第7話 パーロック遺跡

 暗い暗い地の底で、ほの明るいカンテラの明かりに照らされて、死屍累々ししるいるいと転がっていたのは、今しがたリラの魔法によって串刺しにされたばかりの魔物たちの群れだった。その数、じつに数十匹以上。マルクやエナはもちろん、ライナスの出番も必要ない。それほどまでに圧倒的な、リラの魔法の手数とその威力である。

「これじゃあ、マルクじゃなくて劣等感を抱くのは仕方ないな。さすがは村一番の魔法使いってところか」

 地面に刺さったナイフの一本を手にとって、ライナスはしげしげと眺めた。見た目は、どこにでもあるふつうのナイフだが、実際にはリラの魔法よって生み出されたナイフである。

 ナイフは粉々になって崩れ、最後は光の粒となって暗闇に消えた。

「村で一番って、それってマルクから聞いたの? でもそれ、正確じゃないわよ」

「正確じゃないって、どういう意味だ?」

「わたしが一番なのはナイフの生成速度と手数、あとは正確な射撃に関してだけよ。威力だけなら、うちのおじいちゃんには遠く及ばないもの」

「リラのおじいちゃん、つまり長老様は、強力な炎の剣の使い手なんです」

「そういうこと。一撃の威力だけなら、わたしの魔法とは比べ物にならないわ。いくら手数と速度で勝ってても、相手にダメージを与えられないんじゃ、攻撃する意味なんてないでしょ?」

 なるほど、ライナスは納得した。もしかしたら場所をここに移したのは、そのこともあるかもしれない。森で炎の剣は使いづらいが、ほかに人がいない地の底であれば、使い放題だ。

 その後も二度三度と魔物たちと遭遇そうぐうし、ライナスたちは戦闘を繰り返しながら、世界樹の迷宮を夜通し進み続けた。エナは早いうちから眠っていて、エオポルドの背中でずっと静かに揺られている。魔物との戦闘は、ほとんどリラが一人で戦っていたので、エナは一度も起こされることがなかった。ライナスは一応、戦いの心構えだけはしていて、一度だけ背後から襲われたときに魔物を一匹だけ倒している。マルクは完全に明かり持ちにてっしていた。

「・・・リラは、その、魔力とかは大丈夫なのか?」

 魔法には詳しくないライナスが、心配して尋ねた。

「ええ。そっちのほうは心配しなくても大丈夫よ。本当はあんまり教えたくないけど、世界樹があったここは、ほかの場所よりも今でも魔力がずっと濃いの。むしろ歩き続けの今のほうが、ずっとしんどいくらいね」

「ああー、だからここが村の避難場所になってるのか」

 村人全員が魔法を使える『剣の一族』にとって、まさにここはうってつけというわけだ。

 なるほど。そう思いかけて、はたと気づく。気づいてしまった。

「あれ? でも、それじゃあ敵に魔族がいる今の状況って、じつはけっこうヤバいんじゃないのか? たしか魔族って、魔力を糧にして生きてるんだろ」

 エキドナいわく、『魔力で生きておるから魔族というのじゃ』らしい。

 その魔力が濃いということは、それだけ魔族にとっての活力に満ちているということだ。

 が、マルクとリラは視線を交わして笑い合う。

「意外と物知りじゃない」

「茶化すな。いってる場合か?」

「でも、大丈夫ですよ、ライナスさん。心配いりません。ここの遺跡は聖域ですから、ふつうの魔族はまず入ってくることができませんから」

「聖剣の次は聖域かよ。ほとんど物語の中の世界だな」

 だが、またしても気づいてしまう。

「って、もしかして、それってつまり、ここの遺跡に聖剣があるってことなのか?」

 この発言を受けて、またしてもマルクとリラは視線を合わせた。

「ま、ふつうはそう思うわよね」

 仕方ないな、という顔をライナスに向ける。

「僕たちも、昔はそう思っていましたから」

「でもね、本当にないのよ、聖剣なんて・・・」

「僕たちの村では子供の頃、ここの遺跡に探検しに来るっていうのが遊びの定番としてあるんですけど、そこをくまなく探し歩いても、聖剣を見つけたという人は誰もいませんでした」

「そんなだから、たまにいるんだけどね。聖剣を見つけたって嘘を吹聴ふいちょうするやからは・・・」

 でも、どこにも聖剣なんて実在しなかった。それが真実だ。

「じゃあ、むしろこの遺跡のある場所こそが・・・」

「ああー、なるほどね。もしかしたら、そうかもしれないわね」

「この世界樹の遺跡こそが、僕たちの村にとっての聖剣、なのかもしれませんね」

 自分たちの魔法を強くしてくれる魔力に満ちた、けれど同じく魔力を扱う魔族を寄せ付けない聖域である場所・・・それはある意味、あまりにも大きな武器となる。


 世界樹の迷宮を、夜通し歩き続けること半日。

 ついに一行は、長い長い天然のダンジョンの奥底に広がる遺跡に、ようやくたどり着いた。

 どういうわけか、そこは暗い地の底でありながら、ほの明るい光に包まれている。

 ずっと明かりを持っていたマルクが、箱の中の火を消した。それでいて明るい、というほどではないにしろ、視界を確保するには充分な明るさがある。

「ここが、村の避難場所っていう遺跡か・・・」

 見上げると、天井がドーム状の曲線を描いていた。天井の所々になめらかな表面をした、まるで貝殻の内側のような光沢が張りついている。これが光を放っていた。剥がれた箇所は土がむき出しで、その下だけ真っ暗だ。

