【4】魔法少女の恨みごと




 一之瀬 若葉は笑っていた。夜の公園でわざわざベンチの横の草原に腰掛け、二人で笑い合っていた。互いに傷だらけだが、軽やかに笑っていた。


「しっかし、マジで強ぇな! お前にはいつになっても勝てる気がしねーわ」


「ううん、そんなことないよ。私は努力だけ。才能はからっきしだから、もう伸び代が無いもん」


「そんなもんかねぇ」


「うん。きっと【  】ちゃんならもっと強くなれるよ。だから、私のぶんまで――」


 確かに笑顔だった。それは覚えていた。




 そして、若葉は桜色の少女と出会った。彼女は方法こそ褒められたものではないが、人々を救いたいと――幸福を与えたいという願いは本物だった。彼女の笑顔に心が揺れた。


 そして、若葉は白く小さな花のような少女と出会った。彼女は血に塗れて歪んでいたが、揺れる心の琴線に触れた。


 だから、若葉は断ち切った。己に繋がり、縛り付ける鎖を。

 白い少女のために。心のために。そしてこれ以上、彼女のことを忘れないために。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 ここは『箱庭』と呼ばれる施設。各地に点在する『宝石の盾』の拠点だった。外見、内装共にさほど規模の大きくない教会そのものである。付近に住む構成員の集合場所として使われる他、家を持たない魔法少女の住居としての役割も備えていた。


 今夜、ここに居るのは三人。無作法にも講壇に直接腰掛けるのは、家を持たない紅葉色の魔法少女『クリプト』。フード付きのローブを目深に被り、のっぺりと平坦な印象を持っていた。目元はフードだけでなく長い髪にも隠れて伺えず、やや口角が上がっているのが分かるのみ。

 もう一人。長椅子の一つに座っており、ふわりとカールがかかった空色のサイドテールを仔犬の尻尾のように振る小柄な魔法少女が『エリアル』。その目は静かに一点を見据えているが、膝に置かれた両手やその表情は露骨に何かを堪えている。

 そしてこの場にいる最後の一人は、エリアルの隣に腰掛けている、紫色のポニーテールを携えたやや無個性な魔法少女『ブレイズ』――木枯 小夏である。


 美咲と仲間になり、紗夜から逃げ出したあの日から二日が経っていた。

 あの後、若葉が協力を取り付けていた『闇医者』のところへ二人は匿われた。未だ『宝石の盾』に所属している故に一緒に居られない小夏は、治療を受けた後にいつもの生活へと戻っていた。


 すっかり治った腕を擦りながら隣のエリアルへと視線を向けると、彼女は目を涙で潤ませていた。


「ねぇ、もう良いですか……?」


 既に辛抱堪らんといった声色を隠さず、懇願するようにおずおずとクリプトの隠れた相貌を――否、正確にはその傍らに置かれている紙袋を見つめる。


「……だめ……まだまだ……」


「うぅ、もうそろそろ限界です〜。先輩からも何か言ってくださいよぉ」


「え? そうね……あたしもこういうのは万全を期したい派なのよ。ごめんね、エリアルちゃん」


「ぶー! アイスみたいで美味しいかもじゃないですか……いけずぅ」


 論争(?)の火種となっているのは「風林堂」と書かれた紙袋――正確には、その中に凛と座すお高いチーズケーキであった。紙袋の隣には美味しく食べる方法が記載されており、それによると冷凍庫から出したあと常温にしっかりと戻してからお召し上がり下さいとのこと。購入時、店舗では冷凍庫に仕舞われており、現在の経過時間は十分ちょっと。いくらなんでも早すぎるが、エリアルの我慢は既に限界を迎えつつあった。


「食べたいよぉ……うぅ〜」


 そんな様子を見かねてか、クリプトが細い声で提案する。


「……そんなに待てないなら……明日に予定してたパトロール……今行ってきたら良い……」


「あ、確か葵原あおいはらの方よね? 近づかないようにって規制も解除されたんだったかしら」


「……そう……だから……どうかな……?」


「は――はいはいはいっ! 行きます行きます! 今なら時間も潰せて、人を救うことにも繋がる! 一石二鳥ですもんね!」


 エリアルは表情を一転させると、散歩をせがむ犬のように小夏の腕をぐいぐいと引っ張る。


「先輩〜! 早く行きましょすぐ行きましょ!」


「ちょ、ちょっと! 分かってるからスカート引っ張るんじゃないの! じゃあ行ってくるから留守番お願いね」


「……ん……任せて……」


「いってきまーす!」


 エリアルに手を引かれた小夏は正面扉ではなく二階へと向かい、その窓から跳びたつ。現在地は翠山みどりやま町。昇格試験で美咲と戦った場所である葵原はすぐ隣であり、魔法少女であれば五分もかからず到着する距離だった。



 二人は適当な公園へと降り立つ。ブランコとシーソー程度の僅かな遊具は錆や蜘蛛の巣に塗れ、雑草は伸びっぱなしになっており、広い敷地をもて余しているだけの場所だった。


「んじゃ、魔物が居ないか探知してみて」


「はーい」


 軽い返事と裏腹に、真剣な表情でエリアルが集中するのを見守る。エリアルはまだ魔法少女になって三ヶ月程の新人であり、小夏は彼女の教育係だった。


(でも新人とはいえ、かなり才能はあるのよね。魔法も恵まれてるし……すぐに私より強くなるわ)


 彼女は小夏より一つ年下ながら、使命に燃えていた。故郷である茜沢を、そして人々を守りたいと。守るため、魔物を狩れるよう強くなりたいと。やや軽い言動や小動物のような頼りなさの内に明確な意志を秘めた子だった。


 エリアルが魔法少女になった経緯は聞いていない。間違いなく心に負っているであろう傷に触れることになるだろうから。故に彼女から語ってくれたこともない。

 しかし、小夏はその真っ直ぐな目を信用していた。春の訪れを告げる風のように、優しく空色に輝く瞳は信頼に足るものだと判断していた。


(あたしも……頑張らないとね……!)


