占いを売らない占い屋

凪司工房

 京の空を茜色に焼くのは気まぐれにしか顔を出さない太陽だ。最近は特に機嫌が悪いらしく、見上げても雲がふたをしていることが多い。

 路地を枯れ草が風でくるくると回転しながら流れていく。

 もう一月もすれば年の瀬だ。いつの間にか一年を数えることが早くなった。振り返ればすぐに未来は遥か後ろの過去になってしまっている。だから少しくらい先のことが見えたところで何が変わるということはない。それなのに人間というのはどうしようもなく明日の自分のことが気になる生き物らしい。

 

 からりと下駄の音を鳴らしながら私は民家と民家の間の狭い裏路地に足を運ぶ。

 京都の街というのはこういった通りから更に一本入った裏路地というのが昔から多い。特に古い街並みにはそういったものが巧妙に隠れている。その狭い裏路地の先には果たして何が待っているのか。最近は改装して綺麗になった古民家が暖簾のれんを下げていたりするものだ。

 その暖簾には『占い〼』とだけ書かれていた。建物も決して新しくはない。寧ろ古い。屋根の一部は瓦ではなくトタンが打ち付けられている。よく見ればわずかばかりある小さな窓もヒビが入っていた。

 こんな店に入りたいのは、やはり余程の物好きばかりになってしまうのは仕方ない。

 

 私は苦笑し、暖簾を潜る。

 と、客がいた。しかも女だ。藤色の着物の襟から真っ白な項が覗いている。振り返ると女は瓜実顔に小さな目鼻の載った、よく言えば化粧映えする和風の顔をしていた。


「やっていますか」

「ああ」

「では占って下さい。これからわたしが死ぬのかどうかを」


 人の口から簡単に「生きる」だの「死ぬ」だの出てくる時には本気かどうかを疑った方が良い。特にこういった店をやっていると簡単に「死にたい」と口にする輩が多く、かと言って彼らは本当に死にたいかというとそうではない。

 私は覚悟を決め、座敷に上がるよう彼女に促した。

 彼女は小さい漆塗うるしぬりの下駄を履いており、それを脱ぎ揃えると「お邪魔します」と頭を下げ、応接用の座布団へと足を運んだ。私はその間に奥のカウンターから茶筒を出し、急須にお湯を注ぐ。不味い茶だ。私の師匠が気まぐれに「土産だ」と置いていった煎茶は色ばかり濃くて味が薄い。あまり他人をもてなすということに対して熱心ではない師匠からは「客を甘やかすな」と教わっているが、最低限というものがあるだろうと私なんかは思う訳だ。

 それでもそんな茶しかないから、仕方なく湯呑みに注いでそれを出す。傷のついた卓袱台ちゃぶだいを挟んで女に向き直ると、開口一番、師匠から習った通りに私は言葉を並べる。


「あなたは一から九までの数字の中でどれが嫌いですか?」

「嫌いなもの、ですか」

「はい」


 多く、占い師というのは相手を見た瞬間から一つでも多く情報を収集しようとしている。何故ならそもそも占いというのは単なる統計データからの個人的な推論とそこから構築した相手にとってそれなりに聞こえる戯言なのだ。占いをして欲しいという人間は当然何か悩みを抱えている。それを早めに見つけ、相手が欲しい言葉や未来図を探り出し、それを提示してやるのだ。

 師匠は私に言ったものだ。

 

 ――占いというのは未来予想図を渡す作業なんかじゃなく、相手の今に対するカウンセリングだ。

 

 のたれ死にそうになっていた私を助けた師匠は「ただで助かると思うな」と、私に莫大な借金のツケを預け、僅かばかりの知恵とこの荒屋あばらやだけを残して旅立ってしまった。今頃はどこで酒を飲んでいるのだろう。


「どうしても嫌わないといけませんか?」


 女は眉を顰め、私を見た。


「どれでもいいのです。適当に選んでいただければ」

「適当? わたしの人生がかかった占いなんですよね?」

「いや。私は占うとは言っていません」

「え? ここ、占い屋ですよね?」

「そうです。暖簾にもそう書いてあります。けど、占いはしてないんですよ」

「じゃあ、何を売ってらっしゃるんですか?」

「あなたの未来です」


 その言葉を女は自分の口の中で復唱し、目を丸めた。


「あなたは未来が欲しくてここに来たのでしょう? それは占いでは手に入りません。ですから、まずは数字をお選びなさい」

「は、はい。分かりました」


 それでもなかなか彼女が数字を選ばないので私は卓袱台の上に持ってきたカードを並べる。古いトランプのカードだ。どれも数字とクラブだけが書かれているだけのシンプルなもので、その裏面、数字が見える部分を一から順に並べる。

 数字というのは不思議だ。それ単体では大した意味はない。一には一以上の意味はないし、九にもそれ以上の意味はない。そういう意味では余計なものが混ざっていない純粋さがここにはある。私はその純粋さに憧れたのだろうか。


