【10−4】魔法少女の支えごと④




 杉内ビル三階、ファニングと『赤橙の血』ふが交戦している頃。やはり綺麗で清掃が行き届いている廊下から、室内へのドアを潜った先の部屋は、透過率が低いビニールで奥側半分ほどが区切られていた。


 そこに美咲は立っていた。向き合っていた。その顔は困惑と畏怖に歪み、額には汗が一筋伝っている。


「……貴女が……ここに……」


 視線の先。設けられたソファーにチョコンと腰掛ける少女を見とめた瞬間、口内の水分がたちまちに消え失せた。カラカラの喉が重苦しく鳴る。


「そっかそっか、攻めて来たのって美咲ちゃんだったんだぁ! ほんっと久し振り! まだ生きてたんだねぇ」


 美咲より更に小柄な体躯と、華奢な肩にかかった橙色のスカーフ。しかしその下は、まるで中世の貴婦人めいたドレスである。


――色は深紅。どこまでも深く暗い赤色の。


虚道うろみち……紗夜さよ、さん……」


 深紅のボブカットに、意思が詰まっているのに空虚な瞳。肩先からが消失した左腕。『宝石の盾』においても超危険と捉えられている、『霧の腕』と呼ばれる存在であった。


(どうして虚道さんがここに……!? 交戦したら……まず勝てない……絶対に……っ)


 吹き荒ぶ竜巻か、あるいは大津波にでも向き合っているような感覚。かつて一応の仲間として行動し、その渦中から小夏と若葉により救われたが……。


「もう、友達なのによそよそしいなぁ。元気してた?」


「……ぅぐ……。た、体調という意味では……なんとか……」


「あはははー! そっか! ほら、とにかく座ってお話しよ? 正直僕はさ、あんまり戦いたくないし」


「……」


「本当だから警戒しないでよ〜……。実際リーダーちゃんからは戦ってくれって言われてるんだけどさ、美咲ちゃんなら話は別だもん」


 紗夜は美咲を、机を挟んだ向かいにあるソファーへと促す。容姿も言動も幼稚で、思考は荒々しく短絡的で幼気な彼女であるが、反してこの所作は上品であった。


 美咲も何も言わず、促されるままに腰掛ける。彼女は策を弄するタイプではない。戦いたくないと言えば事実そうだろうし、殺すと言ったら即座に殺してくるだろう。


「……どうして貴女がここに?」


 片手を膝に、もう片手をソファーの端に置きながら、美咲が訪ねる。最低限、不意に殺意が襲ってきた際には逃れられるように備えながら。


「それさ、僕も訊きたいやつ。美咲ちゃんって『宝石の盾』入ったの? むしろ敵だったじゃん」


「まぁ……。色々ありまして」


「あははは、色々かぁ。僕もそんな感じ。なんかリーダーちゃんが『宝石の盾』に対して敵対心を持ってる人を集めててねー。ほら、美咲ちゃんに捨てられちゃって、本気で寂しかったから」


「それは……」


 紗夜の言葉に怒気は感じられない。美咲は謝ろうかとも逡巡したが、答えを出す前に紗夜が手でそれを制した。


「だいじょーぶ。僕に賛同してくれることは無いだろうなーって思ってたから」


「……はい」


「あははー、慰めもくれないんだ。とにかく! 『コールドブラッド』は……魔法少女によって何もかもを喪ったうえ、魔法少女としての素質も持たずに覚醒できなかった人達の集まりなんだ」


