#2
「結局、お前みたいな底辺の悪党はさ」
耳をつんざく嫌な声。
その主である男は、手に持ったナイフを右へ左へ、時には上へ投げながら、等間隔の歩みで少女へ近づいていく。
「自分より弱い一般人相手にしか威勢よくいられないわけ?」
全身を覆う包帯のせいで表情はまるでわからなかったが、その全てが異常だということは、彼に助けられた一般人ですら感じていた。
奴隷制度によって大きく繁栄した街の一角。
月が照らす美しい教会に、ナイフが宙を舞う風切り音が響く。
それがピタリと止んだ時、響いたのは少女の絶叫。
右肩に刺したばかりのナイフを刹那のうちに抜き、残りの四肢の関節を高速で貫いた。
「あゝ……っぐ、うああああッ!」
「うわぁ、痛いねぇ。神聖な教会で拳銃なんか出しちゃったから。それに、今までも散々悪いことしてきたんでしょ? だから俺に仕事が回ってきたんだ」
右手の包帯を幾分か解き、あらわになった親指の腹を噛みちぎる。
「ごめん……なさいっ、ごめ……ごっ、なさい」
「おいおいおい、俺に謝られてもキモいだけだっての。それよりもさ、俺の指の血、見える?」
少女は気力を振り絞って首を縦に振った。
「俺の血は、俺以外の全ての生物を蝕む毒だ。わかるか? 今から俺の指をお前の傷口にぶち込む。ほっとけば20秒とせずにお前は死ぬ」
「い、いやっ、助けて! 助けてくださいお願いします!!」
「だよなぁ? 人は殺すぞと脅すけど、自分が死ぬのは嫌だよなぁ!? 俺は優しいから、価値のないお前でも助かるチャンスをやるよ」
一呼吸置いて、これが本題とばかりに声のトーンが下がる。
「
「待って、龍人って何の────」
「右肩に指入りまーす!」
再びの絶叫。
ナイフの時とは比べ物にならない苦痛に少女の全身が痙攣し、気を失うが、鳩尾を殴られ覚醒させられる。
「ほらほら早くしないと死んじゃうよ?」
「何も知らないもうやめて無理ぃ!!!」
「……そう。んじゃキスはおあずけで。毒が回れば痛みも増していくが、頑張れ」
「いやぁああッ!!」
「お前ならすぐ気絶して、多少は楽に死ねるだろうよ。あ、でも死ぬ前にここの奴らに謝罪しろよ? 怖い思いさせてすみませんでしたって」
「お願いお願いいい!! 助けてよぉおおおお!!」
振り返り、手をひらひらと。
今度は不規則な歩みに気味の悪い回転。その勢いで蹴りを放ちドアを破壊すると、男はその場を後にした。
間も無くして少女は動かなくなった。
***
同日。
人気の少ない深夜のバーで、男は酒を飲んでいた。
口元の包帯だけ解かれており、クリスタルアイスで冷やされたグラスを傾けて、舌全体に広がる苦味を味わってから飲み込む。
仕事終わりの唯一の楽しみである。
包帯まみれの異様な姿の男に近づこうとする者は誰もいなかったが、ちょうどグラスを置いたタイミングで一人、整った目鼻立ちの女性が臆することなく男の隣に座った。
「マスター、私にも彼と同じものを」
「やめろ気持ち悪い。おいマスター、こいつには違うのを頼む」
「勝手に変えないで。何を飲むかは私が決める。マスター、こんなおかしな格好の人の言うことは無視してくれて構わないわ。私には彼と同じものを、ね?」
にっこりと、頬杖をついて笑った彼女の計算された仕草と声音。
腰まで伸びる黒髪を揺らして、耳元のイヤリングを覗かせる。
「そういうのは他所でやれよ金持ち」
「あら? ヴィアの包帯はお金がなかったからなの? 服代くらいはお掃除の報酬が出ているはずだけれど」
「わかってるくせに質問するな。怠いだけなんだよそういうの」
「ごめんなさい。自傷が趣味だったわね」
「黙れ」
「お金がないなら、お酒に魔力回復用のポーション混ぜて飲むのやめたら?」
ヴィアと呼ばれた男は女を無視して残った酒を飲み干した。
「ああ、残念。乾杯したかったのに」
「どーでもいいんだよそんなこと。さっさと次の仕事を寄越せ」
「その様子じゃあ今回も龍人に関しては空振りだったようね。妹さんはまだご存命?」
瞬間、男は腰のホルダーからナイフを抜き放ち女の脇腹を引き裂こうとした。しかし、寸前で彼女にナイフの刃を掴まれる。
「次にお前が妹のことを話そうとしたら殺す。妹のことを詮索しようとしても殺す。黙って仕事だけ回してろ仲介人」
