エミリエ
エリカは先を走っていた。あたしは、後を追う。2人の剣がガチャガチャと鳴る。
狭い道。裏通りのここは、何だか酸っぱい匂いがする。下水の溝が通っていて、得体の知れない茶色の液体が、チョロチョロと流れていた。
壁である家々の間の高いところにロープが張られて、そこに洗濯物が干されている。
リアラが発見してどのくらい経つんだ? 間に合うのか。
前方! 広めの道路に出つつある、数人の集団。
「ほら、歩け!」
粗野な濁声で、体躯の大きな太った男が言った。彼らの前にローブを着た男が歩かされている。
「待ちなさい!」
エリカが、一喝した。
集団はローブの男を殴るようにして前に進ませた。そして、広い道に出た。
「ナニモンだ!」
3人の男と1人の女。道にばらけた。ローブの男は太った男に捕まえられている。
ローブの男は、たぶん、あのクレオンやヨアヒムと会った時の人だ。エリカも気づいているはず。
「あなたたち、その人をどうするつもりですか」
エリカの声は低い。凄みのある、脅しの効いたもの。集団は瞬間、気圧されて、息を呑んだ。
「同業か?」
男が絞り出すように言う。あたしたちは、睨みつける。
「獲物を横取りするのは、御法度だろ? どこかへいけ!」
「つまり?」
エリカは、あくまで静かな声音。楽器の張り詰めた弦のように硬く、そして綺麗な音。
「お前らも賞金稼ぎか? 学生のとは、いないわけではないしな」
太った男は、べらべらしゃべる。それだけエリカを畏怖してしまっているのだ。
「譲ってくださらない?」
なんと、エリカは剣を抜いた。集団は身体だけで構える。緊張感が、びりびりと走ったのをあたしは感じた。
「1万マルクだ」
「わたくし、あなた方なような人とは取引いたしません」
一歩前に出るエリカ。下がる集団。案外、平和にことが済むのだろうか。
「じゃあ、ころ、殺すしかねえな! いいのか!」
男はまず、エリカに剣を向けた。冷たく鋭い光が相手の目に走ったのを見ると、後ろを向いた。
そして太った男は、ローブの男の首に剣の刃を当てたのだ。男の行動はメチャクチャだが、困る。
ローブの男のフードが下がった。優男だけど、すごくガリガリな顔が現れた。
「好きになさいな。その後、どうなるかお分かり?」
エリカは剣を斜めに薙いだ。空を斬る。それは、沸騰する瞬間の薬罐を、何か特別な力を持った箱に閉じ込めて時間を止めたような、静かで、中から激しいものが今にも噴出してしまうようでありながら、永久に未然になっている、しかし、少し触れてしまえば絶対に痛い目を見そうな、そんな危ない印象だった。
集団は、戦意を喪失していた。先の緊張は、音もなくすーっと消えていた。彼らの目には恐れだけがあった。
「つまらないなあ。その子の実力、やっぱりボク自身が見るのかなあ」
気だるい声が聞こえた。左の路地から姿を現した緑の制服。それは、ゾンネ・ユーゲントの軍服に身を包んだ少女。金の髪の毛は、短めに伸ばしている。その双眸も金だが、2つの瞳は、底知れない怒りを持っているかのように、落ち着かずふつふつと不安定に光る。一見、線の細い少年のように見えるが、胸が膨らんでいるので、女だとわかる。
「で? 賞金稼ぎさん、その人殺さないの?」
女が言った。
「お前、何だ?」
男は、ローブの男を突き放し、剣を女の方に構えた。
「ボク? エミリエ。姓を名乗る趣味はない」
瞬間、残忍な笑みが口元に広がった。獲物の首に喰らいつく狼のように歓喜に満ちて、破壊的な。
「剣を向けたね? ボクは許さないよ?」
女が素早く、電光の速さで両腰の鞘から剣を抜いた。二本の短めの剣を両手にそれぞれ持ったのだ。駆けた。ヨアヒムのような身のこなし。太った男の前で少し屈むような姿勢。低い背がさらに小さくなる。体を伸ばすように、二刀が一閃。あたしは見た。同じ速度で左右に広がるように弧を描いた剣。スローモーションのように。男の両手が腕から離れた。一瞬の出来事。
「ぎゃあああああ!」
男は叫びながら膝をついた。落ちた手を拾おうとするが、そのための手がない。
「そのまま、生きろ」
女は素早く鞘に剣を収めた。
「あんたらはどうする?」
賞金稼ぎの残りの3人は、首を振り、逃げていった。
手を失った男も、同じく。
「メインディッシュー。きゃは。エリカ・フォン・シュタットハーデン! 天才剣士、どれほどのもの?」
エミリエは、ローブの男に興味を示さない。そして、また、すごい笑みを作る。エリカの迫力が静かなものなら、彼女のは噴火する火山のように激しく動的だ。
「あなた、何がしたいの?」
エリカが問う。その声には、混乱が見られた。そうだ、エミリエという女は、意味がわからない。
「あれ? 後ろにいるのは、ヨアヒムを怒らせた女? ボク、遠くから見てたんだ。心臓を一突きの女! できると見た! へー、クレオン、こんなのがいいんだねえ」
そして、握った拳を縦にして口元に持っていき、コホンって咳をして見せる。
「ボクら
エミリエが目にも止まらぬ速さで剣を抜いた。
「さて、お二人で相手をするのかな? きゃは」
エリカは剣を構えた。あたしも剣を抜いた。先の賞金稼ぎのとは比べ物にならない、絶対零度で凍結したような、痛みすら感じる緊張が、場に展開されていた。
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