 空間全体を、明らかな人の手が加わっていた。天井の高さは、およそ100mもあるだろうか、かなり高い。どこか外と繋がっているらしく、空気はよどんでいなかった。

 見渡すばかりに無数の、もとは白亜はくあと思われる色あせて黄ばんだ昔の建築物が、ずっと奥へと続いていた。けれど倒壊する建物ばかりの、荒涼たる廃墟なのだ。

 そこは、すでに魔物たちが押し寄せ、蹂躙じゅうりんされた後・・・。

 一瞬そう思いかけたライナスだったが、よくよく目にする倒壊の跡が、明らかに古い。

「これは、昔の倒壊の跡か?」

 さわってみると、建物は土埃に汚れていた。広範囲にわたって苔むしている。

「はい、そうです。上にあった世界樹が倒壊したときに、その下にある建物もまた倒壊したと、そう聞いています。今から800年前ほど前にあった、当時の魔王がこの地に現れたときの出来事だそうです」

「それにしても、今の状況でよく惑わされなかったわね。前から思ってたけど、ライナスって冷静っていうか、芸人より冒険者とか探検家のほうが向いてるんじゃないの?」

「それは嬉しくないな。一言よけいだ・・・」

 ぼやいた刹那、さっと腰の後ろに手を伸ばす。

「これは、囲まれてる?」

 その数、ざっと十二・・・いや、十三人だ。・・・人? ライナスは知らず、これが人の気配だと理解している。

 それを証明するよう、どこからともなく、けれどライナスの視線の先で、気配が動いた。

「・・・リラか?」

 かすかなつぶやきに、いくつもの動揺が波紋はもんのように広がっていく。

「え? リラって?」

「あっ。後ろにいるのって、マルクじゃないのかっ?」

「無事だったのかっ、おまえらっ」

 続々と顔を見せたのは、どうやらマルクたちの村の住人のようだった。最初にリラの名前を口にしたのが大人で、あとはマルクたちの友人と思われる子供たちばかり。

「ベルガンっ、テテロスっ、ドラゴナっ、そっちこそっ」

 彼らは互いの無事を喜び合っていたが、

「それで、ほかのみんなは無事なの?」

 リラが発した一言により、急激に笑顔を曇らせた。なんとも重たい空気が場を包む。

「なに? どうしたの? なにか、あったの?」

「おまえたちこそ、ここにくるまでに誰とも会わなかったのか?」

「いえ、誰にも会わなかったけど・・・」

「人ではないですけど、魔物になら遭いました」

 口をはさんだライナスを見て、今更のように彼らは怪訝けげんな顔をした。リラとマルクを見る。

「彼は?」

「この人はライナスさんといって、僕たちが森で魔物と戦っていたところを助けてくれたんです」

「僕たちが戦ってた、だってよ。実際に魔物と戦ってたのは、どうせリラだけなのにな」

 よけいな茶々を入れた少年ドラゴナは、リラに思いっきりにらまれた。それでいて気まずそうではあるが、嫌そうでないところ見るに・・・きっとそういうことなのだろう。もしかしたらマルクの魔法に対する嫌がらせのようなやり口は、その裏返しかもしれない。

「そうでしたか。それは危ないところを助けてくださり、本当にありがとうございました。・・・ですが、そうですか。・・・魔物だけ、ですか」

「もしかして、見張りに誰かが残っていたんですか」

「いえ、見張りではなく、殿しんがりが・・・」

「洞窟に入った所で、急に魔物が襲ってきたんだ」

「でも最初のうちは、こっちが勝ってたんだよ」

「でもあいつら汚くて、どうやって回り込んだのかはわからないけど、急に洞窟の奥からもやって来て、それで俺たち、いきなり挟み撃ちにされちゃったんだ」

 その時のことを思い出しているのだろう。子供たちは一様に悔しそうな顔をした。

「きっとアイツだろうな」

 ライナスの声に、マルクとリラが同意して頷く。

「なにか知ってるんですか?」

「魔物の中に、モグラみたいな奴がいたんです。そいつが土を掘って、仲間の魔物を回り込ませたんだと思います」

「土を掘って? それじゃあ、ここの場所もっ」

「はい。完全に安全というわけにはいかないと思います。たとえここが入り組んだ複雑な迷路になってたとしても、土を掘って直進できてしまえば、それはもう迷路でもなんでもありませんから。ただ、そういった魔物は、それほど多くいるとは思えません。奴らにしても、最初から穴にもぐることを想定していたとは思えませんから」

「ああ、たしかにそうだ・・・」

 ほっと安堵する気配が、じんわり浸透していく。

 それで安心したのか、子供たちは警戒を解き、興味のほうが勝ったらしい。

「なあ兄ちゃん?」

「ん? どうした? なにか聞きたいことでもあるのか?」

 返す声に、少年は否定も肯定もせず、最後尾にいたエナとエオポルドを指差した。

「あれ? 食ってもいいのか?」

 どいつもこいつも、エオポルドを目にするなり、いきなり食べようとするのは何故だろう。

「あ〜、悪いけど・・・、あいつは友達だから食べ物じゃないんだよ」

「すみません。食料が不足しているので、いまは少しずつ節制しているものですから・・・」

 取り繕うよう、大人の一人が謝罪した。

「ああ、そういうことですか」

 そういうことならと、ライナスは自分が持っていた食料を差し出そうとして、でも止めた。自分が持っている食料なんて、ここにいる住人の食事、一日分にだって足りやしない。

 だが一日でも早く、今の状況を打破しなければいけない。それを強く理解する。

(そうしないと、本当にエオポルドが肉にされそうだからな・・・)

