05

「隣、良いか?」


 一人で黙々と食堂で親子丼を食べていると、声を掛けられた。

 口の中にメシが入ってる俺は、頷く事で承諾する。

 隣に置かれたトレイはエビフライ、白身魚フライ、コロッケが千切りキャベツと一緒に盛られたミックスフライ定食だった。当然、親子丼より高い。

 隣に座ったのは、俺の数少ない知人――もしかしたらライバルの距離感かもしれない――という微妙な間柄の君嶌きみじま悟志さとしだった。少なくとも友人ではないな、うん。


「そういやお前って、メシん時は真北さんと一緒じゃないんだな」


 校内に居る間の空さんは皆のもの。分を弁えている俺は、一緒にメシを食うって事もあんましない。

 少し離れたメニューの前では、三分くらい空さんが悩んだままだ。マネキンも嫉妬するようなプロポーションを拝見しておいて何だけど、あんだけ細身なくせに空さんは中々健啖家で、女子にしちゃたくさん食べる方だと思う。健康的で良い事だ。

 生活水準が高い空さんは贅沢に慣れてるし、宮野さんは料理上手で料亭で出てくるような食膳だって作れちゃうような腕前の人なので、意外にも普段口にしない庶民的でチープなものを割と好む。三分も悩むって珍しい。もしかしたら今日の空さん、ちゃんとしたメシよりもカップ麺とかジャンクなもの食いたい気分なのかもな。

 帰りにスーパーでも寄ってって、一緒にカップ麺選ぼうかな。あんま身体に良くないかもしんねーけど、ジャンクフードって偶に食いたくなるもんな。カップ麺は夜食に最適だし。空さんの場合、夜にちょっとつまんだだけですぐ太るような軟弱な細胞してねーと思うし。


「お前は良いよなー。たとえ大学が違ったって、いつまでも傍に居られるんだから。俺なんて、後一年足らずでお別れなんだぞ…!」


 君嶌は空さんに堕ちた男子の中で、俺の知る限り一番真っ直ぐに空さんを好きな男だ。割と明け透けに慕ってるし、それが全校生徒に知れ渡ってるし、俺に対して真っ向から好戦的でもある。

 高校三年生にしては童顔で可愛げのある顔立ちとあまり高くない背丈の君嶌は、俺からすりゃ空さんとは違う方向性の美少年だよな、って感じなんだけど、本人的には不服らしい。

 まぁ、好きな女子より背が低くて何かっちゃ「可愛い」って言われるショタ系童顔は、君嶌としてはコンプレックスなんだろう、多分。

 外見を裏切らない素直で誠実で隠し事を嫌う君嶌は、いつも真っ向から俺に文句を言ってくる。キャンキャン甲高く吠えてくるチワワみたいだな、なんて思ってるのがバレたら余計キャンキャン煩そうなので黙っておく賢い俺。

 全校生徒の憧れみたいな空さんに下の名前で呼ばれて傍に居るのを許されている俺は、明らかに特別扱いされている。たかが幼馴染のくせに、っていうやっかみが多いのは昔からの事なので知ってるから、そうやって俺に反感持ってるくせに陰口しか言えないみみっちい連中よりも、こうして直接言って来る分、好感はあるんだけど。まぁでも、時と場合によっちゃ鬱陶しいわな。

 空さんは基本的に女子にモテる人ではあるけど、美人なのは昔からだし顔だって男顔って訳じゃないから、男子にとっては最初から女として見ている者も多い。普通に男友達感覚で話し易いっていう層にも(気になる女子枠というより友人枠で)人気で、とにかく男子票も割と高いんだよな。

 女のくせに男よりカッコ良くて女にモテモテって部分が気に入らないっていうアンチも勿論居る訳だけど。


「金もある、頭も良い、難関の医学部だってお前なら受かるんじゃねーか? その気になりゃいくらでも追い掛けて行けるくせに、何で高校限りみたいに言うんだよ」


 俺からすりゃ、君嶌の方がよっぽど恨みがましいぞ。

 医者志望の空さんを追うには、どこの大学にしろ必ず医学部を受験するだろう事は明白だ。しかも空さんは目指す大学を高一の時点で既に決めていて、それは空さんのファンなら誰もが知っている。

 志望学部も判ってるんだから、後は受験勉強に心血注ぐだけじゃねーか。合格するまでは気が抜けねーとは言え、やる事っつったらシンプル極まりない。簡単だろ?


「……。俺、さ。医者ってのは命を預かる職業だから、それなりに野心か志がないとやってけないと思ってるんだ。俺の場合、真北さんの傍に居たいっつー野心な訳だけど。もっとこう、純粋に「金稼ぎたい」とか「良い暮らししたい」っていう野心持って医者目指してるヤツの方が、多分マトモに医者稼業やれるんじゃないかって思う訳」

「……」

「そりゃ、恋が原動力でも良いんだろうけど。俺、医者になりたい訳じゃないから。他になりたいもんあるから。…だから、真北さんとはどうしたって高校でお別れだ。どんだけ俺が真北さんを好きでも、卒業ギリギリまでアプローチ頑張っても、振り向いてくれないってのは、何となく判ってるし……」


 そこで恨めし気に俺を睨むのはよせ。俺はただの従者だかんな! そりゃ、空さんに下心ありきで近付く輩はあの手この手で排除させてもらってるけど。


「医学部に入らないなら、同じ大学に行ったって意味ないんだよ…!」


 コロッケを頬張りながら嘆く君嶌に、俺はそれでも白けてくる。

 どっちにしろ、コイツはこんな私立の進学校に何の憂いもなく通えている時点で、俺からすりゃ恵まれてる。


「どっちにしろ、贅沢な悩みだな」


 空さんが狙ってるのは多彩な学部を抱える日本屈指の名門マンモス大学だ。同じ大学を受験しても学部が違えばキャンパスも違って来る。当然、示し合わせでもしない限り、よっぽどの偶然が働かなかったら一度も顔を合わせず卒業してしまうケースも珍しくはないんだろう。大学の事よく知らんけど。

 聞かせるつもりじゃなく、何気なくこぼれただけの呟きに、桜庭家の事情を薄っすら知っている君嶌は、一転、きまり悪そうな声で訊いてきた。


「お前は、その……やっぱり、大学行かないのか?」

「この先だって、妹の医療費にどんだけ金が掛かるか判んねーんだ。呑気に大学通えるかってんだよ。――今でさえここの学費も、旦那様のご厚意で負担して下さってんだ。そうじゃなきゃこんな私立の良い学校、俺ん家の稼ぎだけじゃ受かったって通えねーよ」


 そうなのだ。俺の学費すら、真北家の援助のお陰なのだ。

 大体俺、空さんと主従関係になかったら、多分普通に家から一番近い公立校を受験してたんじゃねーかな。安さ重視で!

 俺が空さんのボディーガードっていうのは、空さんのご両親からして公認だし、同じ学校に通ってなきゃボディーガードの意味ねーもんな。ここ受験して落ちてたら、どうなってんだろ俺…。

 流石に裏口入学とかは俺の中の正義が許さなかったんで、俺は全身全霊で受験に臨んだし、そもそも空さんの従者やるなら空さんの頭脳レベルに少しでも釣り合わないといけないと思って結構積極的に学力向上に励んだお陰で、俺は何とかここに受かる事が出来た。中学の成績も決して悪くはない。

 合格発表の後、真北家が裏で手を廻していたらどうしようと不安になって、わざわざ自分の試験の点数を訊きに行って、ちゃんと合格点採れてたって確認してからホッとした。

 そんかし、中三ん時の担任には「お前の成績でもギリギリだぞ」って言われただけあって、入学してからも勉強に着いて行くのは中々厳しいけど。そういや英語の課題、まだ終わらせてねーわ…。これ食ったらやろ。


「お先に失礼する」


 完食してから、トレイを持って進む先、離れたテーブルで大盛りカレーを優雅に食べている空さんの横顔を流し見る。

 向かい側や隣に陣取っている女子グループと楽しそうに和気藹々って感じで、和やかな雰囲気だった。こんな風に穏やかに楽しい感じだったら、俺が見張ってなくても良いな。過激派女子とかはな、ちょっと俺が空気読まず割り込んでやるところだけど。

 カレーか。まぁ、カレーは美味いよな。カレーが嫌いっつー奇特なヤツも世の中には居るもんだけど、俺は小さい頃からカレーが一番好きだ。実は今日も親子丼とカレーどっち食おうかって迷った。

 今日の夕飯がカレーという偶然でも起きない限り、明日の学食はカレーを食う事にする。よし、カレー。君に決めた!



