捨てられた歴史

「閑散期だから暇なんだ」と二人を店の奥にある椅子に座らせると珈琲を淹れて向かいの席に腰を下ろす。


「『魔女』って言葉を聞いた事があるかい?」

「魔女? 魔法師とは違うのか?」

「魔女とは、大昔に弾圧された魔法を使えるとされた女性の事です」

「おお、知っているのか。お嬢さん、博識だね」


 女性は珈琲を啜るとふぅと短く息を吐いた。


「星療協会は元々、魔女のコミュニティだったんだ」

「え?」


 まだ魔法の存在が広く知られるようになる前の時代、西方地域ではごく稀に現れる魔法を使える者を畏れ、排斥する動きがあった。自然との共感性が高いのか、魔法を使えるのは女性が多かったため人々は彼女たちを「魔女」と呼び、得体の知れない力を恐れて捕え、吊るした。


 西方地域では度々国同士の戦争が起き、夫を亡くした未亡人が行き場を無くして路頭に迷う事も多かった。彼女たちは身を寄せ合い薬草摘みや手仕事の内職をして日銭を稼いでいたが、魔女狩りが横行するようになると「怪しげな薬を売りさばいている」「薄暗い森に棲んでいる魔女だ」と謂れのない噂を立てられ虐げられるようになった。


「ほとんどの女達は魔法を使えなかったし、魔法の存在すら知らなかった。ただ生きるために必死に暮らしていただけだったんだ」

「ま、待ってくれ。魔法を使えないのに何故魔女だなどと迫害されなければならなかったんだ」

「皆疑心暗鬼だったんだ。戦争が起き、実際に魔法という未知の力を使う人間が居て、まだほとんどの人間は魔法がどういうものかさえ知らなかった。だからどういう人間が魔法を使えるのかも分からなくて、薬草の知識があったり治療できるような知識があるだけで恐ろしく感じてしまったんだろうね」

「その薬草の知識だって、生きるために必死で覚えた事でしょうに」

「その通りだよ。まぁ、そういう時代だったって事だ」


 迫害から逃れるために女達は旅に出た。一か所に長く留まれないので薬や刺繍を売りながら流浪の旅を続けた。魔法教会や魔法を研究するための学術施設が設立され、魔道具や魔法が広く世間に知られるようになった頃、ようやく根を張り腰を下ろして生活出来るようになったのだ。


「なるほど、星を読む測量術はその時に使っていた物なのですね」

「そうだよ。彼女たちにとって星は無くてはならないものだった。放浪する自分達の居場所を示してくれる心の拠り所だったのさ」

「リチアはそんな話をしていなかったが……」

「若い子は知らないんだよ。こういう歴史は教えてないからね」

「教えていない? 何故だ?」

「忘れたいんだ」


 女性は一呼吸置くと言葉を続ける。


「魔女だなんだって迫害されてきた歴史は誇る物でも何でもない。そんなもの、忘れてしまった方が良いんだ」

「……」


 オスカーは女性の絞り出すような声に息を呑んだ。


「だが……、そうなると、いずれ本当に失われてしまうぞ。それでいいのか? 確かに葬り去りたいような事かもしれないが、その時代があったからこそ今がある。それを伝えていくのも大切な事なのではないか?」

「私達はもう、前を向いて歩いている」


 一つ一つ言葉を選びながら話すオスカーの声を女性は強い口調で遮った。


「ここだってもう、魔女のコミュニティじゃなくて星療協会の支部だし、観光地だ。そんな暗い歴史は要らないんだ」

「……」


 話を聞かせて貰った礼に刺繍のハンカチをいくつか購入して土産物屋を出る。


「あの女性も、分かっているんだと思います。だから私達に話をしたのでしょう」


 釈然としないような顔をするオスカーにリーシャは言う。


「もしも本当に忘れ去りたいと思っているのなら、誰にも言わないのが一番です。私達に話せば、リチアさんや他の若者に伝わってしまう可能性だってある。

 それでもわざわざ引き留めてまで話したという事は、知っておいて欲しいという気持ちがあるからだと私は思います」

「それなら、若い世代にも初めから伝えるべきなのではないか?」

「……もう前を向いている。あの方が仰っていたそれが答えなのではないでしょうか。過去を乗り越えて新しい一歩を踏み出すために伝えない事を選び取った。それがこのコミュニティの、星療協会としての選択なのだとしたら、そこに部外者の我々がとやかく言う権利はありません」

