第6話

翌日の放課後も教室に残り、美香にテスト勉強を教えていた。

 昨日、帰った後に自分でも勉強をしたのか今日は、スムーズに勉強を教えることができた。

 勉強のこと以外は、話さず黙々と勉強を始めて、一時間ほど経過した頃、美香が口を開いた。

「そろそろ休憩しない?」シャーペンを握ったまま美香は、背筋を伸ばした。

「そうだね」キリがいいところまで終わっていることを確認して、僕は同意する。

 教室には、相変わらず二人だけだった。今日は、新井さんは来ていない。

 一通り、筋肉を伸ばし終えた美香がなにやら鞄を漁り始めた。僕はそれを横目に見ながら、ペットボトルのお茶を一口呷って、美香に尋ねた。

「あのさ……」

「ふぁに」鞄を漁っていた美香が顔を上げた。その口には、棒状のチョコ菓子が咥えられていた。

 せめて、食べきってから反応してほしい。

 僕のそんな視線に気づいたのか美香は、咥えていたお菓子をリスのように食べた。

「高来君も食べる?」

 お菓子の入っている箱をこちらに差し出して、美香は尋ねてきた。本来二袋入っているそのお菓子の箱の中には、封が切られた一袋だけ入っていた。チョコ菓子の持ち手部分がこちらを覗く。

「うん。ありがとう」

 一本抜き取って、食べる。チョコの甘い味が口いっぱいに広がった。

「それで、何か言いかけてなかった?」

「えっと。……なんでもないよ」改めて問われて、口をつぐんでしまう。

「そう?それならいいけど」

 美香は、お菓子を一本取り出して、不思議そうな顔をしながら食べ始めた。

一本また一本と口に運んでは、幸せそうな顔でお菓子を食べる美香を僕は黙って見ていた。

窓から差し込む春の夕陽が、美香の幸せそうな横顔を照らしていた。健康的に焼けた褐色の肌が、とてもきれいに見えた。彼女が不可思議な病にかかっていることを忘れてしまいそうになる。でも、目に見えない形で病気は、進行して行っているに違いない。新井さんに触発されたわけではないが、美香には元気でいてほしいと思う。

もう一度、お茶を一口呷って、口に広がったチョコの甘さを胃の奥へと流し込む。少しだけお茶の苦みを強く感じた。

先ほどつぐんでしまった言葉を探るようにして、口を開いた。

「君は、病気を治したいと思う?」

 お菓子を食べていた美香の手が止まった。言葉を選んでいるのか視線は、お菓子に落ちたままだった。

「もう美香って呼んでよ。ダメだな~高来君は」

 視線を上げて、僕を見ながら、美香は茶化すように言う。その瞳は、いつものいたずらっぽい瞳では、なかった。

「そんなダメダメな高来君には、これをあげましょう」

 美香は、お菓子を一本取り出して、僕の口元に持ってくる。

 僕は、それを無視して、もう一度口を開く。

「美香は、病気を治したいと思う?」

 お菓子を僕の口元から離した美香は、それを一口かじって、僕の言葉を待つように黙り込む。

 美香の態度を見て、僕は言葉を続ける。

「……僕に協力できることがあるなら、協力をさせてほしい。何ができるかはわからないけど」

 どうして、こんな言葉が出たのかよくわからない。新井さんに触発されたのか。黙り込む美香を見て、何か言わないとでも思ったのか。それとも……。膨れ上がってきた気持ちに蓋をする。この感情は、僕が持ってはいけない感情だ。

「……中間テストの最後の日、放課後って時間ある?」

 美香は、躊躇いがちに僕に尋ねた。

 中間テストは、二日に掛けて行われる。テスト期間中は、午前中でテストが終わり、午後からは休みになる。最終日も例外ではない。きっと教師が採点をするための時間だったりするのだろう。

 生徒である僕は、放課後に残る用事は特にない。そして、僕個人としても放課後は、特に用事などなかった。

「うん。時間ならあるよ」

「よかった。そしたら、デートしようか」

 美香は、食べかけのお菓子を食べきって、茶化すように微笑んだ。やはりその瞳は、いつものようないたずらっぽい瞳ではなかった。


 中間テストを終えた僕らは、電車に揺られていた。

 テスト期間中は、放課後に勉強を教えることは、数回あったもののあれ以来、気まずくてあまり美香と会話らしい会話をすることはなかった。そんな中、「放課後になったら駅に来て」そう美香に言われて今に至る。ちなみに行先は、詳しく教えてもらえなかった。僕らが電車に乗った駅から三駅先の駅が目的地だということだけは、切符を購入する際に分かっていた。

 平日の午後ということもあって、電車内は比較的空いていた。僕らは、扉に近い席に座った。僕は相変わらず、彼女と一席分開けて座った。空いた席には、それぞれの荷物を置いていた。

 美香は、窓から外を眺めていて、口を開こうとしない。僕も一緒に窓の外を眺めることにした。

 知っている町から知らない町へと景色が移り変わっていく。こうして、電車に乗るのも久しぶりな気がする。そういえば、隣町に行くことはあっても三駅も先の町へ行くのは初めてだった。

