死刑執行人

ローゼの歌が終わった。お客さんたちが拍手や口笛を送る。


アルミンは、コーヒーカップを彼女の方へ捧げるようにした。女が、目を細めて、笑う。


舞台から降りようとしたローゼの腕をピアノの席から立ち上がったフリースラントが掴んだ。


女は、一瞬、眉間に皺を寄せたが、すぐに何事もなかったように、微笑む。


フリースラントがローゼに何やら話しているが、その声は聞こえない。


「退廃芸術展には行ったか?」


アルミンが、私の方を見た。ニッカリと笑う。あのね? だから、その笑顔は怖いんだって。


「はい? 行きましたけれど……」


「これから、幾つもの街で、ああいう催し物が生まれるだろう。4番街がまず初めなのは、ここが、文化の街だからさ。王国時代からの洗練された芸術観を、帝国の奴らは壊したいらしい」


アルミンは、口をへの字に曲げた。このおおらかな人も、こんな表情をするのか。


あたしは、自分の逆三角の小さな顎を手のひらで挟んだ。顎の形がキレイだねと、孤児院のリアラやエルゼが褒めてくれたことがあり、少しここには自信を持っていたりする。


しばしの思案。


「会場に並べられた絵は、素敵だったと思います。全部とは分かりませんが、なぜ、あれらの作品が、退廃、なのか、あたしにはわかりません」


「帝国の認める力以外を無くしてしまいたいんだろうな。奴らは、恐れている。どこからか、思わぬ力強い抵抗力が現れることを。その可能性をしらみ潰しにしたいんだよ」


「え? そんな、とても横暴な……」


アルミンが、ため息をつく。


「だな。まともな考えの持ち主なら、信じられないことだ。でも、お前も、それを経験しただろ?」


理不尽にギロチンにかけられそうになったこと。あたしは目の前の男を見て、頷いた。


「自分の都合の良いように強引にしたがる人間ってのは、どこにでもいるよ」


「権力者の腐敗ですか」


「いやこれは、力のないものも同じだ。人間ってのは、上層にいようが、中間、下層にいようが、階級差な? その本質はそう変わらん」


あたしは、目を斜め上に向けて、天井を見た。そしてしばらくして、また、アルミンを見る。満面の笑みの彼に、抵抗感を覚えながら、言葉を出してみた。


「あなたは、ペシミスト悲観主義者? 人間について……」


「ちがうな。オレは人間を愛している。ただ、その本質に嘘をついてしまえば、帝国のプロパガンダと同レベルになる、そうだろ?」


「その本質は、真実でしょうか……」


あたしは、少し抵抗してみる。


「人間は天使にはなれんよ。だから、芸術が必要なんだ」


さらに、アルミンは、言葉を継ごうとした。そこに、ローゼがやってきた。


「あー、気持ち悪い! あの坊や、いつでも君が望むなら100万回のキスを贈ろう、とか言う! なんなの、あの、羞恥心のなさ」


彼女は、フリースラントの匂いでも身体についたと言わんばかりに、それを消すためかドレスの隅々を手のひらで払っている。


アルミンとあたしは思わず笑った。


「笑い事ではないのよ。きたないことをやたらと言い募られる身にもなって欲しいわ。あんなセンスに毒されたら、商売上がったりよ」


「まあ、ヤツのピアノは1級品だろ?」


「それは認めるけどね。だから、鼻が高くて、ナルシスかな?」


アルミンは、抑えられないように吹き出した。


「帝国美術アカデミーのエッボ教授と懇意になったんだって」


ローゼは険しい顔のまま、苦々しげに言葉を紡ぐ。


「マジか。死刑執行人だぞ」


「死刑執行人?」


あたしは鸚鵡返しに聞いた。それに、ローゼが答えてくれた。


「あらゆる芸術作品の価値を決める権限を持ってるのよ。王国時代の絵画を退廃的としたのも彼、エッボ。作品を世の中から抹殺できるから、死刑執行人と言われてるわ」


「そんなヤツとフリースラントがなぜ?」


アルミンは、横のテーブルに、コーヒーカップをおいた。静かな陶器の音がした。


「彼の絵を褒めてくれたって」


「おいおい、アイツは与太な絵しか描けないだろ」


「革命について、話しているって」


「フリースラントは、体制側だったか?」


「ううん」


ローゼは可愛らしく首を振る。幼い少女みたいな顔つきだった。


「どうやったら、革命が起こせるか、について話し込むらしいわ」


アルミンが、思わずのように、舞台の上にまだいるフリースラントを盗み見た。男は、ズボンのポケットの左右に両手を突っ込んで、近くの席でお酒を飲んで酔っているらしいお客と大きな声で笑いながら話している。アルミンの視線がそれから、ローゼを向く。


「あの、死刑執行人のエッボが? ……くさいな……」


「おべっか使って帝国に擦り寄ったが、そんな話、まともにするわけないわよね」


腕を組んだアルミンは、目を瞑り、顔を下に向けた。唸り声が低く聞こえた。そして、ため息と共に、頭を上げる。


「あんまり、フリースラントに情報がいかないようにしないとな。仲間には警戒しておくように言っておこう」


「ちょっといいか」


シャルンホストが、大きな身体をこちらに割り込ませるように入ってきた。


「そろそろ、タイムリミットだ。アルミンさんよ。店に客が多くなると目が配れん。夕方からぎゅうぎゅうになる程、賑わうだろ? その前に出たほうがいい」


アルミンは片方の眉を上げたが、うむ、と頷いた。


「ローゼ、オレの代わりにみんなに伝えておいてくれないか。フリースラントに気をつけろってな」


「わかったわ。まかせておいて」


ローゼは鎖骨の下あたりに手のひらを置いて、嬉しそうに返事をした。


「シスナ、プロファソーア教授と外を見てきてくれ。入念にだ」


「はい!」


プロファソーアは、出口の扉の前に待っていてくれていた。


彼女はあたしに頷いてみて見せたので、あたしも同じく頷いた。


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