最終話 拗けた諸刃
僕は新聞紙で包装された花を持って、その山の階段で桜色の空を眺めていた。光の透き通ったピンクの花弁が、ひらひらと落ちるのを見て、自分は目でそれを追う。風が背中から吹き抜けて、階段の下の方へと消えていく。
「来たか」
桜のアーチが続く中、それが途切れた先、下の駐車場から、一組の男女が上がってくる。太刀波と茨さんだ。
高校二年の初日。その放課後に僕らは三人で集まった。三月の最初、皆で“彼女”に会いに行こうと言い始めたのは太刀波であった。
全てが終わって、茨さんは太刀波の広い家のなかにある一室を借りて暮らすことになった。その関係で今では茨さんは、太刀波からゲームを貸してもらって、やり込み、語り合う仲まで発展していた。その中で茨さんの精神状態は回復に向かって、男性の大きい声で手が震えることも減ってきている。完治しているわけでもなく、トラウマは最後まで残るかもしれない。でもそれは確実に幸せへのレールに乗っかることができたと言う兆候であったし、僕たちはそれに素直に喜んだ。
「玖道くん」
「やぁ!玖道!元気してたかい?」
「ああ。二人とも久しぶり」
春休み、僕は何をするでもなくただ寝ていた。部活にも入っていないし、本を持っていても読む気にもならなかったからだ。それ故、この休み中は誰とも交流をとっていなかったし何かをしていたわけでもない。まぁ、高校生などこんなものである。だから僕は太刀波の提案に乗ることにした。丁度彼女に会いたいと思ったからだ。
自分、太刀波、茨さんで横に並んで、石の階段を登っていく。
「いやぁでも凄かったね、あれは」
「やめてくれ。そんな嬉々として語ることでもない。あの後の茨さんのことを考えると余計...」
僕が茨晃を容赦なく殴り倒したことに、賞賛を贈る太刀波。自分はそれには納得しかねた。人を殴るのはあまりいい気持ちではないし、あれを肯定できる面はどこから見ても少ない。
「いやでも、奴の悪かったことは殺す気でやらなかったことだね。人への暴力の仕方を弁えてると、骨折とかを負わせず人を痛めつけれると言うけど、あれはそれだった。それにあいつは甚振るのが目的だったけど、完全にそれが裏目に出てた。玖道は喧嘩ができても加減はできないからね。君のやった後のあいつの顔は爽快だったよ」
茨晃は僕の殴りで大怪我を追った。鼻の歪みが特にやばかったと思う。普通ならば警察に行って殴られたと茨晃も言うべきだったが、太刀波は奴の後ろ暗いことを殆どレコーダーで押さえていた為、恐れてそれはできなかった。他人の追求をすればそれより多くの埃が出るのは自分だ。それを奴は悔しいくらいに分かっていた。それは僕が奴の鼻を折ったことで、こちらにも大体同じことが言える。だからあの事件は、お互い不干渉で収まったのだ。
「君に怯えてね、彼はすぐにこちらの要求を飲んだよ。それで家には彼女が来て、賑やかになって僕はゲームの話ができて....色君が今ここにいるのは玖道のお陰だね」
「やめろって。僕は只泣いてただけだ。あの後だって.....」
そういった時、彼女も話に加わる。
「やめましょう。もういいじゃない、全部済んだこと」
__前と比べて茨さんの顔には笑顔が増えていた。語り口も柔らかくなり、どこかあの人に似てきている。
「そうだね!」
太刀波はそう言ったが、僕は彼女に沈黙をもって答える。言語化が難しく言葉はつかえない、でも肯定だけはする。そんな曖昧な返答しかできなかったのは、やっぱり自分が情けなく許せなかったからである。それはたとえ彼女が許そうと.....。
あの後....、自分が泣き腫らした後のことだ。茨さんは気を失った。それもそうだろう。あの時の彼女は僕の怒声をもろに聞いていた。しかし、あの時の茨さんは泣き叫ばなかった。それはこの人の強靭な精神力が成せた技であり、普通は抑えられない感情を、無理矢理押し込めたと言うことである。いきなりではなかったのが幸運だったのだろう。遠くから僕の声が聞こえ、彼女は備えたのだ。恐怖と戦う覚悟をし、僕と対話をし、問いの答えを経験から見つけ出し、“自分を救ってくれた”。PTSDを抱える彼女にとってそれがどこまでの固い意志でなされたものであるか、そして自分がこの立場だった場合同じことが出来たかどうか...。
その後、茨さんは病院へ運ばれる。茨晃に関して言えば、別に死んでいる訳でもなかったので応急処置で済まそうと太刀波が提案してきたのでそれに従った。骨折くらい大丈夫、と言う奴にそんな訳ないと僕は言ったのだが、奴は譲らなかった。その判断が茨晃が医者に診られた時に、その医者に暴行の線を疑われないように、もしくはその医者に茨晃が口外するのを防ぐために、太刀波がとった判断だったことを知ったのはここ最近のことである。
「どうだったんだい?」
その自分への問いかけに顔を上げる。太刀波は僕よりも数段上で止まってにやつかせた顔だけをこちらに向けていた。
「すまん、なんだ」
話を聞いていなかったが故に、質問の意味が把握できておら自分も足を止めて聞き返す。それに「どうしようもない奴だなと」小言を吐きながら肩を上げてから垂れさせる。
「君はもう折り合いをつけれたのかい?理想の求道者」
「...そんな言い方するなよ」
でも、そうだな....。
時間は平等で残酷。自分がどれだけ現実を認めたくなくても、世界は歩みを進め、自分はそれに引き摺られていく。抵抗など意味がない、世界に唯一存在するたった一つの平等。そして僕が思うに“時”はこの世に真にあるたった一つの理不尽だ。その中にありながら未だにそんな在り方を許せなかったりする僕は、生活の中で色々悩んだ。
僕は階段を再び登り始める。自分のその動きに合わせるように、太刀波も茨さんも再び登り始める。
「....付き合い方は、分かった気がするよ」
平等と理不尽は目に映るモノでないが、凄惨な現実だけは確実に見えてしまう。だから僕はそれを絶対に許容できない。僕もまたトラウマがあるから、それは仕方ない。でも、許せないからってどうにかなる訳ではない。
「受け入れて立ち向かうしかない。覚悟して、明日の夜明けに備えるしかない。結局はこれだ。それもまた酷い事実だ」
「そうだね....」
奴は声を低くして言うが、心なしかそこに悲しみなどはなく、明るく感じられた。太刀波は、僕の思う事に察しがついたのだろう。けれど、それでも構わず、僕は語る。
「でも、僕は二度にわたって救われた。なら希望はない訳じゃない。これこそがきっと僕の求めてきた証左だった。だからいいんだ、これで。あの時腫れた手も、罵った言葉も、救われた意味も、無くなっていった想いも、全部責任となって僕の背中に乗り掛かる。僕はそれを引っ張って、強く、生き甲斐のある現実を歩むしかない。なら楽しむしかないよ、この苦行を。だってその上に幸福が立っている。僕はそれを掴もうとする。目指していく。望んでいるから...追ってしまうんだ」
「そう....か」
「それでもいいと思う。決して虚しくないし、滑稽じゃない。...だって僕はもう掴めない訳じゃないんだ。皆がいるから僕は、”あそこ”に手が届く」
明けてから世界は輝きを強め、真昼となる。ということだ。
階段を上り切った後ろの世界は桜がなく見渡せる。青く澄んでいた。雲が一切なく、爽やかだった。
それを横目で眺めながら墓の方へと向かう。前を向けば少し走って先を行く茨さんと、相変わらずははは、と天真爛漫な顔をして闊歩する太刀波。
「悪くないな......」
転んでも転んでもこの日々があるなら立ち上がるのもまた一興だ。そうすればきっと面白おかしく回せるだろう、視界に映った現世を。
僕達は吼烏骨姉さんの墓の前に立つ。
「掃除しましょう」
「ああ」
「そうだね」
__あの時、僕が茨晃を殴り倒した時、何故ああなってしまったか。吼烏骨姉さんの強姦など太刀波の隠そうとした動きを結局全て知ってしまった僕は、どうせ隠す必要もないだろうと聞いてみた。よると、奴は「あいつを見くびっていたんだよ。とんでもない変態だったんだ」と答えた。もっと詳しく問うと、以外にも丁寧に説明してくれた。あそこまで脱力した茨晃が何故あんなにも熱にうかされた状態になってしまったのかを。
その時の聴取は太刀波側が一切邪魔をしないという宣言のもと行ったらしい。自由にさせすぎたという形容が正確になってしまったと、太刀波はそれに関して思ったそうだ。その判断は失敗だったようで、本当のところはもっと早く終わる筈だった聴取が夕方になっても終わらなかったのはそれが原因であった。と言うのも吼烏骨姉さんへの暴力に関して話していた時あいつが恍惚とし始めたことがあったが、それと同様のことが僕と茨さんのいなくなった後にも起こったらしく、あの下郎は自分のやった悪行を楽しそうにご丁寧に綿々と詳細に語ってくれたみたいだ。そのせいで時間が押してしまったということだったようで、また興が乗った奴はその心情を隠すこともなく、周りを煽り立てるように、只昔の快楽に溺れるように全てを話したそうだ。その語りに太刀波の父親は、歯を噛みしめ何かに耐えて、真理子さんは顔色を悪くし、太刀波自身は殴りかかる手前だったそうである。
因みに、太刀波父が来た役割は住むところに関して話し合う為で、真理子さんが来た理由は制御の為であったらしい。彼女の役割に関してもっと詳しく言うと、仮にも元妻、だから相手をある程度話し合いで制御できるだろうと思って呼んだそうだ。話を円滑に進める為。そして嘗ての奥さんに真実を曝け出すとなれば、失意で流石のあの男でも自制能力が高まるであろうという人選だったようでもあるそうだが、何の意味もなかった。
情動の起伏に振り回されるだけの獣を誰も制せすことができず、声からして完全に嬉々とし始め、真理子さんがそこでトイレの場所を相手に聞いて席を立った頃には、時間のこともあるしそろそろまずいと、遅くも太刀波はそう踏んだそうだ。故に怒る演技で無理やり茨晃を抑えつけようとしたそうだが、その時に僕が参戦したせいで、その時の話し合いは滅茶苦茶になった。これが事の顛末だ。「無能を働いてしまった」、やつはその出来事にそう言ったが、自分は頑張った方であると思って、ジュースを奢ってやった。
その話を聞いたあと、僕は一つの疑問が浮かんでそれを太刀波へと投げかける。「何故、意味もないのに洗いざらい吐かせようとしたのか」と。そう、虐待が確定した時点で、住む場所を変えさせるための話に入ってよかったのだ。しかし太刀波はまだあるだろう、なければそれでいいという姿勢で、相手にすべてを聞かせろと迫った。これは必要のないことである。しかも自分たちにはその真実を聞かせないようにした。これは何故か。そんな自分の問いに太刀波は一言目にこう答えた。
「君だったら、その事実が最後までバレずにいられたこと。それを許さずにいれたかい?」
そして”最小限誰かが知っておくべきだった。僕も理不尽が許せなかったのさ”、とも語って、そう聞いて僕は真理子さんが呼ばれた本当の理由は、そういうことであったのではないかと感じた。
掃除を終えて、新聞紙の包を丁寧に剥がし、幾本かの白いマーガレットとカーネーションを取る。そしてそれを銀色の筒の部分に入れて供え、線香を取り出し、皆に一本ずつ手渡す。皆でライターを回し火をつけて、そして墓の段に置かれた容器にそれを差し入れた。二人も続いて同じように線香を立てる。
「よし」
僕が呟いて屈むと、茨さん、太刀波も同じようにする。そして三人で同時に手を合わせた。横目で二人の顔を見る。二人とも目を瞑っていた。でも茨さんはその中でも表情に影を感じた_____。
....自分も遅れて目を閉じる。
「姉さん.....」
茨さんの呟きが、風と共に流れて大気に消えていく。
____彼女の悲嘆に満ちたような顔は少しだけ、笑っても見えた。だから大したことでもないと思い、自分は特に気にしなかった。彼女はあれだけ勇気があり、人を助けれて、力もある。ならば哀しみがあっても、現実があっても勝てる。だから自分は自分のことを考え、吼烏骨姉さんに話すことにした。
「(__吼烏骨姉さん。僕は、ここまで行ったよ。色んな答えを見つけ出してここに来たんだ。昔も今も、純粋で勝手に裏切られる、自分は見ていて情けなかったよね.....。本当に恥ずかしいしだからこそ格好良くありたいと願ってしまう.....。貴方のようにあれたのなら僕はどれだけ救われるだろうかと、出来ないことも弁えず悩んでしまう。分かってるんだ。僕は弱いから、臆病だからこう思考してしまうって。それは今も昔も変わらない。自己を守るためのプライドと、理想はそれ故の産物だ。弱いから...弱いなりにやってきた結果なんだ。.....歩いことじゃない、これでいいんだよね。その傷の上に今があって、貴女が愛してくれた僕がいる。だからこれでいいんだよね。強くありたいと、願えば....そうなれるかもしれないから.....。