 エオポルドを見る村人たちの眼が、なんともいえず恐ろしかった。


 あけて翌日。うす暗かった天井の明かりは、夜空の色から朝日の色に変わっていた。

 聞いた話によると、地上の光を遠い地下まで運んでいるそうだ。それでいて彼らも原理までは知らないらしい。すでに失われた過去の技術なのだ。

「長老様が、お会いになるそうだ」

 あてがわれた建物、その廃墟に等しい一室で、朝食を摂っていたライナスのもとを訪れたのは、マルクとリラの友人で、たしかドラゴナとかいう少年だった。

「お、そうか。わかった、すぐに行くよ」

 ライナスは立ち上がり、エナ以下、そこ場にいた十人ほどの子供たちに断りを入れてから、部屋を出た。「火だけは気をつけてね」「は〜いっ」と元気な声が返ってくる。

 外に出ると、武器も持たないドラゴナが、ふつうに私服姿で待っていた。

 ライナスたちにあてがわれた部屋は遺跡の入口付近だったので、長老がいるという中央付近の建物までは、かなり歩かなければいけなかった。

「子供に好かれるんだな」

 瓦礫の散らばる通りを歩き出しながら、ドラゴナは不躾ぶしつけにいった。

「ん? そうか? でもあれは朝食に釣られただけだと思うぞ。今は節制してるらしいからな。みんなお腹が空いてるんだろ」

 子供たちは、ライナスが朝食の準備をしているところにやって来た。彼らはじっと入り口から中を覗いていて、エナとそんなに変わらない年頃に見えた。軽い気持ちで「一緒に食べるか?」と声をかけたところ、実際には見えていたより多くの子供たちがいて、ちょっとだけ後悔した。おかげで大急ぎで朝食を追加する羽目になった。

 村のことや遺跡のことは、このときに子供たちから大まかに聞いた。いま遺跡にいる人数は、大人が二百人弱で、子供は七十人ほどだそうだ。

 ただし、これは子供の感覚で、リラ(十四)は大人で、マルク(十二)は子供らしい。

「でも、色々おもしろい芸を見せてくれたって、ベルガンとテテロスがいってたぞ」

「ああ〜。俺は芸人だからな。技が錆びつかないよう、練習は怠らないよ。でも、それを見て楽しんでくれた人がいるなら、それはなによりだ」

 短い階段を上がると、急に目の前が開けた。

「おぉー・・・」

 ライナスは嘆声をもらした。かつては見晴らしのいい東屋でも建っていたのだろう。そこは小さな円形の広場で、四方に街へと下りる階段が伸びていた。ひび割れた石畳のそこここに、石柱の根本ばかりが残されている。

 その昔、遺跡がまだ健在であった頃には、ここは起伏に富んだ複雑な街だったようだ。遺跡中央にある階段の高い建物を中心に、全体的にゆるやかなスロープ状になっている。

「あの中央の建物に、リナのおじいさん、長老がいるのか?」

 その石組みの、高い建物を指して訊くと、少年は声に出して笑った。

「あれは祭壇だから人は住んでないよ。そもそも天井どころか床まで崩れてるからな。見た目もそうだけど、中はもっとボロボロなんだ」

「そうなのか?」

「そりゃそうだろ。だって大昔の遺跡だからな」

 中央に向かう階段を下りると、通りのあちこちが瓦礫の山に分断されていた。倒壊した建物や柱が横たわり、道をふさいでいる。

「あっちもそうだったけど、この辺りもひどい有様だな」

 ライナスがぼやくと、ドラゴナは西(?)の空を、その天井を見上げた。

 その辺り一帯には明かりがなく、天井の土がむき出しになっている箇所があった。大量の土砂が流れ込んだらしく、さっき上から見ただけでも山となって埋もれていた、その方角だ。