「……そうだな」


(自分と重ねすぎたか)


 イオニアの事、時の流れの中に消えていく歴史と記憶。オスカーはそれを手放そうとする者を見て、どうしても黙ったままではいられなかった。

 一度「無かったもの」として葬ってしまえば、再び掘り起こすのが困難になってしまう。伝える者が絶えてしまったら、それを正しい姿でよみがえらせるのは難しい。


(例え忌むべき記憶であっても、祖先が歩んできた歴史や記憶を知りたいと思う者は居るはずだ。彼らが知る権利を奪ってしまってよいのだろうか)


 イオニアは国を作った祖先を敬い、国の成り立ちに誇りを持つ国だ。そんな国で生まれ育ったオスカーにとって、先祖が歩んできた歴史を葬り去ろうとするコミュニティの選択は理解しがたいものだった。


「納得いかないという顔をしていますね」

「……すまない」

「謝る必要ないですよ。国が違えば文化も違う。考え方だって違って当たり前です。そうやって思い悩むという事は、自分と違う思想に触れても拒絶しないで理解しようとしているという事です。立派だと思いますよ」

「……ありがとう」


 リーシャはいつもオスカーを肯定する。だが、それは決して甘やかしている訳では無かった。


(一緒に旅をして分かったけど、オスカーは人より思慮深い)


 思慮深いと言うか、考えすぎる質だというべきか。魔法が無い国に魔法を持ち帰り、魔法を導入する上でその先達となる。国王である父から出された課題に真摯に向き合い、それを成すために見た物、聞いた物を全て吸収しようとしている。


(自分と異なる価値観、風習、文化。それらを全て理解しようとしているけれど、それはとても難しいことだ)


 新しい知識や文化、それは彼にとってとても刺激的で衝撃的な物であるに違いない。中には決して理解出来ない――許せない物もあるはずだ。


(だけど、その土地の人々にとってそれは大事な物であり、代々受け継いできた何物にも代えがたい物でもある。全ての物を自らの常識や基準で測るのは宜しくない)


 旅をするならば尚更、一線を引く必要がある。


(私達は人所に留まらない旅人であり、部外者だ。だからそこ、住人達の営みに口を出すべきではない)


 フロリアでの一件もそうだ。大公家の風習に口を出すのは簡単だ。親族であるオスカーなら尚更だろう。だが、その後は?

 大公女の縁談が無くなり国の主力である薬草の販路拡大出来なくなったらフロリア公国はどうなる? 嫁ぎ先が無くなった大公女はどうなる? 既に大公家の血が沢山入っている国内の貴族に無理やり嫁がせるようになれば何が起こる?

 そこまで責任を取れるのか?


(オスカーは情が厚い。だからこそ、学ばなければならない)


 オスカーには王位を継ぐと決まっている兄が居る。故に、国に戻ってもすぐに王になるという訳ではない。それでも、王となった兄を支え、国を動かしていかなければならないのには変わりはない。

 今のオスカーのように情で動かされるようでは駄目なのだ。「かわいそう」な者全員に差し伸べるのは簡単だ。だが、その後の責任まで負うのはとても難しい事なのだと、学んでもらわなければならない。


(新しい物を見て触れて学んでいく中で、何を捨てて何を得るのか。広い視野を持って取捨選択できるようになると良いけど)


 オスカーをどう教え、導くか。年長者として、隣に立つ者として、彼にとって何が一番良い選択なのか。それはリーシャにとっても難しい課題だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る