 小夏は自分の胸に手を添える。そうしてエリアルへと意識を向け直した時、空色の風が優しく渦巻く。彼女の魔法は風を操るもの。魔力を乗せた風によって偵察を終えたところだった。


「……居ました。魔物」


「どの辺り? 近くに人は居たかしら?」


「そんな遠くないとこです。人も居なかったので……ここまで誘導しときました!」


「へっ?」


 何を聞き返す間もなく、空色の風に誘われて路地からそいつが現れた。

 意思を持つ黒いヘドロの塊。ゲル状に収束した蠢く悪意。人を喰う『影の魔物』。そいつは見た目から想像もつかない速度で二人の前に跳び出すと、不定形の身体を僅かに震わせた。


「ちょ――ま、まぁ良いわ! というかこいつ、なかなか大きいわね」


「ですね! でもその割に人を食べた気配は無いですし……良かった、早く見つけられて」


 そう言ってエリアルが手中に出現させたのは空色の傘。持ち手にフックがついた和傘のようなチグハグな見た目である。

 対して服装は、腹部や肩・腋・太ももを露出するスポーティーな服装ながら、随所に翼の意匠やフリルがあしらわれたといった印象。たなびくマントを除けば、そのサイドテールと合わせてルミナスに酷似していた。


「ほら先輩、来ますよ!」


「大丈夫! 任せときなさい!」


 小夏は結界を展開すると共に、地面から一対の大剣を引き抜く。足元の媒体は土であるものの、紫色の魔力で塗り固められたそれらはしっかりとした斬れ味を持っていた。


(美咲ちゃんと戦った時には使えなかったけど……!!)


 両大剣を揃えるように、高く大きく振り上げる。あまり素早い相手には使えないが、しかし魔物の大きさは四メートルほど。そもそも素早いとはいえ、相対的には鈍重な個体であった。ならば。


 しかし当然、それを待ってくれるような相手ではない。理性は持たずとも、何を優先的に喰らうべきかは分かっているようだった。紫色の光を増しつつある小夏に対し、魔物は地面を抉って跳ね迫る。


「させるわけないでしょ……このっ!!」


 その軌道をエリアルの傘が遮る。自らの周囲に巻き起こした風を傘の羽根、露先つゆさきで拾い、軽やかに滑るようにして躍り出た。


「エリアルちゃん! いける!?」


「この程度なら大丈夫ですっ!」


 エリアルは盾のように、斜めに構えた傘で突進を受け流す。進路をずらされた魔物は砲弾めいてジャングルジムを押し潰すが、自傷している様子はない。魔物が立ち直るのを待たず、すかさずエリアルは開いたままの傘を振るった。踏み込まないが、それは突進の威力に臆した訳ではない。


「やああっ!!」


 一閃。傘に纏う空色の風が収束し、形成された『風の刃』が遠間から魔物の身体を斬り裂いた。

 魔物にも筋肉のような概念があるのだろうか。風の刃による切創は決して深いものではないが、足にあたるであろう下部を傷つけられたことで躓いたようによろめく。


 続けざま、これを好機と。足元から吹き上げるように起こした風を傘で受け、そして魔物を地面に縫い付けるように、上空から風の塊を叩きつけた。

 魔力が込められた風とはいえ、広範囲に対して行った攻撃では外傷を与えるには至らない。しかし、行動を止めるには充分過ぎる。


「今です!」


「オッケー、ナイスよ!!」


 エリアルの足元。そこには更に輝きを増した紫色の大剣が掲げられている。小夏はそれを思いっ切り、有り余る膂力を以て振り下ろした。

 連撃のため、あるいは相手の身を案じて威力を制限した奔流ではない。全力の、両大剣を同時に犠牲とする一撃。


「――爆ぜろ――ッ!!!」


 ズシン、と空気を揺らして。地面を、空間を焼き焦がして――魔物は紫色の奔流に呑み込まれ、跡形も残さずに消え去った。


「……よっし!」


「先輩! 流石ですー!!」


「ありがと。でもこんな戦い方、エリアルちゃんが居てくれるから出来るのよ。しっかり自分のことも評価してあげなさいね?」


「えっへへ、もちろんです! 私も頑張ってますから!」


「……ふふっ」


 隣に降り立ったエリアルは、柔らかな笑顔でガッツポーズを取った。釣られて小夏の顔もより綻ぶ。


「じゃあじゃあ、早く帰ってケーキ食べましょうよ!」


「あー……いや、駄目ね。すんなりいきすぎて全然時間経ってないわ」


「むむ……た、確かに言われてみれば! でも周囲にもう魔物の気配は――あ、それなら!」


 エリアルが手を鳴らして指差したのは、地面が焼け、変に雑草の禿げてしまった公園。二人はせっかくだからと残りの雑草も綺麗に刈り、整えた後に箱庭へと戻った。




―――――


――――――――――


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 翠山町にあるワンルームアパート。その一室、表札に「木枯」と書かれている部屋の前に小夏は居た。

 あの後、三人でケーキを堪能し、カラフルへといくつかの報告を終えて小夏は帰宅していた。時間は午後七時を回っている。


「あ……鍵開いてるじゃない」


 抵抗なく回った鍵を引き抜き、ドアをくぐる。鍵の閉め忘れ、空き巣、あるいは恐ろしい魔法少女。そんな可能性もある状況ではあったが、小夏には原因がそれらでないと分かっていた。


「あーもう、またこんな脱ぎ散らかして……」


 雑に玄関に転がされた一足のスニーカーを直し、部屋へと繋がる扉を開ける。そこに居た――もとい、これまた雑に敷かれた布団にだらしなく寝転んで、スマホを弄っていたのは一人の少女。そして鍵が掛かっていなかった原因。