 街の広場・・・ではなく、建物が倒壊して空地になった広い場所で、数人の男女が剣を振っていた。剣は手元を離れて浮かんでいて、これが魔法であると瞬時にわかる。

「リラみたいに複数を操れる人って、やっぱりいないんだな」

「当たり前だろ。リラみたいな使い手がそうそう居てたまるかよ。リラは特別なんだ」

 なぜかドラゴナが誇らしそうだ。

「本当にここの人たちって、全員が魔法を使えるんだな」

 羨ましそうに、ライナスがこぼす。

「なんだ兄ちゃん、魔法が使えないのかよ。だっせぇーな、マルクと一緒かよ」

「うるせー、ほっとけ。そもそもふつうは、そんなに魔法が使える人なんていないんだよ。・・・っていうか、俺はともかく、マルクは一応使えるだろ」

 訂正すると、それこそ少年は鼻白んでわらった。

「あんなの使えるうちに入るかよ。だいたいなんで剣の一族なのに木剣なんだよ」

 それはちょっと、ライナスも思ったことがある。剣の定義とはなんだろう。そう考えさせられた。ライナスは刃ではないかと思っている。だけど木剣に刃はなかった。

「あ、リラだ」

 少年の声を追って見ると、栗色の長い髪をする少女リラがいた。・・・その隣には当然。

「げっ、マルクも一緒かよ」

 宙に浮かせた木剣を、自由自在に操る少年マルクがいた。

「っていうか、あいつら一体なにやってんだ?」

 どうやらライナスにいわれたことを、さっそく実践して試しているようだった。

「マルクは頑張り屋さんだからな」

 マルクは木剣を取ろうとして手を伸ばし、

「だから、なんでマルクはいちいち木剣を手で持とうとするのっ」

 リラから注意されていた。剣術をおさめようとしたときのクセが抜けないのだろうか。

「いや、なんか知らないけど、昔から手に持っちゃうんだよ」

 かと思えば、こっちのほうがクセだった。

「なんていうのかな、そうすると安心するっていうか、なんだか落ち着く気がするんだよ」

 もしかしたら剣術を習おうと考えたのは、こっちのほうが原因だったかもしれない。

「おはよう」と声をかけると、

「おはよう」と二人も返そうとして、けれど一緒にいたドラゴナを目にして嫌そうな顔をした。どちらかといえば、リラが本気で嫌そうだ。

 ライナスは二人がこっちに来ると思って見ていたが、彼らはそのまま訓練を再開させた。

「・・・なんだよ、あんな魔法。いくら強くなったって意味なんてないじゃんか」

 再び歩き出しながら、ドラゴナがぼやいた。それは言葉どおりの意味か、それともリラの態度が原因か。

「そんなことないだろ。木剣でも敵の意表を突くくらいはできるはずだ」

「意表突いてどうすんだよ。どうせなら剣で敵を突けってぇの」

 ライナスは思わず笑った。少年のげんは、言い得て妙というやつだ。

「そうだよな。剣っていえば、やっぱり刃だよな。なんでマルクの剣は木剣なんだろうな」

「そんなの知らないよ」

「そりゃそうだ」

「あ、でも、そういえば昔、長老様が、もしかしたらマルクの木剣はさやかもしれないとか言い出して、マルクの木剣を燃やそうとしたことがあったんだけど・・・」

「木剣が鞘か」それは少し面白い考え方かもしれない。そう思う。

「それで。木剣を燃やしてみたら、どうなったんだ?」

 結果はわかっていたが、それでも尋ねた。ほんとうに刀身が現れていれば、いまのマルクが魔法のことで思い悩む現実なんて存在しなかった。

「なんにも」

 彼は大げさな身振り手振りで首を振り、両手のひらを天井に向けた。

「刀身どころか、木剣には焦げ目ひとつ付かなかったんだ」

「焦げ目ひとつ? でも長老の炎の剣って、村で一番の威力があるんじゃなかったのか?」

「そうなんだけど・・・なんか知らないけど、マルクの木剣ってムチャクチャ頑丈なんだよな」

 これでまた一つ、奇妙な情報が追加された。

「そういえば、マルクのお父さんの剣はどうなんだ。マルクと同じで木剣だったりするのか?」

「まさか。ふつうに金属の剣だよ。切れ味もふつう、威力も見た目通りの平凡。それでなんで村が危なくなったときには、マルクの家の長男を優先して逃さなくちゃいけないのか、ぜんぜん意味がわかんないよ」

「あ。その話って、村の全員が知ってるんだ?」

「昔からいわれてるからな。知らないのチビたちぐらいだろ。でも、いままでは一度だって、これが実行されたことはなかったって、大人たちが話してた」

「でもマルクは、むしろリラのほうが逃される対象だったんじゃないかって、そういってたぞ」

「ああ〜、それは俺もそう思う。村のみんなだって、そう思ってるはずだよ。実際、長老様の家系は、代々大魔法使いの系譜けいふだからな」

「対するマルクの家は、至って平凡なんだ?」

 そんな話をするうちに、いつしか中央付近までやって来た。この辺りは倒壊具合も特にひどく、まともに建っている建物は数えるほどしか見当たらなかった。

 ドラゴナはそんな一つに近づいて、取ってつけたようなドアをノックした。

「長老様ぁ、客人の男を連れてきましたぁ、お目通りを願いまぁす」

 しばらくして、内側からドアが開いた。予想に反し、まだ若い壮年の男が顔を出す。男はドラゴナを見て、ライナスを見た。小さくうなずく。「ご苦労」と告げた。

 ドラゴナは一礼し、男とライナスに向かって「それでは」とつぶやき去っていく。

「ひとまず中へ」

 そうしてライナスは、家の中へ招き入れられた。


 招かれた家は平凡だったが、ここが深い深い地の底であり、また周囲が倒壊する建物ばかりの真っ只中とあっては、存在に上等であることがうかがえた。だがすべてが無事とはいかず、見上げるそこに天井がない。ここは地の底なので雨は降らなかったが、それでも地上と変わらず心許ない気がした。

「・・・村の者と孫娘を助けてくだされたそうで、心よりお礼申し上げる」

 しわがれた声は、なかに招いた男ではなく、部屋の奥から聞こえてきた。

 顔を向けると、リビングに置かれたテーブルの向こうに、声に負けず劣らず、しわくちゃの老人が椅子に腰掛けていた。真っ白な髭が印象的な、白髪の一本も生えていない、つるつる頭の老人である。

 ライナスが一緒に入ってきた男に視線を向けると、彼は無言でうなずいた。

「では、こちらの方が長老様で?」

 耳は遠くないらしく、返答はすぐにある。

「・・・うむ。気持ちの所為か、最近とくに思わしくない。このまま失礼する」

「いえ。もとより気にするたちではありません。どうか安らかなままに」

 長老が目配せすると、そばに立つ男がライナスに椅子を勧めた。ライナスは会釈えしゃくして着席する。男はそのまま、お茶を入れに席を外した。

「私は旅をしながら芸人をしている者で、ライナス=アドベージェスと申します」

「・・・ふむ。わしはパーロック村の村長をしておるフラムだ。では単刀直入に訊くとしよう。おぬしは何故、この地に来た。そうすることに、いったいなんの意味がある」

「ここに来たのは、マルクたちの助けとなるためです。そして私は、その後に、私の願いを叶えるため、マルクたちには力を貸してほしいと考えております」

「・・・力を借りて、なにを成す?」

「私の願いは、ただ一つ。魔王を倒し、世界に平和をもたらすことを」

「・・・魔王を倒すとは、また大きく出たものだ」

「はい、私もそう思います。ですが私には、そのような力はありません。ですから、そのための力は、あるところから借りねばなりません」

「・・・それがマルクや、我が孫リラであると?」

「今はまだなんともいえませんが、そうであると見込んでいます」

「・・・村の者が聞けば、一笑に付すであろうな」

 自身ではクスリとも笑わず、長老はいった。それはライナスだって同じこと。

「彼ら二人では成し得ずとも、より多くを集めることができれば、いずれは叶いましょう」

「・・・口ではなんとでもいえる。だが、おぬしが真に求めるは、カーニスにあっとされる聖剣ではないのか?」

 出るべき物がでた。ライナスは勢いよく身を乗り出した。

「こちらから指摘せずとも、それが出たということは、やはりマルクがこれを所持していると、あなた方は確信しておられるのでしょうか?」

 長老の眉が小さく動く。それは動揺の表れか。

「・・・さて、どうであろう」

「有事の際には、必ず逃がせといわれた家の長男。そのマルクの木剣は、あなたの炎の剣でも焦げ目ひとつ付かなかったと聞き及んでいます。これを妙と思われぬほど、あなたがお気楽であるとは思えません」

