第5話 マルクとリラ

「・・・おにぃちゃん・・・」

 ふと聞こえた弱々しい声に振り向くと、平らな地面に敷いた厚手の毛布の上で、エナがこちらに向かって小さな手を必死に伸ばしているのが見えた。

 一夜明けて翌日。いつものようにライナスが森の採れたて山菜や茸を使って、お昼ごはんの用意をしている最中のことだった。

「どうした、エナちゃん? つらいのか?」

 見るからに具合が悪そうで、ライナスは駆け足で傍に寄る。

「なにか欲しいものはある?」

 以前は三日寝込んでいたがだが、今回は一日ほどで起き出してきた。おそらくエキドナが手を貸してくれた影響だろう。その点に関しては感謝しないでもない。

「・・・手ぇ」

 体調が悪くて不安らしく、エナは今にも泣き出しそうな顔で手を伸ばす。

「ちょっとまってね、エナちゃん。その前に水だけでも飲んでおこうか」

 ライナスは荷物の中からカップを取り出し、革袋の水筒から水を注いで渡した。エナは不安そうな顔のまま受け取ると、まず一口飲んで口とのどうるおし、それから一息に飲み干した。

「うぅ〜ん・・・、やっぱり熱が高いかな」

 額に手を当てて熱を測ると、エナは安心したように目を閉じた。なんとも気持ちよさそうな表情を見せてくれる。

「おでこ、まだ熱いね」

 念のため、もう一度解熱剤を飲ませる間も、エナはぎゅっと握ったままのライナスの手を片時も離そうとはしなかった。これがあのエキドナと同一人物とは、どうしても思えない。もしアレがエナの演技だったとしたら、この子は将来とんでもない役者になれるだろう。

「エナちゃん。調子が悪くないようなら、何か少しでも食べたほうがいいけど、どうする?」

 火にかけたままの鍋が気になり、ライナスが少し目を離した間に、

「あらら、寝ちゃったか?」

 エナはすでに寝ていた。ライナスは頬にかかる汗で張りつく髪をどけてやり、なんとなく呼びかけてみる。

「エキドナ。もし聞いてるなら、少し出てきてくれないか。俺はもう一度、おまえと話がしたい。おまえがはぐらかした俺の正体を、真実が知りたいんだ・・・」

 いくら待てども返事はない。エナは眠ったままで、答える者は誰もいない。もしかしたらエキドナは、もう二度とライナスの前に姿を見せないつもりかもしれなかった。

「さすがに落ち着いて考えたら、見透かされるか・・・」

 あの時、ライナスはエナの命を盾に、エキドナは自分を殺せないと説いたが、これはライナスにも適用された。エナを守る者がいなくなれば、まだ幼いエナは死んでしまう。ならばそれは、ライナスが見殺しにしたことになる。それができるくらいなら、最初から関わらなかった。好き好んで自分より遥かに強い魔物と戦ったりしなかった。

 そして、そんなエナを人に預けるということは、同時にエキドナも預けるということだ。

 これもまた、誰にでも任せられることじゃない。

 握ったままの手に汗が湿り、ライナスは手を離そうとしたが、思いのほか強い力で握られていて、彼は無理に離すのをあきらめた。

 夕食は、少しもたつきながら一緒に食べた。だが、エナの調子は戻らなかった。食料はともかく、そろそろ水の心配をしないといけなかった。ライナスは多少平気でも、熱があるエナはそういうわけにはいかない。しばらく考えた末、ライナスは荷物をまとめた。エナのことはエオポルドに任せ、自分は徒歩にて移動する。極力ゆれを減らすため、あくまで行動はゆっくりだ。

 空には半分の月と満天の星々が覆い、地上は意外と明るい。道があるとはいえ、本来夜の森を移動するのは愚の骨頂だが、それと意識して以降、どういうわけかライナスは夜目が利いた。

 例の猿トロルを埋葬まいそうする際にも、それは顕著けんちょに理解できた。ライナスの力は以前とは比べ物にならないほど強くなっている。掘り返す地面が、まるで柔らかい粘土のように軽かった。あっという間に墓穴は掘られた。

 このときの心境は、しかし、ほとんど証拠隠滅のそれに近かった。

 言葉を交わす相手もなく、ライナスは無言のまま、それでも時折エナの容態を気にしながら歩いていると、ふいにエオポルドが立ち止まった。

 いったい何事かと、振り返るライナスの足も、また止まる。

 エオポルドはしきりに森の一点を注視していた。そこから一歩も動こうとしない。軽く手綱を引いてみたが、やはり効果はなかった。

「おーい、どうしたんだー、エオポルドぉー」などと、のんきな気分にはならない。いきなり座り込んだなら、歩くのが嫌だ。疲れた。お腹が空いた。もう寝たい。というのも頷ける。

 だが今、鹿は森の一点を見つめていて、そこから動かなかった。これでなにかあると思えなければ、そいつに旅をする資格はない。・・・仮に、実際は鹿の気まぐれで、なにもなかったとしてもだ。

 ライナスは意識を集中させた。どんな些細なことも見逃さず、どんな音も拾い、どんな気配も逃さない心境で。そして気づく。

「・・・誰かが、戦ってる?」

 まだかなり遠い場所だったが、何者かが戦っている音を、その気配を感じた。

「どうする?」

 エナのことを考えれば、ここは逃げの一手のみ。

 だがライナスは手綱を手放し、走り出した。何者かが争うその場所へ。

 そのすぐ後ろを、鹿のエオポルドが追いついてくる。

「おまえはエナちゃんと一緒に、ここで待ってろっ」

 けれど鹿は聞かない。足場の悪い山中を、ライナスを追い抜き、駆けていく。

「だから、背中のエナちゃんをあんまり揺らすなっていってんだよ、この鹿やろうっ」

 足に力を込めて追いすがった。手綱を掴もうとして手を伸ばし、ひょいっと躱されてしまう。

「よけんなっ、アホぉーっ!」

 叫ぶ刹那、無数の気配が迫りくる。ライナスは反射的にナイフを抜いた。飛来する一つを叩き落とす。小さな火花を散らす金属音。それは一本のナイフのようで。

「っ!」

 けれど気配は無数にある。ナイフは続けざまに数十本、まるで夕立のように大地に降り注いだ。

 ライナスは間一髪これを躱し、また幾本かをナイフで叩き落としたが、完全には防ぎきれなかった数本が、羽織ったマントの端を切り裂く。

 慌ててこれが飛んできた方向に視線を送り、そこに荒く息する獣がいた。

 振り乱した長髪に、激しく上下する肩、血みどろの肌。ぎょろりと見開かれた血走った両のまなこが、近づこうとする何者をも受け付けないと物語っていた。

(まずいっ)

