チャプター2 ヨモキの項2
早朝の冷たさは次第に遠のき、幾分温暖な陽気に戻りつつあった。至る所で仕度を始めている仲間たちが、朝の挨拶を交わしていた。
「よお、ヨモキ」
太い腕を掲げ、快活な笑顔でわたしに声をかけてきた、若者。
少しだけ解れているけど明朗な色彩の麻の服を着た逞しい体格も併せて、見る者に一目で好青年という印象を覚えさせる。
一座の仲間、ケーヤさんだ。
「また団長に何か言われたのか? ……ま、あまり気に病むことはないさ」
ケーヤさんにそう言われたので、自分の落ち込んでいる感情が顔に出ているのだと、今、気がついた。
「ううん、わたしが悪いんです。わたしが……しっかりと、見てあげられなかったから」
「シャモギのことだろう? シャモギは以前の件で相当反省していたからな。もう、大丈夫だろう。団長の方が、神経質過ぎるんだよ」
「でも……シャモギは、まだ幼いから。悪気が無くたって、また、みんなに迷惑をかけてしまいそうで」
「シャモギは純真な子だ。それはおれも保証するよ」
ケーヤさんは自信たっぷりに言ってくれた。
「でも、おれたち妖魔の溜まり場に縛り付けたままじゃあ、育つべき心も育たないさ。たまには自由に羽を伸ばしてやらないと、な」
ケーヤさんの言うこともわかる。だけど、アキゴさんの創ったこの一座以外に、わたしたちの居場所はないのだ。
だから、シャモギがアキゴさんや他の仲間たちの迷惑になるなんてことは、避けなければならない。もう、大切な家族を失わないためにも……。
「…………。あまり格式張らない方が良い。ヨモキ、きみ自身のためにもさ」
わたしを真っ直ぐ見つめる、ケーヤさんの瞳。瞳は無垢な野生動物のような純粋さと鋭さで以て、わたしの心を射抜く。
己の心境を見透かされていると思うと、わたしは全身がこそばゆいような気がして落ち着けなかった。
「ほうら、噂をすれば……」
ケーヤさんの視線の移った先。朝露を滴らせている樹々の隙間から顔を覗かせている、見慣れた小さな人影があった。
紛れもない、弟の姿。
シャモギはわたしと視線が合うと、不意に目を逸らした。
「なあ、ヨモキ……」
「わかっています。わかって、いるから……」
わたしはケーヤさんの声を振り払うようにして、シャモギの方へ駆け出した。シャモギは諦めた様子でじっと動かず、黙って下を向いていた。
駆け寄ったわたしを見上げるシャモギ。わたしとは十歳ほども歳の離れている弟の顔には、確かに天性の純朴さが表れてはいたが、一方で、最も親しい間柄のわたしに対するやましさも隠し切れずにいた。
そんなシャモギを責めることはできない……その場にしゃがみ込み、幼い弟の小さな身体を、そっと抱きしめる。
「……お姉ちゃん、ごめん」
シャモギの口からこぼれた、か細い声。
わたしはシャモギの瑞々しい頬を撫でてやりながら、言う。
「シャモギ、もうみんなに心配かけないで。……ね」
「……うん」
シャモギはそう返事をしたものの、内には、何かがくすぶっている様子だ。わたしには……一体、シャモギが何を迷っているのか、わからなかった。
「さ、そろそろ朝食の仕度もしないといけないから。……シャモギも、おいで」
右手で、シャモギの左手をそっと握る。シャモギは弱々しい力で、わたしの手を握り返してくれた。
様子を見守ってくれていたケーヤさんはわたしたちに背を向けると、そのまま朝の仕事にとりかかっていた。妖魔の血が目覚めてからは常人の数倍の怪力を得たというケーヤさんは、専ら力仕事を任されている。今も、街で使う舞台の台座の部品を重ねて担ぎ上げ、荷車へ積み込んでいる最中であった。
わたしとシャモギは手をつないで、仮小屋の傍に造った竈のある方へ歩いていく。背後から、時折こちらを見ているケーヤさんの視線を感じた。
シャモギには聞きたいことがたくさんあった。だって、シャモギが何かを隠しているのは、誰の目にも明らかだったから。
一座のみんなが気を利かせてくれているのだって、シャモギにとっても心苦しいはずであるし、このままずるずる引き延ばしていたら……いつか、大変なことになる気がした。
でも……シャモギの落ち込み様を見ていると、シャモギを傷つけてしまいそうな発言をするのは、どうしても躊躇われてしまう。
以前は、早朝の仕事から帰ってきたわたしに眠っているところを起こされることの多かったシャモギ。それが今朝は、わたしよりも早く起きて、寝所を抜け出していた。
シャモギはどこに行っていたのだろう。あまり遠くへは行っていないと思うけど、シャモギの能力を以てすれば、所詮常人にすら劣る程度の身体能力しかないわたしよりも、ずっと離れた場所へだって行けた。
シャモギがわたしの目を盗んで、わたしを含めた、一座のみんなに隠さなければいけないようなことをしている。……そう思うと、自分の内に黒い靄のようなものが渦巻いていくのを、感じる。
赤い土を固めて造った竈。中には薪がくべられ、小さな火がパチパチと音を立てて燃えている。
わたしと共に一座の食事係を担っているユチュミさんが、火吹竹を使って竈の中に息を吹き込んでいた。
