第3話

あの日から僕が、菅野美香を見守る生活が始まった。

 結局、僕が懸念していた僕が見ることのできない部分に関しては、彼女の友人と行動することで、対応するとのことだった。

もし、トイレなどで発症して眠ってしまったら、もう誤魔化しようがないから、そうなったら仕方がないから、あきらめていると言っていた。発症するまでの間に気付かれなければ問題ないらしい。

まあ、発症したら、長期に渡り、学校に来ることができなくなるか。

もしくは、二度と来ることができなくなる。

そうなれば、いくら病気を隠していたとしても、誰かが不思議に思い、いずれは露見する。

だから、そのことについては、納得した。

もう一つ何故、僕なのか。

それは、「なんとなく」だそうだ。

そう言っていた彼女は、いたずらっぽく笑っていた。

今週は、彼女のことを見守っていたが、特別、何も起こらなかった。

その週の週末に二度目の健診で、また大学病院に来ていた。

 前回の検査後からの経過について、僕は、診察室で主治医の斉山先生と話をしていた。

「高来君、その後、体調の方は大丈夫かな」

斉山先生は、三十歳くらいの若い医師で、物腰が丁寧で優しく、童顔で二十代と言われても信じてしまうような顔つきをしていた。優秀な医者らしく、彼の診察室には、いくつもの賞状や医学書がたくさん並べられている。

「特に体調が、悪くなったりはしてないです。頂いた薬のおかげかもしれませんが」

「そうですか。それならよかったです。少しでも体調が悪くなったら、遠慮なく言ってください。薬も万能ではないですから」

 斉山先生は、学生の僕に対しても敬語を使ってくれる。

 それは、単に医者と患者の関係性だけではない距離感を感じる。人によっては、冷たい印象を持つかもしれないが、その距離感が僕には、心地が良かった。

「今日の診察は、以上です。来週から経過観察のため1週間おきに来てください。」

 斉山先生がそう言って、僕と斉山先生は同時に立ち上がった。

 僕は、これから毎週、斉山先生のもとに通うことになった。また、父さんに対してつく嘘が増えた。

 斉山先生に促され、診察室を出る際に医学書が並んでいる本棚に「眠り姫」があるのが見えた。斉山先生なら持っていて当然か。そう思って、僕はそのことには触れず、斉山先生に一礼して、診察室をあとにした。

 父さんには、今日で診察が最後だと伝えてある。今後の定期的な診察については、どう伝えようか。

 スマートフォンを見ながら、そんなことを考えていた。

 だから。これは僕の不注意が招いた事故だった。

 病院の外に出ようとした時、正面から人が近づいていることに気付かなかった。

「うわっ!」

 その声で人がいることを認識する。

「危ないな。って、高来君?」

 そこには、菅野美香が居た。

「歩きスマホはやめな。相手が私だったらよかったけど、怖い顔したお兄さんとかだったら、キミは今頃、病院送りだよ」

 彼女は、すごんだような顔で僕を見る。

 その顔が全然怖くなくて、笑えてくる。彼女に笑わせられるのは、何だか癪だから笑顔は見せないようにした。

「そうなったら、ここは病院だから病院に送られるよりは、そのまま放置してもらった方が対応は早いかもね」

「病院放置か」

 彼女が不器用に凄んだ(つもり)の顔が崩れ、笑った。

 病院の出入り口の前で盛大に笑う女子高校生とそれを見ている男子高校生。

 彼女は、全く気にしていないが、横を通り過ぎていく、人たちの視線が痛い。

「じゃあ僕は、帰るから。またね」

 この場からいち早く立ち去りたかった。

 彼女の横を通り抜けて、バス停に向かおうとすると彼女に回り込まれて、道を塞がれた。

 彼女は、まだ笑いながら「診察まで、まだ少しだけ時間があるから付き合ってよ」そう言って、病院の中庭を指差した。

 中庭で話そうという意味だろう。

 中庭は、患者だけでなく、一般の人も利用ができるように解放されている。僕も前回、病院に来た際に、そこで診察までの時間をつぶしたりしていた。

「診察は、何時から?」

「うーんと。三時半から」

 僕は、スマートフォンを取り出して時間を確認する。あと三十分くらいか。それくらいだったら、バスに乗る時間を考えても暇つぶしに付き合うのは、大丈夫そうだった。

 車社会の田舎だからバスの本数が少なく、病院の近くだというのに四十分おきに一本という少なさで運行している。

「分かった。僕もバスまで時間があるから、構わないよ」

「よかった。いつもは、三時から診察してもらってるんだけど今日は、別の患者さんの診察が入ったから、時間をずらしてもらいたいって先生から言われてたんだ。すっかり忘れて早く着いちゃってさ。どうしようかと思ってたんだよね」

