第2話 塵が山になろうとも

 自転車を手放し、身体と手を伸ばす。相手のぶらん、と前に出している手を掴む為に。

 クラクションが劈いて、鼓膜がどうにかなりそうだ。だが塞いでいる暇などあるはずがない。耳一個がなくなる可能性と命一つの秤は言うまでもなく後者の方が優先される。

 手を掴んだ!手に謎の振動が伝わる....。どうでもいい!まず、引っ張る!

 「しまっ....!」

 身体を伸ばしすぎた結果、自分の足はバランスを崩し地面から離れていく。

 自分が茨色を引っ張ったので彼女は助かるだろうが、玖道進はそうもいかない。そんなことはやってから気付いた。これでは彼女だけが後ろに行き、自分は彼女を引っ張った反動で身体が半回転、背中から道路に落ちる。そして車が来て、ぶつかる。つまり、玖道進は死ぬのだ。

 見せつけられているみたいだった。景色はゆっくりで変わらず、スローモーション。車の眼がとて明るく、見ていて辛い。ブーと鼓膜が刺激され痛んだ。時間が伸ばされたようなこの空間が肉体的にも精神的にも苦しくて堪らない。そして死ぬんだと言う謎の納得が、数秒後には死にたくないと反抗し始め、理不尽を許さないその心はきゅうと心臓を締め上げた。

 眼鏡が外れて宙を舞う。

 瞬間、もうダメか、と目を瞑る。

 「どうにでもなれ」

 自分はその時、刹那的に、瞼の裏で嫌なものを見る。記憶が何重にも重なって、その巻かれた映像フィルムの様な情報が一気に流れ込んできた。

 「ぁ」

 そして、ぷつんと意識の中の何かが切れて、“耐え切れずに暗転した”。



 高校入学してすぐの時だ。奴と僕は違うクラスだったが、昼休み只席に座って外を眺めていた自分に、あいつはあたかも僕が中学からの友達のようなツラでよってきて挨拶を交わしてきた。

 「やぁ!拗けた諸刃!」

 「僕をその名で呼ぶんじゃない。太刀波掻」

 「未だにフルネーム?酷いなぁ。もう中学からの中だろう。僕の自称、師走の韋駄天と読んでもいいんだぜ。僕が君を二つ名で呼んでいるようにさ。まぁそれはそれとして、じゃあなんだい、君の言う理想の求道者とでも呼べと?」

 「ああ」

 「ダサいなぁダサすぎるよ」

 「どっちにしろセンスはないじゃないか。拗けた諸刃だって師走の韋駄天だって....。そうだろう?」

 「そうかもしれないがね。似合ってるよ、僕の名付けの方が」

 「馬鹿野郎。僕のは似合ってるから嫌なんだよ。皮肉が似合う人間なんて誰が好きになれる。それは自己ですら擁護できない」

 「格好つけて、理想を追う方が気持ち悪くはないか?」

 「重要なのは外からどう見られるかじゃない。その心がどうあるかだ。譲れない事であるなら尚更。多少の傷くらいは気にならないさ」

 「真っ直ぐな心は善であれ悪であれ、美しいだったか」

 「そう。だから僕の二番目に好きな言葉は貫徹だ。そして一番は理想」

 「つまり成る程、君は持っていないから、そう言う他者のものを羨ましく、美麗に映るわけだな」

 「当たり前だ。欲しがるものはいつも自分の内にない。あるとするならば、失敗の塵山だ。ちりが積もって山になったとしても、そんな山じゃ強度不足。本当に欲しいものは常に手の届かないところにある。山を踏み台にしたところで崩れて転ぶ。末路に残るのは傷付いて、嘆く人間だけ。生きている間に、何も手に入る事はない」

 「そんな訳がない。そこにあるならそれは手に入る。だが、もし君がそれでも、あくまでも、手に入らないと言い張るのなら、それはきっと君がーー

ーーーーーー拗けた諸刃だからだ。

 似合いだよ。理想の求道者」

 

 身体が急激に寒くなる。瞼の裏に濁ったような霞んだような光が、弱いけれど確実に貫通している。身体が、主に肘辺りが痛い。内側から訴える様な痛み。きっと痛む所を見てみれば青くなっているだろう。数々の感覚が思考を乱す。違う、今考えるべきことはそんな身体の感覚を確かめることじゃない....!自分は今、苛ついている。太刀波掻に言ってやらねばならない。

 ふざけるなーーー

 「好き勝手言うんじゃないぞ!」


 「わぁ!?」

 「あ....れ?」

 ここはどこだ?天国....ではない様だ。

 胸の上に微かに重みを感じる。物が乗っている感じだ。なんだろうと疑問を抱きながら取った。それは僕の眼鏡だ。装着。身体を起こし見渡す。

 大きくも小さくもない土地だ。歪な三角形をしたその広場は周りを金属の柵で囲まれている。しかしそれは全てが囲まれているのでなく、入り口と出口用に空いている部分もある。他には滑り台とブランコが一つずつ近い位置に点在し、それ以外にも砂場が端に一つ、ぽつん仲間はずれにされている”ぼっち”の如く配置されており、親近感があり、そしてそのせいかどことなく哀愁が漂っている。ブランコはキィキィ...と小動物が泣く声の様なものをあげており、その揺れたブランコには僕の本を持っている茨色が乗っていた。僕のベッドとなっていたものを見る。それはベンチ。ここは公園だ。しかし何故自分はここにいる?

 「目覚めたようね」

 ブランコから降りてこちらにゆっくりと歩みよる茨色。その顔に反省の色はなく、それどころか、微かに笑っていた。自分はそれに怒りを通り越して呆れて、言葉を失う。

 「何も言わないのね」

 「頭が回らない。ぐちゃぐちゃだ。まずそれを整えさせて欲しい」

 まだ脳がフル稼働していないせいかゆっくりとしか話せない。しかも声は嗄れたようなモノしか出ず、まともに発声できていたか怪しい。

 一息置いて

 「今は何時だ?」

 「約二十時。二時間と三十分寝ていたことになるのかしら。すこし驚いた。気絶するなんて予想しなかったんだもの」

 何が、すこし驚いた、だ。

 「じゃあ、なんだ。現に自分は生きているからいいものを、死ぬとは考えなかったわけかい?」

 「これっぽっちも死ぬとは思わなかった。貴方が私を引っ張れば、私は頭から落ちず、死ぬことなどなく.....」

 一瞬で眠った怒りが、一瞬にして蘇った。

 「変な賭けをしてんじゃないぞ!」

 頭の曇りが、覚醒したことにより晴れる。だが晴れたどころかその怒りという感情がまた新しい曇りをつくり、逆に思考を奪うだろうことは予想できていた。しかし、限界だった。。並みのものではない。

 命をなんだと思っているのか。生きたいと願っているんじゃないのか。そして何より他人と責任をなんだと思っているのか。

 「賭けじゃない!」

 何を。あれが賭けじゃなくて何なのだ....!

 気に入らない。何故そうも蚊帳の外にいるような目をしている?人を憐れむ様な、何故理解出来ないのかと言いたげな。そして私が正しく、貴方が間違っていると決定的に言っているような....!

 彼女のこちらの行動が予想できていたことだと言うのは思い上がりだ。そしてそれだけでは説明できない悪性もある。なにかしらの自信があったとてそれはやってはいけないことだ。

