第4話 その太陽には棘がある

 時刻はおおよそ十八時半。空は薄暗くなっていた。もう数十分できっとここら辺は闇の中だ。

 「そう言えば、なんでお前は知ってたんだ。茨色の家を」

 「ああ、それなら。謝りに行ったからね。親とお詫びの品を持って」

 「成る程」

 お嬢様という印象は彼女の気品が見せた虚像だった。茨宅を見て自分はそう理解する。良い家だ。白い外壁と大きい窓ガラス、黒に近い灰色の屋根と、駐車場。小さいけれど庭もついている。決して安くない。

 でも豪華と言えば豪華だが、これは豪邸という感じじゃない。自分はなんかこう、家より何倍もでかい土地を使った庭とか、掃除がめんどくさそうと思ってしまうプールとか、遂にはいらないだろと考えてしまう様な別邸があるとかそんなのを想像していた。そんな勝手な妄想のせいでどうもこの家は小さく見えてしまう。

 玄関のドアまでは二、三段ほどの階段があり、短い距離を登ってドアの前に立つ。

 「うわっ」

 最新技術に少し仰反る。暗くなってきているせいか、玄関前にある電灯が僕たちに反応して勝手に光出したのだ。自分の家にこんなシステムはなく新鮮な為、少し驚いてしまった。

 「.......」

 そしてドアの前に突っ立つ。何もせずひたすらに。

 「何しているんだ玖道。表札にもある通り、ここが茨家だ」

 確かに扉の横には表札があって茨と書いてあった。

 「分かってる。けど、こう言う初めてくる家ってチャイム押しにくい!」

 「急に臆病ぶらなくていい。さっさと押すんだ。君には度胸と勘だけはあると、僕は見込んでるんだ。縮こまるなど君らしくもないぞ」

 「分かってるけど....!」

 ガチャ。

 そんなことをしていると一人でに扉が開いた。

 「「あ」」

 そして扉の裏から光が漏れて、それの少し後にひょっこりと女性の顔が覗いた。

 「なにか声が聞こえてきて見れば...。何やってるの?貴方達....」

 茨さんだ。今日は私服のようで黒いセーター、ベージュ色で腰部分から広がった裾が印象的なロングパンツを着用していた。

 彼女の表情には疑心が表れている。眉間に皺を寄せ、目は少し細めて、こちらの様子を伺っていようだ。

 「色君、やぁ!」

 元気良く太刀波が挨拶をする。

 「茨さん、こんにちは....。いや、こんばんわかな.....」

 続いて自分も。曖昧な時間帯のせいでどの挨拶が正確か分からなかった.....。

 一瞥して彼女はふーん、と呟くと、

 「入って、静かに。あと靴は持って入って」

 そう言って扉を大きく開けてくれた。

 「「おじゃましまーす」」

 二人してボリュームを下げて言って、靴を脱ぐ。そして靴の踵の部分を中指と人差し指に引っかけセットで持つ。

 「ついてきて」

 その言葉に従い、さながらRPGのキャラクターの様に三人で一列になって廊下を進む。階段を登り、左に曲がり、突き当たって右の部屋に入る。

 意外とすんなり、部屋に到着した。そして彼女が扉を開けてはいり、続いて僕、太刀波で入室する。

 壁は白く、床はツルっとした木目調で、入って真っ直ぐ行った先の窓際には勉強机。右には壁に接する様にして横並びに二つのタンスが付いていた一段のベッドが置いてある。入り口と繋がっている壁の右側には大きな物入れがあり、それは横スライド式で開くものだ。その他諸々、置いてあるが大凡女性らしいと言える家具などはなかった。偏見だけれど女性の部屋ってもっとピンク色だったり、ぬいぐるみだったりが置いてあると思っていた。本当に偏見だが。

 「うーん。学生の最低限の生活スペースみたいな部屋だね」

 「入って数秒で失礼だな。あっ、茨さん。この靴どうすれば良いんだい?手に持っておくと言うのもなんか.....」

 「新聞紙持ってきて敷くからちょっと待ってて」

 そう言って彼女は部屋を出ていく。

 「玖道、これ持っててくれ」

 「ああ....。え!?」

 しまった!差し出してきた靴を反射的に左手の指で受け取ってしまった。

 こちらに荷物を持たせてきた太刀波は何をするかと思えば勝手に、勉強机の一番上のタンスを開け始めた。合計三段ある中で一番小さい段だ。二番目に真ん中、そして一際大きいのが一番下だ。それには鍵穴がついていた。