 要は、暇つぶししようと思っていたところにちょうど良く、暇をつぶせそうな奴が現れたってことか。

 ちょっと釈然としないが、一度了承してしまった手前、断ることもできない。

 まぁ僕も時間を持て余していたから、ちょうどいいから。それでチャラってことにしてもらいたい。

 二人並んで中庭を目指して歩いた。歩きながら、適当な世間話をした。

 眠り姫をどこまで読んだのか。この前の小テストが難しかったとか。海外で僕たちと同い年くらいの男の子が亡くなって悲しかったとか。それに対して、僕は、適当な返事をした。普通の人なら会話にならないと思って、僕と話すことをやめるが、彼女は、関係なく僕に話し掛け続けた。ちなみに小テストの話で僕が何も言わなかったのは、彼女の点数があまりにも悪く絶句したからだ。彼女は、あまり勉強ができないようだった。

「ところでキミは、どうして病院にいるの?また、検査?」

 彼女から僕への一方的に映る会話のキャッチボールの中で、このことについて聞かれた。

 彼女と病院で会った日のことについては、健康診断の再検査を受けていた、彼女には、伝えていた。詳しいことについては、あえて言わなかった。

「まぁそんなところ」また、嘘をついた。

「そっか。大変だね」

「菅野さんは、診察って言っていたけど前に話していた定期的に受けるやつ?」

 週に一度、眠り姫症候群の診察で定期的に病院に行っていると彼女から教えてもらっていた。

「そう。毎週、土曜日に通ってるんだ。おかげで部活の練習が休めるからありがたいけどね」

 俯きながら彼女が言った。

「それは、よかったね」

 彼女は、テニス部に所属していた。これも彼女に教えてもらったこと。彼女が日焼けをしていて、健康的な印象を受けるのは、部活動のおかげだろう。

 症状が出なければ、部活を続けるのは、問題ないと医者に言われているそうだ。もちろん部活中に突然、症状が出ることもあるから、僕は、この数日間、放課後になる度に女子テニス部を監視し続けるという変態のようなことをさせられていた。何度か他の部員に見つかりそうになり、慌てて隠れたりといよいよ通報されてもおかしくないと思う。

 テニスをしている彼女は、とても楽しそうだった。それを見ているのは、少しだけ好きだった。何かに一生懸命、打ち込んでいる姿がここまで人を魅了するとは、僕は知らなかった。

 僕は、そこまで何かに一生懸命になったことがなかった。

 だから、彼女が部活を休めると言ったことに対して、ありきたりな答えしか用意ができなかった。

「あ!あそこに座ろうか」彼女の明るい声が響いた。

 少しの沈黙の間に中庭に着いていた。

 中庭は、石畳で整備されていて、季節の花が植えられた小さなプランターが所々に設置されている。待合室で僕が見ていた桜の木が中庭の中央に鎮座していた。桜の木には、桜の花だけでなく、葉っぱが混ざり始めていた。

 患者さんたちの憩いの場になっているようで、老若男女問わず、いろいろな患者さんがそれぞれの時間を過ごしていた。

 壁際に設置された十脚ほどのベンチから、中庭の出入り口に一番近い四人掛けほどのベンチに彼女は向かって歩いて行った。

 ベンチの中央に腰かけた彼女が僕を手招きして、隣に座るように促す。

 それを無視して僕は、彼女と人一人分の距離を開けて座った。

「そんな露骨に避けなくてもよくない?」

「僕と君との距離なんてこんなものでしょ」

「冷たいこと言わないでよ」

 彼女は、頬を膨らませ、すねたような表情を見せる。

不貞腐れながらも彼女は、物理的にその距離を詰めることはしなかった。

今の僕たちの関係性を考えるとこのくらいの距離感が、ちょうど良いのかもしれない。

「冷たくないでしょ。僕たちは友達じゃなくて、ただの同胞なんだから」

 そう同胞。それが僕たちの関係を表す言葉。このベンチに座る位置一つとっても友達や恋人ならとなりに座るし、ただのクラスメイトならそもそも同じベンチには、座らないだろうと思う。友達や恋人ほど近くなく、クラスメイトほど遠くない同胞という関係性。有り体に言えば、ビジネスフレンドという表現が近しいのかも知れない。