 キッチリと制服を着ている小夏に対し、少女は適正より何サイズも上であろうぶかぶかの白いシャツで細身の身体を包み、紫のインナーカラー入りの黒髪を低く一つに結っており、更には両耳に多数のピアスを煌めかせていた。地味で無個性気味な小夏とは相反する装いであるが、しかしながら顔立ちはよく似ている。無論、それは他人の空似などではない。


。姉さん」


「はーい、小夏」


 『木枯こがらし 小冬こふゆ』。彼女が小夏の姉であり、そして唯一の家族であった。


「いつ帰って来たの?」


「んー……三十分くらい前かな。小夏は遊び?」


「いや、箱庭。ご飯は?」


「んーん、食べてなーい。お風呂も沸かしてなーい」


「全くもう……分かったわ。準備しちゃうから待ってて」


「いえーい」


 小夏は部屋着に着替えてキッチンに立つと、慣れた手付きで食事の用意を始める。小冬は幹部……『輝石』の一人、カラフルの懐刀であり、いつも不規則なタイミングで任務に駆り出される。故に昔から家事やら何やらを全て担当していたのは小夏であった。


「あ、小夏ー? お金は私のパーカーに入ってるから、洗う前にちゃんと出しといてね」


「なによ、また全部現金で貰ってきたの? もう……不用心っていうかなんていうか……。でも、ありがと」


「うえーい」


 洗濯機の前に投げ捨てられた、サイズの大きな白いパーカー。その中には数十万ものお金が入っている。



 二人が親を亡くしたのはずっと昔のことだった。苦労している様子も見せず、女手一つで育ててくれた母は魔物に喰われた。そしてその際、当時小学生だった小冬は魔法少女になった。

 小夏がその事実を知ったのはもっとずっと後、中学校に入学してからの……自らも魔法少女になってからのこと。自分が生きてこられたのは姉が『宝石の盾』からの報酬で養ってくれていたからということも、そしてその稼ぎを増やすために――小夏の為に姉が他人を殺めたことも。全てその時に知った。そして、同時に決意したのだ。

 自分のために組織の暗部に属し、人を殺め続けている姉。そんな姉を超えることで手を血に染めさせず、二人で生きていけるようにしてみせると――そんな願いを強く抱いたのだ。



「姉さん。お鍋作るけど、味噌と醤油ならどっちがいい?」


「お寿司食べたーい」


「醤油ね」


「んーん、味噌がいい」


 小夏は買い置きの野菜を刻み、鍋を火にかけた。今はお金があろうとも、決して豪遊して良いわけではない。必要以上に倹約することはないが、常に節度は守り、貯金にあてる。学校に通い、家もあるとはいえ、自分たちが一般社会というレールの上をまともに走れているとは到底思っていないから。そのレールを完全に外れた時、しっかりと人間でいるために必要になるのはお金だろうから。


(……若葉さん……美咲ちゃん……)


 しかし、やはり気になるのは二人のこと。非日常の中を走る人の中では親しい存在であり、若葉はより以前から交流もあった。まだ分かれてたったの数日とはいえ、一時的に『宝石の盾』を裏切ってまで協力したのだから、気にならないわけがなかった。


(二人はこれからどうするのかしら。あの時、確保した天羽聖奈は一応若葉さんの仲間だったわけなら、それを助ける――いや、重要性からして現実的じゃないわね。……結局こっちから接触する手段はほぼ無いわけだし、あたしはあたしでいつも通り過ごすしかない)


 若葉も美咲もスマホなど持っているはずもなく、小夏との連絡手段などを確立しておくにもそれが『宝石の盾』から居所を辿る手段となってしまう可能性もある。今は何もしないのが最適であると……その歯痒さを誤魔化すように、小夏はスープで器を満たした。


「……小夏」


「どうしたの姉さん? 珍しくまともな顔しちゃって」


 小冬は布団に座ったまま器を受け取る。


「いや私、明日からもちょっとお仕事だからさ。また何日か家空けるから」


「うん……分かったわ。気を付けてね」


 互いに表情は柔らかいとは言えない。軽々と死地に赴く者と、それを受け入れる者。これが二人の普通。そして同時に、魔法少女という世界に溢れる普通でもあった。


 この普通を……異常を少しでも正すために。せめて姉だけでも――


(――ううん、違う。若葉さんと、それに……美咲ちゃんも……)


 救える人を救うため。否、救えるかも知れない人を救いたいと、願いのために小夏は心を燃やす。


「……」


 しかしそれを。炎のように揺らめく願いを、小冬は深い海のように暗く濁った――それでいて全てを見透かしているような、不思議に黒く輝く双眸で覗き込んでいた。





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 前髪に櫛を通した後、ポニーテールの結目を確かめると、ローファーに踵を入れ、ドアを開く。両手をいっぱいに広げて朝の陽射しを受け止めると、身体の芯から元気が湧き上がってくるように感じた。


「んん――っ! あー今日も良い天……あれ?」


 大きく伸びをした少女、佐藤さとう 愛華まなかは異変に気づく。山田と鈴木……いつも家の前で待っていてくれる二人の友達が、今日はどちらも居ないのだ。


「今日って二人とも日直だっけなぁ? いやでも、昨日そんなこと言ってなかったし」


 家はすぐ近くだし寄ってみるのもアリかなと思案しながらスマホを取り出し、歩き出す。と、視界の端に、ブロック塀に寄りかかる少女が映り込んだ。


「あ、おはようござい……ま……?」


 腕を組んで寄りかかる、シャツとジーンズの長身の少女。ツンツン外に跳ねた髪型に目が行きがちだが、今はその足元に意識が向いた。何故なら、そこに居た……否、倒れていたのは見慣れた二人組だったから。


「な……!? 山田っ! 鈴木ちゃん!?」


「よう、おはよう。この辺りはなかなか良いとこじゃねぇか。静かで、人通りも少ねーし」


「はぁ!? な、何言ってるの!? 貴女が……こ、これ……っ!?」


「ちげーよ。ま、アタシだって余裕だけど……やったのはお前の後ろの奴だよ」


 言われ、愛華は振り向く。そこに居たのは元凶である少女。肩まで伸びた真白な髪に色白の肌。小柄な体躯を覆うのは胸部にある淡い青色をしたアーマーと、同じ色のシンプルなミニスカート、それにスパッツや半袖のアンダーシャツといった軽いものだけ。しかし、それらに反して重苦しく無骨な黒いブーツは相手を威圧するようで。

