第7話 ユダヤの矜持

 そうなのだ。僕も人の事は云えず、かなり大胆な事をしているのだ。僕は男ながらに髪を長く伸ばし、そして其の髪を一部のユダヤ教徒がする様に三つ編みにしているのだ。

 別に僕は神学校の生徒でも無ければ、特別に信心深い訳でも無い。唯、単に此処には床屋なぞ無いから自然と髪が伸びてきて、そろそろ自分で切ろうかなと思っていた時、女性団員達に巫山戯て三つ編みに結ばれたのだ。

 直ぐに解こうとしたら、「いいじゃない、真に戦うユダヤの戦士って感じで似合うわよ」と冗談めいて云われた言葉が逆に気に入ってしまったのだ。

 そう、ユダヤ人だって黙ってやられる者ばかりじゃ無い。戦うユダヤ人だって居るんだという事を顕示したかったのだ。ドイツ人にとってユダヤ人は差別の的であり、ロシア人にとってユダヤ人は嫌われ者の象徴だ。自らユダヤ人であると喧伝するのは危険でもあり、愚かしい行為だろう。周りからは、あれは冗談で云った事だから意固地になるなよと止める様に進められたが、僕は決して意固地になっているのではない。例え身に危険が及ぼうとも、戦うユダヤ人が居るのだという姿勢を貫き通したかったのだ。此の三つ編みは今では僕の戦う決意の印なのである。


 一つ困るのは、よく女の子に間違われる事だ。僕の顔ってそんなに軟弱かな?


 其れにしても此の人は、こんな少ない情報だけで今、出会ったばかりの僕の事情を殆ど看破してしまったのか? 言葉振りからするとそうなるが、凄い観察力だな。

 僕の苗字、デーメルからは一様にユダヤ人だとは判断出来ないだろう。以前はフリードマンという如何にもユダヤ人の苗字だったそうだが、先祖がよりドイツ人っぽく見せ様と五十年位前に改名したそうだ。名前も奇を衒わず、有りがちな名前を付ける様にと代々、そうして来ているのである。

 我ながら思う――『マルコ』――如何にも一般的な名前だと。

 そして此の髪形についてもそうだ。中には一部のユダヤ教徒の男性が伸びた髪や髭を三つ編みにする風習を知らない人も多いのに。今ではユダヤ教徒の中でも、超正統派と呼ばれる派閥の人か教導師しか行わないし、派閥にもよるけど最近では三つ編みをしていない教導師も居るのだ。

 だから此の三つ編みで僕をユダヤ人だと見抜く人は余り居ない、其れも其の筈だ。二十世紀の御時世に男が長髪にしているなんて時代錯誤も甚だしい。今時、三つ編みをした一般のユダヤ人男性なぞ僕位かも。僕の事をロマ(ジプシー)か、女の子だと思ったという人の方が圧倒的に多いのだ。  

 余り戦うユダヤ人は顕示出来ていないんだよね……実際の処は。

 今の時代、三つ編みの男=ユダヤ人という発想は年寄りか田舎の人にしか通じないのかなぁ、一部のロシア人には通じたけれど。其れに僕ん家、本当は近代ユダヤ派だしね。


 でも彼は、たった一瞥で見抜いた様だな。一寸、怖くなるけど彼はインテリゲンチャなのだから、其れ位は出来て当然なのかなとも思う。其れに何よりドイツ語で喋れるのは嬉しいし、子供には優しそうな人だから、もっと色々な話をしようとした矢先にセミノロフが間に入って来た。


「はっはつはつ! 同志ケムラー。名前の感じからドイツ系とは思っていやしたが、ならマルコとは話が合いそうですな。此の小僧は亡命ユダヤ人の子でね………」


 折角、彼と何か語ろうと思っていたのに、此の男は何時も横からしゃしゃり出て来る。細かい処に気が付くクセに、肝心な処では空気が読めない野暮天なんだよな。僕の事を何やら説明している様だが、彼にはそんな事を一々云わなくても秘密捜査官ならではの鋭い洞察力で、大抵の事は見通してしまう様な気がする。実際しているし。

 セミノロフと話している彼の顔をちらりと見上げると、彼も気が付いて微笑を返してくれた。まるで、君の云わんとする事は解っているよと云ってくれている様な感じがして、何だか嬉しかった。


 アジトへの帰り道は未だ長い。セミノロフが色々と雑談をする中、遂にあの話題に触れて来た。人造強化人間の話に……。

 其の話題は止せよと僕もヴィヒックも心の中で思ったが、セミノロフの出歯亀根性は止まらない。其れに対して彼は淡々と答える。


 「おや、人造強化人間の事を御存知でしたか。しかし其れは我が軍の最高機密ですので御答えする事は出来ません」


 軽く一蹴してくれた。之には流石にセミノロフもバツが悪かった様で「あっ、いや、はっはっはっ! そりゃあそうですなぁ、失敬、失敬。い、今の質問は忘れてくだせぇ、同志ケムラー」と、しどろもどろに照れ笑いをして誤魔化しているが、こっちの胆が冷えた。彼が大人の対応をしてくれた御蔭で何とか事無きを得たが、もし之が血気盛んな赤軍の青年将校だったりしたら、僕等全員が拘束されている処だ。

 まあ、セミノロフも彼なら野暮な真似はするまいと踏んで、此の質問を問い掛けたのだろうが、其れにしても迂闊である。彼は世慣れした知識人ではあるが、ソビエト政府の秘密捜査官なのである。油断は禁物だろう。

 会話が止まり、場の空気が気不味くなった処でセミノロフが懲りずに、今度はあの事を訊ね様としだした。遠慮のない男だな。でも、其れに付いては僕も一寸だけ興味がある。恐らくヴィヒックも同じだろう。


 彼が腰に差している――について。

 

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