「次からは気をつけるわ。それよりも、机仕事の仲介人に防げる一撃って、どうなの?」
「このまま指を飛ばしてやろうか?」
「それは困るわ。仕事ができなくなるもの」
「んで仕事は?」
「あ。あと一人でエッチなこともしづらくなっちゃう」
「仕事は?」
包帯の隙間から思いっきり睨みつけると、彼女は観念したようにナイフから手を離した。
ヴィアは、この女のことが苦手だった。
綺麗で美しく、若くて優秀。どこで情報を得ているのかわからないが、悪党退治が終わると決まって次の仕事をその日のうちに持ってくる。
スタイルも良くて胸も大きい。
今だって開放的な紺色のドレスを身にまとい、簡単に隠れた腰と違って尻と胸はドレスを内側から圧迫している。
「痛い痛い。これは龍人の血で治してもらわないと」
「ハッ。ならとっとと居場所見つけてこいよ」
「歴史からも消えかかっている存在なのよ? おまけに血をひと舐めすれば身体のあらゆる不調が完治するなんて特異体質、普通に考えて、存在してるとしてもどこかの組織が独占・秘匿しているに決まってる。血を数百倍以上に希釈しても、上級以上のポーションができるもの。こんなに金になる種族はないでしょう。ああ、指がヒリヒリするわ」
しかし、この女が本心で何を考えているのか、ヴィアは掴めないでいた。
たった二年、仕事を斡旋してもらっていただけ。ただの仕事の付き合いにしては距離が近く、仲間と呼ぶにはヴィアの嫌がることを平気で言ってくる。
ヴィアの目的はただ一つ。
眠ったまま目を覚まさない妹に、おはようと声をかけること。
そのための手段が龍人。
その龍人を見つけるための手段が社会の裏を知る悪党殺しで、その効率を上げるための仲介業者。
「ねえ、余ってるなら包帯巻いてくれない?」
「あ? 嫌に決まってるだろ。それより仕事。早くしろ」
仲介業者と仲良くする気なんて、ヴィアにはこれっぽっちもありはしない。それなのにこの女はいつも仕事以外の話をしてくる。
カウンターの上に置かれた酒を女は会釈して受け取り、切られた指の背をグラスにそっと押し当てた。空いている手でドレスの下端を思いっきり引っ張って千切ると、血が垂れないよう傷口に押し当てる。
彼女はわざとらしく脚を組み替えたが、ヴィアはまるで興味を示さなかった。
「……はぁ」
どこか観念したような面持ちで、彼女は胸の谷間に左手を入れた。そこから折り畳まれた紙を引っ張り出す。
「はい、これ。次の仕事よ」
「どーも」
受け取ってすぐヴィアは紙に目を通す。
そして、これまでと違い、詳細性に欠けた書類を見てヴィアは目を光らせた。
「……マジの資料なのかこれ」
「マジよマジ……って言いたいところだけれど、正直、七割がいいとこね。ウチが契約してる殺し屋を四人送り込んだのだけれど、全員と連絡が途絶えたわ。これ以上の損失は……私の地位じゃ、誤魔化しきれない。ごめんなさいね」
「いや……十分すぎるってか、なんで」
紙の中央にでかでかと書かれた、『標的: 龍人の少女』の文字。
「ビジネスパートナーにどれだけ感情移入しようと、私の勝手でしょう?」
「…………ありが──」
「あああ、そういうのはまだやめてちょうだい。七割だと言ったでしょう? 違ったらもう仕事できなくなる」
「それでも、助かった」
ヴィアはポーチから、今度はゆっくりと小瓶を取り出し栓を抜いた。中の赤黒い液体を女の血塗れの右手に少し垂らすと、布の下で傷が綺麗に塞がった。
「今日の分の報酬を加味しても赤字ね」
「これでも妹は治らなかった。だから何も問題ない」
「理屈は通っているの? それ」
「んなことより話の続きだ。どうやって見つけた? しかも奴隷商に居たなんて、とても売りに出てたとは思えねぇが。ポーションの出入りとかか?」
上級のポーションで完治した右手で酒を一口飲んでから彼女は答えた。
「龍人の血を使ったポーションの売買くらい、正直な話、誰にでも思いつく大金稼ぎの手段なのよ。奴隷商ほど小賢しい人たちが、そんなあからさまな手段を選ぶと思う?」
「選ばないだろうな。危険があまりにも大きすぎる。それに、ポーションの売買が理由なら、お前は四人も犠牲にしない」
「大正解。私が注目したのは、奴隷よ」
そう言って、彼女はまた一口酒を飲んだ。