 愛華はそんな、海のように深い瞳を持つ少女の名を知っている。『宝石の盾』の構成員であれば周知されているその名前。


「……白い……魔法、少女――」


――鏡座 美咲。口をパクパクと動かすだけで、声は出なかった。出せなかった。


「そいつがな、お礼参りしてーんだとよ。『よくも通報しやがって』ってな」


「ひぃ……っ!?」


 愛華は一歩後ずさるが、そこには長身の少女――若葉が立ち塞がる。退路はない。そんな愛華に対し、美咲は一歩踏み込んだ。


「その人は手出ししません。私と一対一です。……ほら、理解できてますか? そうやって怯えたままだと……私に殺されちゃいますよ」


「――っ!!」


 その言葉で愛華の心臓は大きく鼓動する。やらなければやられる。唐突に訪れた危機に怯えていたのが嘘のように、全身の血液が沸き立った。幼い頃から修め続けてきた柔道はこの為にあった、と。


(殺される……やるしか、ない――っ!!)


 追い詰められた脳が極度に回転し、状況を分析する。すぐ手を伸ばせば掴みにゆける距離だが、しかし美咲の服には襟も袖もない。つまりは生身そのままを掴むしかないが、経験がない。すぐに崩せるか、綺麗に投げられるかが分からない。


(なら引き倒す……っ! 私の方が頭一つ以上身長もあるし、強引に倒してから締め落とす!!)


 最善は両腕を封じつつの裸締め。恐らくそうはさせてくれないだろうが、情報によると使うらしいナイフを封じることを優先として臨機応変に対応すれば良い。力と技術で勝っていればそれだけの余裕は産まれるはず。


(……掴んで、倒して、締め落とす……!!) 


 愛華は腰を落として踏み込み、美咲に肉薄する。そして腕を伸ばすと同時に身体が銅色の光に包まれ、魔法少女へと変身を遂げ――


「――!?」


 その瞬間。変身のため、光が身体を包んだほんの一瞬。視界が開けた時、目の前が黒く染まっていた。伸ばした腕はに突っ込む形となったが、しかしお陰でその正体を看破した。


(肌触り良い……? 柔らかな、服……大きい……コート……!?)


 魔法少女は固有の魔法と別に、あるいはその延長として武器や装備を創り出すことが出来る人も居る。先ほどまでは影も形も無かったことを考えれば、即ちこれは美咲の持つ――


「――ッ!!」


 美咲は愛華の変身に合わせ、出現させたコートを互いを遮るように投げていた。今まで着たままだったコートは、例えば小夏で言うところの大剣のように扱える、自分にとっての『武器』であると知ったのだ。


(ここまでは良し……!)


 柔道を使うという情報は紗夜から聞いていた。であれば打撃よりは投げを選びたがるだろうし、少しでも掴みやすいと思わせられるように距離も詰めた。そして掴む余裕がない服を着ている自分に対してなら、まずは両手で無理やり掴みに来るだろうと予想していた。

 結果はその通りである。コートによって両手を絡め取られた愛華は、強く引っ張られたことでつんのめる。それを待ち受けるのは膝。


「――ぶぐっ――」


 美咲の膝が顔面に叩きつけられ、切れた口内から溢れた血が唇の隙間から噴き出した。それと同時に美咲はコートから手を放すことで、膝蹴りの勢いのまま頭が持ち上がる。愛華に対して身長で劣る美咲にとって、やや屈んでいることで下がっている現在の頭の高さは、打撃を叩き込むのに絶好の位置であった。


(私にはパワーが無い……だから攻撃は一撃で終わらせず、必ず次へと繋ぐ……!)


 若葉に教わった言葉を脳内で復唱し、拳を握る。狙うのは連打。しかし、技術など持たない美咲に華麗な連撃は不可能。それ故に泥臭く、卑怯にすら見えようとも『じつ』を取る。


 痛みで怯んでいる愛華に対して出すのは大振りの右フック。その狙いは頬や顎ではなく、耳であった。


「――づうっ!!」


 愛華の顔が更に苦痛で歪むが、止めない。連打。連撃。次へと繋ぐのだ。

 フックは振り抜かず、耳をしっかりと掴む。そのまま下に引くことで体勢を戻させない。痛みによる反射で自由を与えない。そうして絶好の位置に在り続ける顔面を、フリーのままである左腕で殴りつける。


 頬骨に拳骨がめり込む。愛華はコートから引き抜いた両腕でガードを試みるが、美咲は耳で体勢をコントロールしつつその隙間から拳を叩き込んでいた。顔が狙えないならに鉄槌を振り下ろし、亀になるように防御されれば頭頂部へと肘を叩き付ける。しかしそれでも決定打とならないことに、美咲は自身がナイフを持たない場合の弱さを痛感していた。


(もたもたしてはいられない……。魔法の正体が分からない以上、使われる前に攻め切るのが吉……!)


 美咲の持つ打撃の中で特に威力のあるものは膝蹴り。早々に意識を、あるいは戦意を断ち切るべく、膝蹴りを狙うためまた耳をぐいと引っ張る。その際に放った左拳はガードされることなく、愛華のこめかみへと深く突き刺さった。


「……ったく……急ぎ過ぎだ」


 美咲はそれを吉兆だと判断した。次の膝蹴りが確実に決まると。しかし、観戦しつつ呟いた若葉の表情は苦い。


 膝蹴りは美咲の予想通りに抵抗なく叩き込めた。だが。


「な――」


 蹴り脚を戻せない。右腕で脚を絡めとられていたからだ。それを外させるため耳を引っ張ろうとするも、愛華はそれより素早かった。美咲が驚いた一瞬の隙を突いて、耳を掴む右手の親指を取りにゆく。


(――指を折られる!)


