アンラッキー7パチンコ台との闘い
岩田へいきち
アンラッキー7パチンコ台との闘い
誰だよ、こんなお題出したの?
ダメだよ。
ぼくにギャンブルの話、語らせるなよ。
ぼくの『パチンコ依存症』が再燃したらどうしてくれるんだよ。
依存症だよ。一滴でも飲んだらダメなんだよ。パチ中になっちゃうんだよ。朝から晩まで、入り浸ってさ、お金なくなっちゃうんだから。
誰がその金払ってくれるのさ?
大丈夫です。無くなる金が元々ないから払わなくていいです。
あれは、小学生の頃だった。 親戚の集りを抜け出して、父親と叔父さんがパチンコへ行こうかと言い出した。
ぼくの中でのその頃のパチンコ屋さんのイメージは、チョコレートやお菓子をいっぱいもらえるところだった。
「ぼくも行く」
当然そうなる。
叔父さんの車に乗って、3人は近くのパチンコ屋さんへ向かった。店の中に入って20分ほどして、叔父さんと出てきた父親は、パチンコ屋さんの外で待っていたぼくに向かって、パチンコ玉一個を渡しながらこう言った。
『勝たん』
テレビみたいにお菓子の入った紙袋はないのかとガッカリしたぼくだったが、その時こう思った。
『大人になったら絶対、パチンコ勝ってやる。父親の仇だ』
と。
☆◇◇◆☆☆◆◇☆
あれから10年以上経った。
ぼくは、ついに大学生だ。パチンコが出来る18歳になっている。やっと親の仇を討てる時が来た。
野球の練習がない日曜日の朝からパチンコ屋へ通った。パチンコ台の列には、同じ野球部のジャンバーを着た先輩たちも並んでいる。
早速、同じ一年のTくんとやってみる。2人とも童顔だ。
『高校生は、やっちゃダメだよ』
とおばちゃんから注意される。
にっこり笑って余裕で答える。
『大学生です』
Tくんは、まあまあ玉が出だす。
ぼくはダメ。
300円、300円、300円、まるで出てこない。
仕送りと奨学金合わせても5万円しかないのに間借り代1万2000円と食費を払えば残りはあとわずかしか残らない。この中から900円や1200円は、大損害だ。凹んだまま、Tくんの出玉を隣で見させてもらう。
夜にまたパチンコ屋さんへ行ってみる。
野球部の一年生で、とても高校生には見えないやや不良っぽいKくんがガァガァ笑ながらガンガン出してる。また隣に座って眺めさせてもらう。
それでもめげずにまた翌週、また出ない。
またまた翌々週、またまた出ない。
ぼくには才能ないのだと思うが今週もTくんやKくんの出玉を眺める。
4月から始めて、もう11月、まだ一回も勝ってない。
野球のリーグ戦の帰り道、乗せてもらっていた先輩の車がオーバーヒート。冷えるまでパチンコ屋で時間を潰すことに。
何か閃いた。(企業秘密)
ここから勝ち始めた。毎月2〜3万円のプラス。
親が苦労して3万円仕送りしてくれてるのは知っている。それと同じくらいのプラスは大きい。財布の中身が減らない。
『なんて素晴らしいんだ。』
ガァガァ笑っていたKくんがお金を借りに来た。1万円貸してあげる。(返してもらったっけ?)
時給にすると、2〜3000円。当時のバイトの時給の相場は5〜600円。バイトする気にならない。ついに大学時代のバイトの経験は、Tくんに頼まれた野球大会の球拾い1回だけだった。
◇◇◆◇☆ ◇◆☆
Tくんは、勝てないと言ってパチンコやめて、地道な生活を続けていた。
Kくんは、野球部をやめて、学校は卒業したのだろうか? 顔は濃かったので、今でも会えば分かるだろうが、その頃からヘビースモーカーだった。生きているだろうか?