ヴィアのグラスに残った氷が、カランと音を立てた。
「もったいぶる訳じゃないけれど、七割の確率にヴィアも乗るかどうか確かめたいの。だから少し考えてみてほしい。奴隷商が、どんな傷も一瞬で癒す血の源泉を使って最も儲けを出す方法を」
溶け始めた氷を眺め、思案する。
そんなヴィアの横顔を、彼女は頬杖をついてぼんやりと見つめた。もっとも、見えるのは口元と両目だけであるが。
奴隷商とは文字通り、奴隷の売買を通して金を稼ぐ商人のことである。主な儲けは当然、奴隷の売買によるものだ。
他にも、奴隷紋を一般人に描くことを稼ぎの一部としているが、これは特殊な性癖か、主人が従者の反抗を防ぐためにしか使われないため、大きな稼ぎにはならない。
また、売買される奴隷には必ずこの奴隷紋が描かれており、主人に対しての絶対服従を運命づけられる。
しかし、奴隷紋は抵抗の意志がない者だけに刻むことができ、描かれている最中に少しでも抵抗すればその効力は失われる。心の奥まで支配する魔法故の難点である。だから、一般的に奴隷と言えば快楽に弱い獣人かエルフ、あるいは心の弱い一部の魔物くらいなのだ。
他の種族や上位の魔物は、快楽でも苦痛でも、心が折れる前に身体が壊れて死んでしまう。
「……おいおい、まさか無限に続く快楽と苦痛ってかぁ?」
呟くと、彼女は背を伸ばして答えた。
「同意見で安心。ちなみに、その紙に書いた奴隷商はドワーフやサキュバス、それに、ワイバーンなんかも商品として扱っているわ」
「ハハッ、そりゃあいい。サキュバスにワイバーンまで揃ってんなら、他の奴隷候補は快楽でも苦痛でも簡単に堕とせるって訳だ」
「ええ。オークの存在も確認しているから、メスだろうと簡単ね。おまけに純潔は龍人の血で何度でも再生できるし。ところで、純潔を散らされるのって痛いのかしら?」
「奴隷希望だって立候補してくるか? 今なら明日には助けてやるよ。龍人のついでにな」
「魅力的な提案だけれど、生憎と魔物趣味はないの。相手は人間がいいわ」
妖艶に微笑みながら、彼女は残りの酒を飲み干した。
「龍人が少女だと書いてあるのは、一人の報告によるものよ。チューブに繋がった針で体中を刺され、イスに縛り付けられている少女がいたって。それ以降は何も連絡がないのだけれど、ね」
「場所は商売スペースの一階下で間違いないんだな?」
「ええ、そのはずよ。他も書類に書いてある通り。……マスター、今日も美味しかったわ。ありがとう」
グラスを返し、会釈してから彼女は立ち上がった。
「今日はいつもより長居してしまったわ。それじゃあね」
「待て。最後にお前の名前を教えろ」
「……なに? 数年一緒に仕事して、ようやく私の名前に興味が湧いてきたの?」
「これが多分最後だからな。恩人の名前を知りたいのは当然だろ」
しばらく、何故か返事はなかった。
彼女はその間に唇を結んだり、右手を落ち着きなく動かしたり、儚げな瞳でヴィアを見つめたり。
「おい」
「……ひとつだけ、アドバイス。私たち仲介業者が一番嬉しい展開は、あなたが龍人を救出することじゃない。それに、あなたは……ヴィアは、血のおかげで近接戦闘においては無敵だけれど、遠距離攻撃に対してあまりにも弱すぎる。妹さんの生命維持に割いている魔力を、他の人に担ってもらうべきよ」
「ああ? 妹の命を預けられるやつなんかいるわけないだろ。最有力候補がお前だ。それで不可能だって悟れ」
「……そう」
腰までの真っ直ぐな黒髪を靡かせて店の出口へ振り返る。
彼女なりにできることはしたつもりだった。
「ヘルエスタ。二年前にも名乗ったけれど、それが私の名前よ。今度は覚えられそうかしら?」
「三文字が限界だ。エスタで我慢しろ」
「嫌よ。なんであと二文字が覚えられないの?」
「長えんだよ。じゃあな」
「ええ……さようなら。ヘルエスタよ?」
「ああわかったわかった。じゃあなヘルエスタ」
ヴィアの方を向いて手を振ったヘルエスタに、全身包帯の男は左手を軽く持ち上げるだけで応じた。
グラスの中で半分ほど水になった氷をまとめて頬張ると、ヴィアは口元の包帯を巻き直した。
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