「・・・左様なこと、いったい誰から聞いた?」

「村の者から、とだけ・・・」

「・・・おぬしがマルクの、なにを知る?」

「マルクが、とても頑張り屋であることを」

 両者しばし黙り込み、

「・・・ふ、ふふっ、ふはははっ」

 とつぜん長老は声を高らかに笑った。

「そうか、マルクは頑張り屋か。それはよい。どうだアロン、どうやらおぬしの息子は、そういうことらしいぞ。おぬしも何かいうてやらんか」

 おまけに口調が砕けて気安くなる。

 アロンと呼ばれた男は、けれど首を横に振り。

「いえ、私からはとくに・・・」

 興味もないといった様子で、彼はテーブルにお茶をふたつ置いた。

「なんじゃおぬしは、つまらんのう」

 ライナスは一瞬の思考停止のあと、奇妙な顔を二人に向ける。

「え? あれ? そっちの人、アロンさんって、リラのお父さんじゃ、なかったんですか? 俺はまたてっきり・・・」

「はっはっはっ、違う違う。此奴はマルクの父親だ」

 大きな身振りで手を振って、長老は否定する。

「わしの息子は今頃、村の者たちと今後のことについて色々と考えておるところだわい」

 だが一転、今度はさきほどの自分の言葉を否定する。

「いやいや、待て待て、いまは違うとしても、そのうち本当になるかもしれぬか?」

 フラムは同意を求めるよう、アロンをじっと見据えた。

「・・・また、そのようなおたわむれを」

「な。つまらぬ奴じゃろ」という顔で、フラムはライナスに同意を求める目を向けた。

 どうやらフラムは、マルクの木剣を燃やそうとしたことといい、なかなかにお茶目な性格をしているようだった。状況が状況でなければ、きっとライナスはもっと仲良くなれたはずと、そう思わずにはいられなかった。

 ライナスは、こほんと咳払いをひとつ。

「それはそれとして、やはりお二方もまた、聖剣の所在は存じておられないのでしょうか?」

 少々それてしまった話を戻す。

「おおっ、それよそれっ」

 意外な反応を見せたのは、むしろ長老のフラムであった。

「おぬしさきほど、妙なことを口走ったのう」

「はい? 妙なこととは、どのようなことでしょう?」

「ライナスくんはさきほど、うちのマルクが聖剣を所持しているんじゃないかといっていたが」

 マルクの父親、アロンが追求する。

「それはいったい、どういう意味だろう?」

「どういう意味といわれても・・・だってそれは、マルクの家の長男を逃さなければいけないってことは、そういう意味じゃ・・・違うんですか?」

「だがマルクの先代である此奴にしても、そんな物は持っておらんかった。これは断言できる」

「そもそも剣の威力でいうなら、むしろ長老様の家系のほうが、ずっとふさわしい魔法を所持しておられる。代々そうだ。あまりいいたくはないが、うちの魔法は落ちこぼれだ」

 マルクに至っては、剣どころか木の棒だ。とは、さすがにいわない。

「だが確かに、わしの目から見ても、ここにおるアロンもそうだったが、マルクもまた魔力量だけでいえば、かなりのものを持っておる。ただの落ちこぼれであるとは、とてもではないが思えぬのものまた事実・・・」

 だからこそ長老は、マルクの木剣を燃やしてみようと試みた。

 だが長老の言葉、これに今度はライナスが引っかかりを覚えた。

「そうだった・・・ですか?」

「そうだ。アロンは、いや此奴の父親からしてそうだったが、此奴に息子が生まれた頃から・・・いや、正確にいえば母親が妊娠した頃になるか? とにかく魔力量が急激に減少した時期がある」