 紗夜は言う。


「魔法少女に……覚醒できなかった……」


「うん。魔法少女絡みの事件っていうと、『宝石の盾』がほとんどだからね。大義も何もなく、せめて組織を引っ掻き回してやろうってのが目的みたいだよー」


「……自分の人生を壊した相手でなくとも。八つ当たりになろうとも、ということですか」


「あ、ちなみに僕の被害者は居ないからね。だから居られてるんだし」


 あはは、と紗夜は笑う。対する美咲は眉をひそめた。


「紗夜さんは……『宝石の盾』に打撃を与えて、若葉さんを引きずり出そうという算段ですか? だから協力を?」


「そうそうそうなの! ……だから本当は僕が最前線で暴れたかったんだけど、リーダーがここを守れって言うからさぁ」


「ここ、ですか」


「うん。っていうか、『それ』かな?」


 紗夜の左肩に深紅の粒子が渦巻く。それは収束し、左腕を形作ると、部屋の奥を指差した。


「そっちのビニールで仕切られてるとこ。結構な量の血が保管してあるんだー」


「血……。『赤橙の血』の、ですか」


「そう、リーダーちゃんのね。あの『血』は経口でもなんでも、体内に入れれば身体能力を強化できるんだ。時間はそこまで長くないんだけどね」


「ええ、知ってます。皮膚や筋肉がナイフを通さない硬度になったり、打撃の衝撃もある程度吸収するようになったり……でした」


「もしかしてさ、茜沢の方で交戦したっていうのも美咲ちゃん? はぁ〜……戦いづらいだろうに、大変だったんだねぇ」


 紗夜は大きく、溜め息とも感嘆ともとれる様子で息を吐く。そうして改めて大きな両瞳を開くと、本命といった声の調子で。


「それでさ! 若葉おねーさんは元気? 僕と会えなくて痩せちゃったりしてないかな?」


「……っ」


――若葉。一之瀬若葉。


 彼女の名前を聞いた途端に、美咲の表情は曇り、無意識に下唇を噛み締めていた。


「……何かあったの?」


 紗夜の声のトーンが落ちる。


「……それは……」


 話して良いものか、美咲の中には逡巡があった。当然である。曲がりなりにも美咲は『宝石の盾』の人員であり、仕事を全うすることが若葉の命を保証する条件であり、紗夜は『宝石の盾』の敵であり――。


 だが、紗夜の瞳は真っ直ぐだった。深紅の輝きは、素直に若葉を案じていた。彼女は快楽殺人者であり、若葉の命を奪おうとしているはずなのに。実に不思議だが、その身を案じても居るのだ。


 彼女にとっては、命を奪い、無情に犯すことこそが『愛情表現』なのだから。


「……若葉さん……は――」


 どういった未来を齎すのかは分からない。彼女の機嫌を損ねたくはないという、自身の生存に向けた策略であったかも知れない。


 だが、とにかく。美咲は事の顛末を話した。


「……」


 話が終わる。紗夜はそれを一言も発さずに聞き終えると、ソファーの上で、自らの両膝を右だけの腕で抱き抱えた。


「……」


「……そんなことがあったんだね」


 暫しの沈黙の後、それを破って紗夜が口を開いた。


「……」


「若葉おねーさんは……そっか、『宝石の盾』に……」


 その言葉に込められているのは、怒りとも心配とも危惧ともつかない。僅かに伏せられた顔は、眉下で切り揃えられた深紅の前髪にほとんど隠されていた。


「美咲ちゃんさ。帰りなよ」


「え……?」


「帰って、僕の情報を報告するんだ。『霧の腕』が『コールドブラッド』に加わってましたって」


 紗夜は伏せた顔のまま言う。


「でも……私とファニングさんで『赤橙の血』を討たないと、若葉さんの命の保証は……」


「大丈夫だよ。今は『コールドブラッド』との戦いに備えて、戦力を蓄えなきゃならないだろうから。美咲ちゃんともう一人、下の人が二人だけでここに送り込まれたのは……ちょっと分からないけど」


「……紗夜さん」


 顔を上げた紗夜は笑っていた。純粋な、体格相応の可愛らしい顔で。


「僕達が攻勢をかければ、きっと若葉おねーさんも出てくる。……何をするにしてもそれからだよ。僕がおねーさんを殺すとしても、美咲ちゃんがそれを止めるにしても」


「……はい」


 美咲は頷き、ソファーから立ち上がる。


 戻らずにおくか、あるいはこのまま紗夜達と居る選択肢はない。探知系の魔法によってバレるかも知れないし、『コールドブラッド』には受け入れられないだろう。


「紗夜さん」


「ん? どしたの?」


「……以前、その……ホテルでした話を覚えてますか? 私がルミナスを殺したことで、何かのトリガーを引いてしまったんじゃないかという」


「うん。覚えてるけど」


 紗夜は首をかしげた。美咲は自らが置かれている状況について、思案の中で浮かんだ可能性について語る。


「恐らく……その通りになったのだと思います。若葉さんから聞いた話によると、幹部の魔法は擬似的に死者の蘇生ができるとのこと。その時、若葉さんの判断では『恨みは無いだろう』とのことでしたけど……」


