも煩わしいと感じるファミレスの喧騒が、僕の心のなにも動かすことなく、通り抜けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます