第3話 Semper Augustus

 自転車を漕ぎ進め、僕は行く先に見当もつかなかったが、太刀波の背中を追い続ける。茨色絡みと言うがどこに行く気なのだろうか。この道の先にあるのは一番近くて点在する飲食店や、少し先を行って病院か?いやまさか。とすれば彼女の家当たりが妥当な解釈だろう。昨日は同じ道で自分と彼女は一緒に帰っていた。しかしだ。よく思ったら中学が別なのに帰り道が同じ方向とは少し変だ。絶対に違うとは限らないのもまた事実であるが...昨日のは大方、自分についてきての道であったのだろうと思う。

 「何の話だっけ」

 太刀波は言って、片手で髪をかき上げる。これは考え込む時のこいつの癖で、今の場合は記憶を辿っているせいでこうしているのであろう。

 「えっと....確か、フラッシュ・バック.....。手が震えることの条件じゃなかったか」

 そうだそうだ、と思い出すように言って、そして安堵したように一つ息を吐く。かと思ったら次にまた暫く、髪をかき上げ、考え込んだ。

 一体どうしたというのか。

 次に髪を触るのをやめると、そうだなと呟く。

 「おい、さっきから何を一人で....」

 「やっぱいいや。話さなくて」

 「はぁ?」

 なんといい加減な言葉だ。

 呆れて変な声が出てしまった。これまたいきなり何を言い出すのか。

 癖がどうこうとか、さも重要そうに言っておいてそんな切り離し方があるか?

 「当たりが強いね。そんな驚き方をする事はないだろう」

 「いや、でも...」

 「何も全部を話さないわけじゃない。ザックリ行こうと言うだけの話さ」  

 .....なら文句はないが....。

 「だが、じゃあさっきまでの会話はなんだったんだ」

 暫く、奴は悩んで、なんとも言えない声で「ん〜」と唸る。

 そして口を開く。出た結論は、

 「僕の恥陳列?」

 「おいおい」

 つまり何の意味もないと言う事だった。いいのかそれで。と言うかやっぱり自覚あるのか。

 「話を戻そう。まぁそうだね、最低限話す。彼女には男性と話すと二つの条件下で手を振るわせると言うことが分かっている。一つが怒られることや、怒声に近い大声を出される事だ。そしてもう一つが“優しくされる”事だ」

 「さっきも言ってて気になったがなんなんだ。怖くて震えると言う表現がこの世にある以上、怒りに対し手を振わせる事は理解できなくもない。だが後者の優しくと言うのは訳が分からない」

 「その見解は半分勘だろう?前提してからしておかしいと思わないかい?何故彼女が“恐怖に震えていると思ったんだい?”」

 「お前の読み通り勘だが。偏見と言ってもいいかもしれない。なんだ、違うのか?」

 「いやあってる。彼女は確かに、男性の怒りに恐怖を震えていた。そしてそれはあくまでも偏見。そこまであっている。相変わらずいい勘してるよ」

 「そりゃどうも。で、何を言いたいんだ?」

 さっきからはぐらかす様な言い方が多くて困る。遠回しな言葉遣いもしかしたらこいつの新たな悪癖なのかもしれない。

 交差点に僕達の自転車が止まった。信号が赤で捕まったのだ。太刀波が振り返ってこちらを見る。

 「つまりはね。彼女は“優しさにまで恐怖を感じていた”ってことさ」

 ......。

 「それは....一体どう言うことだ?二律背反か?」

 その僕の半分冗談だったセリフを奴は違うと一刀両断した。ここまできて新たな謎が増えて、分からない事だらけだ。

 「アンチノミーと考えることすら偏見的だ。

 君は全ての人間が全ての人間の優しさを信用できると思うかい?」

 「もしかしたらそう言う危篤な勘違いをする奴もいるかもしれない」

 「真面目に答えてくれ。僕は珍しく真面目だぞ」

 言って前に向き直る。

 そうだな....。

 横断歩道が青となった。さっきから二人で一列走行をしていたため、また後を追う形で白い線の端を通る。

 「普通なら無理だろうな。相手によっては裏があると考えるのが普通だ。

 まさかお前はこの要素が畏怖の対象になり得ると言いたいのか?」

 ふふっと太刀波は鼻で笑って答える。

 「そう、そのまさか、さ。優しさはね、恐怖に至るんだよ。これは嘘じゃない。本人からちゃんと言質も取った」 

 言質?さっきからやけに確信していると思っていたが....。

 「お前らどう言う関係なんだ?」

 ちょっとだけ、ちょっとだけだ。気になった。だから問いかける。

 「それは順を追って話すよ。そしてね、えっとだね....ここからが本題と言ってもいいんだけど、僕もなんだよね」

 「何が?」

 変なことを言っていきなりもじもじし始めるものだからこれまたよく分からない。「僕も」と言ったのならば、奴は僕と同じ何かをしたと言うことなのだろうか?

 「泣かせたんだよ」

 「は?」

 「僕も泣かせたんだよ、茨色と言う女性を。実験の時にね」

 「何やってんだよ...」

 ここまで来るとなんか実験とか言う言い方不憫に聞こえてならない。これはあれじゃないだろうか。どちらかといえばいじめだろう。

 「そのあとファンの男子生徒に殺意の眼差しで見られたよね。女子にも....」

 男性から大きな声で叱られると手が震える。それは恐怖から来るもの。そしてこいつがやったのは実験だ。そしてこいつは今更だが恥も外聞もない奴だった。つまり何をやったのか、

 「その情報はどうでもいい。と言うかお前もしかして怒鳴ったのか?彼女に対して」

 極限まで追い込んだと言うのか?

 「それも勘かい?」

 「あってるだろう?お前の言葉から大体予想はできるからな。あとは当てずっぽう」

 それ以外にも理由はある。心当たりがないわけじゃない...。

 「あってる。因縁を吹っかけるのは簡単だからね。そしたら、ボンっ」

 「ボンじゃないが」

 こいつ人の心とかないのか?

 「それでね。大事なことはこれからだよ。彼女はこの後、気を失ったんだ」

 「失神というやつか?」

 その通りだ、と言って太刀波は声を低くする。そして太刀波掻としては珍しく真剣な眼差しを横顔から僕は見た。

 「流石にやりすぎたと後悔してるよ。まさか適当に怒るだけで、意識が飛ぶなんて。ストレスで飛んだらしいんだけど、僕にはそうなることが全く予測できなかった」

 「お前が容赦ないだけじゃないか?」

 奴はこちらの言葉に首を横に振って否定する。

 「最後彼女に使った僕のセリフは“うんこたれ”であるが君には彼女がそんな言葉で気を失うと思うかい?」

 「いいや、その場合は茨さんが無視して終わり位が妥当じゃないか?」

 「僕もそう思った。流石に泣いてやばいと思ってからは加減して幼稚な言葉を選んだんだけど...。彼女はきっと泣いてから僕の言葉など届いてなくて、耳には大きな感情的な音声しか聞こえなかったんじゃないかな。そしてそれは事実、そうだった。これも後に言質をとったよ」

 その時の彼女は当然だが尋常な精神状態じゃない。ストレスにより精神の安定が保てなくなる。これは通常では起こり得ない。何か、過去とか経験とかが作用している。じゃなければここまで制御できなくなって気を失うまでの状態には陥らない。そうか、こいつが言っていたフラッシュバッグ.....ってのは。ここまでくれば誰でも分かる。

 「彼女はとても重いPTSDを抱えている。その関係で手だって震えるし、優しさにもトラウマを抱えるから恐怖を感じてしまうのか」

 「関係というか、”まず”手に出てしまうって感じじゃないかね。そして耐えきれなくなると泣いて話が聞こえなくなって、周りのボリュームの大きい音だけが耳に残って、その混沌とした感情が混乱をつくり最終的に気を失わせるまでに至る」

 ここの道を左に曲がろうと提案されたので応じて自分も、道を曲がる。

 そうか行先は家じゃなかったんだ。

 「僕もね、君と同じなんだよ。彼女を泣かせ、そして”気を失わせた“。だが一つ違う点があるとすれば、僕の時は学校内で運ばれた先が保健室だからよかったものの、君が彼女に怒りをぶつけた時は夜の公園だ。その場合彼女は放置されたか“搬送”されたかの二択だ。

 そして彼女は今日学校を休んでいる。先生の口振り的に親との連絡は通っていたみたいだから、なんらかの形で保護されているのは確定だろう。

 僕の読が確かなら彼女はあそこにいる筈だ」

 そう言って太刀波が道を曲がる。そして自分も。次に視界に現れたのは大通りの方からなら既に遠くから見えていた。大きいここの市民病院だ。


 「患者の搬送先ってのはどうやら、一番近い所に運ばれるらしいからここで間違いないだろう。君の言っていた公園の位置が確かなら」

 「それは間違いない」

 駐輪場に自転車を駐めて、鍵を閉める。それを制服の左ポケットに入れる。右ポケットには文庫本が入っており、鍵も入り切らないわけではないだろうが、ぎちぎちになる。取り出す時に本に傷をつけては、本末転倒だと思うのでこうならざるを得なかった。これはいつも昔から変わらずこうしている。

 「じゃあ行こうか」

 「ああ」


 「あ、本当ですかぁ...あ、すみません。ありがとうございますぅ」

 少し距離のあるところから椅子に座って太刀波を見守る。面会の為に受付の人と格闘しているのだ。

 そして奴は踵を返してこちらに戻ってきた。

 「じゃあ行こうか」

 なんか色んな手続きが終わったのだろうと、思ってそうぼくが言うと、太刀波は露骨に渋い顔をした。どういう表情かわからない。顔に皺を寄せまくった顔だ。

 そして

 「行かない」

 と短く答えた。

 「どういうことだ」

 こちらも短く問う。

 するとこいつはため息をして

 「ここに運び込まれた事はあってたんだよ。でもどうやらもう退院したらしい。普通一日くらい様子見ないかね。全く」

 「分かった、直で家に行こう」

 「僕は構わないが、もう夕暮れだ。彼女の家の位置はわかるが少し遠いぞ。確か昨日君が家に帰ったのはかなり遅かっただろう。二日連続だと親がどう思うか」

 「行かなくちゃいけないだろう?嫌ならいいが、僕が一人で行くだけだ」

 「僕は構わないと言った」

 

 大通りに再び出て、登って行く。車の数がさっきよりも増えており、帰宅ラッシュが既に始まりつつある事を感じさせた。

 「話の続きをしよう」

 「元からそのつもりだ」

 「そうだろう。言質について話してなかったし、それに何より君になすりつけるまでの経緯も話してなかった」

 そう言えばそうだ。.....思い出した!

 「お前僕の本を盗んだだろう!」

 「御名答!今まで会話する機会があまりなかったとは言え、会うだけならいくらでもあったからね。学校は狭い。故に、ね。それに君の思考と趣味とそれに纏わる行動の全てを僕の観察眼は逃す事なく記録している。あとは手先の器用さが合わされば窃盗は容易さ」

 「さいで....」

 奪われたと言うことは、そういう事なのだ。

 態とらしく太刀波は咳き込んで、空気を切り替える。

 「彼女の手の震えの正体の一つを、力技で暴いた僕は、それ故に出た粗によって人を傷付けてしまった。責任を感じて担架で先生に運ばれる色君を追って僕も保健室に入り込んだ。すぐ説教のために弾き出されたけれど。そこから僕は先生にあり得ないくらい怒られる、知りたいだろうけどここは割愛。言葉責めが終わった今でも、その罪が尾を引いて反省文が僕を付き纏っているということだけは言っておこう」

 「......」

 「自分はそのあと本人の目覚めを待つことにしたのさ。説教が終わったあとはすぐに保健室に入ったよ。

 意外と早く目覚めて、僕はびっくりしたと同時に嬉しかった。この瞬間、謝罪の機会と、答え合わせの機会が与えられたのだから」

 「そうかい」

 感情の説明が何故か一々鼻につく。睨んでいらないと指示する。本人は態とうざいので、睨めば分かってくれる。それが背後からの視線であろうとだ。人の目とはどこから来ていても分かるものだ。

 「.....重要なことだけ話すよ」

 この通り。

 「まぁどうせ、君の知りたい事は、全部こっからだしね」

 

 その時保健室に先生は居なかった。

 ベッドに寝たまま顔だけをこちらに向けた色君。

 「さっきはすまなかったね。ちょっと知りたい事があって色々、気分を不快にさせてしまったんだ。態と、ね」

 「態と?」

 「そうだよ。で聞きたい事があるから目覚めて早々で悪いけれど質問いいかな?」

 「嫌よ。私貴方が嫌いだから」

 この時の彼女の眼は常に澱んでいた。それは僕からの無礼による不快感によって齎されたものだろう。

 「じゃあ聞くけど....」 

 相手の言葉など構うことはない。彼女にとっての嫌な所を突けば勝手に話してくれるようになる。何故なら彼女は秘密を大事にし、それと共に悩みを抱えているのだから。秘密とは知られてはまずい事、その弱点を突けば全てでなくとも、少しは話してくれる気になる。諦めにも似た気持ちを孕みながら。

 「......」

 「君は男性と話す時よく手が震えるね。何故だい?」

 「......」

 隠そうとしているが、一瞬目が泳いだ。心当たりがあるのだ。本人が意識していない場合もあるが、彼女がそうであるとするならばこう言う反応を見せない。それは今回の実験の中での不幸中の幸いだった。

 「それは本当に男性に話しかけられる時のみ発生する」

 「そんな事ない」

 「そう言うのは勝手だがね君は、面白いくらいに反応を見せてくれたじゃないか」

 「貴方、本当は思いっきり怒るようなタイプじゃないのね」

 この時の彼女の発言はあくまでこちらの怒りに注目したものだった。それはただこちらの心情を見透かして言ったことだ。しかし普通だったらもっと別の、不満の感情を僕にぶつける筈だ。しかし今の彼女には疑念しかなく、怒りは微かしかないように見える。そして話は僕の性格へと向いている。これは彼女が泣いている時に構築した僕の仮説の背を押すこととなる。

 それこそが彼女のPTSDが男性からの大声で刺激され、発露するのではないかと言う論だ。

 「みっともないからね」

 「そんなのどっちにしたって変わらないわ」

 仮説を確かめる為ずばり僕は言った。

 「君が泣いたのは、手が震えたのは、僕が、男が本気で怒ったから、そうだろう?」

 暫くの沈黙は彼女の驚愕を表していた。そして彼女が抱いていた僕への念にもそれで合点がいったようだった。

 次に全てを理解した顔で、色君は静かに頷いた。

 「全て聞かせてくれるかい?」

 「分かったわ」


 「こっからは早かったよ。彼女の手が震える二つの条件、優しさと怒りとか、彼女の悩みや夢のことなど芋蔓式さ。そしてそこで救済させていただく事になったのさ」

 成る程、そんな事が....。

 「で」

 「で...?」

 「で、なんでそんな面倒ごとが僕のところに回ってきたんだ」

 「そこを疑問に思うかい?この腐れ縁も短くないはずだけど」

 「そうじゃない。もっと人材はいるはずだと言っている」

 こいつは人を駒としか見ていない。特に、僕を含めた何名か。忌々しい名前が与えられた、自分で言うのはアレだが。こいつは人を助けると言っては、その人材に他人の問題を押し付け、そいつらにそれを解決させるのだ。自分もそのカモ達の一匹であるわけだが、その中でも僕は高校に入りこいつとの縁は極力切っていたはずだった。故に半年以上話していない。面倒ごとはごめんで責任は嫌いだったからだ。それなのに何故こいつはわざわざ、教室で二人を無理やり合わせ、こんな状況をつくったのか。これは聞いておきたかった。

 「君たちは今まで知らなかっただろうがね。僕は君たちも救いたいんだよ。皮肉めいた名前もその現状からの打破の為に、反骨精神を燃やして欲しいと思ってこそさ。そして、人には適材適所がある。それに合わせると共に、君達が救われるようにもプランを組んでいる。つまり今まで僕が与えてきた問題は、助ける側も助かる側も、救済される設計になっているのさ」

 「もしかして、反省してないだろお前」

 「言っただろう。反省できないんだ、僕」

 「......」

 「何か言いたげだね」

 「まあいい.....。因みにそれで救われた奴はいるのか?」

 「奴というのは二つ名持ちのことかい?」

 二つ名持ち、恥ずかしいと思わないのか、そう言う厨二病精神。僕の拗けた諸刃と言い...。

 複雑な気持を含んで、沈黙でその返答を肯定する。

 「これがね、凄い事に”0”なんだよ。君達はほんと精鋭だ。何処に行っても負けないくらいにね。意外と簡単に事は運ぶと思っていたけど...、とても性根が曲がっているよ特に君、能力は低いのに、心の歪み具合だけは一番でね。今回とてもいい問題を託したつもりだったんだけど.....。失敗だった」

 「言われたくない、お前にだけは。

 そして聞きづてならない」

 「歪み具合の話なら君が一番と言うのはジョークで言ってんじゃないぞ。じゃなければ”拗けた諸刃“などとは呼ばないよ」

 そういう意味だったのか。その二つ名。今までは只人を小馬鹿にするための名前だと思っていたが...。諸刃の剣とは一方のことで大きく役に立ち、もう片方では致命的なまでに危険であるという意味の言葉であるが....。この名前のニュアンス的には、こう置き換えれる。”不器用”。ある一つには強い志しを持つ。なのに、他には拗けている。覚悟もないくせに理想と言うものを必死に追う。それが故にいつも傷を負い、自分を蝕み続けているのにも落胆しては、尚も同じ行動をして進もうとする。しかも結局は誰にも救えないほど僕らは地に底に堕ちていて、並大抵の思考では救えない。つまり拗けた諸刃とは、不器用でどうしようもなく心の歪んだ、手を伸ばすことすら危ないと言う意味だったのだ。

 はぁ...。皮肉なのは分かっていたし故に名前を嫌ってきた。しかしここまで意味の深い忌み名だったとは...。元々嫌いだったのに更に嫌悪感が高まった__。

 ___ここまでそんな解釈を繰り広げた自分であったが、”そうではない”。自分の否定は他にある。

 「聞きづてならないのは問題の方だ。このまま行くと適材適所って言葉の意味を間違えていることになるぞ。現に僕は彼女の問題解決に失敗している。それはお前の言葉通りの失敗であると同時に、茨さんと僕は最適解ではなかったと言うことを表している。だからお前の言葉は誤りばかりだ」

 それを聞くと、太刀波は呆れた様に「うえ“〜」と変に低い、どんな感情か分かりにくい声を漏らした。そしてその私情を吐露すためかすぐに言葉を継ぐ。

 「そこに失敗があった事は認めるよ。僕は見誤っていたのさ。君の心の捩れを。思った以上にそれは強く複雑に曲がっていた。だから昨日の様な事が起きたし、僕は責任を感じてここにいる。流石の僕もここまでの事態の悪化を招いたつけを払わず、のうのうと高校生活を過ごせはしない。こればかりは反省だよ。

 だがね、君と彼女を引き合わせた事は後悔していない」

 「なんだって?」

 「後悔していないと言ってる。君は最近耳が遠いのかい?」

 ここまで話を拗れさせておいてよく言う。

 最近冷静さを欠いていた自分も、この煽りには心の中で笑うしかなかった。だっておかしいだろう。それは明らかな矛盾だ。自分は人選ミスなのだ。そうだな、自分が責任を感じ彼女の家に行くとして、別の人材も連れて行った方が良かった。彼女を泣かせ放置し、反発しか生ませることができなかった僕が、後悔に値しない人物でないはずがない。

 「何故そう言えるのか、聞きたい」

 「いいだろう。聞かせてやろうじゃないか。

 いつしか語ってくれた君の理想はなんだっけか....」

 僕の理想?何故今更そんな事を持ち出すのか。まあいいか。

 それは...

 「面倒を被る事もなく誰もが感じていいはずの日常の幸せを享受すること」

 「そうそれ。

 面倒を被ることもなく、と言うのは難しい....面倒のない日常などないからね。だがその理想、大方クリアできるビジョンが僕には見えている」

 面倒のない日常がない。これは確かにそうかもだろう。人とは生きる上で必ず何かを背負う。ならば、何も苦痛のない日常などないのは明白。もしあるのだとしたら、その生活には面白みや幸福と言うものがない状態と言えよう。

 しかし、誰もが感じていいはずの“日常の幸せを享受すること“。これはどうだろう。

 「君の言う理想は主観的過ぎる、が故に誰でも手に届くものだ」

 「そうは思わない。僕の言う幸せと言うのは..」

 「只不幸を上回る楽しみや幸福があることが重要、なんだろ?彼女だとか友人だとか、なんでもいい。簡単じゃないか。自分でも分かっているだろう?自分のためにも救世主がいればと」

 「ああ....」

 意外によく分かっている。そこまで見られているとは思わなかった。だが故に分かるはずだ。自己の理想にすら絶望し、否定した自分に、拗けてしまっている自分は、どうしようもなくその手が届かない事が。

 「.....なぁ。何故そうも正直になれん?」

 こいつは今日肩車をどうとか言っていたが、それを求められない時があると分かってほしい。人は進歩により不可能を可能としてきた。しかし理不尽なのが世界だ。進歩してどれだけ人がいても届かないものもある。「もう少し頑張ってみる」と意思を抱いた。しかしそれはあくまで茨色さんへのものだ。自分へのものじゃない。それに救世主を求めるなど....、いやこれは今日認めたことがらのはず....。なぜだ、なんで?僕はそこまでして何を否定したい?分からない。自分でも分からなくなってきた。

 言葉に詰まって会話がとまる。そして同時に僕はその会話の不毛さを実感してしまった。

 「すまなかったこの話はやめよう」

 馬鹿になると決めたのだから。こんなこと暴いても意味はない。今更穿り返して迷ってもしょうがないんだ。

 「おい、玖道」

 言って急に奴は自転車を止めたものだからブレーキを瞬時にしたけどやはり自転車の車輪と車輪はぶつかってしまった。

 「くっ!痛いだろう!止まらんでくれ!」

 「玖道!君は!」

 振り返って、自転車まで停めてわざわざ僕による。

 「やめよう....」

 そしてこちらを敵の様に睨んでくる。そして自転車に乗ったままのこちらの肩を掴んで問う。

 「君まさか、色君にもそんな心で挑もうとしてるんじゃないよな...」

 「んな訳ない。これはあくまで自分に対してだ」

 当たり前だ。今日の後悔を、伊達とは絶対に言わせない。

 「分かっただろう。離してくれ。こんな話はもうしたくない。今話すと、納得してない僅かな隙間から全てが瓦解してしまう」

 「......」

 そう言うと奴は分かってくれたのか、俯いて、すぐに数歩下がり、自転車のもとに戻る。そしてスタンドを上げてまたがる。そのガタガタとなる金属音が虚しくこだまする様に何度も鳴り、既視感が嫌に心を締め付けた。これはきっと夕暮れの空のせいだろう。昨日の寂しさも夕暮れのせいだったのだから。きっとそうに違いない。

