#5
とある昼下がりの一幕。
「なあ、最近世の中おかしくないか?」
椅子に腰掛け、手元の本に目を通しながらそう尋ねた男は、細身ということ以外特徴のない身体を後輩に向けた。
それから逃げるように身体の向きを変え、黒の長髪を弄りながら容姿端麗な少女は応える。
「そうですか? 私はむしろ平和に思いますけど。ま、いつ先輩に襲われるかわからない危機感なら、最近じゃなくてずっと感じてますが」
「さすがに後輩には手出さないから……って、そんなことはどうでもいいんだ」
「どうでもいいんですか」
本を置いて顔を上げ、綺麗な横顔を見る。
「最近の世の中はおかしい。だって仕事が来なすぎる」
「はぁ、探偵社が暇に越したことはないと思いますけど」
「俺は困る、いやお前も困るだろ? 平和なのは大事だけど、仕事が来ないとお金が回ってこないんだよ。その証拠に、最近ずっと同じ服じゃないか、お前」
「わ、私は好きでこの服を着てるんです! お金に関しては、近々大金が入る予定なのでご安心を」
「マジで!?」
「はい、先輩が六ヶ月も溜め込んだ私への給料です」
「うぐぁぁぁぁぁぁぁ」
ここ最近、それは、具体的にいえば二年四ヶ月のことであり、その間、この探偵社の電話が鳴ったことは片手で数えられるほどしかない。しかもそのどれもがお年寄りからの探し物相談。殺人事件など、警察が手を焼くようなものが回ってこないとたった一人の社員にすら給料を払えない。
そして、本来ならそういうのが回ってくるはずなのだ。実際に以前はそうだった。
探偵にとって、突然平和になった世の中というのは、下手な事件よりよっぽど難儀なものだ。
「とりあえずその電話くん達、いくつか売ってきたらどうですか?」
ちらりと少女の瞳が男の背後に向けられる。
視線を追うように振り向き、首を振る。
「こいつらはダメだ」
「私、入社してから全部同時に鳴ってるの見たことないんですけど」
「い、いつか事件が起きるかもしれないだろ。全国規模までは行かなくても、都心とかで……」
「そんなの、警察がすぐに動きますよ。だいたい社員二人で十本の電話なんてどうやって取るんですか」
「そりゃあアシスタント様が九本くらい余裕で取ってくれて、俺は一本だけ……」
「真面目に辞めますよこの会社」
「そ、それだけはマジで勘弁!」
「……冗談です」
手を合わせて謝ると、なぜか楽しそうに後輩は笑みを作った。もう長い付き合いになるというのに思わず見惚れてしまう、本当に不思議な力を彼女の美貌は持っている。
「ったく……かわいい奴め」と呟いた男に、「襲わないでくださいね」と彼女。
それを見て、男は笑ってから腰を上げた。
「んじゃーこの本、読み終わったから売りに行こう。他にも要らないものをいくつか売って、食材を買いに行こう。なんか腹減ったわ」
「今日は私が腕を振るって…………え。う、うちの会社、そんなにピンチなんですか!?」
「そりゃ二年もまともな仕事なけりゃあな。ほら、とっとと最寄りのスーパー行くぞ。あ、その前に中古屋」
「改めて考えると、二年も大赤字でよく会社維持できてましたね……。さすが、二年前の『大事件』を解決した名探偵──って! それならもう少し私の給料に回してくれても良かったじゃないですかー!」
あーだこーだと言いつつも、少女は髪を靡かせながら男の後を追った。
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