あの頃のパチンコは、今と違って、1日に相当負けた人でもせいぜい1万円くらい。平和なパチンコ時代と言えるだろう。普通にやっていれば勝ち続けることが出来た。しかし、
『パチンコ台に大革命が起きた』
『セブン台の登場だ』
開店から粘って、2〜3時間、打ち止め終了させてもせいぜい3〜4000円しか勝てないのに、セブン台は、ひとたび777、当時はもう一つ7と4つ並べば、一気に、ものの10分で12000円の勝ちになる。
お客はみんな射幸心を煽られた。
1日に7万円負けたと言うおっさんたちが現れた。
ぼくは、バカだなあと思いつつも、一緒に開店前から店先に並んでいた。
『足、踏んだやろうが』
『何で俺とおんなじ台、取るとや?』
とかと文句を言われつつもだ。
『聖子』と書いてある便所用みたいな下駄を履いていたから踏まれたおっさん痛かっただろうな。ごめんなさい。
もちろん、ぼくは賢いからセブン台の攻略法も自分で見つけていた。短い時間で勝てるからそれが時給で3000円を超えてくるということである。
企業秘密だからあまり公表したくないが、
例えば、その店の開店トップ終了台を狙っていた。
どうしてその台が分かるのかって?
『主任さんの様子や顔色を見れば、その日の1.2番目に7777が並んで終了する台が分かった』
その頃、関西からとんずらして流れて来たと言っていた若い夫婦の店員さんが野球部の先輩に
『あの子が今、一番勝っている』
と言っていたらしい。
中途半端に余った残り玉をカウンターにいた綺麗な奥さんに持って行き
『チョコレートに換えて下さい』
と言ったら、そんなに? と言うほどたくさん、まるでテレビドラマのシーンのように紙袋からはみ出るほど入れてくれた。その時ぼくは、
『父親の仇討ったぞ〜!!』
と思った。また父親は生きていたが。
あの時の店員夫婦にとても可愛がってもらいました。出来ればまた会いたいです。(生きていてくれ)
企業秘密をサービスでもうひとつ紹介します。
主任さんは、ぼくが心を読んでいる事に気づき、もう心を読めなくなりました。気づかれないように読んでたつもりでしたが毎回、トップを争って7777するから、さすがに分かったのでしょう?
大当の数字が3桁になって、今度は、出てくる数字を覚えました。キーとなる3桁の数字が出たらそれからあといくらぐらい玉を注ぎ込めば777もしくは333と分かるようになりました。
なので、夕方行ってもそのキーとなる数字で止まってる台を打てば、直ぐに大当していました。隣で見ている友だちに
『もう直ぐ当たるよ』
と言って、直後に大当すると
『なんで分かると〜?』
と驚いていました。
マリアちゃん元気かな? おばちゃんになってもまだパチンコやってるかな?
来店して直ぐに大当を出すぼくを見て若い店員さんはいつも首をかしげていました。
けれどこの勝ち方には、直ぐに対策が取られました。止まった数字が直ぐに消えてしまう台の登場です。
パチンコ台は、こういうイタチごっこの繰り返しです。それに射幸心を煽り過ぎると今度は国の規制がかかって、また台が代わり、ついていかなければ分からなくなります。
◇◇◆☆☆
大学を卒業し、社会人になってもパチンコは勝ち続け、お金で不安になることは有りませんでした。
しかし、大革命を起こしたセブン台は、確実にぼくや多くのパチンコファンを蝕み始めていました。
『セブン台から繋がるCR機の登場です』
小さな魚群が画面を横切り、脳にドーパミンを分泌させます。やめられなくなる
『パチンコ依存症』
がぼくを含め多くのパチンコファンを苦しめるようになりました。
最初は、勝ち続けるが、3ヶ月後ぐらいから負け始める。一人ひとりがパチンコ屋さんが仕掛けた壮大なトラップに引っかかっているのです。
ぼくも苦戦しました。お金に苦労するようになりました。
『ひょっとして依存症?』
これで生活しようと思っているのだから依存症です。
◇◇◆◆◇
お金が段々乏しくなってきましたが、僅かなお金を持って、いつもは行かないパチンコ屋さんへ行きました。やっぱり依存症です。
思ったより出て来ました。知らないおじさんに玉を取られながらも、どんどん出てきました。
『ああ、こんなところで10万円勝っちゃったよ』
そうか、この手があったか。(企業秘密)
翌日の夜、ぼくは、脳出血で倒れました。
3ヶ月半の入院です。
パチンコは、嫁さんに封印されました。
最後の(企業秘密)も封印です。
ぼくや多くのパチンコファンにとって、大革命を起こしたセブン台は、
『アンラッキー7台』
となったのでした。
パチンコをやめて十数年。最近、ぼくは、ある事に気づきました。
『ぼくは、パチンコ依存症ではありませんでした。ギャンブル依存症でした』
終わり
アンラッキー7パチンコ台との闘い 岩田へいきち @iwatahei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます