帰るから

ホワイトアスパラガスのズッペスープの屋台に入った。お母さんが、戦場へ行く前に作ってくれた、珍しくもない普通の料理。得意料理。


「だって、帰ってくる」


その言葉をどれほど頼もしく思ったことか。そして、打ち砕かれたと知った時の、絶望感。


すでに多くの「両親のいない」子供たちは、それぞれに施設へ集められ、最小限の大人たちから面倒を見られていた。終戦が告げられた時、あたしは帰る場所がなかった。


誰もが、勝利したことを誇りに思っている、と言っているが、本当なのだろうか? 敗戦するよりも良かったのだろうか。少なくともあたしは……。


「シスナお姉ちゃん?」


エルゼがこちらの顔を覗き込んでいる。


屋台の周りに簡易なイスとテーブルがいくつか並べてある。3人でそこの一角に座り、料理を待っていたのだ。パレードのお祭りだ。客は多かった。


「あ、料理、来たよ!」


あたしは、思考を振り払い、明るい声を出してみる。エルゼは、訝しげな顔をしていたが、ズッペで、喜色を表した。


「アスパラガス、量すごいよ!」


孤児院ではあり得ない材料の使い方に、エルゼは興奮する。さっそく、スプーンを手に取り、食べ始める。


孤児院では、一応、礼儀作法をうるさく言われる。だから、雑な食べ方、ということはない。


だけど、本物は、違った。


エリカ。静かに掬い、音が全くないように口にする。伸びた背筋で、遅くも早くもない、腕の運び。小さな唇に触れるスプーンが。優雅、たおやか、そうでなく、詩聖の世界のようだ、あたしの脳はそのような答えを出した。


「あれ、どうしたの? お二人?」


エリカがこちらの視線に気づく。エルゼも同じように見惚れていたらしい。


「エリカお姉ちゃん、食べるのお上手!」


「そう? ありがと、エルゼ」


エリカは、グーをエルゼの前に突き出して、相手もそれにグーを当てた。そしてパァンと手を叩き合った。


そんなのを見ながらも。


今更ながら、生まれの違いを意識させられる。友達? ? エリカとあたしは、違いすぎるのだ。怖くなる。友情や愛情というものが、未完成なドミノのように、コマの距離を間違っていれば通らず、作る途中で1つでも倒してしまえば、全てがご破算になるのではないか、だから、傷つく前に、ドミノを作ること自体をやめた方がいいのではないか、そんなふうにも思ってしまうのだ。


突然、耳鳴りがした。誰かがラジオをつけたらしい。機械が動くとあたしはよく異音に悩まされる。


「我々はそして、ついに勝利を得た。長く、損失の大きい戦いであった。だが、我々は屈さなかったのだ。栄光ある民族の血がそれを許さなかった。誇り高き、帝国の民よ! 西を見てほしい。未だ、従わぬ騎馬民族たちと、クレイモン大公国が、脅威として我々の前にある。奴らに屈するか? 勇気ある諸君! 決断したまえ! そして我々の答えは決まっているのだ! ナイン! 私はそれならば約束しよう! 栄光ある帝国の勝利を!」


総統が、水晶宮で演説しているのだ。政治の中枢の場所。


きな臭い話だ。また、戦争になるのかな。


「おお! 栄光ある帝国! 勝利だ!」


料理を食べていた男が立ち上がった。


「勝利だ!」


この場所に座っている大人たちが、ビールを持つ手をその男に掲げるようにした。


変だよ。なんで誰も戦争を反対しないの? まだ、国は立ち直ってない。今度はどのくらい死ななければならないの!


あたしは心の中でとても、取り乱していた。怖い。怖い。お父さんが、お母さんが、死ぬんだよ? それでいいの?


大人たちの意気込みよう。総統は、ラジオより、まだまだ、夢?を捲し立てる。誰もが、勝利を疑ってないようだ。確定した未来が見える予言者にでもなったつもり? あたしたちは、嵐の夜にぶつかった小さな帆船だよ? いつ、沈むか、命の問題なんだよ!


手に感触があった。ハッとして見ると、エリカが手を置いていた。彼女の顔を見た。なにも言わなかった。言えないだろう。時代は、また、最悪の道を進みつつあるようだ。


凪いだ風に突然気付くように、沈黙があたしたち2人の場を支配した。まるでたくさんの草を軸に噛んで回らなくなった車輪のように、あたしたちは、動けず、見合っていた。たぶん、お互いに見ていることも意識していない。ただ、エリカの気持ちだけが、あたしに通じていた。


「シスナ、あなたの夢はなに?」


目を軽く伏せて、突然のように、エリカが言う。


「夢?」


4級市民が、何を願える?


「エルゼ、知ってる! シスナお姉ちゃんは、パン屋さんをしたいんだよ!」


「エ、エルゼ、それは言うなー」


何故か満足げな顔のエルゼ。あたしは、恐る恐るのようにエリカを見た。彼女の夢に比べたら。それに身分的にとてもムリな話だ。店を持つなんて。


「わたし、パン大好きよ! シスナ、応援する! おいしいパン屋さん、作って?」


エリカは、両手を組み合わせて、こちらに向けた目をキラキラさせている。


「え、だって、こんな夢じゃ……」


あなたの友達にふさわしくないじゃない? すごく悲しい気持ちになる。エリカと比べた自分の小ささに惨めにもなる。


「こんな夢? 何を言ってるの! やりたいこと、それで諦めるの!」


「エリカ……」


あたしを認めてくれてるの? 協調してくれてるだけ? あたしは自分の、この相手を黒く見る卑しい心が嫌いだった。でも、これがないと、いいように誰からも、扱われてしまうから。信じることのバカさ加減を嫌というほど見てきたから。


お母さん。あなたに生きていて欲しかった。そしたら、あたし、世の中のこと、好きだったかな。


「シス姉! ここにいた!」


リアラの声が背後からした。あたしは、振り返る。息急き切って走ってきたのか、ゼーゼー言ってる。ズレていたメガネの位置を直した。


そして、言った。


「人が襲われてるの。どうしたらいい?」


それは、掠れた声だったから、聞きづらかった。大人たちは誰もラジオの総統の演説に熱中していて、こちらを少しも意識していない。


リアラは近寄ってきた。


「僧侶の人が、数人の暴漢に、襲われてるよ。どうしたらいい?」


悲痛な、混乱した声。


「どこ?」


エリカが立ち上がる。剣の収まった鞘を握っている。


「あっち。あの、有名な食堂のある、そこの横から入った裏路地の奥の……」


おそらく、本屋への近道でもしていて、その事件にカチ会ったのだろう。


エリカは駆け出した。


「リアラ、エルゼを見ていて! エルゼ、リアラと仲良くいて?」


あたしの緊張に、エルゼも真剣に頷く。


剣を抑えながら、エリカの後を追った。


「シス姉、危ないよ!」


後ろから、リアラが叫ぶ。あたしも叫び返した。


「帰るから! 必ず!」


必ず。

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