「では……七を」

「七? なぜ七を?」

「いけません、でしょうか?」

「あなたは七という数字が実に不幸をもたらす数字だということをご存知か?」

「不幸の、数字……ですか」

「ええ。一でも二でも九でもない。七というのはね、特別な数字なんです」

「けれど、その、ラッキーセブンなどと言いませんか」

「あれは違うんですよ。ラッキーなんかじゃない。あなたはご存知ないでしょうが、日本にはね、悪いものを封じ、そのパワーにあやかろうという風習があります。知っていますか、北野神社に祀られている菅原道真すがわらのみちざねという人物が過去に何をしたのか」


 天神様――そう呼ばれて民衆から慕われている学問の神様のことだ。けれど最初から彼は神様だった訳ではない。菅原道真は平安時代の貴族であり、普通の人間だった。それが当時の左大臣藤原時平の策略により太宰府へと左遷され、様々な制約により極貧の生活の末に不遇の死を遂げた。しかし彼の死後、都では相次ぐ不幸が起こる。有名なのは延長八年の落雷事件だ。それによって時の天皇までもがその命を落としてしまう。

 これは怨霊となった菅原道真の仕業だということで、それを鎮める為に北野神社、現在の北野天満宮が建立され、そこに祀り上げられたのだ。


「つまり、あの神社は怨霊を飼っているんですよ。そしてその力を利用し、人々から金を吸い上げている……もとい、人々にご利益を与えている。こういう訳です」

「でも菅原様と七に関係があるのでしょうか」

「七も悪い数字なんですよ。本当はラッキーなんかじゃない。アンラッキーなんです。あれは不幸を呼ぶ数字だ。けれどそれが並ぶことで如何にも幸運が訪れたと錯覚させているんだ」


 来る日も来る日も七が並ぶことを夢見て通い詰めた時代を、私は今でも色付きの夢で見る。一瞬の歓喜のために一体どれほどの血涙を流しただろう。

 結局、私に七は微笑まなかった。そうしてのたれ死にそうになっていたところを、大きく背中に『7』と書かれたシャツを着た男に助けられ、今に至る。故に私は七を恨んでいるのだ。


「それではわたしが七を選んだことは間違いじゃなかったんですね」

「いや。嫌いなものであっても七を選んでしまったからには、あなたは七に吸い寄せられているということになる」

「どうすればいいのでしょうか」

「今し方、あなたが七を選んだという過去を捨てなさい」

「過去を、捨てる?」

「ええ。過去というものは持っているといつまでもあなたを追いかけてきて不幸に陥れます。今、あなたは自分が不幸だと感じているでしょう?」


 女は「はい」と返事をしようとしたが、その時間すら与えずに私は続けて言葉を並べる。


「不幸でなかったらこんな場末の占い屋なんか訪れませんからね。そもそもこの店に足を運んだ時点であなたは運が悪かったのです。ここはね、占い屋じゃあないんだ。他人の人生を占ってなんていない。そもそも占い屋というのは人を騙して気持ちよくしないといけないんです。けれど私にはそんな真似はできない。なら一体何を売っているのか、という問いには先程こう答えましたね? ――未来を売っていると。そう。あなたはこれから自分を少しでも良くする未来を購入するのです」


 呆気に取られ、口を半開きにしたまま固まっている女の前に、慣れた手付きで私は御札を差し出した。意外と綺麗な字で『七』と数字が書いてある。何の特技もなかった私が唯一、学校で教師から褒められたのがこの字の丁寧さだった。


「七、ですか」

「はい。ここに書いてあるのは怨霊である七を封じ込めたものです。この七そのものは悪い数字だが、それを持っていることであなたにはご利益がある。どうぞ、お納め下さい」


 女は恐る恐るそれに手を伸ばす。けれどなかなか触れようとはしない。何度も私を見て、確かめるように頷いてからやっと、その御札を手に取った。


「これで、幸せになれますか?」

「御札があなたを幸せにする訳じゃない。あなた自身で幸せになるのです。ほら、今のあなたはここを最初に訪れた時よりもずっと良い顔をしている」

「そうでしょうか」

「ああ。そうでなければ私の目が腐っているだけだ」

「何だか、やれそうな気がします」

「そう。その気持ちが大事なのです。あなたはもう、大丈夫だ」

「はい。ありがとうございました」


 女はようやくそこで初めて笑みを見せ、立ち上がる。


「あの、お代は」

「ああ。そこに入れておいてくれ」


 そこ――と指差した場所には木で出来た賽銭箱さいせんばこが置かれていた。

 彼女は迷っていたが財布から札を一枚抜くと、それをそっと箱に入れ、何度も頭を下げ、店を出ていった。

 木戸が閉まった後、彼女が座っていた場所をよく見るとやはり、黒い影が一つ、落ちている。私はそれを踏みつけ、足の底で消してしまうと、奥に声を掛ける。


「おい、師匠。こら、貧乏神。あんたまたふらふらと出歩きやがって」


 カウンターの後ろにあるすだれを揺らして現れたのは頭の禿げ上がった、何とも貧相な見てくれの男だった。師匠はにっと笑みを見せると、何も言わずに賽銭箱の中身を取り出し、出かけていく。私はその後ろ姿にため息をつきつつ、次なる客のために新しい御札の七を書き入れた。(了)

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