第16話 待ち人

 私が店を出たのと同時に、オノくんがサッと木に身を隠したのがわかって、私はまたニヤケてしまった。

 丸見えなのに、変なの。

 店の前で自転車に乗ろうとして、自転車がないことに気づいた。


(私、ここまでどうやって来たんだっけ?)


 この暑い中を、徒歩で来たとは思えないんだけれど、自転車がないということは、歩いてきたとしか考えられない。

 仕方なく、歩き出す。


 私の背よりも大きなランプは、チカチカと切れそうに見えたのに、今はいつものように明るく光っている。

 窓越しに、まだマスターの姿が見えて、私はお辞儀をした。マスターがまた、オノくんのほうを指さしている。


(話しかけてみなさい、って言ってる?)


 ランプの明かりが強くなった気がした。今、見たときよりも色濃い黄色。それは本当に満月のようで、マスターと同じように、話しかけろと言っているようにもみえた。


 フッと小さくため息をつき、私は左右を確認してから、通りを向こう側へ渡った。

 私が近づいたことで、諦めたのか、オノくんが木陰から出てきた。目を合わせづらくて、私はうつむいたまま聞いてみた。


「こんなとこでなにしてんの?」


 オノくんはすぐ脇に止めていた自転車のスタンドを外し、ハンドルを握ってこちらを向くと


「おまえこそ、なにやってんだよ? ここの前を通ったら中にいたような気がしたから見にきたら、ホントにいやがって」

「別に、私がどこに行こうと、オノくんには関係ないでしょ」


 また……。

 最後に話したときのように、売り言葉に買い言葉でケンカになりそうな気がする。

 私は口をつぐんだ。


「だっておまえ……」


 オノくんが話し始めたところで、すぐ横の線路を、特急が通り抜けた。


「えーっ? なに? 聞こえない!」


 特急が走り去ったあとも、なんとなく気まずい雰囲気が残っていて、私は真っすぐ帰ることにした。


「なんだか疲れちゃったし、頭も痛いし、私、帰るね。バイバイ」

「ちょっと! 待てよ。こんな暗くなってるのに一人で帰るのは危ないだろ」

「暗く、って」


 まだお昼なのに、と笑おうとして、あたりが真っ暗なことに気づいた。

 喫茶店のランプを振り返ると、暗くなった周りの景色に出来るだけ光を届かせるように輝いている。


「あれ? だって今……」

「乗ってけよ。送ってってやるから」


 オノくんが自転車にまたがって、私の横に並んだ。当たり前だけれど、ためらう。

 それは、一人で帰るには心許ないことと、もし誰かに見られてしまうようなことがあったら、今度こそなにを言われるかわからないからだ。


「誰もいやしねーよ。こんな時間、みんな家で涼んでるだろ。蒸し暑い夜に好きこのんで出てこねーよ」


 オノくんがフッと笑う。そんな顔を見たのも久しぶりだ。


「じゃあ……そうさせてもらおうかな」

「ホラ、早くしろよ」


 そういってたたかれた荷台に寄り、しっかりまたがった。ちらりとこちらを見たオノくんは、ちょっとため息をもらしている。

 おちるなよ、と言ってから自転車をこぎ出した。


「ふつーさぁ、そこで女乗りっつーの? 横乗りしねぇ?」

「えっ……だって私、ジーンズだし、この乗り方のほうが安定していい、ってオノくんがゆったんじゃん」


 ハハッ、と笑ったオノくんが、よくそんなこと覚えてたな、と言った。

 まだ幼稚園を卒園して、入学式が始まる前のころだった。今みたいに、後ろに乗せてもらったときに、同じことを話した。

 あのときと違うのは、二人はもちろん、自転車も大きくなっていて、サドルの芯をしっかり持っていれば、オノくんの背中を引っつかむ必要がなくなったことだろうか。


「椅子。きしむから手があぶねーよ。ベルトでもシャツでもいいから、他の場所につかまっとけ」

「……うん、わかった」


 商店街から離れると、一気に暗くなる。

 空にはいくつかの星と、今日は満月が浮かんでいる。商店街のほうを振り返っても、もう喫茶店のランプは見えない。


「昔はよく、こうやってドングリ拾いに行ったりしたよな」

「そういえばそうだね。カブトムシとかザリガニ捕りにも行ったよね」

「いつの間に、そういうこと……しなくなったんだろうな」

「……うん」


 オノくんが黙った。私も言葉が見つからず、黙ったままでいた。

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