 思ったときには、すでに遅い。さらに虚空に生まれた数十を数えるナイフが、ライナスではなく、エナを乗せたエオポルドのほうを向いている。

 月夜に銀光を返し、無数の筋が走った。

 ライナスは死を予感した。なす術もなく、せめてエナの盾となるべく覆いかぶさる。

 今更のように、失敗したとばかり、鹿が啼いた。

「リラッ、その人ッ、人間ッ!」

 ふいに響いた悲痛な声に、血走る瞳に理性の色が灯った。

 瞬間、ライナスに死をもたらすはずだった無数のナイフは、銀の鱗粉を撒き散らし、これが現れたとき同様、一切の予兆なく虚空に消えた。

 ナイフの切っ先は今まさに、ライナスの背中に突き立つ寸前のところであった。

「マル、クっ・・・」

 壊れた人形のような、ぎこちない動きで、獣を思わせた少女は声のほうを見た。

 そこに、まだ幼さを残した、どこか頼りなさそうな顔をする少年が一人、少女と同じく息も絶え絶えの様子で、木にもたれ掛かるようにして立っている。

「・・・・・・・・・・・・」

 一呼吸の静寂のあと、獣を思わせた少女は、その場にどっと倒れた。

「リラっ!」

 慌てて駆けつける少年を、ライナスはまだ惚けた顔で、じっと見ている。

 緊張から解放された鹿が身震いし、これに弾かれたライナスは、ようやく正気を取り戻した。

「・・・その子、大丈夫なのか?」

 近づいて見下ろした女は、全身血まみれで赤く染まっていた。いや、ところどころ青黒い液体が付着している。ライナスはこれに見覚えがあった。

 ーー魔族の血だ。

「あ、はい、大丈夫だと思います。眠っているだけ、ですから・・・」

 少年は頼りなさそうな顔で振り返り、後ろに立ったライナスを見上げる。

「この子自身は、怪我をしていないはずですから・・・全部、魔物や魔族の返り血です」

 いわれて初めて、周囲の惨状さんじょうに、おぞましいまでの臭気に気づく。あたりはおびただしいほどの数、魔物や魔族の死体で埋め尽くされていた。

 その数は百や二百では到底足りない。それは森の奥深くまで、ずっと続いている。

「それはつまり、この子は全身が相手の返り血で血みどろになるまで戦ってたってことか?」

 ライナスは、ぞっとする。そんな相手に、ほとんど無意識の状態で攻撃を仕掛けられた。

 どう見ても年下。しかも女の子がそんなに強いなんて、ライナスはもう一度身震いする。

「さっきのナイフは、魔法なのか? あんな魔法、見たことも聞いたこともないけど」

「・・・すみません。リラは、この子はずっと戦っていたものですから、視界に入るものすべてが敵に見えていたんだと思います。さっきは本当にすみませんでした。怪我がなくて、本当によかったです」

(はぐらかされた?)なんとなく、そう思う。だがこれも、エキドナの影響かもしれない。ライナスは少々、被害妄想のがでてきたのかもしれない。

「あなたは、カーニスから来たんですか?」

「いや、カーニスは魔物に滅ぼされたみたいだ。俺たちは王都のほうから来たんだ」

「そう、でしたか・・・。だから、こっちのほうにも魔物が来たんですね」

 後半、彼は小声でつぶやいた。今のライナスの耳に、やっと聞こえる程度の声だった。

「こっちって? そういえばキミたちは、どこから来たんだ? 俺の知る限り、この辺りには、ほかに人が住んでる場所はなかったはずだけど」

 少なくとも地図には載っていない。山頂国境付近には砦があるが、どう見ても二人は兵士に見えない。兵士の子供とすると、今度はカーニスのことを知らなかったのは不自然だ。

(隠れ里、みたいなものかな?)そう思う。

 そこから導き出される可能性を考慮し、ライナスは思い切って訊いてみた。

「もしかして、キミも強いのかな?」

 少年の顔が、たちまち苦痛に歪む。奥歯で苦虫を噛み潰したように、後悔の念がにじみ出る。

「僕は、強くない。・・・違う、弱いんだ。だから誰も守れない。リラにも迷惑をかけた、村のみんなにも・・・リラに守ってもらわなければ、僕はとっくに死んでいたんだ・・・」

