第7話

昼食を駅前にあった全国展開しているチェーン店のバーガーショップで済ませた僕らは、バスを乗り継いで、人の出入りが激しい遊園地に着いた。

 遊園地に着くなり、受付に向かった美香は、アトラクションの乗車券を十五枚ほど購入した。僕も美香に倣って、同じ枚数を購入することにした。

 この遊園地は、入園料が無料になっている。その代わりアトラクションに乗るのに乗車券を利用する。メリーゴーランドには、一枚。ジェットコースターには、三枚といった具合にアトラクションによって、必要な乗車券の枚数が異なる。なので、大体のお客さんは、入園時に乗車券を何枚も購入する。乗車券が無くなっても受付に行けば何度でも再購入することが可能だ。

 受付のお姉さんから乗車券をもらって、遊園地に入園する。久しぶりに来た遊園地は、アトラクションのデザインが今風に変わってはいるもののアトラクション自体は、なに一つ変わっていなかった。

両親と最後にここに来たときは夏だった。茹だるような暑さとやかましく鳴くセミの声をよく覚えている。

 確か僕が行きたいとお母さんにせがんだのがきっかけだった。両親ともに常に仕事が忙しく、家族揃って出かけたことは、僕が覚えている範囲では、ほとんどなかった。遊園地に行きたいとせがんだことは、何度もあったと思うが実際に連れて行ってもらったのは、四歳の夏に一度きりだけだった。

 あの日は、どのアトラクションに乗ったんだろう。メリーゴーランド、コーヒーカップ、ジェットコースター、観覧車などの目につくアトラクションを見てみたが、うまく思い出すことができなかった。

「どうしたの?」

 入園するなり立ち止まっている僕に彼女が顔を覗き込むようにして、声を掛けた。

「久しぶりに来たなと思って」

「えー誰と来たの?もしかして彼女と?」からかうように美香が聞いてくる。

「違う。家族と来たんだ。確か四歳の時だから、一三年ぶりかな。それ以来、他の遊園地にも行った覚えもないな」昔を思い出すように指を折って数える。それでもその日のことは、よく思い出せなかった。

「うわ。すごい昔だね。それじゃあ今日は、私がエスコートしてあげる。私は、よく友達とも来るから、おすすめのコースで回ってあげるね」

 そう言って、美香は、遊園地を駆けていった。彼女のおすすめのコースというものにいささか不安を感じるが、僕は彼女の後を追いかけた。

 

「ちょっと待って……」

 五連続目の絶叫マシンに意気揚々と向かう美香は、僕の弱々しく絞り出した声を聞いて足を止めた。

 僕の感じた不安は、予想遥かに上回る形で的中した。

彼女のいうおすすめコースとは、とりあえず目についたアトラクションに乗り続けること。それも絶叫マシンだけに乗り続けることだった。コースでもなんでもないただの行き当たりばったりだ。

 ジェットコースターを三本、フォール系のアトラクションに一本乗った。そして、今からフォール系に一本追加されるところで呼び止めることに成功した。僕たちが向かおうとした先から女性の高い悲鳴が聞こえてきた。そこには、龍が空に向かっていく様を模したようなアトラクションの支柱が見えた。見ているだけで背筋に冷たいものが走る。

「どうしたの?」

 振り返った美香は、すごく楽しそうに笑っていた。

絶叫マシンばかり乗っていて、何がそんなに楽しいのか分からないが、お墓の前で泣いていた彼女を思うと今、笑ってくれているのは、すごく安心する。

泣き腫らして赤くなっていた目元からは、よく見ないと気付かないほどに赤みが消えていた。バーガーショップで美香は、化粧を直していた。その時に目元の赤みが引いていたからだ。化粧のことは、よく分からないが泣き腫らして赤くなった目元も気づかないほどにしてしまうなんて化粧って便利だなと思った。場違いなことを思った。