「そういわれても、俺には魔法が使えないので、それが一体どういう意味なのか、あまりよく判らないのですが・・・」

「全体の魔力量が、数分の一ほどにまで減少したといえば、わかりやすいか?」

「それでいてアロンの魔力総量は、ようやく人並みといった具合なのだ」

「つまりマルクも、常人の数倍の魔力量があるってことですか?」

 これには、さすがに驚いた。マルクはそんなこと、自分ではまったくいわなかった。

 だが、二人は同時に首を振る。

「え? いや、だって、そういう話をしてたはずじゃ?」

 二人はもう一度、やはり静かに首を振る。

「マルクに至っては、木剣を召喚しているときに限るが」

「常人の十倍ほどの魔力量に跳ね上がる」

 フラムとアロン。二人の言葉を聞きながら、けれどライナスが思い出していたのは、

『わしはマルクの死を望んでおる』ーー。

 そういったエキドナの言葉であった。

「魔物だっ、魔物が出たぞぉーっ」

 そんな声が聞こえたのは、ちょうどこのときだった。


 長老の居住を飛び出すと、ライナスは疾風しっぷうの速度で駆け出した。

 足場の悪さも散乱する瓦礫の障害物も物ともせず、すぐに前方を走っていた少年、ライナスをここまで導いたドラゴナを追い越し、さらに走る。

「うおっ、はえぇーっ」

 驚きの声は聞こえたが、続く言葉は耳元で唸りを上げる風に紛れて聞こえなかった。

 さきほど会ったマルクやリラ、広場で魔法の稽古をしていた人たちの姿が見当たらない。彼らもまた魔物の襲撃の報を聞きつけ、すでに駆けつけているのだろう。

 来るときには下った階段を、今度は全速力で駆け上がる。そしてまた駆け下りた。防衛のための関なのだろうが、こんなときには邪魔だった。

 そんなこんなで戻ってきたときには、すでに戦いは終わっていた。

 問答無用で掛け値なし、『剣の一族』の完全勝利だ。

 その場にいた村人は、マルクとリラを含めても十人に満たなかったが、対する魔物の死体は、じつに数十を数えた。そのほとんどはゴブリンで、あとはコボルドが数体混じっている。

「・・・これって俺、いらなくないか?」

 なんとなくむなしさを覚え、ライナスがぼやいていると、

「あっ、ライナスさんっ」

 マルクが駆けつけてきた。

「長老様との話は、もう終わったんですか?」

「あ〜、いや、こっちにはエナちゃんがいたから、途中で切り上げて戻ってきたんだけど・・・なぁこれ、俺いらなくないか?」

 さきほどと同じ言葉を繰り返す。

「それは、まぁ・・・」マルクは苦笑した。

「さすがに不意を疲れたらマズいですけど、ここの遺跡の場所では、そう簡単にみんなが負けるとは思えませんから・・・」

「ちょうどいいわ。役に立ちたいと思ってるなら、ちょっと手伝ってもらえないかしら?」

 マルクとの会話を聞きつけたリラが、やってくるなり提案する。

「何匹か魔物が逃げたんだけど、これを追って行っちゃった人が何人かいるみたいなの」

「あー、ここの遺跡の場所が知られて、増援を呼ばれるとマズいから」

「そう。だからしょうがなかったんだけど、それで深追いしちゃったみたいなの」

「わかった。その人たちを連れ戻せばいいんだな」

「それもあるけど」

 ひとつ頷いて、さらに続ける。

「できれば、逃げた魔物の討伐をメインでお願いしたいんだけど、頼めるかしら?」

「それはいいけど、でも敵がよほどの馬鹿じゃなければ、どの辺りを調べにいかせた連中が戻ってこないのかがわかれば、それで大体の絞り込みは充分可能なんじゃないのか?」

「ええ、多分そうでしょうね。だから、わたし個人の意見をいわせてもらえば、ライナスには敵がどの辺りに潜んでいるのか? これを調べてきてほしいの」

 敵がどこに潜んでいるか。これを知りたいと考えるのは、どちらの陣営にとっても重要な情報だ。これを知っているだけでも戦略の組み立てには雲泥の差が出る。

「守ってばかりじゃ、いつまで経っても洞窟から脱出することができない。そういうことか」

「そう」とリラは頷いた。

「ここには魔力があっても、食べ物がないわ。村から持ち出したものが全部。これじゃあ、いつかジリ貧で負けてしまう。そうなる前に、わたしたちはどうにかしないといけないの」

 なるほど、とライナスは思った。夜目と機動力、これは村人にはない能力だ。さらにいえば、今のライナスの索敵能力はかなりのものだ。

「あれ? そういえば夜目で思い出したんだけど、その逃げた魔物を追いかけていった人たちって、ふつうに考えて明かりも持たずに追いかけていったんじゃないのか。だったら、その辺から呼べば戻ってくるんじゃないのか?」

 これには、リラが微妙な顔をする。どこか気まずそうにしていた。

「・・・ふつうの明かりはないけど、持ってるの、代わりになる物を」

「へぇー、そんな物があるのか?」

「ええ。明かりはないけど、持ってるのーー」

 逃げた魔物を追っていった人たちのなかには混ざっていた。

「・・・炎の剣を」

 長老フラムと同じ魔法剣を持つ男、リラの父親であるサンズが・・・。


「一度部屋に戻って、武器を調達してからいってくる」そう伝えたところ、リラに呼び止められた。

 代わりに五本、ナイフを渡される。

「一応、連絡用の意味もあるから、多めに渡しておくわ」

 もちろん、リラが魔法で呼び出したナイフだ。もし遺跡に敵が攻め込んできたときには、このうちの一本を消去することで知らせるといわれた。

「それじゃあ、そっちはエナちゃんと子供たちを頼む。中央のほうに避難させておいてくれるか」

 これには、マルクが率先して引き受けてくれた。

 こうして再び、ライナスは洞窟に足を踏み入れた。

 昨夜も通った洞窟を、今度はさかのぼって小走りに急ぐ。

 しばらくは遺跡からの明かりが暗い洞窟を照らしていたが、それも徐々に薄くなり、やがて完全な真っ暗闇になる。それでもどういうわけか、夜目の利くライナスには薄ぼんやりとではあるが、周囲の様子を見通すことができた。わずかでも明かりのある場所での視界と、完全に光のなくなった場所での視界に、どことなく違いがあると理解する。

 物の輪郭が白い線となって、ぼんやりと浮かび上がって見えるのだ。

(考えてみれば、完全に光のない場所での視界って、これが初めてだな・・・)

 これが今の、ライナスの視界のすべて。それは目に見えない腕力や体力とは違い、自分が完全に人間以外の何者かになってしまった証のように、ライナスには思えてならない。

(なんとなくだけど・・・、今の自分の体がどういう状態なのか、わかる気がする・・・)

