【KAC20236】アンラッキー7の呪術に恋心をのせて

尾岡れき@猫部

ごぅごぅと音が鳴る


 ふと、瞬きをしたその瞬間だった。轟音が響く。これは河の音? そして時に、肌から何か、鱗のようなものが引き剥がされるのを感じて、顔を顰める。でも、痛みを感じた場所に、触れてもつるつるした肌がそこにあるだけで。教室での掃除。その最中、茫然と私は立ち尽くしていた。


「どうしたの、優那ゆうな?」

「さすがに陸上部、期待の星も練習疲れかな?」

「や、やめてよ。ただ先生や先輩の教え方が良かっただけだから。私は、言われた通りに練習をしただけで――」


 ガタンと音がして、思わず顔を上げれば、ゴミ箱を片付けようとしていた、たかちゃんの手が滑って、中身が大散乱したところだった。


「崇ちゃん、大丈夫?」


 慌てて、私は崇ちゃんに駆けつけた。


「ごめん……。ちょっと手が滑っただけだから、気にしないで」

「気にするよ!」

「だ、大丈夫だから――」

「おい? 日村が心配してくれているのに、その態度ないだろ! 幼なじみだからって、つけあがるなよ?!」


 クラスメートの男の子が、崇ちゃんの胸ぐらを掴む。私からしてみれば、君の態度の方が無い。


 ごめん、ボソリと崇ちゃんが呟く。

 そんな崇ちゃんを見て、胸が痛んだ。


 2年前の彼は、もっと溌剌としていた。

 それこそ、クラスの中心になるくらいに。


「ごめんっ」


 ぼそっと、崇ちゃんはそう呟いて、ゴミをかき集めてる。袋を抱えたまま、教室を出て行ってしまった。


「あ――」


 思わず指を伸ばすのに、その手は届かない。


「日村、あんな陰キャは放っておいてさ。俺達と、放課後カラオケにさ――」


 轟々と川の流れる音が響くのは、どうしてか。濁流。暴風。叩きつける。枝の折れる音が、鼓膜を揺らす。ズキッと痛みが走る。腕にある鱗を、やっぱり、むしり取られた。そんな痛覚がはしった。





■■■





 濁流。轟々。

 河の流れる音。

 息が苦しい。

 気泡?

 喉の奥に、水が流れ込む。





 ▽助けたい? そんなに心臓マッサージをしても、助かりはしないぞ。

 ▼黙って! 助ける気がないのなら、あっちに行って!

 ▽この大雨じゃ。交通網も麻痺して――。

 ▼だから、黙って! 何の役にも立たないのなら、あっちに行って! 優那! 優那っ――。

 ▽なぁ、少年。

 ▼だから、黙って!

 ▽助けたいのか。

 ▼だから、黙って――なんだ、って?

 ▽助けたいのかと問うた。

 ▼……助けたい。




 雨音が、もっと激しさを増す。




 即答じゃのう。しかし、お主、良いのか? 無論、無償ではしてやれんぞ? 分かった、分かったから、落ち着け。お主にとって、このおなごが、どれだけ大切なのか理解したわ。だから、よく聞け。このおなごに、龍神の加護をくれてやろう。あ? 今さらじゃろう。儂が、龍神よ。おい、もう少し敬え。誰が厨二病じゃ、罰当たりが。


 まぁ、良い。


 おなごには加護を。お主には代償を与える。

 いや……だから、もう少し、しっかり考えろ、と……まぁ良いか。お主は、これからおなごの死にも等しい、負を背負ってもらう。そんなことで良いのか、だと? 阿呆。下手をしたら、お主が死ぬんじゃ。


 さしずめ、アンラッキーセブンの呪術じゃの。巡り会わない負。おなごが背負うべき、本来の負を全て、お主が背負うのだ。


 ダサいとか言うでない。貴様らの感覚なんか、知るか。

 それと、もう一つ。


 おなごの龍神の加護。これは、恩を仇で返せば、我が鱗を剥がす。

 は? 別に良いのに?