「そうじゃなかった、って?」


「……はい。ルミナスの私怨が関わっている……と思います。若葉さんを巻き込んだのも私。……いずれかの形でケリをつけなければ」


 私怨。美咲は眉をひそめた。逆恨みではない。美咲がルミナスを殺したのだから。しかし、姉を……優香を殺したのはルミナスなのだ。


「……とにかく、分かったよ。ルミナスには警戒しておくから。さ、美咲ちゃんは早く行きな?」


「はい。その前にファニングさんだけ迎えに……」


「あ、その必要は無いと思うよ。僕ね、『霧』でビル全体の動きを見てたんだけど――」


 紗夜が言うと、周囲に深紅の色が強まる。何処からか深紅の粒子が収束し、左腕を形作り、その先端……指が地面を指した。


「――もう死んじゃってるよ? その人」





―――――


――――――――――


―――――




「……のこのこと……帰ってきたわけ、ね……」


 茜沢のとある教会。『宝石の盾』の拠点のひとつ、その広間の壇上に紅葉色のローブを被った少女――クリプトが腰掛けている。


 対面、美咲は神妙な面持ちで立っていた。『霧の腕』の出現と、ファニングの死を伝えたところだった。


「……タマから聞いた話とは……相違はない。……『霧の腕』から命からがら逃げ延びたのは……事実みたいね……」


 ズルズルと、ローブの中を紅葉色のヘドロが這い回る。監視役として美咲の体内に居たタマは、言葉という形式ではないだろうが……口裏を合わせてくれたらしい。


「……いいわ。暫く……待機してて……。事情は……私から上に伝える……。また仕事が来たら……連絡するから……」


 そうクリプトが言うと、またしてもタマが美咲の身体に潜り込む。痛みもなく、腕から染み込んでいく。


「あの、小夏さん……ブレイズさんは?」


「……仕事。……それ以上……言うことはない……。早く部屋に帰って」


 フードの奥から、嫌悪に近い視線を感じる。いつものことだ。美咲は身を翻し、早々に立ち去った。


「……ありがとう、タマちゃん」


 広間を離れ、廊下に差し掛かったところで美咲が呟く。


 自分とクリプト以外、恐らく誰も居ないのだろう。静かな廊下を通り、自室に辿り着くと、静かにベッドへ腰掛けた。


 美咲はコートを開き、内から銃を取り出す。彼女から預かったリボルバーを。そして、ポケットから棒付きのキャンディーを。


(……ファニングさん)


 彼女の顔を思い起こす。紗夜との話を終えた後、二階へ駆けつけたが、その時には既に事切れていた。『赤橙の血』に背骨を踏み砕かれていたのだ。


……美咲が紗夜と話していたから、彼女は死んだ。


(……)


 美咲は心中に渦巻く、ベタついたものを感じていた。降りしきる、重苦しい雨のようなものも。魔法を使いすぎた時に見る幻覚に近い感覚。


 罪悪感はある。悔恨の意識もある。だが……どこかよそよそしく、他人事のように思えてしまう。若葉と小夏に救われたとはいえ、やはり美咲は何かが壊れているのだろう。一筋の涙も溢れることはなかった。


 そもそも美咲には、彼女を追悼する権利はないだろう。


「……」


 美咲は何も言わず立ち上がると、リボルバーを両手で構えた。アイアンサイトを覗き込み、一呼吸おいてからコートに仕舞う。そしてまた引き抜き、構える。それを繰り返す。


 せめて、無駄にはしないように。彼女から……ファニングから受け継いだ物を。決して。


 そして、銃口の先に思い浮かべた。はっきりと、決して忘れることのない顔を。


「……ルミナス……」


 公民館で見た顔には覚えがあった。初めてルミナスと交戦し、そして美咲が殺される寸前だった時、あの場に現れた人物。茜沢中学校の生徒会で見たことがあった。


 彼女は知り合いの身体を使い、復活したのだ。姉を……優香を躊躇なく殺しただけでなく、そんなことまで……。


(……ルミナス……ッ!!)


 この悲劇は美咲と、そしてルミナスとが引き起こしたものである。ケリをつける。必ず。


 改めて、美咲は決意した。改めて、空虚な心に暗い炎が灯る。


――心に降る、赤くて重苦しいい雨でも消えない。確かな熱を持った炎であった。




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