 視界だけでなく、今度は匂いに反応する。

「こっちから新しい血の匂いがする。たぶん魔物の血だ・・・」

 あと肉が焼ける匂いがした。大気に漂う空気のなかに油が、鼻にまとわりつく匂いがする。

 五感のすべてが冴え渡っていた。そう思い込むことができれば、割り切ることができれば、ライナスはまだ楽だったかもしれない。だが生憎あいにくと、ライナスはそういう性格をしていなかった。頭の中で理屈をこね回し、そうして納得できたことだけを、正しいと思うことができた。

 だが逆に、いくら体が人間ではなくなったとしても、心が人間であると思えるうちは、少なくとも自分だけは、ライナスは人間であると信じていたい。

(なにせ人間を創った創造主のおすみきだからな、完全に嘘ってわけでもないだろう)

 今は、そう思い込むのが精一杯・・・。

 なおもしばらく暗闇の洞窟を走っていると、横穴の向こうから、ほのかに明かりが漏れているのが見えてきた。

 オレンジ色に揺らめく、炎の光だ。

「サンズさんですか? リラにいわれて迎えに来ました」

 ライナスは光に誘われた虫のように、何気ない足取りで近づいていく。

「魔物たちを探す役目は、俺が引き受けますから、皆さんは遺跡のほうに戻ってください」

 そんな悠長な呼びかけに応えたのは、

「ぐぎゃあああああああああああああぁ〜っ!」

 苦痛に満ちた悲鳴の声。

「えっ? なにがっーー」

 進める足がたたらを踏んだ瞬間、その眼前を、ものすごい速度で何かが通り過ぎていった。

 不幸なことに、今の鋭すぎるライナスの動体視力は、これが一体なんであるかを捉えている。

 ・・・人間の、それも成人男性の体だった。

 それが水平に飛んでいき、壁に張りつくようにぶち当たる。そんな姿はまるで、壁に投げつけられたトマトのような悲惨な運命をたどった。

 瞬間。ぶわっと生臭い鉄の匂いが、あまりにも生々しい匂いが充満する。

 ライナスが見つめる視線の先で、一体の巨躯きょくの魔物が、牛の頭をしたミノタウロスが、巨大な棍棒のようなものをたずさえ、たたずんでいた。

「ブォオオオオオオオオオオオオォォォ〜ッ!」

 血の匂いに興奮したか、そいつは理性の欠片もない声でえた。手にする棍棒を力任せにデタラメに振り回す。

 乱暴なまでの圧倒的な暴力に、たちまち辺りは破壊と恐怖に埋め尽くされた。

 さらに二人が犠牲となる。巨大な棍棒を叩きつけられた遺体は、とてもではないが直視するには耐えられない。

 三度みたびミノタウロスが棍棒を振り上げたとき、ライナスは遅まきながら状況を理解し、ようやく足を動かすことができた。

「逃げてくださいっ、こいつは俺が引き受けますっ。みなさんはとにかく逃げてっ」

 言葉を発した瞬間、リラから託されたナイフを片手に、ミノタウロスの首を切りつける。だが、あまりに分厚すぎる筋肉が邪魔をして、頸動脈まで刃が通らなかった。・・・ごく浅く、首の表皮を撫でただけ。首にはあまりに細い血の筋が、髪の毛ほどの線が引かれている。

「いやっ、ダメだっ。逃げられないっ。こんな化け物を遺跡まで連れて戻ることなんて、できるわけがないっ」

 燃える剣を手にする男は抵抗したが、

「うぅ、うわあぁあああ〜っ!」

 もう一人残っていた男は、なさけない悲鳴を上げて逃げ出した。

 だが、ここは暗い地の底のダンジョンだ。明かりもなしに逃げ回ることは、自殺行為に等しい。

 まして今の、半狂乱の恐慌状態とあっては尚のこと。

「サンズさんっ、はやく追ってくださいっ」

 しばしの間、サンズは歯を食いしばり、またしても首を振る。

「やはりダメだっ。敵を深追いした挙げ句、のこのこと敵を引き連れて戻れるものかっ」

「このわからず屋ァ!」

「キミの武器が、このミノタウロスに通らなかったことは、すでに見ているっ。そんな脆弱ぜいじゃくなナイフしか持たないキミを置いてなど行けるものかっ」

 自分の娘が生み出しがナイフと知ってか知らずか、炎の剣を携える男はそうえた。

 あらためて目にする炎の剣は、刃渡り90㎝ほどの片刃の剣だった。

「くそっ」

 毒気つきながら、ライナスも気づいている。ミノタウルスの視線が、そういったサンズのみに向けられている現実を。こいつは理解していた。ライナスが手にするナイフでは自分を殺すことはおろか、傷つけることだってままならないと。

 それでもライナスは、左右の手にナイフをそれぞれ持って立ち向かう。

「なら、こいつの注意は俺が引き付けますから、止めをお願いしますっ」

 ミノタウロスはかまわず、サンズに向かって直進し、手にする棍棒を振り上げた。

 ライナスは強化された動体視力でこれを見極め、すれ違いざまにナイフを一閃させる。

 これもまた、ミノタウロスの肌を浅く切っただけ。ミノタウロスは、うるさく飛び回る羽虫を振り払うが如く、さらに躍起になって棍棒を振り回した。だがライナスは、そのことごとくを紙一重で躱し、あくまで薄く浅い攻撃を繰り返す。

 人間であっても、うるさく飛び回る藪蚊やぶかなど、やはり鬱陶うっとうしいものだった。

 その点はミノタウロスも同様らしく、その注意が徐々にライナスのほうに集中する。

 瞬間、ライナスは視線を目端に動かし、手にする炎の剣に圧倒的な炎を溜め始めた、そんなサンズの姿を目撃する。

 なんとなく予想していたが、その戦い方はリラとよく似ていた。自分からは積極的に敵に向かっていかず、相手の周囲を円を描くように動き回り、すきを突いて攻撃する、その戦法が。