 景色が戸建ての住宅ばかりになって来て、代わり映えしなくなってきたころ、遠くに遊園地の観覧車が見えた。市内に住んでいる人は、行ったことが無い人がいないほどの遊園地だ。ただ、決して有名というわけではなく、他に遊べる場所が少ないからという世知辛い理由からだ。もちろん僕も行ったことはあるが、父さんと二人になってからは、行ったことはなかった。だから、最後に遊園地に行ったのは、四歳の時だった。それが両親と過ごした最後の思い出だった。

「もうそろそろ着くよ」

 そう言って、美香は自分の鞄を持って、電車の扉の前に立った。僕もそれに合わせて、隣に立つ。電車は、ゆっくりと停止して目的の駅に着いた。美香と一緒に電車を降りた。

 小さな駅だった。ホームには、一台の自動販売機と四脚一組の椅子が二つだけ設置されていた。ホームから改札に、向けて歩く美香の後ろをついていく。改札を抜けると美香は、まっすぐバス停に向かった。次は、バスに乗るようだ。バスの時刻を確認した美香が振り返った。

「バス、すぐに来るみたいだよ」

 その動きは、手慣れているように見えた。美香は、何度もこの町に来たことがあるように思えた。

「分かった。ところで、そろそろ目的地を教えてくれないかな」

「うーん。まだ、内緒かな」

 美香は、少し寂しそうな声で微笑んだ。

 僕は、黙って頷いた。

 しばらくして、バスが来た。それに乗り込んだ。電車と打って変わって、バスは混んでいた。年配のお客さんが多かった。平日に学校の制服を着ている子供が珍しいのか、じろじろと見られた気がした。僕と美香は、吊革につかまってバスに揺られることにした。

 二十分ほどバスに乗って、住宅街から離れた自然豊かな土地のバス停に降りた。

「目的地は、この先だよ」

 美香は、目的地があると思われる方向を指差した。その方向を見ても何も見えなかった。周りには、民家もあまりなく田舎の町だった。

「もう目的を教えてくれてもいいんじゃないかな。このまま知らない場所に置いて行かれるんじゃないかとひやひやするよ」

 美香が目指す目的地方向に歩きながら聞いてみた。車通りの少ない道で、歩いている人もほとんどいなく、安全に歩くことができた。

「どこにも置いてかないよ!私って、そんなに意地悪だと思われてるの……。そうだね。あまりに秘密にしていると高来君が可哀想だし教えてあげよう」

 美香は、笑いながら言う。今日初めて、普通に笑っている美香を見た。

 一通り笑った後、美香は一呼吸置いて、真剣な顔つきで話し始めた。

「今、向かっているのは、お寺だよ」

「お寺?」思いがけない単語に思わず、聞き返してしまう。

「そう。お墓参りに行くんだよ」美香は、寂しげな声音で告げた。

「お墓参り?誰の?」さらに予想していなかった単語に、声が上ずってしまう。

「中学の時の先輩。少しだけ昔話してもいい?」

 僕は何も言わずに、肯定の意を示す。隣を歩く美香は、話を続けた。

「私ね。昔はこのあたりに住んでいたんだ。中学生になるときにお父さんの仕事の関係で今の家に引っ越しをして、近くの中学校に通い始めたの。三駅も離れた全然違う町だから、もちろん知っている人は、誰もいなくて不安で……。そんな時に仲良くしてくれたのが真先輩だった」

 昔を思い出して、懐かしむような顔をしている美香は、どこか楽しそうに見えた。

 真先輩という人が、件の先輩なのだろう。

「真先輩は、同じテニス部の先輩でこの町の出身だったんだ。先輩は、小学五年生の時にこの町から引っ越しをしてたから、境遇も似ていて、話がすごく合って楽しかったな。それから学校が楽しくなって、椎奈とも仲良くなれたし、部活でもレギュラーになれたからあの時は、人生で一番楽しかったかも」

「そうなんだ」曖昧な返事をする。

 人生で一番、楽しかった時期など僕には、果たしてあるのだろうか。

 思い当たるのは、最後に行った遊園地だけ。

 それも本当に楽しい思い出かと言われるとそんなことはない。あくまで消去法で残ったのが、それだけだった。

「でもね。私が中学二年生の時に、先輩が亡くなっちゃったんだ。学校帰りに交通事故に巻き込まれて……」

 美香は、笑って言った。その笑顔は悲しみを湛えていて、僕に気を使って笑っていることがわかった。

「……そっか」僕の口からは、気の利いた言葉がなにも出なかった。

 僕は親戚も含めて、知人が亡くなったことは一度もない。だから、美香の悲しみや辛さを理解することはできない。その気持ちを推し量ろうとすることさえ憚ってしまう。

「着いたよ」

 そこは、木々に囲まれた小さなお寺だった。社務所には、誰もいなかったから、お賽銭を済ませて、お墓に向かう。美香は、何度も来ているのだろう迷わずに真先輩のお墓に向かった。僕は、黙って美香の後を着いていく。

 川崎家之墓と書かれた墓石の前で美香は、立ち止まった。ここが川崎真のお墓。

 美香は、お墓の前にしゃがみ、事前に用意していた線香に火をつけて、合掌をする。それに合わせて、僕もしゃがんで合掌をした。

 合掌をしながら、彼女を横目で見ると優しく閉じられた目じりから滴が一筋、頬を伝って流れ、彼女の手に落ちた。

美香は、真先輩と話をしている。そう思ったから、部外者の僕は、合掌を止めてその場を離れることにした。

小さくうずくまって、合掌をしている美香の肩が、小刻みに震えていた。

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