 寸前、美咲は手を放す。お陰で指を取られるのは免れたが、しかしそれは同時に、耳を掴んでのコントロールという大きなアドバンテージを失ったということ。


 状況は常に動いている。無論、有利不利も。愛華は美咲のもう片足の膝裏を折るように抱え込み、地面に引きずり倒す。さながらレスリングのタックルといった形でのテイクダウン。この瞬間、有利側は愛華となった。倒しさえすれば勝てる可能性は大きく高まるからだ。


(良し――)


 愛華は心中でガッツポーズを取った。相当殴られたが、まだ余力は残っている。勝てる。しかし、また次の瞬間。


「――っ!?」


 愛華が体勢を戻すより速く。前傾していた頭の位置が戻るより速く、美咲の腕が首に巻き付いていた。美咲の腋に抱えられるように頭が固定され、細腕は首を締め上げる。フロントチョークと呼ばれる形の締めだった。状況は常に動いているのだ。この瞬間、有利側は美咲となった。


「……か……が、ぁ……っ……!」


「終わりです、これで……!!」


 愛華はここから抜け出す方法を必死に探った。テイクダウンしてしまったせいで地面が邪魔して両脚は使えず、両腕は動かせるものの大きく振りかぶることもできない。ならばと再度指を狙うものの、そうさせないためにしっかりと握り込まれていた。

 酸素が足りず、頭が働かない。もがく。無理やり腕を引き剥がそうとするが、叶わない。それでも必死にもがく。


(――……殺……され……や……だ……死――)


 やがて銅色の光が瞬き、解けて消える。愛華の服が制服へと戻り、完全に落ちているのを確認すると、美咲はすぐさま立ち上がり若葉の方へ駆け寄る。


「若葉さんっ」


 その顔は戦っている時のべったりと張り付いた無表情ではなく、小さな花のような可愛らしさを帯びたものであった。まるで得物を飼い主に自慢する猫のように。


「……あの膝蹴りは早計だったが……まぁ上手くリカバー出来たじゃねぇか。三人とも殺してねーし。よくやったな、美咲」


「……はい!」


 若葉はズボンに突っ込んでいた手を取り出すと、ポンと美咲の頭に置く。その顔は伏せられており、若葉からは見えなかったが、髪の隙間から覗く耳はやや朱に染まっていた。


「んじゃ美咲、朝飯食ってからか」


「へ……? い、良いんですか? ゆっくりしちゃっても」


「ああ。さっきお前が二人と戦ってる間、街中の方に魔法少女が居ねぇのは確認した。ここには『箱庭』もねぇし……それに、飯食うぐらいの時間はあるしな」


「……ありがとうございます」


「おう」


 美咲は頭に置かれた若葉の手に両手を添える。すると白色の光がゆるりと解け、美咲の髪が白から黒へと、そして服装も装束からただのトレーナーとスカートに。変身を解いた。解けたのだ。


「やっぱり、若葉さんが傍に居てくれると変身が解けるみたいです。……前は何をやっても駄目だったのに」


「ほんとにな。なんでいきなり解けるようになったんだか知らねぇけどよ、とにかく良かったじゃねーか」


「……はい」


 気絶した三人を申し訳程度に道の端に寄せると、二人は並んで歩き出す。二十センチほどの身長差があるにも関わらず、その歩調はしっかりと合っていた。美咲はいつも通りに歩きつつ、そんな若葉の優しさを噛みしめる。


「しかしよ。美咲もそうやってると普通の子供みてーだな」


 美咲はキョトンとした顔で隣を見上げた。


「と、言いますと?」


「いやなに。戦ってる時ってか、変身してる時のお前は基本的に顔が怖ぇんだよ。悪い意味で実年齢より上に見えるんだよな」


「……それなら若葉さんはいつも怖いじゃないですか」


「ほほーん? 言ってくれるじゃねぇか、こいつ!」


 わしゃわしゃと撫でられ、ぼさぼさになった髪の下で美咲は笑う。その笑顔は、かつて姉の優香と共にあった時のそれに似ていた。


「あ、若葉さん! あそこで食べたいです!」


「ん? 牛丼か。なんだお前、そんなんで良いのか?」


「はい。……というか、この時間だとまだろくに開店してませんし」


「まーそれもそうだな」


 美咲の足取りは軽い。小走りで店に入り、席に着くなり脚をのんびりと伸ばすほどに。変身が解けているのも相まって、戦っている時との落差に若葉は思わず笑いを溢した。


「……おお、ここの注文ってタブレットになってるんだな。いつの間にこんなハイテクになりやがったんだよ」


「えー、結構前からですよ。ね、若葉さんはどれ食べます? この辛ねぎとか期間限定メニューですって」


「アタシは辛いの食えねぇんだよ。普通の牛丼で良いわ。特盛な」


「はーい」


 注文を確定し、二人はそれぞれ店員の持ってきた水に口をつける。


「美咲は何頼んだんだ?」


「私は朝限定の定食です。この鮭のやつ」


「うわ、なんか渋い好みしてんのな。中学生っつったらチーズとかのが好きなんじゃねぇのか?」


「あ、いえ……確かにそういうのも好きなんですけど……。小鉢でついてくる卵焼きが食べたくなっちゃって」


 美咲は笑顔で居つつも、そこにやや陰がかかる。その脳裏に浮かんでいたのは大好きな人の顔。


「得意料理だったんです。その……お姉ちゃんの……」


「……そうか」


 若葉はコップの水を飲み干す。心にかかったもやを取り払うかのように、一気に。未だ渇いた口で、ただ注文が届くのを待っていた。




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――――――――――


―――――




 食事を終えた二人が店の裏手へ回り込むと、そこには白い大型のバンが停まっていた。周囲に人の目が無いことを確認してから荷台へと乗り込む。

 車内に伸びるのは長い廊下。左右には個室に繋がる扉が幾つもあり、二人はその一つに入室した。室内には窓もなく、一つのベッドとタンスに申し訳程度のコーヒーテーブル、それにシャワールームが備わっているのみ。

 しかしながら、無論、それらはバンに納まる広さであるわけがない。これが『闇医者』の魔法の産物であり、ここが『闇医者』の拠点だった。


「おう、すまねーな。これで一旦アタシらの予定は終わりだ。出発して良いぞ」


 若葉はベッドに腰掛けてスマホで電話をかけると、室内に微弱な振動が伝わり出す。バンが走り出したということだった。


「あっあの! 『闇医者』さん!」


 美咲は若葉の持つスマホに声が入るよう、大きく言葉を発する。


「すいません、我儘を聞いて下さって。ありがとうございます!」


 すると若葉は通話をスピーカーに切り替えた。


「この後、それだけ働いてもらうから」


 ぶっきらぼうな声。それだけが流れた後、通話は途切れた。


「はっは! アイツすぐ通話切りやがった! これは多分照れてやがるな」


 二人は『闇医者』と呼ばれる魔法少女によって匿われた。彼女は代価と最低限の信頼さえあれば誰にでも協力する人間であり、『宝石の盾』とも交流があるらしい。そのツテで若葉が協力を取り付けたのだ。ひとまず安全に、二人が落ち着ける場所として。


「……この後は何かするんですか?」


「アタシは代価の仕事だ。美咲はとりあえず休んでて良いぞ。暇なら筋トレしとけ」


 美咲は若葉の隣に腰掛ける。ベッドはシングルサイズであり、二夜ほど明かした感想として、長身の若葉と一緒だと小柄な美咲であっても正直狭い。だが、少なくとも美咲はそれが嫌ではなかった。


「あ、ベッド使うか? ならどいとく――」


「いえっ、あの! 私も……」


「――あん?」


「……私もお手伝い……出来ないでしょうか?」


 美咲は代価としての仕事が具体的にどういうものか聞かされていない。『闇医者』の仕事の手伝いというだけ。だが、きっと危険が伴うものだろうとの予想は容易に可能だった。


「心配なんです……。その、若葉さんに何か起きるんじゃないかって……だから……」


「駄目だ。情けない話だが、何かあった時にアタシがカバーしきれねぇ可能性もある。そんな心配が無くなるぐらいお前が強くなってくれなきゃな」


「……はい」


 気持ちを抑え、美咲はすんなり引き下がる。そう言われるだろうということは分かっていた。そして、自分に反論できる材料が乏しいことも。若葉の言葉は自分を守るためのものでもあることも。


(……強くならなきゃ。若葉さんは戦い方を教えてくれるけど、結局モノに出来るかどうかは私次第)


 強くなる。今の自分はかつてとは違う。守れなかったものを守るためのチカラを持っている。だから、守れるだけの力を持たなければならない。


「……シャワールームに居ますね。懸垂してきます」


「あ、そんならアタシが見てやるよ。やり方でも効果は変わってくるしな」


「はい。……お願いします」



 トレーニングと休憩。その繰り返しを何度も経て美咲がへとへとになった頃、部屋の振動が止まる。車が停止したのだ。

 それと同時に若葉のスマホが鳴る。


「……アタシは仕事だ。美咲は休んどけ」


「は、はいっ……お気を……つけて……」


「おう」


 肩で息をしながらも律儀に身体を起こす美咲に手を振り、若葉は車から出る。そこは大した規模もない工場だった。


「もしもし。ここで何すりゃ良いんだ?」


「目の前の工場。あの中に魔法少女が居るから、ボコボコにして追い出して。二度と歯向かおうと思わないくらいに」


「まぁそれは構わねぇけどよ、いったい何がどういう訳でソイツをボコらなきゃいけねぇんだ?」


「……これは私の知人の手伝い。気にしないで、言われたことだけやってくれれば良いわ」


「ったく……わーったよ。で、ソイツの魔法ぐらいは分かってんのか?」


「血よ。爆発するらしいわ」


「あん? それはどういう――」


「情報はそれだけ」


「――おい。ったく、切りやがった。……はぁ、しゃーねぇなぁ」


 若葉はスマホをポケットに突っ込むと、魔法少女へと変身する。服は飾りっ気のなく、丈の短いチャイナドレスのような薄緑色の装束へ。足元はそれと同じ色のショートブーツに。髪もツンツン外にハネたセミロングのまま輝いている。ドレスのスリットからは非常に靭やかで筋肉質な肢体が覗くが、そこに魔法少女という言葉から連想されるような華美さはさほど無かった。


「……居るな」


 若葉の『真眼しんがん』は扉越しに中の少女の姿を見とめる。どこか回り込める場所を探し、不意打ちを仕掛ける選択肢もある。だが、若葉は正面から堂々と扉を開け放った。


「邪魔するぞ」


 埃の舞う中、雑に敷かれた布団に座っていた少女がこちらを振り向く。既に変身しているようで、橙色の燕尾服に似た装束に身を包んでいた。調子が悪そうに点滅する電灯によって映し出されるのは、若葉に負けず劣らず吊り上がった鋭い目付きの端整な顔。長い髪は前髪ごと大胆に纏めて縛られており、身長は若葉より一回り以上小さいものの、時代が時代なら男装の令嬢とでも呼ばれていたことだろう。


「チッ……ヤクザは魔法少女まで抱えてるのかよ」


 しかし、その口調は無法者とでも言うように荒々しい。


「あん? ヤクザ?」


「何をとぼけてるんだよ! 良いからさっさとかかって来いよ」


 橙色の少女は布団の側に置かれていたペットボトルを二本掴むと、ズカズカとこちらへ歩いてくる。滾るのは紛れもない敵意。

 そして、若葉はこの仕事について思い当たる。


(……これ、もしかしなくても地上げか借金のカタじゃねぇのか? 居座ってんのが魔法少女だったからヤクザが自分のとこで解決できなくて、何の因果か『闇医者』んとこに依頼が来たみてーな。……畜生、気分悪ぃな。美咲が来なくて良かったぜ)


 嫌気が差す仕事だが、仕方ない。若葉は拳を構える。


「こっちは譲れないものを持ってんだよ。さっさと消えろよ、ヤクザの駒が」


「ちげーよ、アタシはヤクザじゃ――」


 若葉が言い切らないうちに、橙色の少女は片方のペットボトルを放り投げる。半分ほど入っている液体は赤色の――十中八九、血だろう。『闇医者』からの情報によると爆発するとのことであり、若葉の『真眼』も血に込められた魔力の膨張を確認していた。


 若葉は素早く横に跳ぶ。情報通り、ペットボトルは人ひとりなら包み込むほどの光を放って爆ぜた。


(……なるほど。爆発するっつっても、熱やら爆風があるわけじゃねぇ。のは魔力の衝撃だけだな)


 それを回避した若葉の様子に、橙色の少女は顔を更に歪ませる。


「驚かない……魔法を知ってる。やっぱりそうじゃねえかテメェ。ヘタクソな芝居なんぞ打ちやがって!」


 再度少女は腕を振りかぶり、ペットボトルを投擲する。それに対して若葉は避けるのではなく踏み込み、血に込められた魔力が膨張し切るより速く蹴り飛ばした。

 橙色と薄緑色。二つの間で光が弾ける。


「お前らみたいなのが居るから……!! こっちには守らなきゃいけない……絶対に譲れないもんがあるんだよ!!」


「……譲れないもの、か。それならアタシも持ってるよ。だから……すまねぇが、仕事は果たさせてもらうぞ」


「ブッ殺す!!!」


 彼女には恐らく若葉の言葉など耳に入っていないだろう。怒りの形相で拳を握り込み、そして叩き付けるため大股で踏み込む。


(さっき爆弾を投げたのは右手だった。そしてこのパンチも右……利き腕の大振り。なかなか素早いとはいえ、素人だな)


 若葉は空気を押し潰すような拳を避けると、カウンターで腹部に拳を叩き込んだ。が、同時に拳を違和感が襲う。


「うおっ!? なんだこの――」


「避けんなッ!!」


 二度目の拳も躱し、今度のカウンターは頬に突き刺さる。しかし、僅かにぐらつくものの大きく隙を見せることはない。そして、またしても拳には違和感。殴った頬は明らかに生身とは思えないほど硬かった。


(――コイツ……)


 若葉は追撃をせずに距離を取る。姿勢を低く構えると、警戒してか少女は足を止めて攻めに来ない。その間に目を凝らし、『真眼』によって魔力の流れを見通す。


「オイ、どうした? ビビってんのか?」


「……ある意味そうかもな。お前、態度の割に器用じゃねぇか」


 若葉を含めた普通の魔法少女が肉体に魔力を帯びているのに対し、橙色の少女の魔力は毛細血管の一本一本にまで細かく浸透していた。つまり「自らの血に魔力を流す」ことそのものが彼女の持つ魔法であり、素早く硬い身体……肉体の強化幅が大きいのもそれ故だろう。血の爆発についても、過剰な魔力を流すことによってさながら風船のように破裂させているのだ。


「んだと……ナメやがって……!」


「いや、褒めてんだよ!」


 またしても大股で距離を詰めながら腕を振り上げる少女に対し、若葉は遠間から拳を突き出しつつ広く取っていたスタンスの後ろ足で地面を蹴り、突進する勢いそのままに殴り付ける。刻み突き。美咲に教えた技の一つであった。

 拳は顎を正確に射抜くが、やはり大したダメージにはならない。


「――ッラァ!!」


 構わず振り回される拳をダッキングで避け、ワンツーで顔面を叩く。だが、やはり少女は怯まない。若葉は続けざまの不格好な前蹴りも半身になって躱すと、懐に入り込みがてら鳩尾に肘をねじ込み、下腹部に鉄槌、そして顔面に裏拳と続け、最後に腰を入れた左ストレートで殴り飛ばす。幾度もの鈍い打撃音が響き、そして身体がコンクリートの床に叩きつけられたものの、それでも少女は鼻血を流す程度だった。


「チッ……! クソが!!」


 パンチが当たらないと見ての破れかぶれか。タックルとも呼べない不格好な体当たりを仕掛けた少女の顎を若葉は膝蹴りでかち上げ、左中段回し蹴りで脇腹を叩いた後、顔面へと野球選手の投球フォームように大きな軌道で鉄槌を叩き込む。

 少女は更に鼻血を流して大きく仰け反る。しかしまだまだ目は血走り、怒りと闘志に満ちていた。


「な、マジかよ……。タフって言葉はお前の為にあるんじゃねぇか?」


「うるせぇッ!!」


 少女はすぐさま右手で鼻血を拭うと、怒りと共に振るう。それを若葉は躱してカウンターを入れるでもなく、大きくバックステップして距離を取った。忘れてなどいないからだ。


 少女の拳が伸び切った瞬間、その拳が――付着した血が爆ぜ、空気を押しのける衝撃を放った。

 

「チッ――!」


 拳はゼロ距離で衝撃に曝されたにも関わらず、未だ健在である。だがそれは少女の防御力あってのものであり、他の魔法少女ではこうはいかないだろう。そして少女はその利点を最大限活かすように、ポケットから取り出した赤い手袋を右手に装着する。言うでもなく、その赤色は生地に染み込んだ血。


(コイツは……なかなか厄介じゃねぇか)


 戦いが進むほど、必然的に少女は血を流す。そうなるとどんどん相手の武器が増えていき、化け物じみた耐久力も相まって苦しくなっていくだろう。

 無論、血を流さない攻撃……絞め技も考えたが、それは難しい。密着して力を込めなければならない都合上、今のように血を染み込ませた物体を隠し持たれていたなら、それを回避出来ないからだ。若葉の『真眼』はあくまで魔力の流れを視れるもの。魔力がまだ流されていない状態の血では隠し場所を看破できない。


