第8話

遊園地を出て、最寄り駅に着いた僕らは、ホームのベンチに腰を掛けて電車を待っていた。相も変わらず、一席分の空席を空けて、そこにそれぞれの荷物を置いていた。

 遊園地を出るときに繋がれていた手は、改札を通るときに自然と離していた。

 平日の夜だからか仕事終わりのサラリーマンがちらほらとホームにいて、僕たちと同様に電車を待っていた。田舎の駅だから人は少ない。

 日中の暑さを忘れさせるような優しい夜風が、駅のホームを駆け抜けていく。

「遊園地、楽しかったね」

 言葉を夜風に乗せるように美香は、言った。

「そうだね。あんなに絶叫マシンに乗せられるとは、思ってなかったけど」

「あはは。それは、ごめんね」

 屈託のない笑顔を向けられると許すしかなくなる。

「それにしても電車、遅いね」

 僕たちが駅のホームに着いてから十分ほど経とうとしていた。乗るべき電車の出発時刻の五分前に改札を抜けたはずだから、すでに出発していないとおかしい。

 僕は、ホームにある行先を示す電光掲示板に目をやった。

「遅延してるみたい」

 僕が言うと美香も電光掲示板を確認する。

「あ、ほんとだ。人身事故だって怖いね」

 美香は、お茶を一口飲んで、ふぅと息を漏らす。

「電車、三十分後には、来るみたい」

 僕は、電光掲示板に出た情報をそのまま伝える。

「そっか。大きな事故ではなさそうだね。よかった」

 少しばかりの沈黙。ホームの機械的なアナウンスだけが無機質に響く。

 僕は、テストの前にしていた美香への質問について、思い出した。あの時は、はぐらかされたようになってしまって、答えをしっかりとは聞けていない。人も少なく聞かれる心配もないだろう。もう一度、聞いてみよう。そう思った。

「テスト前に僕が、聞いたこと覚えてる?」

 少しだけ声が震えた。

「テスト前?病気を治したいかどうかっていう話のこと?」

「うん」

「そうだね。正直、この病気は、どこかが痛い訳でも苦しい訳でもない。定期健診に行くまでは、病気を患っていることなんて忘れちゃうくらいに生活もできる。時々、眠り姫症候群なんて病気に、本当は罹っていなくて、皆が私に嘘をついてるんじゃないかなって思っちゃう」

 菅野美香を一か月、見てきた僕も同じように感じていた。病気だと知ったあとの菅野美香と知らなかった時の菅野美香は、何も変わっていなかった。病気を隠すように気丈に振る舞うわけでもなく、悲観的な顔を見せることもない。ただ、何も変わらない日常を送っていた。

 それでも、病は進行して行く。痛みや苦しみを与える訳でもなく、彼女を永遠の眠りに誘おうとする。

 ただ、この病気は、不治の病ではない。人を本気で好きになって、本気で好きになってもらう。そしてキスをする。医療行為とは、程遠い。民間療法とも言えないそんなバカげた方法で治ってしまう。確実に治せる病なのだ。

 だからこそ知りたかった。そんな病気なのに美香は、治療することに対して、積極的には、見えなかったから。

「眠り姫症候群を治したくないの?」

 僕はもう一度、尋ねた。はっきりとした答えを求めるように強く尋ねた。

「私が眠って、二度と目を覚まさなくてもそれは、仕方がないことなんじゃないかな」

「仕方ない?」

「もしかしたら、私が永遠の眠り着く前に誰かを好きになって、その人も私を好きになってくれるかもしれない。そしたら私は、目覚めてその後の人生も生きていける。反対に誰も好きになれずに永遠の眠りについたら、そのまま目覚めることもなく人生が終わる。どっちも私の人生だよ。だから、仕方がないんだよ」

 美香は、そう言うと笑った。

 達観、悟り。どちらとも違う。これは、諦めに近い。そんな気がした。

「それに人は、いずれ死ぬよ。それは、残酷だけど平等なこと。皆、忘れがちだけどね。高来君が、帰り道に事故に遭うかもしれない。私も同じ。この瞬間にも誰かが生きて、誰かが死んでいる。偶々、私は、病気で死ぬ可能性が高いだけで、遅くても一年以内には、眠りついて、そのまま目覚めることができなくなる。その点については、他の人と比べて、全く予測がつかないことじゃないから、死ぬのはちょっぴり怖いけど、残りの人生を謳歌しようってなれる」

 僕は、美香の話を黙って聞いていた。否定も肯定もしなかった。ただ、頷くことしかしなかった。

 これは、美香の生き方だ。僕が、何を言っても軽々しくなってしまう。僕は、誰かに話せるほど自分の生き方、人生と向き合ってきたことがない。いつまでも過去に、とらわれ続けている。

 そのうち、電車がやってきた。サラリーマンも僕たちもその電車に乗り込んだ。

 僕たちの乗った車両には、僕たちを含めて、十人程度しか乗っていなかった。

 このうち何人が、今日も明日も明後日も一年後、十年後も生きているのだろう。少なくとも一年以内には、一人、居なくなる。僕のとなり一つ空けた先に座っている彼女は、外を眺めている。

 そんな彼女を見て、やっぱり生きていて欲しいと思った。

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