 英語の課題は難産だった。でも昼休みの間に何とか書き上がったぞー!

 後は読み直して、誤字脱字とか文法のおかしいところとか違和感あったら直して、清書すれば良いだろ。ふー疲れた。英文をレポート用紙四枚とか、我ながら結構頑張った。ような気がする。

 出された課題は、何か一冊英語の本を読んで、その本の内容について英語でレポートを書く、というものだ。改めて思うけど、面倒くせー!

 ここに通ってる生徒からすれば洋書の一冊や二冊、たかが一回の課題の為に買ったところで痛くも痒くもないんだろうけど、俺の家は正直言って、あまり裕福じゃねーし。

 一度だけの課題の為にわざわざ値段がそれなりにする洋書買うのもなぁ…、って感じで図書室で探してたんだけど、実際に本の中身でレポート書くとなると、小説よりは論文の方が書き易い。

 残念ながら洋書は娯楽本しか置いてなかった図書室め…。買うしかねーのか、ってため息吐いてたら、空さんが「ウチの書斎にも幾つかあるから、貸そうか」って言ってくれたんで助かった。

 空さんは理系なだけあって理科っぽいものも凄い好きだから、新書サイズで自然科学系のシリーズが揃ってたのは本当に助かる。こういうテーマだとレポートも書き易い。

 実際に読んでみたら外れ、っていう事もあるから、取り敢えず三冊借りて、四苦八苦しながら三分の一まで読んで、どれが一番面白そうでレポートも書けるか決めてから、それに絞った。

 つーかこれ、「普段から原文で読んでんの? 和訳されたヤツ読めば良いじゃん」って思ったりするけど、まぁ空さんとしてはリーディングの勉強も兼ねて、あえての洋書縛りなんだろうなぁ。空さんは洋書って、英語版よりもドイツ語版の方を積極的に読むみたいだけど。医者志望だからドイツ語は必須なんだよな判ります。

 何でカルテってドイツ語で書かなきゃなんだっけ? あ、枢軸時代で当時の日本がプロイセンのあれこれを吸収…つーかモロパクったからだっけ? 違うか、それは大日本帝国憲法だったか。

 それはさておき、今はカルテも英語とか日本語で書いて良い時代になってるんじゃねーの…? ドイツ語を習得する必要性、あんまないんじゃねーの…? でも空さんはドイツ語を勉強してんだよなぁ。やっぱカッコイイから? 旦那様も奥方様もご使用なさっているから子供心に憧れて……とか、そういうのかな。

 借りた三冊の内、課題に使わなかった二冊だけど、せっかくだから最後まで読んでみようかな。続きが気になる。自然科学系のなぜなにどうしてネタは好奇心擽るの上手いよなー。



「元春。帰るぞ」

「はい」


 俺の前だと殊更意識してなのか、口調が男らしいというか素っ気ない空さんの後ろを定位置に着いて行く。

 友花里の誕プレ何にしようかなぁ…、と未だ色鉛筆に絞り切れない俺はぼんやり歩いていたが、ぼんやりしているように見えても空さんのボディーガードらしく周囲に気を配るようになってかれこれ数年、空さんにサッと近付いてきた人影を視界の隅に映した次の瞬間、俺は空さんを庇うように彼女の前に立ちはだかり、接触阻止に成功していた。


「!」


 あわや俺にぶつかりかけたそいつは、濃いグレーのパンツスーツの女だった。

 俺が妹にカットしてやりたい理想のボブとパッキリした色合いの赤い眼鏡がよく似合う。地味だが自分の魅力を引き出すのが上手い女、という印象。


「すっ、済みません! …うわ長っ」

「いえ、」


 ただ単に急いでてぶつかりかけた、って風には見えなかった。明らかに空さんに突撃する勢いだったぞこの女。

 しかも最後、俺を見て小さく「うわ長っ」って驚いた。俺の髪はその辺の女より長いからメチャクチャ目立つんだろうけど、大体空さんの傍に控えている長身デカブツの俺を知らないって事は、この女が空さんを知ったのもごく最近の可能性が高いって訳だ。