「休ませてくれ」

 お昼に食べたものが絶叫マシンによってかき混ぜられ、胃のあたりに違和感を覚えた。それを吐き出さないように小さな声で伝えた

「情けないな。まだ乗り足りないくらいだよ。椎奈と来ると、絶叫マシンしか乗らないよ」

 新井さんと一緒にしないでもらいたい。

というか色んなアトラクションがあるのだから、他の物にも乗った方が遊園地側も喜ぶんじゃないか。あえて、口出すことはしないが、そんなことを思わずにはいられなかった。

それと一緒にどうやら僕は、絶叫マシンが苦手らしい。そんなことも忘れていたのかと思った。

 露骨に嫌な顔が出ていたのだろうか美香は、少しだけ考えて

「……そしたら、あれに乗ろうか」

 美香は、遠くに見えるこの遊園地のシンボルである観覧車を指差した。

「まぁ。あれなら」

「じゃあ。行こうか」

 グロッキーになって、足取りが重くなった僕の歩幅に合わせるように彼女は、僕の隣を歩いてくれた。


 三十分ほどの待ち時間を経て、観覧車に乗ることができた。

 観覧車を待っている間に僕の胃の違和感は、落ち着いていた。

 時刻は、すっかり夕暮れになっていた。帰りの時間も考えるとこれが最後のアトラクションになるだろう。

「観覧車降りたら帰らないとね」

 僕の対面に座った美香もそれを感じ取っていた。大きく伸びをしながら、んーと声を漏らす。

「遊園地に来るのが遅かったから、あっという間だったね。でも楽しかったな。高来君は楽しかった?」

「絶叫マシンばかりだったけど……。悪くなかったと思う」

 曖昧な言葉を返した。素直に楽しかったと言えない自分をどこかもどかしく感じた。

 そんな僕の心を見透かしたように彼女は、いたずらっぽく笑いながら僕を見ていた。

 なんだか恥ずかしくなって、目を逸らす。

観覧車の窓からは、ゆっくりと小さくなっていく遊園地のアトラクションたちが見えた。美香と一緒に乗ったアトラクションも結局乗らなかった龍を模したアトラクションも小さくなると迫力もなにも感じなかった。

あれなら乗れる。そんなことを思って、気を紛らわした。

「ねぇ。見て」

 美香は、観覧車の外をまっすぐ見据えながら、囁くように言う。

僕も彼女に倣って、遊園地内を見下ろすのではなく、顔を上げて美香と同じく外をまっすぐ見る。

沈みかけの夕陽が、空に橙色だけを残して空をかすかに照らしていた。沈んでいく夕陽を追いかけるように伸びる雲は、影を帯びている。

 橙色の空は、どこまでも広がっているわけではなく、境界線を持たずに藍色へと変わっていく。藍色の空には、ひときわ大きく金星が輝いていた。

夕陽の橙色と夜を告げる藍色とが重なり合い、交ざりあい、溶け合い幻想的な空を彩っていた。

「私、この時間が好きなんだ」

「時間?」

 特定の時間が好きという考えを僕自身は、持ったことがなかったから、そのことを純粋に疑問に思った。

「そう。マジックアワーって言ってね。日没の数十分しか現れない景色なんだって」

 美香は、どこか楽しそうに。また、なにかを懐かしむように言った。

「勉強はできないのに詳しいね」

 二人並んで、景色を見ているのが恥ずかしく思って、僕は茶化すように言った。

「うるさいな~。好きこそもののなんとかって言うでしょ」

「上手なれね」

「そうそれ」

 僕の指摘に彼女は、大きく笑った。

「私は、本当にこの景色が好きなんだ。一日の終わりの数十分だけしか見ることができなくて、その日の気分や人によってもまるで受け取り方の変わる景色。明日が来るって思う人もいれば今日が終わってしまうって思う人もいる」

 美香は、笑顔で僕に話しをしている。

何故だろう。その姿にどこか悲しさを覚えてしまう。

「高来君には、今のこの景色は、どんな風に映ってる?明日が来る楽しさ?今日が終わってしまう悲しさ?それともまた別のものに映ってる?」

 そう聞かれて、夕日に伸びている雲や藍色が深くなっていく空を改めて見つめてみた。

 心を奪われる美しい景色だ。意識的に空を見ることのなかった僕にとっては、新鮮な景色だった。

 ただ、それだけ。

 美しい。きれいだなとは思うが、それ以上のものを感じることはなかった。

 ふと視線を地上に落とすと、小さな男の子とその両親と思える家族連れの姿が見えた。

 地上から遠く離れた観覧車の頂上付近に居るのに、なぜかその姿をはっきりと捉えることができた。園児か小学生くらいの男の子は、小さな手を右手は母親と、左手は父親と繋いでいる。正に仲睦まじい家族の姿。その家族は、遊園地の出口がある夕陽の方角へと歩いていく。

