出国、そして

「結局表彰式に来ませんでしたね」


 宿屋の一室で「鳩の血ピジョンブラッド」のルビーを眺めながらリーシャは酒を傾けていた。


「ウィリアム・ウィナーか。あれだけ派手に仕掛けてきたからてっきり飛行場で文句の一つでも浴びせられるのかと思っていたが」

「彼としては弱小造船所に負けて面子が丸つぶれですからね。恥をかく前にとっとと帰ったのかも」


 あれだけ派手に嫌がらせや砲撃をしておいて傷一つ付けられなかったのだ。プライドが高い男には耐え難い屈辱だろうとリーシャは考えていた。


「でも、あの大砲ではっきりしたでしょう。あんなものを用意していたということは、やはり『やる気』なのでは?」


 賞品として掲げていた蒐集物コレクションを使えばもっと巨大な、それこそ硬式飛行船に積めるような大砲を作ることだって出来る。そんなものが首都の内側で暴れたらあっという間に陥落してしまうだろう。


「兵器を内部で作られてしまっては山脈の壁も意味を為しません。今回は難を逃れたとしても隣国へ輸出されているというルビーのことを考えると時間の問題でしょう」

「『冠の国』国内で兵器を作るのには失敗しても、隣国で大量生産した兵器を飛行船で運び入れることは容易いだろうからな」


 ウィナー公船会社が作った飛行船の多くは隣国へ出荷されており武器を持った兵士を大量に運び入れる準備は既に整っている可能性が高い。内部からの攻撃で混乱を引き起こし、それに乗じて外部から乗り込む算段だったのだろうが……


「正直、今の『冠の国』ならば内部で混乱を起こさなくても外から攻め込むのは容易な気がするんですよね」


 異国からの借金に頼らなければ街並みを維持できない程衰退した国力ではいくら自然の要塞に囲まれていようとも敵を追い返すのは難しいだろう。上層部の腐敗を見るに、軍隊があっても機能しているかは甚だ疑問だ。


「ではなぜ、ウィリアム・ウィナーはこの国に派遣されたのか」


 あれば便利だが無くても良い。そんな塩梅だ。


「まぁ、ここから先は私達には関係のないことなので……。雲行きが怪しいのでさっさと出国しましょう」


 用事は済んだ。面倒ごとに巻き込まれる前にとっとと出国するのが良いというのがリーシャの考えだ。


「あの二人はどうする?」

「どうする……とは?」

「戦争になりそうだと伝えなくて良いのか?」


 レースを通して苦楽を共にしたオリバーとモニカを戦争に巻き込みたくない。戦争になると伝えて避難をさせた方が良いのではないかとオスカーは主張した。リーシャは小さくため息をつくと諭すように「これ以上の深入りは禁物です」と言った。


「もしも戦火の中で彼らが捕まった時に『リーシャとオスカーに戦争になると言われた』と誰かに漏らしたら? 何故そんなことを知っていたのかと探られた際にオスカーが異国の王子だと知れたらどうなると思います?」

「……そうか。すまない、そこまで考えが及んでいなかった」

「私はともかく、貴方は立場のある人間です。貴方の母国を戦争に巻き込みたくはないでしょう」


 小さな火の粉だったとしても、それがどう広がり燃え上がるのかは想像がつかない。余計なことをして火種を作る必要はないのだ。


「明日、飛行場から次の国へ経とうと思います」

「行先は?」

「ともかく一番早く出国できる便に」

「分かった」


 ギルドで報酬は受け取った。後は荷物を纏めて空港へ向かうだけだ。オリバーとモニカに別れの挨拶が出来ないのは寂しいが、身の安全を考えると仕方のないことだとオスカーは自らに言い聞かせた。


 翌日、身支度を整えてまだ日も昇らないうちに飛行場行きの乗合馬車に乗り込む。オリバーとモニカへは簡単な手紙を書いて出しておいた。当たり障りのない内容なので万が一のことがあっても大丈夫だろう。

 飛行場へ着いたら一番早い時間のチケットを手配する。


「行先は冠の国の北側にある国みたいです。これからどうするかは着いてから考えましょう」

「そうだな」


 搭乗手続きを済ませて飛行船へ乗り込んであとは出発を待つだけのはずだったのだが、出発時間が刻々と迫る中、リーシャがあることに気が付いた。


「妙に空いていませんか?」


 小さな声でオスカーに耳打ちする。オスカーが周囲の座席を確認すると見える範囲にいる乗客はリーシャとオスカーの二人だけのようだった。


「早朝の便だから利用客が少ないのかもしれないぞ」

「そうでしょうか……」


 いくら早朝の便だからと言って乗客が自分達だけなんて。虫の知らせのような物を感じたリーシャは辺りをキョロキョロと見回した。


(客室はいくつかのブロックに分かれている。もしかしたら別の客室に他の客が居るのかも)


「ちょっとお手洗いに行って来ます」


 手洗いに行くふりをして周囲を観察する。


(この客室内には私とオスカーだけ。乗務員の姿も見当たらない。ちょっと不自然だ)


 隣の客室の様子を伺おうと通路に出ると乗務員らしき男性に呼び止められた。


「すみません、お手洗いを利用したいのですが」

「申し訳ございません。まもなく離陸致しますのでお席にお戻りください」

「……分かりました」


 リーシャは軽く会釈をするとくるりと方向転換をして元来た道を戻る。


(武装してたな)