これからも見守っていて...........下さい。勘違いしていてごめんなさい。謝らせてしまって、力が足りなくてごめんなさい。謝って、ごめんなさい。そしてありがとう。愛してるって、言ってくれて。全て知った。受け入れる今も分からなかった昔も変わらない。もう分かってくれるよね.....もう答えてくれるよね....。だから言わせてください)」
「僕も.....貴女を、愛してる」
誰にも聞こえぬよう、か細く告げた。瞬間に一陣の風が吹いて、それに目くり返されるように僕を含め皆も目を開けた。
皆で同時に立ち上がって墓を見つめる。
茨さんが微笑んで、別れの挨拶を言って、続けて僕たちもした。
「バイバイね。姉さん」
「またね、吼烏骨姉さん」
「僕も来るからよろしくね」
帰る為に皆、歩き出した。
桜の階段を降りて行く。石の段には所々花びらが落ちており、一種のカーペットのようだ。次に見上げる。木になる花の隙間に見える青い空を自分はまた見つめて、あの人を想う。そしてあのたった四日間の出来事を、思い返す。考える。
__僕を今一番縛っているなと思ったのは契約だ。許さないと言う契り。それは程よい締め付け具合で身体に絡みつき、温かい。それが日常にあって笑えて、守る為に彼女は僕を止めてくれた。だから約束以前にそれは.....絆で固く結ばれていた。以前恋の話で大切にできるか、という太刀波の考えがあった。思い遣りこそが肝要であるのだという話だ。それは真実だなと痛感する。同時に色々なことに通ずるなとも。何故なら今感じたその温もりと約束の固さには痛みがない。束縛ではないのだ。これが仲間なのだ。僕に必要だったもので、自分が最も欲していたもの。
最も美しかった、小学生の夏の日を追憶する。
これはそれとよく似ているな、そう脳裏に言葉が巡った時太刀波が話し出した。
「そう言えば....」
「どうした?」
先行している自分がそれに反応して、階段を降りながらも身体を少し捻って振り返り顔を向ける。いきなりどうしたのだろう。やり残したことでもあったのだろうか。不安になって聞いてしまった。しかし奴は頬を上げてニヤついた。故に何かそう言った不安とは別の物なのだろうと察する。
「玖道、この一件で知ったが、君は結構涙脆かったよねぇ」
「そうなの?玖道君が....?」
茨さんは目を白黒させて、口に右手を当て驚いて見せる。
「あってはいるがそんな訝しむことでもないだろう.....。というかそれがなんなんだよ、まったく」
奴はニヤつきを止めぬまま、僕の隣へと速く降りて追いつく。
「いやだからさ、僕は予想を立てていた訳さ。君が小田吼烏骨さんの墓を見て泣くんじゃないかってね。でも泣かなかった。それでね、それがなんでだろうと思ったんだね自分は。そこで聞くけど、やっぱり慣れかい?ここに来るのにはもう大分数を重ねているだろう?」
「言われると私も気になる。なんでなの?慣れだったらなんか寂しいし......」
茨さんも僕の横に並んで、二人に自分は挟まれる形となる。
問いに僕は平静となった。なんだ、そんなことかと。だから自分はそれに微笑んで余裕にみせた__。
「皆は強かった。自分もそうありたかった。情けないのが嫌なのは今も変わらない.....。憧れてるんだ理想を追うものとして、そしてあの時茨さんの覚悟を見て自分もそうでなければと思ったんだよ。だからさ、僕はもう泣かないんだよ.....」
桜靡はいよいよ途切れ、快晴の濃蒼が僕の目に濃く焼き付く。個人的には花の消えゆく桜一色の世界よりも、真っ青で、奥深くてそっちの方が好きだ。故に、桜の木にも届かないくせに、僕の心は、さらに奥の青天を目指そうとしていた。
未来の自分は馬鹿だと笑うだろうか、愚かだと嘆くだろうか。もしかしたら両方感じる事があるかもしれない。けれど、それに興じる楽しみもきっと後ろを見てみればある筈だ。
「そうかい......」
だから、太刀波の呟きが問いでなくても答える為に空を眺める。僕は語るのだ、決して仲間と未来を貶めぬ為に。覚悟の為に.....。
遥か奥にも届くように。手を、まっすぐと伸ばして、”
「ああ.....もう、泣かないさ。僕は僕自身の為に」
拗けた諸刃は嗤わない 悲しき秋桜ブレーキング (仮) 染田 正宗 @someda890
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