 阿呆。

 義に反する者をいつまでも、龍が加護を与えると思うな。


 あ? あぁ……別に死ぬとかはない。すでにお主が全て、背負ってしまったからの。は? それなら、良い? お主、本当に阿呆よ。それなら、もう一つだけ条件を出そう。あぁ、なぁに。そんな難しい問題ではない。案ずるな。おなごの最後の鱗、その一枚を儂が抜いたら。





 ――儂の婿になれ。






 ■■■






 ――あの西日本大災害から、今日で2年が経過しました。安芸川の濁流に飲まれて、死亡した行方不明者は80人。奇跡的に助かった人、かろうじて命拾いをした人。色々な人がいます。でも今は、不幸にあった、全ての人のご冥福を祈りたいと思います。それでは皆さん、黙祷……。


 朝の朝礼で、校長先生の一言。

 妙に気になっていた。


 耳の奥で、流れる水の音。

 ポコポコと流れる気泡。


 胸を無理矢理、押される感触がして。

 でも、なぜか気持ち悪いとは思わない。


 そして、誰かに唇を塞がれた。乱暴で、むしろ息を肺に送り込もうと必死で――ムセこむ。


 理由をつけて、カラオケルームを無理矢理、出てきた。

 なんで、忘れていたんだろう。


 いや、忘れさせられたんだ。


 唇が、塩辛い。

 ずっと、心配して。私を心臓マッサージをしてくれた人がいた。


 泣きながら、人工呼吸をしてくれた。

 その人がいたんだ。


 腕を見る。

 たった、一枚。


 鱗が、剥がれかけるのが見えた。なんとか、今は見えるの鱗を指で抑えて。それが、効果があるのかも分からないまま。


 心臓が止まった私。


 その不幸を、この2年間、ずっと受け止め続けた人がいた。

 息が切れる。


 心臓が、苦しい。


 でも、もう一回、止まった心臓だ。

 鱗に囁く。


 ねぇ、龍神様。

 私、まだ崇ちゃんに、ありがとうって言えていないよ。


 奇跡的に助かって、って。お父さんとお母さんが喜んでくれた、あの瞬間。

 あの時すら、夢の延長戦と思っていた。


 あれ以降、私の足が早く――速くなって。色々な人が、私をチヤホヤしてくれた。でも、崇ちゃんが遠くなった。そんな気がした。



 ――お主は、これからおなごの死にも等しい、負を背負ってもらう。



 冗談じゃない。

 全部、崇ちゃんが背負ってくれたものじゃないか。


 生かされたのに。

 ありがとうの一言も言えなくて。


 自分の成果と言わんばかりに、満足そうな顔で、誰かに笑って。そんな自分が――気持ち悪い。


 崇ちゃん!

 たかちゃん!



 何度も、崇ちゃんと一緒に来た、寂れた神社を駆け上がる。


 息を切らして。

 目眩を憶えながら。


 最後の一段を駆け上がって。そこで、躓いて。膝が痛い。今までむしり取られた、鱗が痛い。でも、加護なんかどうでも良い。それえだけ、崇ちゃんを傷つけていた。その傷の方が痛くて。


 境内で、横たわる崇ちゃんが見えて――私は、歩みを止めることなく、突き進んで。

 巫女服に身を包んだ、黒髪の女の子が、私を呆れたような目で見ていたんだ。





■■■





 阿呆、か。お主ら、そろいもそろって阿呆よ。これは龍神の戯れぞ? それを揃いもそろって、自分自身を顧みぬとは。これを阿呆と言わずして、なんと言えば良いのじゃ。何度でも言うわ、阿呆どもめ。誰が命を取るものか。龍神が自ら、穢れを招いてどうしようというのじゃ。


 だが、羨ましいとも思うぞ。

 儂が、かつてここまで信仰されたことがあったじゃろうか。


 今や、寂れた。悪ガキが2匹、罰当たりにもこの境内で遊ぶぐらいじゃった。そうよ、お主らのことよ。


 アンラッキーじゃ。

 まこと、本当にアンラッキーなのじゃ。


 どうして、お前なのじゃ。


 お主にとってはラッキーセブンのような幸運じゃろう。だが、儂にとっては、アンラッキーセブンでしかない。


 崇廣たかひろを最初に見初めたのは儂だと言うのに。

 

