第15話 心配する気持ち

「おまたせしました」


 スッと手もとに置かれたココアの甘い香り。

 夢を見ていたような感覚に、背筋が寒くなった。それとも寒いのは、店内の冷房のせいだろうか?

 やけに生々しい夢だった気がする。事故に遭うなんて。


 でも、私はちゃんと、ここにいて……。


 窓の外は、いっぱいに伸びた白樺の木漏れ日が揺れている。

 射し込む日差しがとても強くて、めまいを感じた。


(そういえば、もう夏休み……? 夏の課題ってなんだったっけ……?)


 終業式のことを、なにも覚えていない。

 そもそも、今日はどうしてここへ来たんだっけ?

 今日で何度目だっけ?

 次々に疑問ばかりが湧いてくる。


「今まで三度、いらしていただいてますよ」


 私の疑問に答えるように、後ろでマスターが言った。


「三度……今日で四度目?」


 もっと、ここへ来たような気がする。

 それに、あの女の子。

 たった今まで、確か話しをしていたはず。それで私は、いろいろなことを考えて、決めたはず。

 急に不安が押し寄せてきて、私はマスターを振り返った。


「あの、バイトの女の子は……」


 マスターは私を見て、少し困った顔をした。


「うちは私一人でやっているので、バイトの子はいないんですよ」

「うそ! だって私、ここにきて女の子と話しをして……」


 話しをした。けれどいつも、私はちゃんと自分のことを話した記憶がない。

 ぼんやりと、昔のことを思い出していただけなのに、女の子はそれを聞いていたように、私に話しかけてきた……。

 考えようとするのを遮って、頭が痛む。

 視界の端に映ったランプが、またチカチカと瞬いた。


「……電気、切れそう」

「あぁ、あれですか。大丈夫ですよ、大したことはなかったんです」

「え……?」

「ただ、何度も足を運んでくるから、ランプも気になったんでしょうね」


 見上げたマスターの表情は、やわらかな笑顔だ。なぜかホッとする。


「若いころ……子どものころは特に、素直な思いを口にできないことがありますよね」

「素直な思い?」

「本当は気になって仕方がないのに、格好ばかりが先に立つことがあるでしょう?」


 マスターは窓の向こうを指さした。

 振り返ったその先には、通りの向こう側の木の陰からこちらを覗きこむようにしている、オノくんの姿がみえる。

 私は焦って身を縮めた。本もなにもない。顔を隠せるようなものが、今日は手もとにない。


「今日は日差しが強いから、外からだと店内が見えにくいんです。でも彼は、あなたを迎えにきたんじゃないのかな?」

「私を……?」


 以前、ここにいたのを見られたっけ。だからって私に用があるとは思えないんだけど……。

 数分ごとに、木の幹から眉を寄せた顔が覗く。私がここにいると、わかっている様子ではないみたい。


 しばらくその様子を眺めているうちに、おかしさがこみあげてきて、ついニヤケてしまい、それがガラスに映っている。

 すぐ後ろに立っているマスターがクスリと笑い、気づかれたんだと思ってうつむいた。


「今夜は暑いから、あまり待たせるのはこくじゃないかな?」

「私、帰ります」


 ココアの代金を支払い、ドアを開けた。

 カラコロと小さくベルの音が聞こえた気がした。

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