 知らないこととはいえ、ライナスは無神経にも彼の触れられたくない何かに触れてしまったようなのだ。だからじゃないが、ひとまず村という単語は聞かなかったことにする。

「今回守れなかったなら、つぎは守れるようになればいいだけだろ。それに今は、少なくともその子には、キミの助けが必要なんじゃないのか」

 そういってライナスは、残り少ない水筒の水を少年に向ける。

「俺はライナスだ。それでキミたちは・・・たしかリラと、マルク・・・で、いいのかな?」

 差し出された水筒を受け取って、少年はしっかりと頷いた。

「はい。僕がマルクで、彼女はリラです」

「そうか。で、あっちにいるのが俺の旅の連れで、エナと、おまけの鹿のエオポルドだ」

「・・・鹿、なんですか?」

「そうだ。見てのとおり鹿だ。おかげでたまに、鹿の人って呼ばれることがあるぞ」

 ライナスの返答に、少年は初めて笑顔を見せた。それは年相応に見えて、ライナスは少しだけ気持ちが楽になる気がした。

「なにかの本で読んだ記憶がありますが、たしか北の山岳地帯に暮らす人たちが、鹿を乗用するために調教しているとか・・・もしかして、その鹿ですか?」

「おっ、詳しいな。でも残念ながら、どういうわけかは知らないけど、こいつは野生のくせに最初から人を乗せてくれたんだよな」

「ええーっ、そんなことってあるんですか?」

 ちょっぴり気持ちがなごんだところで、マルクは残り少ない水を全部、リラにあげてしまった。彼女は水を飲むだけ飲むと、また気を失ったように眠ってしまう。

「水はもうないけど、かわりに木の実でも食うか? なにもないよりはマシだと思うぞ」

 マルクはリラの身柄を鹿に預けた。ライナスは眠っているエナを背負って歩き出す。

「逆に喉が渇きそうですけど、じつはお腹も空いているので、もらえますか?」

「はいよっ」

 放って寄こした小ぶりのリンゴを一かじり、マルクの顔がきゅーっとしぼむ。

「くぅ〜〜〜っ。ちょっとばかり、酸っぱいですねぇ〜っ」

「あはははっ。自生してるやつは大抵そうだからな。あとで買ったやつを一つあげるよ」

「これはこれで利きそうですけど・・・そうですか、買ったヤツもあるんですね」

 マルクは少し恨めしそうにいって、残りを無理やり飲み込んだ。

「まあそうだな。ここのだけの話、エナちゃんには、あまり酸っぱいのをあげられないからな」

「ああ〜、そういうことですか・・・」

 新しい木の実を受け取って、マルクはこれを見つめた。申し訳なさそうに一つ頷く。しゃくりっとかぶりつき、さっきとは違う甘さに喉を鳴らした。

「この辺りに詳しいなら、どこかに水が確保できる場所を知らないかな」

 歩き出しながら、やはり気になったのは水のことだ。魔物に襲われた村の事情も気になるが、まずは生きることが先決だ。

「・・・・・・マルク?」

 返事がないので振り返ると、なんとマルクは歩きながら半分寝ていた。疲弊ひへいしていたところに、お腹にものを入れたことで、いよいよ限界がきたのだろう。人と会って会話を交わし、安心したのもあるかもしれない。

「おいおい、こんな所で寝るなよな。・・・起きてるのは、俺だけかよ」

 情けない顔でぼやきつつ、ライナスはどうにか寝られそうな平らな地面を探して歩いた。


 まだまだ早朝は冷え込みが厳しい今の時期に、ライナスは山菜やキノコ採りのついでとばかり、芸人としての訓練もおこたらない。比較的登りやすそうな真っすぐ伸びた巨木を見つけ、するすると駆け上がる。およそ10mある樹木を、わずか5秒ほどで登りきった。これは明らかにおかしい。いくらなんでも速すぎる。芸人としては喜ばしいかもしれないが、人としてはありえなかった。ライナスは超人でもなんでもない、ただの人なのだ。

 木の頂上から、ライナスは無作為に跳んだ。命綱なんてつけていない。なのにライナスは両手両足のバネを器用に使い、着地の際に生じた衝撃をすべて受け流した。あるいは受け止めたのだ。怪我ひとつすることなく無事、着地に成功する。

 ライナスは動体視力に夜目、膂力りょりょく、持久力、バランス感覚、果ては聴覚や気配察知の能力など、ありとあらゆる感覚が飛躍的に向上していた。

 不都合なことはなにもない。でも、どうしても思わずにはいられなかった。

(・・・俺は、いったい何なんだ? ほんとうに人間なのか?)

 一瞬は、自分もまた、あの子供勇者のようになっただけ、そう思い込もうとしたが、やっぱりダメだった。いや無理だ。ライナスは自分の限界を知っている。自分は凡人でしかなかった。

 それが一転、いきなりわけの判らない力を与えられたからといって、これを楽観して喜べるような生き方を、これまでしてこなかった。少なくとも理由がいる。この力の源がいったい何なのか、それこそを知りたい。

 エキドナはいった。自分の力は周囲にある魔力を活力に変える力であると。

 つまりその結果、ライナスの全体的な能力が向上した?

「そんな単純な力とは、とても思えないんだけどな。それに仮初めの活力、とかいってたっけ?」

 ーー黒鳥の勇者を作ったとも。

「もしもエキドナのいったことが本当なら、俺はどっちかっていうと黒鳥の勇者のほうに近いのかもしれないな・・・」

 最悪の時代を救った伝説の勇者を生み出した存在が、ほんとうにあのエキドナだったとしたら、ライナスが与えられた力は、能力は、あるいは世界を救いうる力のはずだった。

「とはいえ、実際には、そこまでの力は感じないんだよな・・・」

 少なくとも、あの日、小さな勇者が戦った魔王の力は、こんなものではなかった。

「おっ。お帰りなさい、ライナスくん。いつもすまないねえ、お勤めご苦労さん」

 朝の収穫を切り上げて、ライナスは戻ってきた。ここ、第7ラップタウンの宿場町の宿に。

「いえ、ちょっとばかり人数が増えてしまったので、申し訳ないと思っていたので、逆の丁度よかったと思ってます」

 いつも陽気な宿の女将さんに迎えられ、ライナスは森で採ってきた収穫のすべてをテーブルに広げた。山菜と茸、木の実に・・・。

「あら、今日は鳥があるじゃない。最近じゃあ、なかなか手に入らなくてねえ。これも貰っちゃっていいのかい?」

「はい、どうぞ。軽く下処理だけしてありますから、あとはお任せします」

「あらあら、それじゃあ今夜は鹿鍋にでもしようかねえ」

「どさくさに言っても、エオポルドはダメですよ。エナちゃんが本気で泣きますから」

「あらあらあら、そうだったわねえ」

 いつものおふざけもそこそこに、ライナスは女将さんへの挨拶を済ませると、以前も泊まった二階の部屋に向かった。

 ドアを開けて中にはいると、部屋の左右に置かれた二つのベッド、その片方に小柄な少女と幼い少女が折り重なるように一緒に寝ていた。リラとエナの二人である。

 リラは汚れを落としてしまうと、予想以上の綺麗な顔立ちをしていた。将来といわず、今の時点で充分、美人で通る容姿をしていた。第一印象が鬼神のような戦いっぷりだったこともあり、ライナスは先入観があったようだ。正直、鬼のような夜叉やしゃの素顔を想像していた。

 エナは、そんなリラの栗色の長い髪の上で、体を大の字に開いて寝ていた。その手がリラの顔にかぶさっていたが、リラはそこに自分の手を重ねて寝ている。

 そして反対側の壁際のベッドには、少年マルクの姿が見当たらない。

「・・・また、いつもの所かな」

 寝ている二人を起こさないよう、ライナスはそっと扉を閉めると外に出た。向かった先は、宿の裏から続く道。その先にある、ちょっとした丘になっている広場だった。

 そこに、少年マルクはいた。手にする木剣を一心不乱に振っている。ライナスがやってきたことにも気づかない様子で、彼は上段の位置から正眼の位置まで、同じ動作を繰り返す。

