散策
アルミンは、すこぶる酔っていた。
それで、『西のカフェ』の店内のテーブルに突っ伏していた。
「帰った方が良くない……?」
つばの広い帽子の位置を直しながら、トラウテが、彼の顔を覗き込んだ。
「俺は、描かねばならん。帝国の民のために。だが、どうだ? どれほど机の前で唸ろうと、出てくるのは駄文ばかり。くそっ! 俺はこんな男じゃない!」
そう息巻くと、テーブルの隅にあるワインの瓶をひっつかんだ。ごくごくと飲む。
「あらあ、かっこいいねえ、アルミン。とても幻滅だわ」
ローザが際どいドレス姿で、同じテーブルに座った。
「ローザ。歌ってくれないか? 俺のために?」
「女はいまのあんたのような男のためには、働きたくないものよ」
「まったく。マスター、水を頼むぜ」
朝の開店前の、お店だ。その時間に特別に入れてもらえるのはアルミンとマスターの仲ということか。
「アル、少し散歩してきたらどうだ」
お腹の大きなマスターが、ミネラルウォーターの瓶をテーブルにゴトンっと置いた。
「いいね。水を飲んだら少し行くよ」
といいつつ、酒瓶を掴む。その手の甲をローザがつねった。
水のボトルを手に取ると、アルミンは立ち上がった。
「シスナ、トラウテ? 外へ行こう」
あたしは、あわてて、彼の横に立つ。トラウテはおっとりと、背中にまわった。
「じゃあ、あとでな。ローザ」
「あんたは、できる男よ。自信を持って」
彼は、手を挙げで、ドアを出た。
アルミンは、水を少しずつ飲みながら歩いた。目的地は知らないけど、トラウテとあたしは、周りを警戒してついていく。
「シスナ、お前に得意なことはあるか?」
あたしはすぐに答える。
「剣、です」
「スランプに陥った時は?」
「え、と、その時は、蓄音機の音楽を聴きます」
「店先にでも行くのか」
あたしは頷く。蓄音機なんか高くて買えるわけもない。だから、レコードの売っているお店まで歩くのだ。そこで流れている音楽を聴く。正直、アルミンが、そこまで先読みして言葉を発したことにびっくりした。ふつうは、「え! 蓄音機持ってるの?」というところではないか。
「つまり、全然別のことでもするのか。いいな」
そう言うと、アルミンは、トラウテの方を見た。
「?」
への字口の彼女。
「剣を貸してくれないか、トラウテ」
「なぜ?」
「シスナと勝負がしたくなった」
「アルミンさん?」
あたしは、困った。たぶん、勝負にならない!
「俺はこれでも、戦争で、プロミネンスの一員だったぜ」
「精鋭の騎士団……!」
トラウテが小さく叫んだ。
彼女は鞘から剣を抜いた。それを渡す。手に、剣を、持った、アルミンは、それを、取り落とした。
「まあ、こうなるな」
「酔ってるんでしょう?」
アルミンは、フッと、笑った。
そうして、右の手のひらをあたしとトラウテに交互に見せた。なにか、赤くなった大きな傷がある。手のひらを刃で貫かれたような。
「捕虜になってな。剣を握れなくなったよ。ペンは持てるけどな」
トラウテが膝をそろえてしゃがんだ。自分の剣を取り上げる。立ち上がり際に、唇をふるわせた。
「あなたは、なぜ詩を描く?」
アルミンは、顎に手を当てた。
「あ、すまないな」
剣を拾うトラウテにまず言った。
「詩を描く理由な。世の中が、おかしいからじゃないか」
トラウテは、じっと相手を見た。
「ふむ。違うな。俺の奥底にあるものが、形を成したいんだよ。それが時代と出会っていまの詩になっている。果てしない自己表現の欲望だよ」
さっと、トラウテは頬を喜色に染めた。
「詩想の神によりアーギュメントの鎖。断ち切られる。青は赤と呼ばれ黄は緑と呼ばれる。蒼空に挑む白き雲も、雨の日を静止させる雷も、あたしたちは、意味を知らない。この、想いに絡め取られた人間という論理。あの日々のどこにそれがあった? あたしは、手を天へと伸ばす。神との契りを願う。確かなる嵐などない……」
「ほほう。面白いな。ふむ!」
アルミンも楽しそうだ。
「いかなる確率が、運命を定めた。車輪の音は、いつか俺を追い越した。忘れられた涙は、灯台の明かりに託されて、いくべき道を照らす。世界よ。お前の視線が、万人に注がれているのに、俺に見えているのは、目の前の女だけだ。おそろしい非対称に、見えてくる本性。オオカミは撃たれる! されど、お前の姿を美しいと思ったのは嘘ではない。棺桶の中で、俺は何度も思い出すだろう」
そして、トラウテを見て、ニヤリとした。
「酔いは覚めたな」
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