 乗務員の制服を着た男性の腰に下がっていた物。それは旅客船の乗務員には似つかわしくない「鉄の銃てつのつつ」だった。隣の客室へ向かう通路には複数の「乗務員」が立っていた。本来の業務である客の案内をせずに何故通路に? 答えは明白だ。


(私達を別の客室へ通したくないのか)


 この飛行船はおかしい。


 オスカーの元へ戻るとすでに飛行船は離陸していた。眼下に広がる飛行場が「もう後戻りはできない」ことを告げる。


「オスカー」

「どうした?」

「通路に『武器』を持った乗務員が複数いました。この飛行船、変です」

「なんだと?」


 ただの客船に武器を持った乗務員が複数とは穏やかではない。


「俺たちの他に客は?」

「居ないかもしれません。他の客室を覗こうとしたら止められました」

「反対側の通路を見てくる」


 オスカーはリーシャが見に行った方向とは逆側の通路へ様子を見に行った。客室を出るとリーシャの話通り、通路に数人の「乗務員らしき男性」が立っていた。オスカーの姿を見ると「どうかされましたか?」と声を掛けて来たのでオスカーは「手洗いに」と言って通路に面した手洗い場に入った。


(リーシャの言う通りだ。武器は見えなかったが妙に体格のいい乗務員だ。それが通路を塞ぐように数名……か)


 飛行船は密室だ。その性質上、何かトラブルがあった時の為に警備員を載せていてもおかしくはない。確かに怪しい部分は多いが確証を持って「自分達に害をなそうとしている」と言うことは出来ない。

 少し時間を置いて手洗い場から出ると乗務員たちは同じ場所におり、心なしかオスカーの様子を伺っているように見えた。オスカーは出来るだけ平静を装ってリーシャのいる席に戻る。


「どうでしたか?」

「怪しい……が、まだ確証を持てないな」

「……そうですか。暫く様子見ですね。どっちみち空の上です。逃げも隠れも出来ないですし」


 窓の外から見えるのは遥か下に広がる山脈ばかりだ。逃げ場がない以上、こちらから何かを仕掛けても事態が好転することは無い。あちらが明確に害意を向けてこないならば様子を見るのも手だとリーシャは考えた。


「失礼致します。お食事の用意が出来ました」


 離陸してから数時間経った頃、食事を載せた台車を引いた乗務員が二人の元へやってきた。


「食事……ですか? もうすぐ到着するのでは?」


 リーシャが尋ねると乗務員は「現地の天候が荒れているので着陸までに時間がかかる見込みですので、こちらはサービスです」と言って有無を言わさずに配膳を始める。チケットを確認するとそろそろ着陸準備に入ってもおかしくない頃だ。窓から外を見ると真っ青な青空が広がっていてとても「荒れている」とは思えない。

 配膳を終えて乗務員が去った後、リーシャとオスカーは顔を見合わせた。


「今食事が出るということは、まだ暫く飛び続けるということでしょうか」

「つまり、行先が変わったということだな」


 元の行き先とは違う、どこか別の国へ向かって飛んでいる。……となると、大体の予想が出来た。


「おそらく行先はウィナー公船会社の母国でしょうね」

「……そうなるか」

「『冠の国』から私達をわざわざご招待して下さるんですよ。理由はいくらでも思い当たりますし、飛行場に手を回せるのもそこくらいでしょう」


 どこからか「朝一番の飛行船に乗る」という情報が漏れていたのか、それとも後をつけられていたのか。架空の便とそれに見合うような巨大な飛行船を用意してまで二人を自国へ運ぶ意図が分からない。


(まさかルビーを取り返すために? いや、それならばわざわざ自国へ連れていくまでもない。冠の国の内部で済ませれば良いことだ。気になるのはこの待遇。先日までの手酷い扱いとはまるで逆だ。そう、好待遇と言って良い)


 拘束する訳でもなく力づくでどうこうする訳でもない。貸し切り状態の飛行船にフルコースの朝食。まるで要人に対する接遇のような……。


「いただきます」


 目の前に広げられた食事から漂う美味しそうな匂いに釣られてスープを一口、口に含む。


「お、おい。大丈夫なのか?」


 「毒が入っていたらどうする」と心配そうな顔をするオスカーを尻目にリーシャは温かくて濃厚なコーンスープに舌鼓を打っていた。毒を気にせずに物を食べられるのも「お守り」のお陰である。祖母に感謝だ。


「美味しいです。毒は入っていないので大丈夫そうですよ」


 リーシャに勧められてオスカーも恐る恐るコーンスープを口にする。丁寧に裏ごしされた濃厚で滑らかなスープだ。コーンの甘さが早起きした身体に染み渡る。


「美味いな……」


 付け合わせのパンや肉の腸詰にスクランブルエッグなどシンプルなメニューだがどれも美味しい。調理されたばかりなのかどれも温かく、飛行船の上に居るのを忘れてしまいそうだ。


「一体何のためにこんなことを?」


 目的が不明瞭なためオスカーは混乱しているようだ。宿を襲撃したり飛行船を破壊したりしたのに打って変わってこの態度、不気味以外の何物でもない。


「ついた先で尋ねる他ないでしょう」


 答えは飛行船が辿り着いた先にある。今はただ机に並べられた料理を頬張りながら窓の外に広がる何処とも知らぬ風景を眺めるしかないのだ。

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