 町に戻ってから三日というもの、彼はほとんどの時間を剣の鍛錬たんれんに費やしている。

 だが彼は、戦士でなければ剣士でもない。ライナスが考えたとおり、やはり二人は魔法使いだ。

 リラは二日ほど眠り続けたあと、ようやく目を覚ました。このとき傍にいたのはライナスで、彼女は目を覚ますと同時に、無数のナイフを虚空に呼び出し、問答無用で放ってきた。

 ライナスは手元に武器もなく、座っていた椅子を手に取り、これを盾とした。

 突然の騒ぎに、隣のベッドで寝ていたエナが飛び起き、わんわん大声あげて泣き出したところ、少女は自分の過失に気づいたらしく、慌てて矛ならぬナイフを納めてくれた。

 なかなか泣き止まないエナをあやしていたところ、遅れて部屋に帰ってきたマルクも交え、リラはベッドに正座して頭を下げた。

「ごめんなさいっ。なんていうか一瞬、魔物がいるって思ってしまったものですから・・・」

 ライナスは、寝ぼけていただけ、あんな事があった後なのだから仕方ないといってなだめたが、正直かなり傷ついた。自分は一体何者なのか。そう思い悩んでいただけに、そんな一言はなおさら深く胸に刺さった。・・・魔法のナイフより、言葉の刃物のほうが痛かった。

「二度ならず三度までもっ、ほんとうにすみませんでしたっ」

 ベッドの横に立つマルクは、まるで自分の失態のように至極しごく恐縮していた。

「三回目っ」リラはびっくり仰天ぎょうてんだ。さらに深く頭を下げた。よっぽど恥ずかしかったらしく、彼女は湯気が出るほど真っ赤だった。

 あえて言及しなかったが、ライナスはその三度すべてで死にかけている。このうち二度は、マルクとエナがいなければ、串刺し状態の滅多刺しになっていた。最初の不意打ちに至っては、身体能力の向上がなければ、つまりエキドナの加護がなければ、攻撃を受けた事実に気づかず死んでいた。それほど速く、正確無比な彼女の攻撃だった。

「もうすぐ朝食の時間だぞーっ」

 のんびりと声をかけると、

「ライナスさんっ」

 はっとして、少年は振り返った。

「・・・はい、もう少し続けたら戻りますから、ライナスさんは先に戻っていてください」

 いつものようにそういうと、マルクはまた稽古を繰り返す。彼が聞かないことはすでに承知しているので、ライナスはその場に腰を下ろし、待つことにする。

 マルクはちらりちらり、何度も視線をライナスに向けた。

「あのぅ、ライナスさん・・・」

 じっと見られていると気まずいのと、自分が聞かないことを抗議されている自覚があるのだろう。

「あんまり見られていると、そのぅ、やりにくいんですけど・・・」

 マルクは二重の意味で恐縮する。

「マルクのそれは、やっていて意味があるのかなって、そう思って見てたんだけど・・・実際のところ、どうなんだろ?」

 マルクの顔が苦痛に歪む。ライナスの発言は嫌味でもなんでもなく、事実でしかなかった。

「意味があるかどうかは、実際にやってみないと判らないと思いますっ」

 少しムキになって、マルクが返した。

「でもマルクは、戦士でなければ剣士でもない。キミは魔法使いなんだろ? 魔法使いが戦士の真似事をしたところで、たいした意味はないと思うぞ。やっぱり魔法使いなんだから、魔法の訓練をするべきだ」

 自分は騎士に向いていなかった。そういう意味を込めていったつもりだったが、マルクはそんなライナスの事情を知らないわけだから、これが伝わるはずもない。

「放っておいてくださいっ。そもそも僕には魔法使いとしての才能なんてありませんからっ」

 マルクはかえってムキになる。

「じゃあなんで、いまだに木剣で稽古をしてるんだ」

「っ!」

 マルクは二の句が継げない。ぐうの音も出ない。それが図星だったから。

「マルクがほんとうに戦士として強くなりたかったら、それこそもっと強い武器を頼るべきだ。そうすればある程度までなら簡単に、今より強くなることができるはずだ。でもマルクは自分の魔法を捨てることができない。忘れられないんだ。それがマルクの誇りだから」

「素振りぐらいっ、どんな武器を使ったっていいじゃないですかっ」

「その木剣に、ふつうの剣と同じか、それ以上の重さがあるっていうなら、そうかもしれないけど。でもその木剣はマルクが魔法で生み出した、重さをまったく感じない武器なんだろ。そんな羽みたいに軽い武器があるっていうなら判るけど、そうじゃないなら意味はないと思うぞ。結局マルクは、自分でまったく威力がないっていった木剣を武器に戦うつもりなのか? それなら最初から、魔法としての木剣を捨てるべきじゃないって、俺はそう思うけどな。未練があるうちは、まだ捨てるときじゃない。でもこれは、一度は諦めたことのある人間の言い分だから、あんまり真剣に聞かなくてもいいぞ。ただそういう考え方もあるって、その程度でいいから、もう一度よく考えてみたらどうだろ」

 本当は、自分でもわかっていたらしく、マルクは木剣から手を離した。だが木剣は宙に浮いたまま、そこにある。それが彼の魔法だった。マルクは自分で生み出した木剣をある程度の距離、だいたい20mの範囲で自在に操ることができた。創造と遠隔操作の魔法らしい。

 この距離のアドバンテージを捨てて戦うほど、おろかな行為もないはずだ。

「僕は、村でも一番弱い魔法使いだったんです」

 言葉と同時、宙に浮いた木剣が、すーっと消えていく。マルクの意志で消したのだ。

「村で一番って・・・まるでマルクの村では、全員が魔法を使えるみたいにいうんだな」

 マルクはむしろ、不思議そうな顔をライナスに向けた。

「そうですけど、それがどうかしたんですか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 ライナスは言葉も出ない。顔が引きつるのが自分でも判る。そんな馬鹿げた話、聞いたことがなかった。だが事実だろう。だからこそ余計、マルクはコンプレックスを抱えている。もしかしたら周囲から、とくに同年代の友人から、マルクは魔法のことで、しつこくからかわれたのかもしれない。