「……やるか」


 若葉は呟く。かつて美咲にやったように、顎を掠めて一撃で気絶させるのは不可能。あの時は美咲が動こうとしない状況であり、思うままに狙えたから成功させることが出来たのだ。正面からの戦闘では、精密な技巧が求められる技は難しい。


 ならばやはり力。今より強い力で無理やり押し切る。頭部のような急所ではなく、狙うは腕や脚。血の流れづらい場所を狙い、ゴリ押す。馬鹿みたいにタフな相手だとしても、若葉にはそれが可能なのだ。


 若葉が軽く跳びはねると、その両脚が薄緑色の光を帯びる。それは収束し、形を持ち、やがてブーツのように膝から下を覆う形の装備……レガースを形成した。

 非常に厚ぼったく、透き通るような薄緑色でありながらも無骨で重苦しい。それは印象に違わない重さを持っていた。


「テメェ、なんだそれ――」


 少女が言い切る前に、若葉の回し蹴りが身体の前を薙ぐ。さっきまでのようなスピードは影も形も無いが、しかし空を押し潰すような音と威圧感はまるで――。


「――ッ!!」


 いきなり水滴が落ちたように、少女の背筋が冷たくなる。若葉の空振った蹴りは全身のバネを活かした回転により、遠心力を伴って再度襲い来ていた。これを止めなければ。少女はそう直感し、血の爆破で迎え撃つ。


「――ッらああああ!!!」


 工場の中で、怒号と共に破裂音が轟く。手袋に染み込んだ量の血の爆破であれば、骨程度なら軽く砕け散るほどの威力を持っていた。無論、魔法少女の強靭な骨がである。仮に鉄塊とて無事では済まない。

 だが、爆発の中心地から弾き出されたのは、空気に曝された少女の右手。手袋は爆破によって形も残らず塵となっていた。


 しかし、若葉の蹴りは止まらない。まるでブレイクダンスのように両腕を支えとし、遠心力によって速度を増して、薄緑色の軌跡を描く。


「ぐ……テメェッ!!!」


 そして光の軌跡が揺れる。充分な速度を持ったその蹴りは、若葉が全身で跳ねたことで斜め上から振り下ろされる。それは蹴りというより、斧や鉈を想起させる一撃だった。


(受け止め――)


 少女は防御のために両腕をかざす。武術の心得を持たないために偶然の産物ではあるが、それは腕を十字に交差させた「十字受け」。少女の持つ耐久力と合わせれば、鉄壁の防御力を誇る。

 であれば、如何にレガースが装備されていたとて。全体重が乗り、重力にもアシストされ、遠心力を伴っていたとて、たかが蹴りの一発など――



「――っぐ――あああああ――ッッ!!!?」



 薄緑色の光がぶつかる。血の爆破など比ではない、地盤ごと揺らすような空気の破裂音が轟いた。


 少女は己の腕を見る。付いていた。吹き飛んではいない。しかし、そう錯覚するほどの激痛と衝撃に襲われたのだ。そして、それを表すように両腕は無惨にひしゃげていた。


「あぐ、うう……ッ!!」


 アドレナリンが過剰分泌されていなければ、きっとショックと痛みで気絶していただろう。

 だが、とはいえ動けるようなダメージではない。膝を着いた少女が出来るのは、クルリと回転して威力を吸収し、静かに立つ若葉を睨みつけることだけだった。


「……終わりだ」


「ぐ……クソッ……!」


 少女は直感していた。恐らく、今の一撃は本気では無いのだろうと。本気で蹴ったのであれば少なくとも腕は開放骨折し、血が噴き出るからあえて威力を抑えているのだろうと。そう直感し、同時に勝てないと悟った。


「クソ……クソッ……! 私が守らなきゃ……クソッ……!!」


「悪ぃな」


「うるせぇ、偽善者ぶってんじゃねぇ!! ……早く……殺せよ……」


 若葉のレガースが光となって解ける。


「殺さねぇよ。アタシが頼まれたのは、お前をこっから追い出すことだからな」


「……クソ……! 工場が無くなったら、私は……家族は……ッ! いっそ殺せよ……! 殺して……くれ……」


 少女の目からはポロポロと涙が溢れていた。誰もが全ての行動に理由を持つ。この少女の言葉からも、持つ理由は推察出来た。だが、だとしても助けられるわけではない。


(……ったく……)


 助けられるわけではない、が。


「……お前、金に困ってんだろ?」


「は……?」


「お前ぐらい強い魔法少女で金に困ってるってことは、つまり『宝石の盾』は知らねーってことだ」


「あ……? 何、言ってるんだよ……?」


「葵原に行って『宝石の盾』のメンバーを捜せ。そんで『ブレイズ』って奴に会え。……『クローバー』の名前を出せば、何かしら仕事を斡旋して貰えんだろ」


「……っ……」


「あと、暫く変身は解かないまま生活しとけよ。落ち着かねーだろうが、三日もすれば骨折は治る」


「……ぅ……なんだよ、それ……なんなんだよ……! う、ぐ……クソッ……!」


 若葉は変身を解き、嗚咽を背に歩き出す。重い扉を潜ると、人間のことなど知らずにてっぺんまで昇った太陽が煌々と輝いていた。


「……もしもし。終わったぞ」


「了解。……お疲れ様」


「……ああ」


 バンの荷台に乗り込むと、また走り出す。次の仕事か、あるいはただ走るだけか。


「……今度こそ、守らなきゃならねぇからな」


 呟いた言葉は廊下の静寂に吸い込まれ、誰の耳に入ることもなく消えた。

 そして深呼吸をひとつ。扉を開けた先には、肩までの黒髪をぴょこぴょこ跳ねさせる可愛らしい少女がベッドに腰掛けていた。


「――若葉さん! おかえりなさい!」


「おう。ただいま、美咲」


 守らなければ。二人は互いに一致する想いを抱いて、同じ気持ちで笑みを交わした。

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