竈の上に乗せてある鉄製の鍋の蓋は閉められている。麦を炊いているのだろう。
ユチュミさんの年齢はわたしより二つほど下だけど、一座においてはずっと先輩であり、わたしよりもずっと大人びていて、わたしを含めた一座の新入りたちにとって、まるで頼れる姉のような女性でもあった。
「あ、ヨモキ。団長との話は終わったのね」
ユチュミさんが、手でこちらを招く。
「すみません、お待たせしてしまって」
「ううん、気にしないでいいよ」
それから、ユチュミさんはシャモギにも声をかけた。
「シャモギくんも、おはよう」
「あ……お、おはよう」
どぎまぎした様子で返答するシャモギ。わたしは一瞬焦ったが、ユチュミさんは優しく微笑みかけてくれた。
「どう、かな。シャモギくんも手伝ってみない?」
シャモギは迷っている様子だったけど、やがて、小さく頷いた。
「こうやって、使うんだよ」
ユチュミさんは大きく息を吸い込むと、火吹竹を使い、火に向かって吹きかけて見せた。
それからユチュミさんは火吹竹から口を離し、それをシャモギに差し出した。
「ほら、これ。やってみて」
火吹竹を手渡されたシャモギ。
シャモギは、先ほどまでユチュミさんが使っていた火吹竹に口をつけるのが恥ずかしそうだったけど、笑顔で見守ってくれているユチュミさんをちらりと見やり、意を決した様子で息を吸い込み、火に向かって吹きかけた。
火は煌々と燃え上がり、勢いを増しながら鉄鍋を下から熱した。
「できたじゃない。この前やった時よりも、ずっと上手だよ。さすがシャモギくん」
ユチュミさんに褒められて、まんざらでもない様子のシャモギ。そんなシャモギを見ていると、わたしはまるで自分のことのように嬉しくて、何だかくすぐったい気持ちになった。
「シャモギくん。しばらく、火、見ていてもらっても、良いかな?」
ユチュミさんの問いに、シャモギは「うん」と元気よく返事をする。
麦を炊いている竈の他にも、隣にはこれから野菜を煮込むための竈が並んでおり、中には薪が重ねてあった。シャモギはそれらを自分が管理しているのだと得意げになっているらしく、すっかり元気を取り戻していた。
「さ、ヨモキ。わたしたちも、負けていられないね」
「……はい」
わたしはユチュミさんと一緒に、食材を調理する準備を始めた。味噌汁に入れる大根などの根菜は、既に綺麗に洗って土を取り除いた状態になっており、あとは切って水に入れ、煮込むだけであった。わたしが来るまでの間に、ユチュミさんが用意しておいてくれたのだ。
(シャモギくん……さ)
不意に……わたしの頭の中で、ユチュミさんの声が小さく響いた。わたしはだしをとっていた水に、根菜を落としているところだった。
(……誰か、とっても心に想う人ができたみたい)
「え……」
わたしは思わず作業をしていた手を止め、ユチュミさんの真剣な面持ちをまじまじと見つめた。
(ごめんね。わたし、シャモギくんの心をちょっとだけ覗いちゃったの)
ユチュミさんは内緒話がある時、心の中に直接語り掛けてくる。近くで火の番をしているシャモギに感づかれたくないのだろう。そう察したわたしは黙ったまま、一座の仲間が狩りで仕留めた猪の生肉を包丁で切り揃える作業に移った。
(シャモギくんの拠り所になっているのは、いつも、あなただった。それは今も変わらないけど……もう一人、この一座にはいない、女の子の姿が見えたの……)
わたしは平静さを装おうとしていたのだけど、手元がおぼつかなくなってしまった。
(シャモギくんはね。あなたの力になりたいと……あなたを助けたいと、ずっと思っていた。自分の方が男の子だし、力もずっと強いからって。でも、結局、助けられているのはいつだって、シャモギくんの方だった。だから……もっと無力な、わたしたちのような仲間にも恵まれていない、あの人間の女の子を助けたいという想いが、増していった……のかもしれない)
ユチュミさんの見たという女の子の面影が、ユチュミさんの能力によって、わたしの脳裡に浮かび上がる。黒髪を結わえたおさげの少女。服装は至って質素で、ごく普通の村娘という出で立ち。そう、かつてのわたしが、そうであった頃のような……。
(勝手に覗いて、悪いとは思ったけど。……ヨモキ、あなたにだけは伝えておきたかった。まだ、他のみんなには、知らせるべきじゃないと思うから……団長や、サクヤさんにもね)
シャモギが今後もあの少女に会いに行くというのなら、いつまでも隠し通すことはできないだろう。だからユチュミさんは、問題が起きる前に、先にわたしだけにこのことを伝えてくれたのだ。
(今ならまだ間に合うかもしれないけど……わたしは、シャモギくんの心を尊重してあげたい。それでも……一座の仲間に知られたら、誰かが助けてあげないといけないから。……ヨモキ、判断はあなたに任せるよ。例え、団長が何を言っても、わたしはあなたたちの味方だからね)
わたしは心の中で「はい」と返事をし、強く頷いていた。
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