『マルクの弱っちいのが感染うつったらどうすんだよっ』

 そんな光景が、なんとも容易に思い浮かぶ。

「僕は、リラみたいに器用じゃないし、たくさんの武器を一度に召喚できるわけでもない」

「そうだな。あの子の魔法は、本当に攻撃的で、とんでもなくすごかったからな」

「そんな僕がちょっと訓練したからって、それですぐに強くなるなんて不可能なんです」

「でもそれは、剣の訓練にしたって同じじゃないのか?」

「それでも、なにもしないでいることなんて、僕にはできませんっ」

 だからこそ、マルクは魔法の訓練をするべきだと、そういっているわけだったが、彼には伝わらなかったようだ。リラが寝込んでいるうちは、まだ彼女の介抱かいほうが優先された。だが、それも回復してしまえば、いよいよ問題の先送りはできなくなる。それで焦っているのだろう。

「なのに、どうして・・・。そんな弱い僕を逃がすために、村のみんなが命がけで時間を稼がなくちゃいけなかったのか、僕にはそれが、どうしても判らないんです・・・」

 それが悔しくて、マルクは俯いてしまう。村のみんなに合わせる顔がなかったから。

「マルクの家は、村のなかでも有力者か何かだったのか?」

 マルクは俯いたまま、無言で首を振る。

「なら、リラの家はどうなんだ? あの子の家は、そういう家だったのか?」

「・・・いえ、違います」

 今度は声に出して否定した。

 なにか微妙な間と含みを感じたが、ここでは問わない。

「それじゃあ、リラは村でも上位の魔法使いだったのか?」

「それは・・・、はい。リラは村でも一番っていっていい、剣の魔法使いでした」

 彼らが使う魔法は、剣の魔法だった。なにもないところから剣を生み出す。そんな魔法だ。

 そんな自分たちのことを、彼ら村の人たちは『剣の一族』と、そう呼んでいたらしい。

「でも、それがどうかしたんですか?」

 マルクは顔を上げた。おかしな質問を繰り返しするライナスを、不思議そうに見つめる。

「いや、なに、そういうことならリラのほうが、本来逃がすべき対象だったんじゃないかなって、そう思って訊いてみただけだ」

「それは・・・、はい。そういうことなら僕も、納得できたと思います・・・」

 でも。そう続きそうな言い回しをして、けれどマルクは、それ以上なにもいわない。

 それで、なんとなく判ってしまった。村の長と思われる人物は、きっとこういう言い回しをしたのだろう。「リラよ、マルクを連れて逃げろ」と。もちろん、そういわなければリラが逃げないと思った。そういう考え方もできる。だがマルクは十二になる少年だ。そしてリラは十四だ。そんな子供二人だけが護衛もなく逃されたのだとしたら、この二人にはなにか特別な秘密がある。・・・かもしれない。そう思いたくなるのが人情というものだ。

 そのことは彼らを追ってきた魔物や魔族たちの死体の山が、物語っている。

「あ、そういえば、マルクたちの魔法は杖を使わないのか。ふつうは杖の力を借りれば、もう少しくらいは攻撃力が上がったりするものだろ」

 杖、ロッド、ワンド、ほかにも魔法力をあげる武具や道具は多々あるが、魔法使いといえば、なんといっても杖だった。これを使って魔法の威力を底上げするのは定番中の定番だ。

「いえ、昔はそういうこともあったそうですが、ずいぶん前に使用する魔法を剣の形に定めてからは、意味をなさなくなったと聞いています。でもおかげで、ほかの魔法は一切使えなくなってしまいましたが・・・」

「へぇー、そうなんだ。使用する魔法を限定するとかって、できるものなんだな?」

 元々魔法は、杖がなければ使えなかった。でも研鑽けんさんの末、杖なしでも使えるようになった。それでも杖を使えば魔法力の増加が望めるのは、自明じめいの理だ。誰でも知っている事実である。

 杖は最初、泉の精霊から与えられたと伝わっていた。それまで人間は、一切の魔法が使えなかった。『始まりの魔法使い』そう呼ばれる人物の登場である。

 ふと、ライナスの脳裏に浮かんだのは、エナの顔をするエキドナだった。

 なぜか知らないが、泉の精霊と彼女の存在が重なって、関連付けて思い出された。

(まさかな?)という思いを断ち切って、ライナスは立ち上がる。

「まあ、とにかく。そろそろ二人が起き出してる頃かもしれないし、一度宿に戻るか」


「わたしは反対よ」

 朝食の後、これからどうするかという話の流れになって、マルクが一度村に帰ってみたいと言い出したところ、これを即座に反対するリラの声だった。

「それは俺も反対だけど、でもいつかは帰らないといけないのは事実なんじゃないのか?」

 部外者は黙っていろとばかり、ライナスはリラににらまれた。これを目にするエナが、すかさずライナスの背中に隠れてしまう。リラは慌ててつくろう笑顔をエナに向けた。

 リラはエナからは、怖いお姉ちゃんと思われている。リラが目を覚ましたあと、改めて挨拶したときも、やはりライナスの背中に隠れてしまったエナを目にして、「小動物みたいでかわいい」そう思って微笑ほほえましく見ていたところ、これを聞いたマルクに、「何いってんの、リラ? リラが怖がられてるだけだよ」といわれ、膝から崩れ落ちるくらいショックを受けていた。

「それじゃあリラは、これからどうすればいいっていうのさ?」

 非難がましいマルクの声に、リラは表情を引き締めた。

「そりゃあ当然」

 片手を胸に当て、誇らしげにご自慢の提案を披露する。

「このあと王都に出向いて兵を借り、村を奪還するに決まってるじゃない」

「あ、それは無理だぞ。王都は壊滅状態だからな、動かせる兵なんて全然いないぞ」

 口をはさむと、リラは顔を真っ赤にして目尻に涙を浮かべた。恨めしそうにライナスを見つめる。

「というか、今の時期はどこにも温存兵なんていないと思うぞ。ここの宿場町が例外的に無事だっただけで、どこの国も大きな都市は、あらかた被害を受けたみたいだからな」

 この話はすでに、マルクにはしてあった。そして実際、彼はエオポルドを借りて王都まで出向き、これが事実であったと確認している。だからこその、冒頭のやり取りだ。

 まったく話についていけない暇なエナは、ライナスの首にぶら下がって遊んでいる。

「それに、そもそもの話だけど、マルクたちの村って、いわゆる隠れ里みたいな所だよな。そんな場所に部外者を連れて行ってもいいのか?」

「でもライナスさん、様子を見に戻るだけならともかく、そうでもしないと村を奪還することなんて永遠に不可能だと思いますよ」

「それは、まあそうか・・・」

 一応は納得するが、ライナスは不思議でたまらなかった。

「でも、その村を襲った魔物の群れって、そんなに強かったのか? それとも、そんなに大群で襲ってきたのか?」

 マルクはいった。リラは村でも一番の魔法使いだと。実際、ライナスもリラの攻撃力については身を持って体験していた。そんなリラをして逃げ出すしかなかった魔物の存在、あるいは軍隊としての能力について。

「強いというのもありますけど、でもそれ以上に得体が知れなかったんです」

「得体が知れないって?」

 ライナスが首をひねると、リラが補足して答えた。

「たしかに数は多かったけど、でもそれ以上に、そのあと出てきた魔物が、これまで見たことも聞いたこともない異様な姿をしていたのよ」

「異様な姿って、どんなふうに?」

 ライナスはますます首を傾げた。その頭に両手をかけて、エナが一生懸命、登山に勤しむ。

「どんふうにっていわれても、いていうならこう、基本的には人間とそんなに変わらない感じなんですけど・・・」

 いいかけて、マルクは頼りなさそうにリラを見やった。

「なんていうのかしら? 体の部分部分がこう、獣とか虫みたいな感じなんだけど、そこに人間の要素が混じってるっていうか・・・とにかく不気味な感じだったのよ」

「イマイチよくわからないけど、なんとなくアラクネみたいな感じってことか?」

 アラクネは上半身が人間で、下腹部から下が巨大な蜘蛛の姿をした魔物だった。だが、これはすでにいる。たしかに不気味かもしれないが、いまさら特別異様とはいえなかった。

「いえ、もっと細分化した感じで・・・」

 エナはひとしきりライナスを登ってしまうと、今度は頭を下にして背中に張りつく。

「見たままをいえば、体は人間なのに、その手が獣で、なのに足が虫なのよ」

「ああ〜、色々混ざってる感じなわけだ?」

 エナは「コアラぁ〜」とかいっているが、頭が下なので、むしろエナが虫みたいだ。

「そう。そんな感じ。あと具体的な奴で、上半身が人間で、腰から下は百足むかでなのに、そこに生えてる足が人間の手足をした化け物もいたわね」

「それは異様っていうか、なんか気持ち悪いな」

「だから、一目見て判ったわ。こいつらは、これまでの奴らとは違う。異常なまでに強いって」

「僕は、そういうことは全然わかりませんでしたけど・・・、とにかく不気味な感じだけはしていました・・・」

 どこか悲しそうに、マルクがつぶやく。

「ああ、こいつらはついに本気を出して、村を滅ぼしにかかってきたんだって・・・」

 しみじみいったマルクの言葉に、ライナスは違和感を覚えた。

「・・・ん? ちょっと待って。それってつまり、もしかして魔物の進軍から二週間あまりの間、ずっと戦い続けてたって意味じゃ、ない、よな・・・」

 本来ありえないはずの妄想を、妄言を、けれど二人は笑い飛ばすことなく、

「そうですけど?」

 なんとも平然とした口調で、

「それがどうかしたの?」

 肯定して受け止めた。

 都市どころか村のレベルで、それは異常もいいところだ。彼ら『剣の一族』は、あまりにも強すぎたのだ。だから魔王にも目をつけられた。もしかしたら、ここの宿場町が無事だったのは案外、そんな彼らが戦い続けていたおかげかもしれない。

 カーニスの町が徹底的に破壊され、その後マルクたちの隠れ里が襲われたのだとしたら、・・・もしかしたら、そういう事かもしれない。なんとはなしに、唐突にそう思った。

「もしかして、だけど・・・」

 いいかけて、ライナスは口に溜まった唾を飲み込んだ。それから続ける。

「あるのか、キミたちの村に・・・世界樹の聖剣の一本が?」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 あまりにバカげた質問に、二人はなにも答えなかった。けれど半ばりかけたマルクとリラの表情が、それ以上に物語っている。

 その妄想が、事実であると。

 おかしいとは思っていた。マルクとリラが、まったく慌てていないことを。二人は最初から確信していたのだ。自分たちの村が滅ぼされることは、決してありえないと。

 その理由が、聖剣だった。

「まあ教えろっていわれても、はい、そうですって教えられることじゃないだろうけど。それで、マルクが持ってるのか? 世界樹の聖剣を、カーニスに伝わるっていう聖剣を」

 マルクとリラは、一瞬だけ視線を交わしてから、けれど小さく首を振り。

「いえ、今さら信じてもらえないかもしれませんけど、僕はそんな物を持っていません」

「でも村の人は、マルクを連れて逃げろっていったんだろ? だったらーー」

「そんなこといわれても、私たちもなにも知らされていないのよ。ただ昔から、なにかあったときにはマルクの家の長男を連れて逃げろって、ずっとそういわれ続けていただけなのよ。だから、うちのおじいちゃんも、それを忠実に守っただけで・・・」