 後から来て。

 距離が近いというだけで、幼なじみという役割におさまるとは。あまりにも、理不尽ではないか。


 好きな男に、頼み込まれたら。例え、恋敵と言えど、突き放すこととおができるワケないではないか。




 目が霞む。

 なんじゃ、猫又。

 儂を笑いに来たのか。


 笑いたくば、笑え。一想ひとおもいに笑うが良い。もう、お主の顔も見えん。目が、霞む。霞むのじゃ――。






■■■





 夢と思うことにしたんだ。

 巫女装束の女の子が、桜の花びらが舞い散るなか、涙を溢していた。


 黒髪が、風に揺れて。

 花弁が舞う。


 視線を向ければ、神社の裏を小川が流れる。


 あの大雨の日、この小川が川津波を巻き起こし、土石流を運んだ。色々な場所をぐじゃぐじゃにしたんだ。


 当たり前だったものが、かけがえのないものだって知った。

 夢が見せた、映像。その一つ。


 願望。

 それに羨望の眼差しを向けても、それは高望みした、単なる夢でしかなくて。


 そんなの必至に追いかけても、結局、何の意味もない。


 だから。

 私は、この腕に残った鱗を、力いっぱい引きちぎったんだ。











「転校生がくるんだって」

「女の子だと良いねぇ、華やぐよ」


「ま、と言っても。崇廣は男でも、女でも関係ないよね」

「なんでさ?」

「……崇ちゃん?」


 私は思いっきり、崇ちゃんの頬を抓る。


「痛ぇぇぇっっ! 痛いよ、優那。いきなり、何をするのさ?!」

「「「そういうトコだって」」」


 彼らが、声を揃えるのがおかしい。ずっと見ていた、以前からの光景が眼前に広がる。


 今の私は、陸上部の期待の星じゃない。

 誰からも、ちやほやされない。


 今も、なけなしの勇気で、崇ちゃんとの距離を埋めようと奮闘中で。なんとかレギュラーになれるように、部活にも打ちこんでいる。腕をみても、鱗はない。スベスベ――というには、肌が最近、荒れているような気がするけれど。


「はいはい、座ってー。ホームルーム開始するよ。みんな聞いている通り、転校生の子が来たから、紹介から、するね」


 と先生が間髪入れず、手招きをして。

 黒髪の女子高生が、教室の中に入ってくる。

 私は、大きく目を見開いた。


辰野貴美香たつのきみかです。よろしくお願いします」


 にっこりと笑う。その目は、明らかに、崇ちゃんだけを見ていた。


「じゃ、辰野さんは、日村さんの予定通り、隣でお願いね」


 いや、そんあ予定聞いてない。さっきまで、私の隣は崇ちゃんで――。

 こん、こん、こん。

 小さく、足音をたてて、辰野さん――龍神様は、座る。


「よろしくね、日村さん」


 もう一回、にっこり笑う。


「あ、はい、え、え、なんで――」


 感情が咀嚼できず、私は思わず、本音を漏らしてしまった。

 もう一回、やっぱり辰野さんは、微笑む。


「なんで、って。儂は神じゃし。人間に遠慮する理由なんか、無いじゃろ? たくさんの人間に信仰されるのも飽きたし。もう、そういう時代でもない。それなら、一人の男に、操を捧げるのも有りよりの有りじゃろ」


 龍神様は、小声で呟く。


「無しよりの無しだよ! 私の崇ちゃんだもん!」

「モノのように所有しようとする独占欲ほど、醜いものもないと思うが?」


「龍神様――辰野さんほど、強引じゃないしっ」

「まぁ、選ぶのは崇廣だ。崇廣、許す。今ここで抱かれたい女を選ぶが良い!」

「はい?」


 通路をはさんで、龍神様の隣になった崇ちゃんは、頭にクエッションマークを浮かべていた。この龍神、本当に強引すぎる。


「人間の愛は、時間をかけて育むものです!」

「ちょ、ちょっと、優那……愛って……」


 崇ちゃん、真っ赤になって照れている場合じゃないの。女には、ね。絶対に負けられない戦いがあるんだから!


「崇廣、なぜそっちのおなごばかり、見る?」

「崇ちゃん、どうして辰野さんばかり見るのかな?」

「えぇ……?」

「あ、あの二人とも。親交を深めるのは良いんだけれど、今はホームルーム中で……」

「先生は黙っていてください!」

「教師風情は黙っていろ!」

「……はひぃ。すいませでした……」

「いや、先生。そこは、押し負けないで?」


 崇ちゃん、どうして先生ばかり見ているのかな? 私はなおさら不機嫌になりながら。龍神様との戦いのゴングを、高らかに鳴らしたのだった。






 ラノベ好きなら、憧れる――幼なじみと転校生のラブコメ。

 そんな環境にいる崇ちゃんをラッキーセブンボーイと呼ばれることになるのだけれど。時が進めば、アンラッキーセブンボーイと、呼ばれることになることを、私達はまだ知らない。

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