それが人との関わりを避けている僕にとっては、心地が良かった。

「うーん。私とキミとじゃ同胞って言葉の意味が違うように感じるな。ねぇ。試しに名前で呼んでみてよ。美香ってさ」

 彼女は、座る位置を変えずに体だけ僕の方に乗り出し、いたずらっぽい顔をして、僕の目を見つめる。

 くっきりとした二重の瞼に長く伸びたまつげ。僕を試すような瞳から目を離せなくなる。

 僕が恥ずかしがっているとでも思ったのか、彼女は、にまにましながらジリジリと距離を詰めてくる。

 一人分開けていた距離が徐々に無くなっていく。

 僕の座っている側は、肘掛けがあって、これ以上は、距離を開くことができない。

 開けていた距離が、一人分から半分になったところで、持っていた鞄でその先を塞いだ。

「わっ」驚いた彼女が、ちょっとだけ後ろにのけ反る。

「や、やめてくれ」

 弱々しい声が漏れた。

その声は、自らが発した声とは、思えないくらいに力なく震えていた。

鞄を持つ指先までもが震えている。

 どうしてこんなことをしてしまったのか分からない。

 距離を詰められるのを拒否するには、あまりに過剰だと自身でも思った。

「大丈夫?」彼女が不安げな顔をして、鞄で築いた小さな壁の向こうから僕を見ている。

 過剰すぎる反応に彼女も戸惑いを隠せていないようだった。彼女としては、ただのスキンシップのつもりだったはずだ。僕の反応が明らかに異常だった。

「…大丈夫」再び声が震えないように一呼吸おいてから答えた。

「ごめんね。少しでもキミと仲良くなりたいと思って…」

 僕から視線を外し、組んだ自分の指を見ながら彼女は、言う。

 その横顔が悲しげに見えた。

 元気に振る舞わない彼女は、何もかもがミスマッチだった。

 悲しい表情も寂しげな顔も不可思議な病を抱えていることもその全てが、日に焼けた褐色の肌を持つ彼女が持つものではないと思ってしまった。

 彼女には、病気のこともなにもかも忘れて笑顔で居てほしいと心から思った。

 テニスに一生懸命で楽しく打ち込んでいる彼女を見ているのが、少しだけ好きだから。

「み…美香」

 また声が震えた。先ほどの拒絶の声と同じ、絞り出したような弱い声だったが、しっかりと僕の声だった。

 声に出した途端に、胸が熱くなった。熱は体を伝わり、体中を熱くする。

 自分らしくないことをしている自覚はあった。それでも彼女の悲しむ顔を見たくなかった。自分の中にある小さなルールを破ることで彼女が笑ってくれるなら、それでよかった。

 体の熱が伝わらないように、横目で彼女を確認する。

 彼女は、何も言わず嬉しそうに笑っていた。さっきまでの悲しげな表情が嘘のように、笑っていた。

 つられて僕も笑った。

 中庭に差し込む太陽が、彼女を明るく照らした。その姿があまりに綺麗で、また胸が熱くなった。

 熱くなる胸とは、反比例するように全身の皮膚が冷たくなるのを感じながら。

 

 診察時間の五分前に美香は、病院へ戻っていった。

 その後ろ姿を見送った僕は、一人、中庭のベンチに居た。

 スマートフォンを取り出す。検索エンジンを開いて、文字を打ち込んでいく。

 ≪海外 十七歳少年 死亡≫

 美香が世間話の中で話していた海外のニュース。アメリカで十七歳の少年が不審な死を遂げた。友人のホームパーティの翌日に少年が自宅のベッドで亡くなっているのが、その少年の母親に発見された。警察は、ホームパーティの飲食物に毒物が混入されていた可能性を疑い捜査をしているが、まだ何も見つかっていないとのことだった。記事の最後には、母親のインタビューが掲載されていて、そこに亡くなっている息子を発見した時のことが語られていた。

 ≪息子は苦しんでいるような様子はなく、安らかに眠っていた。その表情は、幸せそうな顔をしていた≫

 何故、このニュースが気になったのかは、分からない。ただ、美香の言う通りに悲しいニュースだった。

 画面に映る小さな時計を見るとバスの時間が迫っていた。 僕は、スマートフォンをしまって、急いでバス停へと向かった。

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