「ん? ちょっと待って。うちのおじいちゃんっていうのは?」

「長老で村長だけど?」

 即答するリラに、ライナスはマルクを見やった。彼は、リラの家は村の有力者ではないと、そういっていたはずだった。あれは嘘だったのだ。

「マルクぅ〜」

「ごめんなさい・・・、ウソ、ついてました・・・」

「ほんとにマルクは嘘が下手だな。どうせあれだろ。村の長が孫娘だけを逃したみたいに思われるのが嫌だったとか、そんなところだろ」

「なにマルク、あんたそんなこと考えてたの?」

「だから違うって言いたくて、でもそんなこと、わざわざいうわけにもいかなくて、それで、ほかにいいようもなかったから、つい・・・」

 リラは反省しきりのマルクを見かねたらしく、

「で。ライナスのほうは、とっくに気づいていたと?」

 話の先をライナスに向けた。

「まあ一応は、なにかあるんだろうな程度には」

 リラの気持ちがわかったので、追求することなく素直に答えた。さらに続けていう。

「それにしても、なんで家の人じゃなくて、わざわざ長男に限定してるんだろうな。次男じゃダメってことだよな」

「ええ、そうみたい。弟はもちろん、姉でも妹でもダメね。さらにいえば直系で、マルクの家に長男が生まれた時点で、父親から息子にその役割が移るみたいにいっていたわ」

「なんだろうな? ものすごく興味深い話だな」

「いくら興味深くても、意味なんてないよ」

 完全にいじけてしまったマルクは自棄やけになって、投げやりにぼやいた。

「・・・だって僕は、見てのとおり、どうせダメダメの魔法使いだからね」


 この日のうちに、マルクとリラの二人は、ライナスたちと別れた。最後は迷惑をかけたびと世話になった礼をいい、それだけだ。じつにあっけない。

 二人はこれから、村の様子を一度見に戻るようなことをいっていた。

 ライナスは引き止めたが、二人の意志は固かった。

「二人を逃した村の人たちの気持ちも考えてみろ」

 そう説いてみたが、二人は一瞬苦そうな表情を見せただけで、微苦笑して首を振った。

「村に聖剣がないと知られたら、きっとみんなは殺されてしまう。だから、そうさせないためにも僕たちは、どのみち村に帰らないといけないんです」

 村に聖剣があるから慌てなかった二人と、村に聖剣がないから、みんなを助けるために帰ろうとする二人。いったいどっちが真実か。なにがなんだか、ライナスにはもう判らなかった。

「・・・カーニスの聖剣か?」

 ベッドに仰向けになりながら、口にしてみると、なにかが思い出される気がした。

(なんだろうな? なにかが引っかかってるような気がするんだけど・・・、なんだろう?)

 ふと、指先になにかが触れたような気がして顔を向けると、足元にエナがいた。

 いつからそこにいたのか、少女はライナスと同じような格好をして転がっている。規則正しく、お腹が上下しているところを見ると、どうやら眠っているようだった。

 ライナスは無作為に、エナの髪をやさしく撫でた。さらさらと柔らかく、すべすべ、ふわっとしている。気持ちいいのか安心するのか、エナは眠りながら、くふふっと笑った。

 そんなエナの寝顔を眺め、ふとライナスが考えたことといえば、

「なんじゃお主、エナに欲情しておるのか?」

 いきなりエナの目が、ぱっと開いた。ライナスは心臓が大きく跳ねる。いわれた内容にではない。その大人びた威厳ある声に。おかげで心臓が痛いくらい、激しく鼓動を繰り返す。

「いくら呼んでも出てこなかったくせに、どうでもいいときには出てくるんだな」

 ラインスは面倒くさそうに体を起こし、ベッドに胡座あぐらをかいて座った。

「冗談はともかく。よいのか、あの二人を行かせてしまっても?」

 エナ、ではなくエキドナは、仰向けのまま話を続けた。どうやら起き上がる気はないらしい。

「いいも悪いもないだろ。あの二人のこれからは、自分たちで決めるべきだからな」

「そういう平時の話ではない。お主は探しておったのではなかったのか、自分の代わりに魔王を倒してくれるであろう逸材を」

 その話を、エキドナにした覚えはなかった。だからきっと、エキドナはエナとの会話を把握はあくしているのだろう。・・・なら、その逆はどうだろう。それが気にかかる。

「たしかにリラは強かったけど、それでも魔王と戦えるかっていわれたら、どう贔屓目ひいきめに見ても無理だと思う。それこそ聖剣でも持ってない限りは、話にもならないだろうな」

「なるほどのう。それがお主の見立てか?」

「そう、だな。そういうことになると思う」

 ライナスは即答して、ややつかえながら答えた。リラの手数は凄まじかったが、これは魔王の剣技だけで充分あしらわれてしまう。そして魔王にはまだ魔法という武器がある。

 これでは勝負にならない。簡単に殺されてしまうだけだった。

「では、マルクはどうじゃ。あのおのこなら、魔王に勝てると思うか?」

「はあ? なにをいってるんだ、エキドナ。マルクじゃ無理っていうか、ぜんぜん話にならないだろ」

 少なくとも今のマルクでは、リラどころかライナスにだって勝てやしない。それどころか以前のライナスにだって勝てない可能性のほうが、ずっと高かったくらいだ。

「なるほどのう。それがお主のいう見立てか」

 さきほどと同じ言葉でありながら、どこか含む意味合いが違って聞こえた声は、けれどその違いが判らなかった。・・・彼女はいったい、なにをいいたいのだろう。

「ときにライナスよ。お主はこの愛らしいエナの寝顔を眺めながら、いったいなにを考えておったのじゃ」

 いきなり話が変わり、ライナスは戸惑う。彼女の話は、いつもそうだ。なかなか慣れない。頭の回転を速くしないと簡単に置いていかれる。これで内容に意味がなければ、誰も真面目には聞かなかった。

