B面前半 それでも地球は回ってる

晩秋に入り模試を終えて入試に差し掛かる頃、私は一人で昼食を食べていた。


 本格的に入れ替わったのは二学期からだ。


 基本の生活は一人になったので、授業中に過去問が解かれる中ひたすらに絵を描き続ける素行不良な生徒となった。


 一変はしたが周りもその変化に違和感を持つことはない。


 以前は圭と呼称されていたのが、

「君」

「あ、二条君」

「お前」

 という名称に変わった。


 これには新鮮ながらも昔のように和気藹々と話せなくなったので少し寂しい。


 僕のいるクラスメイトを覗くと、そこにはまるで僕のように……いや「僕」がそのままそこにいた。


 あれほどの噂が流れて、誹謗中傷をしていたのにも関わらず最初から何もなかったかの如く友人に囲まれていた。


「お、が来たぞ圭!」


「あ、よぉ〜!」


「お前らほんとどっちか分かんねぇなぁ」


 これを言われて私は心が傷む。

 つまりはどっちだっていいのだから、かつての友人も結局はそんな人間だったという事実に怨恨を持った。





 私達は屋上に通じる階段へと移動した、まあ屋上に入るのは物理的に鍵がかかってて不可能だけなんだけど。


「どうしたんだ?」


 かつて「私だった」僕はかつて「僕だった」私に世間話をする。


「いや……最近どうかなって」


「どうって相変わらずさ、情報が上書きされたかのような平穏な日常だよ」


 かつての痣をチラ見せさせながら、僕の好みであった炭酸水を飲み干して話す。


「そ、そうだよね。健康診断でも何故かバレなかったし」

「現代の科学ですら僕達の存在を否定しやがった」

 僕は微笑してもたれかかってくる。


 でも何故だろうか……口では笑顔でも目に光は灯されずに死んでいた気がしたのは気のせいだろうか。


「高校、どこ行くの……」


 普通の人ではあれば上を目指せばいいだけだが、私たちにとっては今度の人生を決める重大な決断だった。


「まあ当然寮のあるスポーツ高校だな、兄ちゃんは?」


「げ、芸術高校かな」


 当然親からの巣立ちを目標にしていたから、高校生からは家を出ていくつもりであった。

 奨学金を借りてでも、それが自分にとって救済になるのであればそうするしかない。


「なあ」


「……なに?」


「僕だんだんと忘れていってるんだよ、兄ちゃんであった時の記憶」


「……え?」


 今日一の衝撃だったのか、思わず私は立ち上がり足場を崩しかけた。


「過去の記憶にもやがかかってきているんだ、今日だって入れ替わっている事実を忘れかけていた」


「そんな!?」


 私は黙って聞けるはずもなく、僕の体を揺さぶった。


「じゃあ私以外は!?」


 演技もする余裕を捨てて返ってきて欲しくない回答を待つ。


「もう初めからそうだったように上書きされ始めてる」


 僕の体は震え続けていた、地震と寸分も変わらぬ揺れ方に抑えるだけで精一杯だ。

私はこの時にようやく思い知る事になった……自分を偽るとどのようになるのか……を。

 自分を偽るのは同時に自分を否定し続ける事に他ならない。

 それは急激なストレスがかかり、その影響を紛らして記憶を封印しつつあるのだ。

 記憶イコール記録媒体だった。

 カセットテープだってそうだ、一度でもツメを折ってしまうと上書きができなくなる。

 すなわち、きっかけがないと記憶も復活しない事実に私は徐々に恐怖を感じた。

 いずれは私も僕のように記憶が薄れて忘却する……いや忘れた事を忘れているかもしれない。

 可能性があるだけでそれは零パーセントではなくなり、その恐怖と闘い続けなければいけない、その事実を思い知らされる事になった。


「圭は……忘れないでね私みたいに」


「分かった、絶対に忘れない」


 保証もなく根拠もない戯言を無責任にも言う。

 微かな心の支えとなる為に。








 この約束をしてから月日は経ち、私達は卒業式を迎えた。

 初桜が満開に咲きつつあるが、まだその芽を見せない未来を想像させる日となっていた。

 天気も快晴で曇り一つない鮮やかで至高の日となっただろう……私達以外は。


 卒業証書を受け取り微笑む校長先生の前で、全く別の思考をしていた。

 これからの生活、どう騙していくかどう嘘をつくか。

 そんな命をかけているような考えしかもう出来なかった……手遅れだった。


 あれからもうはかつての十五年の年月に起こった全ての記憶を消してとして暮らしていた。


 私がいくら真実を話しても、

「兄ちゃんは冗談言うなよぉ〜」と一蹴された。

そう思い込み血を吐けずに飲み込み耐え続けてきた生活を封印したのだろう。


 事実もうこちらの生活の方が居心地が良かった。

 誰もが私達の隠れた才能を称えては広めるようになったからだ、無理もない。


 この前も彼に飛びつくように、

「それでこそ圭だ!」

 と顧問の先生に褒められたのだとか。

 何がそれでこそだ、散々私達を下として扱い貶し泥雑巾みたく扱ってきたくせに。




 刻一刻と迫る中学生という肩書きの終わりに向かっていく。

 私は彼と屋上の近くで待ち合わせていていた。

 友人とは一通り雑談を終えたらしく、待ち合わせ時刻から十分程度遅れてやってきた。


「ごめんごめん!待った?」


「あ、大丈夫……」

役に徹さずに私は対話をする。


「いや〜ついに卒業だねぇ」


「うん、おめでとう圭」


「ありがとう兄ちゃん!」


 彼はもう私を僕だと一瞬たりとも疑いもしない。

 それが当然、それが真実。

 生きる為の嘘が本当になり、本当が嘘に成り変わる。

 この事実を私は未だに受け入れられていない。


「お兄ちゃん、はいこれ!」


「……なに?」


 渡してきた長方形でラップされていた何かを受け取る。

 中身を丁寧に開けていくと、それは手紙であった。


「手紙?」


「そう、過去の僕が書いていたの!裏に自分自身は見るなって書かれてあったから」


 性格的共通は存在しないと思っていたのだが、真面目なのは共通であったらしい。


「開けるよ」


「よし、僕は目をつぶっておくからね!」

「はいはい」


 必死に顔を逸らし視界にすら入れないと意気込んでいる、瞬き一つせずに閉じたままの目は私にそっくりであった。


「どれどれ……えッ」


 中身は以下の文章のみであった、たった一文で私の心に溜め込んでいたあらゆる感情や表現が解放されて思考も停止してエラーとなった。


「Don't forget me.(私を忘れないでね)」


 これだけだった、これだけだったが涙腺を解除して頬一杯に染めた。

 赤く染まっているのか透明のままなのかは不明だが正体だけは理解しながら肌に伝わる。


「まだ読み終わってないのぉ?」


 目を閉じたまま話しかけてくる私だった僕。


「うん……読み終わった」


 紙にスポイトみたいに数滴垂らしていく涙、まだ枯れそうにない。


「ねぇ、どうだった!?」


 笑顔で話しかけてようと歩み寄ってくる。


「良かったよ……ありがとう」


「過去の僕ってすごい……なんで泣いてるの?」

不思議そうにジロジロ見てくる。

 そして私は離させないように手を大きく広げて抱きしめる。


「ど、どうしたの」

 若干の困惑をしていたのだろう、しかし状況が把握したのかそのままの状態でいてくれる。


「ごめん……ありがとう」

 泣きじゃくりながらも感謝と謝罪を何回もリピートする、呼吸も困難になりつつあった。


「兄ちゃんは泣き虫だったっけなぁ……の方が普段泣いてるのに」


 無邪気で無知な僕であった私は心の中で誓った。

 これを永遠に秘密にすると、罪として背負っていくと。

 この美しくも残酷で虚しいが明日に輝く今日という日に、私は圭を殺して、圭は私を殺した。








 

 

 


 

 

 

 


  


 

 

 

 

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