 「お、おい!何してるんだ!」

 あくまで音量は小さくして強く呼びかける。

 「問題解決の糸口を探してるんだよ。意外とこう言うとこに会ったりするもんだ」

 そう言って太刀波は舐める様な視線をタンスの中身に注いだ。

 「流石にまずいだろ!やめとけって!」

 こちらの静止など意に介さず、一段目のタンスを閉じて構わず二段目を開け始める。

 こっちは両手が塞がっている。靴を床に置くわけにもいかないし、力でこいつを止める事はできない。

 奴はまた中身には触れず、目だけで見る。

 「僕は注意したからな!人のせいにするんじゃないぞ!」

 よくも堂々と...。

 「ふむふむ.....」

 真ん中が終わったのだろう。そのタンスを閉めた。流れる様に一番下のタンスを攻めようと太刀波はとってに手をかけて引こうとした。

 ガッ。鈍い音だけが聞こえてきて、奴の手は動かない。

 「閉まってるな。鍵穴は見せかけではなかったのか。ピッキングしてもいいけど時間がないね。そもそも道具がないしね。残念だ」

 そう奴が言うと、誰かが階段を登る音がこの部屋に伝わってきた。そしてその足音はこちらの部屋に迫り、ガチャリと扉を開く。

 「どうしたの?二人してこっち見て」

 茨さんだ。

 「「いや何でもないよ」」

 二人で茨さんを見ていたらしい僕らは、謎にハモってしまった。

 故か彼女はまたこちらに疑念の眼差しを向け、最終的に一息吐いて、「まぁいいか」とでも言いたげな顔で、新聞紙を下に敷き始めた。

 「はいどうぞ」

 「ありがとうございます」

 屈んで二人分の靴を自分が置く。

 気付かれなかったから良かったものの。僕が靴が二つ持っていることで怪しまれたらどうするつもりだったんだ。なにも、悪いのは自分じゃないのに胸を撫で下ろしてしまう。

 「なんで?」

 いきなり、女性の低い声がそう言った。

 空気が張り詰める。自分の安定していた心拍がさっきのものよりも速くなるのを感じる。

 「どうして?貴方がいるの?玖道君。太刀波さんは分かる。自信有り気に協力できると言ってあの様だったのだから、謝りにでも来たと考えれば理解できない事もない。でも貴方が何故?さよならを言った玖道君がいる理由は何?」

 自分のいる理由か。色々思う。彼女は僕を恨んでいるだろうか。彼女は置き去られたとき、どんな感情を抱いただろうか。そして今日は昨日を振り返ってなんて考えただろう....か。自分はそれが見えないままここに来た。茨さんという女性を何も知らないままここに来たのだ。 

 自分は立ち上がって彼女に頭を下げる。

 「ごめんなさい!僕は、君の為になれない」

 ここにいた全員が驚いた。なんなら僕自身も驚いていた。自分以外のみんな、その瞳は点になっていただろうし、小さいけれど確実に後ずさっていたはずだ。

 「そしてあの時の言葉を反故にさせてほしい。あの時、最後に茨さんに言った全ての言葉を」

 「玖道?」

 君は何を言ってるのか、とも問いたげな太刀波のその目と呼びかけに、僕は目線だけ向ける。

 「お前にも言いたかった。太刀波、僕は、いけない事だと分かっているけど、彼女を駒としか見れない。君が人に節介をするのに駒を使う様に、僕も理想の為に茨さんを駒にしようとしているんだ....」

 「私?」

 何も知らない茨さんは、首を傾けて言う。でも自分はそれには構わず、言葉を考える。

 「僕は矛盾だらけだ。自分にとってどれが良くてどれが悪いか分からない。選択肢が見えないんだ。だって他人の為にと尽くせるほど器量が大きくない。どころか、器は既に自分のことで一杯で、他に目を配る事など不可能だ」

 ここに来るまで多くを考えた。そし理解したんだ。自分にとっては否定も肯定も全てが適当な理屈だ。大した意味があったわけではない。只理想に向かう為に理由が欲しかった。何も見えない真っ暗闇に本物のような光が欲しくて、贋作を作り続けていたんだ。だから自転車を止めてまで太刀波とぶつかった時のあの言葉たちもほぼ嘘に等しいし、綺麗に背中を押してもらう何かが欲しかったのに、得ることができず、何を否定して良いのかすら最後には理解出来なくなっていた。だから、太刀波の俯瞰した意見を分かってくれないとか、心の中で感情的に否定することしかできなかった。僕は恥をかきたくなかった。しかしその実は醜態を晒していた。

 「自己中心的な考えだけど、だからあくまで僕は理想のため、証明のために。茨さん、貴方の問題に首を突っ込みたい。それを含めて、僕は君に謝らなければいけない」

 「....?」

 彼女は未だ分からないと言った顔だったけれど、構わず言いたい。自分でも自己の気持ちが分からない。しかし謝らねばならなかった。他人の心の問題に主観を持ち込む無礼さを。彼女を通してみる理想の為の志、その質の悪さを。

 「あの日、置いて行ったこと。怒ったこと。泣かせてしまったこと。人間として最低であまりにも一方的すぎることをした。本当にごめんなさい。本当は先にこっちを謝るべきだけど、自分の気持ちだけは先に伝えたかった。その失礼を含めて本当に申し訳なかった」

 自分の矛盾に折り合いをつける方法は保留しかない。その往生際の悪さは今後も絡みつくだろう。しかし今は考えない。思っていることは一貫している筈だ。

 「言葉に嘘はないんだな、玖道」

 「ああ。許されるとは思っていない。そしてこの気持ちには分からない部分がまだ多くある。だがこの後悔と言葉に一切の偽りはない」

 部屋の空気が沈黙で更に張り詰めた。きっと茨色は戸惑い、太刀波掻は考える。そして両者は互いにこちらを疑う。彼女は、理解のできなさが原因で、あの日僕がぶつけた怒りを気にして、今の言葉の真意を疑って。奴はこちらの拗れ具合と、皮肉にもそれに於ける信頼の厚さによって。

 「ふっ」

 太刀波の笑いそうな声が聞こえる。それは我慢していたものが少し漏れてしまったかの様な、心底人を馬鹿にしたものだった。

 「ははは」

 結局耐え切れず、静かに笑い出す。必死な人間を笑うと言うのは個人的に許していいことではない。だが今はそんなことは些細な事だ。何故なら、悪いのは僕なのだから。信条以上に自分の罪は重いのだ。ならば受けるのは当然の理だ。

 「お願いだ。こんな自分でもいいなら、再び協力させて欲しい」

 今日、昨日を振り返り、思い返した穢れを振り払う、過去を払拭するための我が儘。今言った言葉は、そんな下衆なものだけれど、僕は言わねばならなかった。信用の為、裏切りに報いる為、これが誠意であると見せる為に。

 「あ〜たまんねぇ。いいじゃないか、珍しく素直だ」

 耳を利かせて、言葉をしかと受けるため。きっと今から言われるのは自分の罪の数々だ。知らない事柄も自覚のある事柄も、聞かねばならない。理想の為に、結局は他者のためじゃない、自分の為に。それが多くの迷いと矛盾、愚かさを持つ自分ができることの全てだ。

 「どう思う?色君。彼は過去のことを謝り、目的はなんであれ、真摯に協力したいと言っている様だが......」

 太刀波が言った。しかし言葉は続くこともなく、またも沈黙が流れ、気まずい空気の中誰も動かず、喋らずにいる。いや喋れることなどないのかもしれない。自分は言いたいことを言い切り、太刀波にとっては理想通りにことが動いた。そしてそれの補助をした。そして茨色はやはり考えを巡らせる。二人は言葉を使い切り、一人は言葉を探している。

 「顔を上げて」

 そして言葉が見つかったらしい。沈黙を破ったのは茨さんであった。

 言葉に従い、自分は顔をあげて茨さんを見据える。

 「玖道君、貴方を許さない」

 僕の眼差しに応える様に彼女の言葉は、夕暮れの教室で見たあの真っ直ぐとした目と同じものになっていた。間違いなくそれは本物で、薄くない言葉だ。

 「当然...」

 「でもね、私も貴方にはとても悪い事をしたと思ってる」

 「......」

 悪い事.....。自殺のような賭け。物事の予測できていても絶対にしてはならない行為。自分と他人、言うなれば生命そのものを否定している、彼女の矛盾した行動。

 茨さんは少し俯き、視線を地面に泳がせる。眉は垂れ下がり、悲しそうだ。

 「一方的だった。思い上がりだった。確かに君の言う通り、人を見る為には結果論じゃダメだった。この世には絶対やってはいけないことがあって、あの時の自分の行動は、誰の心も考えられなかった、何もかも配慮に欠けたあの行動は、きっと絶対に許されてはならない罪で.....」

 また、間があく。

大して長くない間はきっと覚悟のための間だ。彼女は目線をまだ床に泳がせ言葉探しに苦労している。目を細め眉間に皺を小さくつくり悩んでいる。次に彼女は顔を和らげて、照れる様に笑った。しかし、それはやはり濁っていた。気まずそうな笑いだった。どことなく引き攣り不純だ。その表情から僕はこの後言う言葉が予想できない。

 彼女は改まって口を開ける。


 「だから私も許さないでほしい」

 

 「なんだって...?」

 最近の出来事は多くが未知に満ち満ちていた。しかしこれはその中でも最も現実離れしていた。

 「だから、私が貴方を許さない様に、貴方にも私を許さないでいて欲しいの.....」

 「えっと.....意図が.....分からない」

 言葉は意表を突かれたせいで、考える間も無く口から飛び出てしまった。しまったと思った。意図が分からないというのは少々失礼な物言いである。謝っている人間がしていい言葉遣いじゃない。その言動を取り繕うと、口を開けるが上手く言い訳が出来ず、結局自分は口を閉じた。

 「意図.....ね。そうね、私たちが子供だから、きっとそんな裏側のありそうな行動よりも、贖罪とか証明とか、そういう欲求みたいなものの方が、言葉よりも泣き叫ぶよりも信用できると思うのね。

 私はあの日、貴方の心を踏み躙ってまで、と言うか察することができなくて、自分の自殺の阻止をさせた。それは貴方を試したかったから。太刀波さんからは拗けた諸刃は決して必死な人間を嗤わない人と聞いていたわ。そして自分はそれを信用できなかった。確かめるため、明日今日あるかも分からない命を使って試した。私はそれを軽く考えていた。けれど貴方は私以上に強くそれを想って叱ってくれた。貴方は怒りを一方的と表現したし、それは事実だったかもしれない。でも、気持ちだけは本物で私を心配しての物だったはず。そしてそれは貴方の責任感に溢れた心の表れだった」 

 彼女の顔は言葉が重なるたび、重く真剣な表情になっていた。そして最後の言葉は、認められなかった。自分はそんな他者の為に動ける人間じゃない。そうだあくまであれは.....。

 「そんなことはない....僕は.....」

 「本の為に、でしょう?」

 茨さんはこちらの思考を読み取ったのか、目を瞑ってまで笑ってこちらの発言の先を言った。

 自分はそれに対し、「あ...ああ」と辿々しく答えることしか出来なかった。

 「私はそれでも構わない。許してもらわなくても、よく知らない事の証明のためでも、それが本というただの物体の為でも、どんな形でも信用ができていれば.....。だから!」

 彼女はこちらの両手を引っ張って、彼女自身の身体に寄せ、懇願するように、人が神に願う様に見つめる。強く握ってくる手は少し痛い程に拘束力が強く、抗えない。

 「約束して!今度こそ、私を救ってくれるって!責任をとって!あの時分かったと言ってくれたのだから、最後までそれを貫いて!.....それが貴方の役目なんだから!」

 「......」

 僕の役目...。

 今の言葉と声は大きく響いた。こちらの心にも物理的にも。こちらが静かにしていた意味がなくなってしまうほどに。だから太刀波はそこで「色君、静粛に」なんて言って、注意を促して、茨さんはそれに対して「ご、ごめんなさい」と顔を赤くして謝った。

 僕の役目は、あの時の「分かった」と言う言葉を裏切らず、茨色を最後まで救う事...。

 「良いのかい....?こんな役立たずの自分で。僕ではきっと君を守れない。分かるんだ。人は自己犠牲など殆どの人間ができない。あの時君の手を引っ張った僕は反射的に動いたにすぎなくて、自分は.....」

 言っている途中彼女は肩を落とし、こちの言葉を無視して溜息をした。

 「今更、そんなこと言わないで。私は自己犠牲を求めてるんじゃない。ただ、自分を救ってほしいの。やってくれるよね?それとも、この一言じゃ足りない?」

 表情は再び笑顔だ。誰かに似ていると思った。そして僕はそれに見惚れていた。

 少し、安心した。自分に保険をかけたとも取れる言葉を並べてなお、彼女はそれを許容すると言ってくれたのだ。理由は本当にどうでも良いのかもしれない。誰でもいいから助けが欲しいのかもしれない。でもそれでも僕は構わない。いやそれ以上望むなんて贅沢過ぎるだろう?

 「ありがとう」

 僕はそう彼女の言葉を了承した。

 これは依存関係だ。それ以上でも以下でもない。彼女は自分が生きる為、僕は理想の証明の為。やっぱり互いに理由はどうでもいいのだ。只、自分の為になれば。

 「どうかしたのか?お前」

 自分はそう太刀波に言った。ここで太刀波に目線を向けてみて気付いた事があったからだ。それは奴が謎に神妙な顔をして、突っ立ている事だった。

 こちらの問いに返答することもなく、奴はひたすら考え込んでいた。でも口を開くまでは意外と遅くなかった。

 「色君。この物置入れに入っても構わんかね。と言うか入れるかね?」

 「ええ、入れる。入られるのも別に問題はないけれど......」

 じゃあ入るぞ、玖道。と言っていきなり奴は僕を引っ張り、物置入れに自分を押し込んだ。半分はやられるがまま、その縦に長く人が四人は入れそうな空間に入っていく。

 「おい訳を説明しろ!」

 「すぐに分かる」

 物置と言うか機能的にはクローゼットだったようでスペースの半部分は服が埋められていた。

 「じゃあ色君、閉めてくれ。中には取っ手もないからね」

 「え、ええ....」

 彼女は困惑しながらも、ちゃんと外側から閉めてくれた。誰も太刀波の考えは読めなかったようだ。

 服に当たらないよう、奴は考慮したのか中身はぎちぎちだった。何故にここまで近距離なのか、失礼を承知で服を押し退け場所を作るとかすればいいではないかと考えつつ、もう一つやはり考えてしまう。

 「なぁ、お前これはどう言う....」

 「静かに。君には聞こえないか?」

 そう言われて、僕は感覚を研ぎ澄ます。ずんずん、と階段を登る音が地面と壁を伝わり、身体に響く。部屋に何かが向かってきているようだ。この家には誰と誰がいるのかと考えれば茨さんとその親、もしくは兄弟姉妹などであろう。彼女の家の家族構成をよく知らない為、誰が来るかは全く予想できない。誰だろうか?

 特に踏み鳴らす様なこともなく、静かすぎる訳でもない足音は遂に部屋に到達する。そして二回のノックを経て足音の正体が部屋を開ける。

 「お父さん。どうしたの....?」

 父親か。

 「一人.....か。何をぶつぶつ喋っていたんだ?人が来ているのかと思っていたが...」

 低い男性の声だけが聞こえる。暗闇だからと言うか、隔たりがあって何も見え得ない。

 「演劇の練習で、ごめんなさい。うるさかった?」

 「いや別に....いいんだ。そう言うことなら。まぁ夜も更けるのだし程々にしておきなさい」

 「分かった。ごめんなさい」

 「あとそろそろご飯が出来るからね。降りて来て食べなさい」

 「ごめんなさい....。お腹が空いていなくて、少し遅れる」

 「そう...か。分かった。好きな時でいいから、しっかり食べるんだぞ」

 「ありがとう」

 ドアががちゃりとしまる。部屋から気配と振動が遠ざかり、遠くへと消えて行く。

 茨さんがクローゼットの扉を開けてくれたみたいで、光がいきなり流れ込んできた。眩しさに反射的に目を細める。クローゼットから出て身体を伸ばす。いきなり受ける光は眩しいく、目に徐々に慣らすために、ゆっくりと目を開いて行く。

 「なぁ。なんで分かった。太刀波」

 「“父親の事“か?」

 奴も僕と全く同じ事をしながらそう答えていた。

 少し引っかかる事がある、父親の事?

 「その言い回しは...あくまで来るのが父親であると分かっていたのか?」

 「分かっていたとも。君たちが謎の告白をしている間、変な音とも声とも取れぬ...ニュアンス的には地響き?みたいなものを感じたからね。それは低くて、この前聞いた音声に似ていたのさ」

 「なんだそれ?」

 「察してくれよ、玖道」

 そこで特に考える様子もなかった茨さんが話し出す。

 「それは父さんが私を呼ぶ声ね。きっとご飯ができたとか、友達がいるのかとでも言っていたのね。そして太刀波さんは私の家に来て、父親と話したことがあったから、声の主が分かっていた」

 そう言うこと、と太刀波は肯定する。そして玖道は彼女の冷静さを見習えと、謎に説教をしてきた。それには反応しても意味はないなと感じて、無視する。

 蟠りがなくなり、全体的に落ち着きを取り戻す。安心したのかそこからは誰も何も喋らなかった。時間が少しずつ過ぎていく。今の時間がなんの時間か、わからなくなって来た。そんな時に太刀波は腕時計を見て「十九時か....」と呟く。そして続けて話し出した。

 「切り替えて行こう。話はこっからだからね」


 「(って何から話すんだ?これからことなど考えていなかったが....)」

 茨さんが持って来た小さいちゃぶ台の前に、皆で囲んで座ってから僕はそう思った。

 そんなときに最初に喋り始めたのは太刀波だった。

 「実は僕も玖道とほぼ同じ状態だ大して状況を把握できていない。そして自分が来たのは、玖道の補佐の為だ。彼の制御と軌道修正に加え新しい情報の入手に来た」

 「制御ね.....」

 そんなことまで考えていたのか。もう心配もいらないだろうに。....これはもしかして逆に信用していると言う事か?拗けた諸刃としての自分を。そうだとしたらとても不愉快なのだが、まぁ聞かないでおこう。

 「君の恥と思うだろう部分は既に共有されている。僕だけ、もしくは彼だけが知っている情報と言うのはないに等しい。だから、と言ってはおかしいかもしれないが、教えて欲しい、君の悩みの全てを。隠す必要はもうないんじゃないかい?」

 自分は、太刀波がこの件について多くを知っていると思っていたが、そうだったのか。彼女達での情報交換は既に全て済ましてあるという訳ではなく、奴は僕より少し知っているといった状況下だったらしい。

 「そう...ね。何から話せばいいのやら。取り敢えず最初から話しましょうか」

 知らぬ前に太刀波はペンを握り、メモ帳を出して構えていた。自分はそんなもの持って来ていないので、耳で覚えるしかない。

 「三年前、私は首を吊って死んだ。初めての夢は自殺」

 ゆっくりとした喋りで彼女は話始める。喋り方と顔にはやはりと言うか曇りがあるように思えた。やはり思い出したくはない事なのだろう。

 話は進む。

 「意味があるかは分からないけれど、内容も言っておく。この部屋で死んだ私の下には暴れたのだろう椅子が転がり、身体が薄暗闇の中で揺れていた。つまり窒息でなく、激しい動きにより首が外れたのね」

 「えーっと。それはつまり君は死の直面に夢で居合わせたのでなく、見たのは死んだ後だと?」

 太刀波は問うた。死の観測の前後関係。精神科医でもないが、何か役立つかもしれないので疑問に思ったことはなんでも質問してみるべきだ。まぁでもこの調子で行くときっと全部の疑問を奴が出して行くことになるだろう。それはそれでありがたい。面倒が減るのはどんな状況でも良いことである。

 死後の前後関係といえば、一つ思い出した事がある。太刀波のと同じ答えになることを予想して回答を待たずして自分も発言する。

 「そう言えば茨さんは僕の小説のネタを出した時も言ってたね。死姦がどうこうって。でもそれって性行為をされるのはあくまで死体、つまりは死んだ後のことだから、これも、つまりそう言うことなのかな」

 「まぁ...そう言うことでいいけれど。詳しく言うと死後だけを見るんじゃなくてスタート地点は結構バラバラよ。逆に終わるのはいつも死体を見てから。長い間それを見せられて終わる」

 始まりはバラバラ。つまり首吊りで例えるなら、これから自殺する、自殺しようと縄を首にかける、椅子から降りる閉まる、暴れる、死ぬ。と適当に段階分けしても五分出来る。つまりこの段階こそが彼女の言うスタート地点だろう。それこそもっと曖昧な、バラつきがあったりで、僕の言い方程正確に段階分けがしてあるという事ではないだろうけど...。そして終わりは死体を見て終わり、これは説明するまでもない。だがまだ疑問はある。

 「色君。君はもしかしてを見てるんじゃなくて、を見ているのかい?」

 太刀波の問は速く、的確だ。自分も気になっていた事柄を奴はまた先に言っていく。持っているペンは止めず目線は前に向けたまま。こいつのマルチタスク能力はさすがと言わざるを得ない。

 「そうね....。思えばいつも他人のような目線で自分の死を見ていたのかもしれない。全ては思い出せないけど....思い出せる限りでは、そう」

 「成る程....じゃあ夢の原因となることの心当たりは?」

  茨さんは考えるまでもないと言った感じで、すぐさま言った。

 「それはきっと、原因と言うか要因ですけれど、五年前の姉の死が関わっているんだと思います」

 あまりにも当り前のようにされた発言に僕は嫌な考えを思い浮かべる...。

 「(五年前?)」

  どきり、とした。心の中で呟いた。関係ない他人の死だ、それは。だからそれとこれとを結びつけるのは不謹慎ともいえる。冷静になれ。そうやって心の中で独り言を吐いて、心を落ち着ける。繰り返し、繰り返し落ち着ける。流石に動揺しすぎだ。

 「姉?お姉さんがいたのかい?」

 五年前の死に自分は心当たりがあった。それは心当たりがあっただけで、別にその姉が自分の知っている人物であると思ったわけではない。人は個人にとって一日で数えきれないほど死ぬし、五年前といえば、言い換えれば”五年前の一年間“になる。つまりは一年間で死ぬ人間など余計に多くがいるのだからこれは偶然であろうことは想像に難くない。

 「ええ....幾つか歳の離れた姉が」

 ......。そのはずだ。

 「へぇ。意外だね、君は親からの信頼が厚いが故に気高いタイプ、応えようとする人間だと思っていたけれど。そっちが原因じゃないとは」

 「いえ、その考えもまた正しいと思います。私の場合正確には父さんからの期待、ですけれど」

 父親からの期待......。少し先の展開が予想できてしまうその言い回しはけれど確実な前進な気がした。

 「君は五年前、と言って同時に要因と言った。しかし夢を見たのは三年前。つまりはもう一つの要因が、三年前に夢を引き起こしたトリガーがあるんだね?」

 「三年前、両親は離婚してしまいました。それ以来です。私は父親からの目を一身に受けている様な気がして.....」

 奴はページを捲り、ペンを止めない。

 唐突に僕は茨さんの言い回しに違和感を感じたけれど太刀波はそんな調子はない。

 「それは心労が祟ったと言う事かな....」

 自分はその違和感の正体に気づけずにいた。喋りは不自然ではなかったのだ。いや不思議な程に自然だった。でも分からなかった。

 茨さんは頷く。

 「はい」

 奴が気付いていないことに、自分が気付けるだろうか?それを考えて僕はそれに対しての思考を停止する。答えは否だ。勘に少しの自信がある程度の自分がそんな細かなところに気付けるとは到底思えなかったからだ。

 「成る程....ね」

 つまり、と言ってちゃぶ台の上に太刀波は音を立ててペンを置く。

 「今出た君のストレス種を潰すしかないわけだ」

 分かりきっている事だった。彼女は常に色々な圧力に耐えている。さっき言った姉の死や父の目もそうだろう。離婚そのものにもストレスを感じていた筈だ。そしてそれの排除を邪魔しているのは彼女自身のプライドに他ならない。何故なら、父親の目を気にしてしまっていると言うのは、恐らく彼女の心の考え方の問題であって父親自身に問題があるわけではないからである。その根拠に彼女は「父親からの目を一身に受けている様な気がして.....」と曖昧な言い回しをしているのだ。しかし、茨さんは悪く言ってとてつもなく頑固。故にその考え方の排除こそが最大の鬼門なのである。しかし透明であった問題点に色がついたことに関してはとても大きな前進だ。

 

 本日何度目かの腕時計確認をしながら、

 「もう二十時近い。そろそろお開きにしよう」

 と言った。

 それには自分は少し納得しかねた。

 「まだなんの解決もしていないじゃないか。そんなんでいいのか?」

 至って単純な危機感だと思う。それに対し太刀波は落ち着けよ、と言って言葉を継ぐ。

 「気持ちは分かるが、焦るな」

 「焦ってはないが...」

 「解決案に関しては自分が考えてくる」

 それは....大丈夫か?と思ったが、自分は今回思い返せば何もやっていなかった。行動と問題解決への進行は殆ど二人がやっている。そんな状態で自分は異を唱えることができようか?いや、できない。それ以前に、太刀波掻と言う人物の能力の高さを自分はよく知っている。ここは“やる”と言う彼の考えを信用するべきだ。

 

 静かに家を出た僕と太刀波は夜風の寒さを実感しつつ夜空を見上げた。冬のせいか空はとても澄んでいて、キラキラとした輝きがよく見える。小説などではよく空が心の代弁をしてくれる、と言うが、自分は今全く同じ状況で、蟠りのなくなったことを空を見て改めて実感した。まるで代弁してくれているような空だった。

 小さな階段を降りて、平地に置いてあった自転車を探す....がない。

 「自転車はこっちよ」

 彼女はそう言って、家の壁を伝い裏側に回り込む、そして家の裏側へ。そして僕と太刀波の自転車はそこに置いてあった駐輪場でもなんでもない砂利の地面が敷かれた家の裏に。

 「もしかして、運ばせた....?」

 「そのようだね」

 「親にばれたら面倒だからね。でも私は何も言わなかった訳だし申し訳ないとかは無し」

 そんなこと言っても押しかけたのはこちらであって相手にはやっぱり非はない。

 「申し訳ないね....なんか」

 僕は言って自転車のスタンドをゆっくり音を立てぬように足で押さえつけながらあげる。

 「玖道君、さっきから思ってたけど...喋り方」

 「ああ...うん。あまり親しくない相手には喋り方を変えることにしているんだ」

 何か不味かっただろうか。自転車を出しながら疑問に思う。

 「それやめて。私にも太刀波さんと話す様にして」

 「なんでさ」

 「太刀波さんの喋り方と似てて気持ち悪いし、胡散臭い」

 そうかね....。

 「なかなか酷い言いようだね。それはまるで僕に信用がなく気色の悪い存在と言っているみたいじゃないか。僕は胡散臭くもないし、気持ち悪くもないよ」

 ここまでくるとジョークで言っているのか分からない。


 「じゃあ、ばいばい」

 と茨色さん。

 「じゃあの」

 と太刀波。

 「さようなら」

 と僕。

 自転車に助走をつけながら乗って二人で家を離れた。


 自転車の勢いで夜の風を全身に受ける。

 「そう言えばさ、疑問なんだが、なんでお前はあの家で会議なんか始めたんだ?」

 風のなか自転車での会話は、風圧により声が聞こえにくい。その為声を張って喋る。

 「会議?」

 相手も同じで、喉には多少の力が篭っていてこちらに聞こえる様に考慮している事がわかった。

 「ほら、問題解決のための...質疑応答的な。外に出て話した方が安全だった筈だ。公園とかどこかのお店だとか」

 「死ぬ夢に関してかい?」

 「そうだ」

 「あれは確かに。君の言う通りだが、あの時には設定と言うものがあった」

 「設定?」

 「ああ、設定だ。それは父親から見た設定で、それは家には色君一人で、演劇の自主練をしておりご飯をまだ食べたいと言う気分ではない。さてここで問題だ。この場合自分の娘が“いきなり外に出て行ったら“父親はどう思うか」

 それは.....。

 「理由は考えるまでもなく、取り敢えず怪しむだろう。ご飯を後で食べると言うことだったのに、その気配がないか?とか、そもそもこんな夜更けに何しに行くと心配を含ませて思うだろう」

 「そう言うこと。確かに僕達にとっては外に出ることは安全だった筈だ。しかし、それは彼女にとってみてどうだったか。それはまた別問題だ。そしてもしもの場合もある。それであの父親に変に考えられたら....堪らないな」 

 また成る程と呟く。前半の外に出ることの危険性は分かった。しかし疑問も残る。

 「そもそも何故彼女は親に自分達がいるとバレたくなかったんだ?」

 思い返してみると一番分からないのはここであった。別に隠すことでもないだろう。高校生が....

 「高校生が少し遅くに知り合いを連れてくること自体は、珍しくことではあるかもしれない。だがないとも言い切れないそう言いたいんだろう?」

 「......」

 先読みされてしまった。

 「君それは酷い勘違いだ。同性ならばその考えは成立するかもしれない。それでも珍しいが。だが異性だった場合それはどう言う意味になるか....。しかも男は二人。いつも上品に振る舞っている彼女は父親に対してもそうであると先程の会話で把握できる。それを踏まえて考えると、それは父親にとっては不安の種だ。そしてそんな事があれば、父親は娘の部屋に来て色々お茶を出したりお菓子を出したりもてなし、きっとちょっかいと言うか鎌をかけてくる....」

 「それは考えすぎじゃないか?」

 「可能性の話で、それは同時に危険性を孕んでいると僕は言いたいんだ。そんな事があったら話どころではあるまい」

 そうかな.......。そうだな。

 

 あの時、僕が気絶し運ばれた公園は、実は帰路の途中で必ず通る道だ。入った事はないがそのせいで何回も見た事があり、遊具の位置、ベンチの位置等色々覚えていた。

 「玖道、ここに入って欲しい」

 言って彼は公園に入って行く。

 「え?あ、ああ」

 今日自分は太刀波に基本的に従うことにしていた。それは純粋にそのスペックの高さを見てだ。そしてその今日のスタンスに従う様に自分もまた公園に入る。断る理由もない。

 「どうした?」

 「いや情報共有しようと思ってね」

 そう言って彼は自転車を降りてスマホを出す。

 「?」

 「ほれ、このQRを読み込んで」

 「これ...?」

 これは“LINE”のQRか。

 読み込んで出てきたのは、茨色と言う本名で書かれたラインだ。自己紹介文にはよろしくお願いします。と一言だけ書いてある。他の情報は誕生日くらいのものだ。四月一日と書いてあるが大して役には立たなそうである。取り敢えず、友達の申請を送っておく。そしてメッセージボックスに「よろしくお願いします」と、誰かの自己紹介文と同じ言葉を添えた。それ以外に思いつかなかった。自分のライン内のアカウント名は“kudou”とそのままであり、誰かはすぐ分かる筈だ。早くも既読がつき。オウム返しの様に全く同じ挨拶が返ってくる。相手はこちらの申請を承諾してくれたようで、これで連絡先交換が成立した。

 「お、きたきた」

 太刀波がいきなり呟いてスマホを見て、神妙な面持ちになった。

 「どうかしたのか?」

 自分は奴の大人しくなった心の底で、興奮していることを直感で感じ取った。何かしらの収穫を獲たようである。

 「どうかしたのかと聞いている」

 「あ、ああすまない。これを見てくれ....」

 情報共有は重要だと言って、奴はスマホを見せてきた。

 「僕はね、気になっていたんだ。あの鍵のかかった三段目の中身が。それは単純な好奇心と共に、疑問を抱いた。僕も僕の知り合いも、鍵のある机の棚を持っている。でも自分を含めそれを持っている人間は誰一人としてその鍵を使用してしまい込むものなどない」

 スマホに映っていたのは茨さんからのライン。そこにはある一枚の画像が貼ってあった。画像の前には「失礼ですが、勝手に机を漁らせてもらいました。それで一つ気になったのですが一番下には何が入っているのですか?見せて頂きたい」と改まった文で書いてある。太刀波の発言だ。

 「誰一人としてその鍵を使用してしまいしまい込むものなどいない。これは偶然かもしれないが、同時に使用率の低さも表している。そんな代物に、今時の人間が何をしまい込むか気になっていたんだ」

 確かに現代の人間は、現実の鍵を使い隠すものなど少ない。何故ならそう言うのは主にパソコンやスマホに入っているものだからだ。この時代の隠したい事柄の物質的なものは考えてみればとても少ない。つまり、只でさえ使用率の少ない机の鍵、そもそもあまり使われない現実の鍵。その二つの条件を併せ持つものを使ってまで隠したいものがあるならば....それはきっととても大事なものだ。

 そのスマホに載っていたのは写真だ。写真と言っても画像ファイルと言う意味ではない。直撮りした写真がそこには映っていた。画像の中身が机に出された写真なのだ。

 「これが、彼女の大事なもの...」

 「写真か。家族写真のようだね」

 人が四人。左端には長い金髪碧眼の大人の女性、右端には黒髪の赤ちゃんとそれを抱える男性。そして真ん中には大人の女性と同じ特徴の一人の少女。違う特徴があるとすれば、それは目元に小さく目立つ泣き黒子が一つある所だろうか。これは彼ら彼女らがヒマワリの畑の中で撮った写真。女の子の片方は大人の女性にもたれかかり、その大人と少女は二人とも目が青く髪が黄色い。青くて、白くて黄色くて、笑顔に満ちている幸せな写真だ。それは寂しくもあり、特別にも思えた。写真は色褪せていた。そのせいであろうノスタルジックを感じる。誰かの、いやきっとこれは”彼女”の思い出なのだろうと分かる。

 そして、関係ない筈なのに、その筈なのに。どうしようもなく思い出してしまう。涙が溢れてくる。何故こうも.....。

 「痛ぇ」

 「どうした玖道」

 ゴミが入ったと言って目を擦る。そしてまだ出るかもしれないが。そんなことをしている場合でもないと思ったのでそれをグッと堪える。

 「ここまで踏み込んだ事を多く話した。故に聞いたら素直に見してくれるだろうと、ダメ元で聞いてみたんだ。そして彼女は見せてくれた。なぁなんであんな所に隠していたんだと思う?ここまで幸せそうなものを....」

 「分からないが、父親から隠していたのは確かだろう。言葉を信じるのならば、あの家にはあの二人しかいない」

 言葉はそれだけで十分だ。

 「まだ聞き出せそうな事が幾つかありそうだね。これは」

 彼女が写真を隠した理由。それは結構重要そうだ。聞かないわけには行かない。

 「帰ろう、玖道」

 十分だと言って自転車にまたがり、奴は自転車を動かす。自分もスタンドを蹴って乗り動き出す。


 「なぁ玖道」

 住宅街に入っていた。風は弱くなっていた。故にいつも通りの喋り方で会話が始まり、自分もそれにいつも通り返した。

 「どうした」

 と。

 「お前はとても期待されているよ」

 「誰にだ?」

 「茨さんにだよ。分からないか?君と僕も与えられた情報量は同じだ。しかし、その筈が彼女は君に大きな期待を寄せているようだった」

 「そう....か?」

 「そうだよ。それは、プライドを遵守する彼女が感情的になるまでに強い。自分は構わないが、どうにも不可思議だ。気になるんだ。彼女が君に何を見ているのか」

 確かに、互いの依存関係や、自殺阻止の賭け、そして昨日の夜の感情的な話し合いは振り返ってみれば太刀波のものと比べ、普通ではない。依存関係に関しては自分も了承してのことであるが、今思えばあれには強い拘束力を感じなくもない....。

 「なんで....」

 「いいかい?彼女はきっとまだ多くを隠している。それはきっと生半可な覚悟で挑んじゃいけないことだ。それは今更言うまでもない様な気がするが....。そこまで話が重くなった原因はきっと君だ。話をそこまで“拗らせた”原因は君なんだ」

 「おい何故、そこで僕が悪くなるんだ?」

 少し語気を強めて言う。

 「別に君を悪く言っているつもりはない。だが僕は今日、君に幾つかの戸惑いを見た。故に君も疑っている。きっと玖道と色君にはこの問題の、今話しているような表層的な部分でなく、もっと深い所で関わりがある。そして僕の情報から導かれた推理では、今彼女が隠していることこそがそれだ。彼女にとって僕らにも明かせない、もしくは明かさない、疾しい、ことに君は関係している」

 「それはそう予感してるってだけだろう。口にするような事じゃない.....」

 大した根拠はないはずだ。彼女に隠している事がある、あるいは今日じゃ話せなかった事があるのは事実であろうが、だからと言って自分に関係があるか否かは別問題であるし、それこそ僕に駄目で元々聞いている、といったとこだろう。つまりは今自分は鎌をかけられている。

 「君自身はどうだ。君は五年前の死を聞いた時と、写真を見た時、何かを感じ取ったな。それも予感している程度のことであると君は、片付けるか?」

 「ああ」

 相手のはやっぱり予感だ。乗ってしまえば結局はこちらから情報を吐いてしまうことになる。しかし、

 「お前のは予感にすぎんし、なんの根も葉もない、それこそ勘だ。そうだろ」

 「......」

 無言だった。否定しないようだ。肯定として受け取る。

 「だが、言える事はいくつかある。まず僕は彼女を知らないこと。そして君の考えは当たらずとも遠からず、と言う位置にあること。いいか僕と彼女には直接の接点はない。だが、彼女が一方的に僕を知っている可能性はなくはない.....。彼女が自分を試した意味も、多少は分かる気がする」

 「心当たりがないわけではない.....と言うことかい?」

 「そう言うことだ。明日の休み、時間はあるか?」

 「もちろん」

 「後で集合先と指定時間を送る。付き合ってくれ」

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