 その光景を見て、心の奥底になにかが湧き上がるのを感じた。

 楽しいのか。悲しいのか。それとも全く別の感情なのか。

 ただ、その感情には、どこか懐かしさを感じた。

 少しずつ泡のように膨らんでいく感情を、僕は、知りたいと思った。今まで忘れていたなにかを思い出すことができる。そう感じた。

 泡のように、膨らむそれに触れようとすると簡単に割れて、消えてしまった。

 ただ、小さな滴だけを僕の心に残した。

「……わからない」

 そう答えた。割れて消えてしまった小さくて、脆い感情を言葉にすることは、僕にはできなかった。

「そうだよね。突然こんなこと聞かれても困っちゃうよね」

 美香は、先程までの悲しさをかき消すかのように大げさに笑った。

 それが偽物の笑顔であることは、人付き合いが、苦手な僕でも分かった。

 美香には、どう見えているのか聞こうとした時、ガチャリと観覧車の扉が開いた。

 いつの間にか地上まで降りてきていたようだ。

「ありがとうございました」

 係りのお姉さんが降りるように促してくる。

 動く観覧車に合わせて、転ばないよう止まっている地面に足をつける。観覧車の揺れや特有の浮遊感と安定している地面とのギャップで少しばかりよろけてしまう。この感覚が苦手だなと思った。

 僕の後に続いて、美香が降りてくる。僕と同じようにタイミングを見計らって、地面に足をつける。その時、美香の体が大きく揺らいだ。

 眠り姫症候群の症状が、発症したのかと思って、倒れそうになる美香の手を咄嗟に掴んで体を支えた。

「大丈夫?」

「う、うん。ありがとう」

「お客様!大丈夫ですか?」

 係りのお姉さんが慌てた様子で駆け寄ってくる。

「大丈夫です。バランス崩しちゃっただけなんで」

 美香は、恥ずかしそうに笑って答えた。

 それを見たお姉さんは安堵の表情をし、一礼してから業務に戻っていった。

 お姉さんとのやり取りを見て、受け答えは、しっかりしていたし、眠気があるようにも見えなかったので、眠り姫症候群が発症していないことを知って、安堵する。

「手、冷たいんだね」美香がそう呟いた。

 その呟きに気付いて、咄嗟に手を離す。

「ごめん」

 美香に拒絶したかのように、映ってしまったのではないかと思ってしまい申し訳なくなった。だからと言って、もう一度、手を繋ぎ直すことなんてできない。する権利も理由もない。僕と違って、温かい手だったな。そんな他愛もない感想だけが胸に残った。

「ううん。私、観覧車から降りるの苦手なんだよね。だから、助けてくれてありがとう」

「お礼を言われることでもないよ」

 咄嗟の行動とはいえ、自分でも驚いている。

「でも、いきなり手を握ったかと思えば、すぐに離しちゃうのは、otome

心的には、傷ついちゃうな」

「いや、あれは、咄嗟だったからつい」

 弁明の余地もない。同意のないもと女性の体に触れたのだ。訴えられたら負けるかもしれない。いや、そもそも訴えられるのか。よくわからない。

「なんてね。冗談だよ」

 いつものいたずらっぽい笑みから、舌をチロリと覗かせた。

「じゃあ帰ろうか」

 そう言って、美香は僕の手を取った。

 美香に手を取られた時、僕の心に、また言葉にできない泡のような感情が湧き出してきた。

 それは、少しずつ大きくなり輪郭をとどめようとしていたが、また割れた。脆く弱い感情だ。

 そういえば、美香は、マジックアワ―を見て何を思うのか聞きそびれてしまった。改めて聞いてみようかと思ったが、やっぱりやめた。

 ふと見上げた空に、もう橙色はなく、藍色一色に染まっていたからだ。

藍色の空には、線の細い三日月と星が浮かんでいる。

 あぁ今日が終わる。そして、明日が来る。

 そんな当たり前のことを僕は、改めて強く意識した。

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