「空さん、大丈夫でしたか」

「お前が居るんだから大丈夫に決まってる」


 振り返ると、全幅の信頼を向けた声と微笑みが俺の心にダイレクトアタック。この人って本当にツンデレという単語とは無縁だよな。マジ従者泣かせ…。


「本当に済みません…」


 俺は適当に「気を付けて下さいね」などと棒読みで言いながらしっかり睨みを利かせたのだが、この女、見かけによらず根性があるらしい。俺みたいな仁王像に凄まれてビビりはしても逃げはしないとは。


「…あれ? 貴女は昨日の…」

「あっ! そうです、覚えておいででしたか!」

「えっ、何ですか空さん、知り合いですか?」

「否、全くの他人だが。昨日更衣室でやたら見てきた女性ってこの人だから」


 何だって!?

 つまりこの女、空さんの制服から水着への着替えを一部始終ジロジロ眺めまくったという痴女か! 許せん、空さんの玉体を視姦するとは。


「昨日の事も済みません! 制服がパンツなのに女性更衣室に入って来たから、ビックリしてしまって……男性なのか女性なのか判らなくて…!」


 ……否、まぁ、確かに空さんは制服姿だとより一層男子に見えるけど。ジロジロ見ちゃっても仕方ない気もするけど。脱がないと性別判んね、ってほど中性的なのも事実だし。


「でも、あの、綺麗な子だな、っていうのは一目見てすぐ判りました!」


 そうだろうそうだろう。一目見て判ったんだからもう充分だよな。つー訳でもう空さんに用はないはずだから今すぐ失せろ。


「空さん、帰りましょう」


 俺が促すと、女は慌てたように「待って!」と引き留めてきた。


「昨日、つい君の事を何度も見てしまったのは、君の性別の不確かさも理由だったんですが、もう一つありまして……」


 ごそごそと黒いバッグを漁って、名刺入れを取り出した女に嫌な予感がビシバシする。


「君のような綺麗で男子なのか女子なのか判らない妖しい魅力を備えた人、滅多に居ません! 私、こういう者ですが、芸能界にご興味はありませんか!?」

「ないです」

「えっ」


 即答だった。流石空さん、将来の進路が医者と既に定まっている王子様にブレはない。

 あまりにも間髪入れないお断りだったせいか、名刺を差し出したポーズのまま固まった女がえらくビックリしている。未だかつて、こんなにも早く断られた事などなかったのかもしれない。


「ですよね、空さん。じゃあ帰りましょう。帰りにスーパー寄ってって良いですか?」

「あぁ。おばさんに買い物でも頼まれたのか?」

「家に一人で居る時とかカップ麺食べたくなるんで、俺の備蓄用に」

「カップ麺…」

「空さんどうします?」

「私も買う!」


 どうだ。空さんは芸能界の名刺にはてんで興味ないけど、カップ麺には釣られるんだぜ。この興味津々の嬉し気な顔を見よ。キラキラし過ぎてうっかり目を離すと桜の季節じゃなくても攫われる心配をしちまうレベルだろ。


「えっ、えっ、待って下さい、お話、少しで良いからお話だけでもっ…!」


 空さんほどの美貌と魅力とカリスマ性を兼ね備えた人材は滅多に居る訳ねーから、女が諦めきれずにアプローチかますの、判るぜ。

 判るけど、それとこれとは別なんだよなぁ。


「あんまりしつこいと警察呼びますよ」

「ひっ! ……だ、だって~! 諦めきれない、貴女が欲しい…!」


 大抵これで引き下がってくれる最強の呪文を言ったのに、ビビッて逃げ出してくれれば良いものを、変に諦め悪いな。

 それだけ空さんの美貌と魅力とカリスマ性が稀有で尋常じゃないって事だから、従者としては鼻が高いけどよ……空さんは芸能界に興味ねーっつってんだろ! 「皆の王子様」が学校近隣レベルから全国レベルに発展していったところで、何になるってんだ。本当は友花里だけの王子様なんだから他当たれ!

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