(今の俺にできることは、サンズさんの止めの一撃を邪魔しない、邪魔させないことだけっ)

 そう思う矢先、棍棒を振り回すミノタウロスの一撃が、深く地面を叩いた。

 おそらく狙ったものじゃない。たまたま地面を叩いただけだ。

 しかしそんな一撃は、両者にとって予期せぬ事態を引き起こす。

 あまりに強い力で叩きつけられた一撃は、地面を大きく抉って吹き飛ばした。

 さながら散弾のつぶてだった。岩塊の雨が、ライナスに向かって吹きつけてくる。

 点でなければ線でもない、面による攻撃は、いくらなんでも回避するのは不可能に近い。

 だがこれを、ライナスは持ち前の動体視力と身のこなしで回避し、躱しきれないと悟る幾つかの岩塊を、手にするナイフを動かして叩き落とし、あるいは受け流した。

 これに驚いたのは、むしろライナスのほうで。

「っ」

 一瞬の硬直。

「ブオオオオオオオオオオオオォォォォ〜ッ!」

 ミノタウロスが体ごと突っ込んできた。

 ライナスは反射的に大きく飛び退き、あっという間、洞窟の壁まで追い詰められた。

「あぶないっ」

 叫ぶ声に反応し、ライナスは手にするナイフを壁に突き立てた。軽く跳び上がり、突き立てたナイフを足場に、さらに大きく跳んで壁を蹴る。

 つごう三度の跳躍で、ライナスはミノタウロスの高さを越えた。手にするもう一本のナイフを両手に持ち替え、相手の眉間を目がけて叩きつけた。

 だがやはり、ミノタウロスの頭は固く、頭蓋を割ることがなければ、まして突き抜けることもしなかった。叩きつけたナイフは音を立てて、逆にへし折れてしまう。

 だが一瞬とはいえ、ミノタウロスをひるませ、仰け反らせるには充分な打撃と衝撃を与えた。

「サンズさんっ、いまですっ」

 着地するなり、大きく横に跳んで距離を取ったライナスを視界に認め。

「炎よっ、穿けェーっ!」

 サンズが放った一撃は、炎の上級魔法ファイヤー・レーザーを彷彿ほうふつとさせる威力と速度があった。圧倒的なまでの高温と高速による、不可避といわれる炎の高等魔法である。

 高密度に圧縮された炎の熱線は一条の光となって、ミノタウロスを灼き貫く・・・はずだった。

 だがミノタウロスは最後まで抵抗し、この一撃に右腕をまっすぐに突きつけた。

 熱線に、一瞬で右腕を焼き尽くされ、炭化させながら、それでも抗い続ける。

 やがて熱線が収まった頃、ミノタウロスは盛大な音を立てて大地に沈んだ。

「・・・倒したん、ですよね?」

 だが、その生死は不明なままだった。

「すまないが、あまり自信はない。旅の芸人をしているとは聞いていたが・・・いやまさか、君の動きがあまりに凄すぎて、圧縮させた炎がいくらか解けてしまったようだ。本来の威力であれば、あの程度の防御で焼け残るはずはないのだが・・・」

 無理もなかった。ライナス自身、この場で一番驚いたくらいだ。そのため一瞬とはいえ、硬直した。どうやらライナスの動体視力は、瞬間的な判断のほうが、ずっと鋭いようなのだ。

「とにかく。こいつを完全に焼いてしまったら、さっきの人を探して、それから一度遺跡まで戻りましょう」

「ははっ、そういえばそうだったな。すぐに逃げ出す奴だが、それでも探してやらないと」

 ほっと息をついたのも束の間。

「やっぱり、こいつはダメだ。・・・頭が悪い」

 ふと聞こえた声に振り向くと、そこには上半身が裸の、長い乱れ髪の女がいた。

「いくら力があって使えない。やはり敵を追い詰めるのに必要なのは、知識であり知能だ」

 おまけに下半身もなにも身に着けていなかったが、腰から下が長大な百足の姿をしていた。その胴だけで、ゆうに50m以上ある。なのに、そこに生えた百足の足が、すべて人間の手足なのだ。これが、てんでバラバラに生えている。前を向いているもの、後ろ向いているもの、長いものがあれば短いものがあり、色の白いものと黒いものがあった。

 そんなムカデ女の化け物が、洞窟の壁といわず天井といわず、渦を巻くように貼りついている。

「だが、まあいい。こいつはこいつで新しい実験の材料にするとしよう」

 ここが地の底でなく空であれば、そんな姿は噂に聞いた東洋ドラゴン、龍を彷彿とさせた。

「あの御方も、きっと喜んでくださるはずだ」

 驚愕きょうがくにさらされながら、それでもライナスがムカデ女を観察していると、

「なっ。あそこにいるのって、まさかっ・・・」

 ムカデの下半身の中ほどに、見覚えのあるモノが、人間状の手に掴まれて、ぶら下がっているのが見えた。

「あれはっ、ドドンガっ」

 察するに、さきほど半狂乱の恐慌状態に陥って逃げ出した男の名だった。しかし今となっては、手足ばかりか腰や首まで捻じ曲げられ、もはや生きているとは思われない。

「おまえたちの匂いはもう覚えた。これでどこへ逃げようとも、もはや逃げることは叶わないものと思えーー」

 それだけ告げるとムカデ女は、その長大な胴をミノタウロスの巨体に蛇のようにまとわりつかせ、音もなく地面や壁をするすると滑るように引き上げていく。

 ・・・こいつを逃してはいけない。

 それが判っていながら二人は、その場から身動き一つできず、ただ見送ることしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る