【幕間】夢々、忘れることなかれ
美咲が目を開くと酷い雨が降っていた。赤黒い雨が顔に、手にしつこくへばり付く。
雨の中には少女が居た。彼女は銀色のローブを頭からすっぽりと被っており、その顔は見えない。しかし、分かる。知っている。覚えている。忘れるわけがない。
(――おねぇ――!)
呼ばなければ。早く助けなければ。そう口を開いても、雨に溺れて苦しいだけ。声が出ない。
掴まなければ。助けなければ。そう手を伸ばしても、重苦しい雨に絡め取られて動かない。
行かなければ。早く助けなければ。早く。そう足を動かそうにも、地面から伸びる幾つもの手が放してくれない。
そうして棒立ちのまま見つめる先、僅かに雨雲に穴が開く。茜色の空が覗き、夕陽が射し込む。たんぽぽの花弁のようなその光は、銀の輝きを呑み込み――
「――っ!!!」
心臓に電流でも流されたかのように、美咲は暗闇の中で飛び起きる。何度幻覚で、あるいは夢で見た光景か分からなかった。姉の死とルミナスへの消えない怒り、そして殺めた魔法少女たちの幻影が見せる悪夢。
(……大丈夫……大丈夫……)
美咲は額の汗を拭うと、そう自分に言い聞かせつつ震える肩を抱えた。そして、そこで気付く。隣に若葉が居ない。
「……あれ……若葉さん……?」
部屋を見回すが、狭い室内である。当然ながら隠れ場所など何処にもない。ならば唯一仕切られたシャワールームと思って覗いてみるも、やはり影も形も無い。
「……やだ……独りに、しないで……」
消え入りそうな声で、そして蒼白した顔色で美咲は部屋の扉を開ける。廊下に並ぶ扉――今出てきたところも含め『闇医者』の貸し部屋は全部で四つ。自分たちの他には誰も居ないと聞いていたが、しかし。
「明かり……漏れてる……」
向かいの扉の隙間から、光の筋が走っている。僅かな光量ではあるが、真っ暗な廊下では目立って仕方がない。
「……」
吸い寄せられるように光の元へ向かう。一歩、そして一歩と進むたび、身体の震えが増すのを感じる。たかが二メートル弱の距離なのに、無限と続いているようだった。
(……大丈夫)
そう唱えて扉に触れる。ドアノブを回すと、どうやら鍵はかかっていない。
「……っ」
開けて良いのだろうか。そう逡巡する暇もなく、勝手に扉が開いた。そこには光の正体。
「……あ、ぇ……?」
夕陽。決して忘れることはない、赤に染まった河川敷。自宅とスーパーとを繋ぐ、姉と共に通った道。あの瞬間の景色。
「何が……どうなって……」
呆然としたまま、美咲は足を踏み入れる。砂利の感触。感じる風。全てあの時と同じ。そして――
「……お姉……ちゃん……?」
――視線の先。自分よりやや高い身長に、長い髪。いつも見ていた、優しげな目。見間違うはずはない。
「――お姉ちゃんっ!!」
美咲は駆け出す。この状況が何なのか。姉は既に亡いのではなかったか。そんな些事は全て頭から消え去っていた。ずっと焦がれ、ずっと求めた人がそこに居るのだから。
「お姉ちゃん! 私だよ……! お姉ちゃん……!!」
美咲は走り続ける。いつしか髪は真白に染まり、黒いコートはためかせて走る。叫びながら、走る。
しかし、いくら走れども近づかない。どれだけ走っても近づけない。手を伸ばしても届かない。姉の死を表しているように。
「もしかして、何か期待でもしているのかな?」
ふと、背後から声が聞こえる。こちらも忘れようのない声。美咲の足は止まっていた。
「魔法少女には無限の可能性がある。だから本当は姉が死んでいないなんて……そう思っていないだろうね?」
「……ルミナス」
振り返ると、そこには明るい黄色の魔法少女ルミナスが居る。サイドテールを風に揺らし、芝居がかった笑顔で尊大に佇んでいた。
「君はまだ夢の中さ。あそこに居るお姉ちゃんは君にとっての希望の象徴。そして私は絶望の、憎しみの象徴。……私だけがこうして君の側に立てている意味、分かるだろう?」
ルミナスは悠然と河川敷を歩む。
「お姉ちゃんは塵も残さず消え去った。もしかしたら、あの魔法――虚道さんは『ルミナリフレクション』と言っていたな。アレはもしかしたら、物体をどこかに転移させるだけかも知れない……そう君は思っている」
「……可能性として……そう考えることも間違いじゃないはず」
「いいや、間違いさ。少なくとも君は、アレに触れた時点でもう気付いている。そんな生温いものではないと。……お姉ちゃんが間違いなく死んでいると理解しているからこそ、希望の象徴としての彼女はここまで来られないのさ。私だけがここに居る」
二人の視線の先、鏡座優香はただ立ち尽くしている。無表情で、冷たく。優しく見えた顔も、今では瞳に光が無い。
「仮に死者を蘇生できる魔法少女でも居たとしよう。しかし、お姉ちゃんの身体はもう残っていない。そんな状態で生き返ったお姉ちゃんは、果たして本人と言えるのかな?」
「……」
「フッ……意地悪な質問だったね」
ルミナスが話すたび、その光が増していく。より強く、美咲の心の底に重苦しい灰が積もっていく。
「おっと、そんなに怒らない方が良いんじゃないかい? せっかく新たな希望……若葉さんに出会えたのに」
「……」
「君はずっとお姉ちゃんに頼って生きてきた。独りじゃ生きられない。……彼女ならきっと代わりになってくれるさ」
ルミナスが笑うと、周囲が暗くなる。陽が沈み切り、夜の帳が下りたのだ。そして明るい黄色の他に一つ、砂利の上にある扉から薄緑色の光が射していた。
「もう起きる時間だ。とにかく、お姉ちゃんの代わりになれば誰でも良いんだろうが……いい人に巡り会えたね。嫌われないように上手く立ち回りたいところだな」
「……黙って。そんなんじゃない」
「隠さなくたって良いさ。君が若葉さんの過去を知りたいと思いつつ、行動に移さないのがその証拠だろう? 一見若葉さんに心を開いているようで、その実利用しているだけだ。そして逆も然り。まだ彼女も言うほど心を開いてくれていない」
一瞥もくれずに美咲は扉を開く。薄緑色の光は暖かく、そして眩しい。勿体無いほどに。
「……最後に一つ。私は君が抱く憎しみの象徴であり、そして君に殺された魔法少女達の怨念の象徴とも言える。言い換えるなら罪悪感か」
「黙れって……言ってるでしょ……」
「おぉ怖い。が、これだけは聞いておくべきだよ。……君の犯してきた罪が赦されることは決してない。それを忘れるな」
芝居がかった様子で肩を竦めるルミナスを背に、美咲は光の中へと踏み込んだ。
美咲が目を開くと、平たく飾り気のない天井が広がっていた。やや狭いベッドと、顔に触れるのは冷たい空気。壁に掛かった時計は午前二時――
(……若葉さん……)
隣には静かな寝息を立てて眠る若葉が居る。その両腕は美咲を抱きかかえるように、守るように添えられていた。
(……誰でも良いなんて……そんなこと……)
美咲はもう一度目を閉じる。眠るためではない。救いを求めるように、手を伸ばすように、若葉の胸に頭を埋めて。込み上げる涙と嗚咽を必死に押し殺した。
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