「なにやらよからぬ気配を感じて目を覚ましたのじゃからな、下手な言い訳は無駄と知れ」

「冗談じゃなかったのかよ」そう思いつつ、ライナスは不名誉にならないよう、素直に答えた。

「大したことじゃない。もしエナちゃんがいなければ、俺は二人に同行して彼らの村まで一緒にいってたのかなって、そう思って考えてみただけだ」

「行ったじゃろうな、間違いなく。お主はそういう男じゃからな」

 なんともあっさりいわれ、ライナスは毒気を抜かれた。信頼されているのか、お人好しと思われているのか、きっと両方なのだろうと思うと、なんとも複雑で恥ずかしくなる。

「エキドナはどう思う。俺はーー」

「知らぬ。自分で決めよ。それこそお主が決める道じゃ」

「せめて最後までいわせてくれ」とは、さすがにいえない。それで上手くいかなければ、たとえ口にしなかったとしても、ライナスはエキドナの所為にしたことになる。

「そのわりには、エナちゃんのことは全部、俺に任せっきりなんだな」

「人間のことは人間が決めるべきじゃ。わしが口をはさむべきではない」

「でも、ブラックウイング、黒鳥の勇者には力を貸したんだよな」

 エキドナは、しばし考える素振りを見せた。

「・・・わしは、前にどこまで話した?」

 どこか気まずそうに、こぼす。

「人間もまた、あなたが生み出した存在だと」

 鵜呑みにするつもりはなかったが、それでも彼女の力が諸元の魔王と呼ばれた造魔と酷似していることも、また事実である。この部分だけは否定するわけにはいかなかった。

「そうか。熱に浮かされておったとはいえ、迂闊うかつなことを口走ったものじゃ」

「それじゃあ、あれは事実なのか?」

「ほんとうじゃーーそういえば、お主は信じるのか?」

 返答は即座。しかも以前、ライナスがいった言葉の意趣返し。エキドナは眠そうに、あくびをひとつする。寝ていたのはエナだったが、生理現象は共有しているのかもしれない。

「わしが人間に求めた力は、考えることじゃった。最初のうちは、それこそ生きていくうえで便利な道具を作り、暮らしを豊かにして楽しんでおった。じゃが、わしの予想に反し、人間の考える力は常軌を逸しておった。やがて考える力は想像を超えて妄想となり、あ奴らは『神』を生み出した。それでも最初のうちはまだ良かった。太陽や大地など、自然の恵みに感謝し、これを自分たちを助けてくれる神とした。じゃが奴らは次第に傲慢ごうまんな悪意に目覚めてしもうた。自分たちに都合のよいものを神と呼び、都合の悪いものを悪魔と呼ぶようになった。そのことは創造主であるわしをして、諸元の魔王などと呼んでおることからも瞭然りょうぜんであろう。しかもしまいにはこうじゃ。自らを信じてあがめ、たてまつらなければ罰を与えるじゃと? それのどこが神なのじゃ。そんなものは腐った考えを持った人間以外の何者でもあるまい。たとえ神という存在がおるとして、なぜ神が人間のためになにかをしてやらねばならぬのじゃ。図に乗るのも大概たいがいにせい、わしは貴様らになど毛先の枝毛ほどの興味もないわっ!」

 最後は吐き捨てるように糾弾きゅうだんしたが、そのあとエキドナの体から、ふと覇気はきが消えた。

 そっと覗き込むと、彼女は体調が悪いわけでなく、ただ眠そうにしていた。

「人間が人間のために生み出した、人間にだけ都合のいいものを神と呼ぶ・・・」

 口の中でつぶやいてみると、そんな言葉は、なんともしっくりする気がした。

「それじゃあ、人がいう魔王は、じつは神なのか?」

「そんなことは知らぬ。じゃが少なくとも、わしは人間がいうところの神にも魔王にも、魔族にも魔物にも、そして人間にも同じような力を与えて生み出したつもりじゃ」

 眠そうに目をこすり、「・・・いや、違うか」エキドナは否定する。

「わしは人間にだけ、魔力を与えなんだ。昔はそうするのが当然と思い、わしはエルフを生み出した。じゃが、そのうちわしが作らんでも、生物は勝手に生まれてくるようになっておった。そして気づいたのじゃ。魔力は絶対に必要な要素ではなかったと。じゃからわしは作った、魔力を必要とせぬ生物を、お主たち人間をーー」

 当時を思い出しているらしく、エキドナは眠そうに、だが気分がよさそうに笑った。

「自らの分体に等しい魔族やエルフたちとは違い、初めて人間が動いたときは、それはもう感動ものじゃったぞ」

 だが一転、見るも無惨むざんな不機嫌顔になって歯噛みする。

「それがまあ、なんとも小憎たらしくなりおってからにぃぃぃぃ〜〜〜っ」

 ライナスは、自分は関係ないはずなのに、それでも諸元の魔王と呼ばれたエキドナにも色々あったのだろうと想像し、なんとも申し訳ない気持ちにならずにはいられなかった。

「じゃが、それでもあ奴には、わしも悪いことをしたと思うておる」

 いよいよ眠気が勝ってきたらしく、エキドナは夢現ゆめうつつに語り始めた。

「あ奴が最後に死を選んだのは、なんといっても、わしの所為じゃったからのう・・・」

 いったい誰のことをいっているのか判らないが、以前の話と合わせて考えれば、それがエナの両親か黒鳥の勇者のいずれかと判る。

 そしてライナスの知る限り、エナの両親を化け物に変えてしまったのは、エナということになっている。エキドナじゃない。つまりは、そういうことだった。

「力と記憶を受け継ぐ行為が、よもやあのような副作用をもたらすことになろうとは、さしもの神であっても、実際にやってみるまでは判らぬものじゃ・・・」

 記憶を受け継ぐ。やはり黒鳥の勇者に相違なかった。だが副作用といわれても、どういう意味かは判らない。そもそも黒鳥の勇者といえば、力と経験を受け継ぐことで、ついには魔王を倒すのに必要な力と技量を蓄え続けた救世主だ。

 それを副作用だ。

 あたかも黒鳥の勇者の力が呪いであったかのような、そんなエキドナの言い種である。

「・・・黒鳥の勇者の力は、呪いなのか?」

 気づくと、考えを口にしていた。

「そう、あれは呪いじゃ・・・。黒き翼の正体は、人が抱える恨みつらみの結晶じゃ。日々のちょっとした苛立いらだちから、戦いの中に見られる恐怖や相手を殺すことへの葛藤かっとう。そして死の間際に垣間見える絶対的な絶望と、その孤独。これら負の感情を力に変え、そして幾世代にも積み重ねた存在こそ、お主たちが救世主と崇める黒鳥の勇者の真実じゃ」

「それが何故、最後に死を選んだ?」とは問わない。ライナスには判ってしまった。エキドナが言わんとしている話の流れが。

「そういうふうに、作ってしまったから?」

「そうじゃ」

「永遠に終わることのない、記憶の連鎖を・・・」

「あ奴が世代を重ねるということは、それだけ多くの自分の死を経験するということじゃ・・・」

「それでも魔王が、その苛立ちをぶつける相手がいるうちは、まだよかったけど・・・」

「いなくなれば、おのれこそが次なる魔王じゃ」

「でも、自分が死んでも、その力と記憶は受け継いでるわけだから・・・」

「次の魔王は、やはり自分じゃ。しかも死を経験したことで、さらに強くなっておる」

「それでも黒鳥の勇者が、歴史から姿を消したってことは・・・」

「あ奴は己が自身の手で、すべての血族を根絶やしにした。自分が救った世界を守るために・・・。それでも殺しきれなかった血筋の者がいて、気づくとやはり生きておる」

 そもそも血筋とは、いったいどこまでを指して呼ぶのだろう。

「それでも、やっぱり記憶は受け継いでるわけだから・・・」

「まさに地獄じゃ。自分で死んだ。そしてまた、その血が続く限り死に続けた・・・」

 これが呪いでなくて、なんという。

 ライナスは人間世界を救った救世主の壮絶な最後を想像し、なんともいえず途方に暮れた。

「あ奴は魔王を倒す前には、すでにその可能性には気づいておった。・・・おそらくは、なんらかの予兆があったのじゃろう」

 あれこれ考えるうち、エキドナはまた、くぅくぅ寝息を立てて、すでに眠っている。

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