歌姫

「君の方は、変わらないのか?」


アルミンは、彼の体の前にあるテーブルに座ったローゼの腰に手を回した。


その腕に触れながら、女は、少し儚い笑みをした。長い髪の毛のこめかみあたりに、手櫛を入れる。まとまった指通りの良い髪の毛が、ふあっと浮いた。


「アルミン、あなたの方こそどうなの? 独房に閉じ込められて、心配だわ」


「ふふっ。俺は、この通りさ。何も変わってないよ。むしろ、良い方に脱皮したかもしれん。体制の不条理を身をもって体験したのが、さらなる詩作ををな」


「それならば、いつあたしの歌う歌を作ってくださるの? アルミン」


アルミンとローゼの会話を聞いていて、ふと、その2人をじっとみている男に気づく。カフェの店内の中央に、ステージみたいなのがあって、その脇にピアノがあった。その椅子に座っている人。


若い男だ。といっても、あたしよりは上で、22、23くらいだろうか?そいつが、先より、ずっと刑務所から出た男とそれを迎えている女を、見ているのだ。その双眸には、苛立ちが見て取れて、もしかしてこの人が、ローザに言いよるフリースラント?


「ローゼ!」


その男が叫んだ。


「歌を歌え! 僕たちは仕事だ!」


険のある声で、しかしその目は、アルミンを睨んでいた。受けたアルミンは、相手を見据えて、ニヤリと笑う。舌打ちをする男。


「フリースラント、そうガツガツ仕事仕事、言わないで。肩の力を抜いていいのよ」


「ローゼ、僕は中途半端は嫌いだ」


そう言ったフリースラントは、鍵盤を指で押した。高い音が鳴る。


「お、歌か? ローゼ、胸にくるのを頼むぜ!」


客から、リクエストが出た。


「仕方ないねえ。じゃあ、一曲、いきますか」


ローゼはステージに立つ。すらっと立った彼女から、あたしは何かしらの雰囲気を感じる。それは、居住い正しい何か、高雅な空気感だ。


そして、フリースラントが、ピアノを鳴らし始めて、音楽が流れる。


ローゼが、ピンクの口吻を開き、歌い始めた。


それは、古い歌だと思われた。戦士である男が、若い恋人に捧げる恋の歌、だろうか?

哀愁が漂う、いつか少女を迎えに行くことをそこにいない少女に誓う歌。


なんて、感情を揺さぶる歌声をしてるのだろう。耳を心地よくする声だけでなく、胸の中に自然と入ってきて、あたしの心に物静かに触れるような。


あたしは、聞き入っていた。


「どうだ? 彼女の歌は?」


立っているあたしの横に、アルミンが、来た。


あたしは彼を見て、ただ頷いただけ。アルミンが属する世界は、あたしには言語化しにくい。何か人間や世界に対して、深いものが、そこにあるような気がする。


ローゼは歌っている。お客さんたちの多くが彼女を注視していた。動きのある身ぶりで、魅せる演技もしながら、それに応えるローゼ。


リエッタ、お前の弾むような快活なステップを見た時、オレは運命に絡め取られたのだ。18になるお前の前に跪き、オレは誓ったじゃないか。もし世界から朝がなくなり太陽が登らなくなっても、オレはお前を見失わないだろう。リエッタ! 愛おしい人よ。


ローゼが言葉をつく。


「現実に、帝国には、太陽が沈んだままだ」


アルミンが、ボソリっと口を開いた。


「ただ、民衆は生きるよ。どんな世界であろうと、生きてることは真実さ」


あたしは、右手で左腕を緩く握った。自分の足元を見る。使い込んだローファーが、生活するということを暗示しているようだなって思う。


アルミンの顔に視線を持っていき、あたしは、少し首を傾げてみせた。


「いつでも、人間は忙しくて、運命は常に、問題ごとを持ってきます。いつか、あたしたちから、苦しみが消えるのでしょうか?」


「救いに値するような人間なんていない。俺たちは死んでも終わらない苦行を続けていくんだよ」


その、甘きかんばせ。春に咲き誇る花のような瑞々しい笑顔をオレに与えてくれ。さあ、蛮族の地へ赴くのだ。兵役が終わればオレはお前を迎えに来る。そのとき、太陽は輝き、暖かい風が木々を揺らすだろう。美しき未来! 世界が暗いなどと、誰が言うのか?


歌が耳に入ってくる。


「ただ、間違った道は正さなきゃいけない。ボタンの外れたシャツを着続けるのは、色々と気になるだろ?」


アルミンは手に持っていた、ティーカップをソーサーから外し、口にコーヒーを流し込んだ。

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