 動き出した太刀波を追う。空気は悪い。それは自分のせいと分かっている。だからなにか話そうと思うのだが、どうも切り出せない。

 車が何台も何台も過ぎて、風を何度も切り裂いていく。その音がいつもは心地いいいはずなのにそれすらも今は、自分の敵の様に見えてならない。静寂の重みを、風の音が鳴る度、何度も知覚させ、同時に沈黙も知覚させる。慣れさせてくれないのだ。

 「なあ。カラーブレーキングって知ってるかい?」

 意外にもこの間を打ち破ったの太刀波だった。

 「カラーブレーキング?」

 「直訳すると色割れという意味なんだけれども、植物の病気、モザイク病の症状の一つで、その中でもチューリップに現れる。

 これが結構面白くてな、最近花の知識を齧ってるんだ」

 「そうか」

 こいつは初めて会った時から、こう言う雑学を多く蓄えていた。そう言う話は大抵面白く。来ていて飽きなかった。

 太刀波は齧っているだけだから信憑性は低いけどと付け足し話を続ける。

 「チューリップって言うのは昔、欧州圏では凄い高値で取引されていたらしい。物によって富裕層の中の富裕層しか買えないほどに高価なものがあったり....。人は皆、チューリップに投資したんだと」

 今ではどこにでも咲いている花が、昔はとても高い価値を持ったとは驚きである。価値観は常に変わる。それは何も花だけじゃなくて、胡椒とか何だとか、他にも色々ある。がこの話中々悪くない。“価値の高い花”、それだけで浪漫を感じる。当然今じゃ価値ははじけてしまっているわけだが、只の花と思っていたチューリップの見方が少し変わってしまう。

 「そしてそのチューリップの中でも特に人気だった品種がセンペル・アウグストゥスだ。こいつはさっき言ったカラーブレーキングで出来た品種で人気と希少価値ともに高く、勿論値段も飛び抜けて高かった。こっからが僕の好きな部分でね。センペル・アウグストゥス、和名で無窮の皇帝。こいつは白地に紅の炎の様に燃え上がる縞模様が特徴で、これだけでもうカッコよくて好きなのだが....。そもそもカラーブレイキングというのは病気なんだ。花にとっていい事は何もなく枯死の原因となる」

 「へぇ。美しさと引き換えという訳だな」

 そうなんだ。君も分かるな〜と彼は嬉しそうに言って続ける。

 「それを知った時僕はある言葉を思いだしたのさ」

 「美人薄命?」

 「そうだよ!そうだよ!分かってるねえ。何だかなー、こういうのって好きなんだ。あんまり言っては良くないかもだけどね生命の価値が高いだとか、美しい故の儚さだとか......。切なさってのはどうして見ていてこうも面白くて....人を魅了してしまうんだろうね」

 思ったよりオチが弱かった。途中は面白かったけど....。チューリップ株の話はもう少し聞きたいものだ。

 しかし最後の太刀波の、切なうが故の美しさというの分かる気がする。それがあるから人は悲しい自分に自己陶酔したり、あらゆるものを美化したりしてしまう。そして何よりそれは同情の材料としてこれ以上のものはない。

 価値観は時代と共に変わり、個人の理想はその流れの中に流される。同情が同情を呼んでいる傍で犠牲になる人たちがいる。自分もその犠牲になる異端者たちの一人でその理不尽に勝つことなどなく....。どうしても認めたくなかった。踏み躙られる行為には憤らなければいけない。それが人の証左なのだ。それこそ茨さんのように生きる意味など見失ってしまうだろう。命を軽視してしまうこととなるだろう。

 しかし、ならば、何をすれば正解だというのか?人は一人では生きられないとはある種当然だが、自分すら救えない、余裕のない人間が他人を救える道理があると思うか....?自分があの時引っ張った彼女の重みに対して僕はどうしても軽すぎる。足りない。僕では役者不足だ。答えれないのだ。

 また悪く考えてしまった。もうやめよう。決めた事を折るのはもう懲り懲りだ。覚悟したのだ。やる事はやる。もう後戻りはできない。目的の為に、盲目になれ。例えそこに矛盾があっても。それが、役目だ。

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