 自分は夜だと言うのに怒声を張る。

 「第一車に轢かれたらどうする気だったんだ!」

 「轢かれない!全て目を使ってだけれど、完璧だった。距離はちゃんと測れてた!速度も見れていた!車が避けると踏んで!」

 彼女はそして現に避けたと言いたいらしい。

 「結果論で罪が拭えると思うんじゃない。罪において責められるべきことは全てだ!過程と結果!物事は全てで決定するんだ!」

 「落ち着いて....!」

 ああ...!もうなんなんだよ!何故悪いことは悪いと認める、それだけのことができないのだ。

 「汚れた矜持など捨ててしまえばいいんだよ!そうすれば死ななくて済む。生活の中の幸福だって笑顔だって増える!これで問題は解決だ!さっさと僕の前から消えてくれ!!」

 「何っ!.....よ....っ......」

 何故か言葉を飲み込む茨色。

 「好きに....言えばいいだろう....」

 チクショウ.....。また、みっともない事を.....。深呼吸するんだ....落ち着け。そして頭に上がった血を全身に巡らせる様にして下ろす。

 「お前を助けたのは、僕の本を奪われたままだったからだよ。本が轢かれちゃたまらないからね。だから自論が証明されたと思わない事だね」

 歩いて突っ立ってる茨色に近寄る。

 悔しそうに食い縛って俯いている、彼女から本を取ろうと、それを掴むとそれは力なくするりと簡単に取り返すことができた。

 「すまなかった。そしてさようなら」

 ベンチのそばにあった自分のバッグを回収し、彼女がわざわざ運んできたのか、公園の入り口に駐めてあった自転車にまたがる。

 すると後ろから震えた声、啜り泣く声が聞こえくる。振り返ってみると、身を丸める様にして屈めて、頭を強く押さえ込む茨色が。

 「....なさい....ごめんなさい」

 「自転車とバッグ、あと僕を運んでくれてありがとう」

 根本的に彼女が嫌いだった。彼女もまたみっともなく視界に入れたくないと思った。言葉も聞きたくなかった。何故ならそれは終始薄っぺらかった。今確信した物事を振り返り、二度と話す事はないだろうと感じて、このことから足を洗う為ペダルを踏み込む。

 自分は公園を後にした。


 放課後。

 事細く、自分は昨日のことを奴伝える。

 「ははは....君は女性を泣かせたのかい?最低だな」

 僕は思わず太刀波掻の胸ぐらを掴んだ。そしておもいっきり部屋の壁にぶつける。積年の恨みと昨日の苛立ちをぶつける様に。

 「ふざけるのもいい加減にするんだ!今回ばかりは許さない!今まで色々人助けを擦り付けられてきた!でも今回のは....!あんまりだ!!」

 ここは部活棟三階の奥の部屋。最早使われておらず先生の管理が悪いのか常に鍵が空いている部屋だ。三階全体が使われいないため、誰もこず、叫んでもよっぽどの絶叫じゃなければ、他人に声がバレる事もない。そんな部屋だ。

 太刀波はヘラヘラと笑いながら言う。こいつもまた反省の色と言うのを感じられない。

 「悪かったよ。でも僕の質を知っているだろう?人を救いたくて堪らないんだ。少しでも可哀想だと感じたら....」

 「知らないよ!それにそれは傲慢だ!勝手な同情は相手の神経を逆撫でる!それくらい分かるだろう!お前は人を救うと言って大抵の場合、見下して、馬鹿にしているんだ!」

 「聞きづてならな...」

 まだ言うか!お前も...!

 「じゃあ何故、人に押し付ける!?恨まれていると分かっているからじゃないのか!人に嫌われると分かってるからじゃないのか!?それが嫌で、自分を知識だけある人間とわざと勘違いして、責任を他人に無理矢理渡して....!最後に裏で笑うんだろう!?僕は人を救った英雄だと!」

 「ははは、その通りだ。拗けた諸刃.....」

 「何が拗けた諸刃だ....!」

 かっとなって拳を振り上げた、許せなかった。こいつは理不尽をつくる人間と同じ目をしている。いつも皆を見下し、上から目線で施してやったと愉悦に浸る人間の目だ!

 くっ....そ....が。

 拳から力が抜ける。手がぶらんとおちると同時、後悔の念に苛まれた。また恥をかいた。

 「僕はお前の好きにはならんよ。だが、人を煽るな。反省したいなら自分で自分を殴るか、素直に謝ってくれ。見え透いているんだよ」

 太刀波は態々扇動して殴られようとしていた。故に自分が一倍可愛い筈のコイツにしては珍しく、ガードも反論もしなかった。悔いてはいると言うことか。

 「はぁ....」

 僕が拗けていると言うなら、こいつの根性と言うものは捻じ曲がり過ぎて綺麗な螺旋を造れる程、変形している。

 襟を離し、地面に下ろす。奴の小さい身体は地面に足をつけた。

 「ああ....。すまなかった」

 奴は俯き黒髪によって目が隠れる。どんな表情か、窺い知ることはできない。

 「二度とでしゃばらんでくれ。そしてお前ももう顔を見せないでくれ」

 「おい待て!」

 もう終わっただろうに、太刀波は僕に声をかけてくる。もう話すことはない。自分は無視して歩こうとする。

 「待てと言っている」

 彼はこちらの前に立ちはだかる。そこまでして何を伝えたいと言うのか。

 「わざと無視しているんだよ。分かるだろう?消えてくれ」

 だが、どうでもいいことだ。微塵も興味はない。それに今は本当に気分が悪い。人と話していたくない。

 「馬鹿野郎!聞け!!」

 「ん....な、なんなんだい、一体」

 物凄い大声だったものだから思わず、慄いてしまった。結局鼓膜が逝っていなかったが少し痛む耳にはその声は五月蝿すぎた。

 知らなかった。太刀波と言う男はそこまでの声を出せる男だったのか。いつもヘラヘラ人を小馬鹿にした様な笑いをしているだけかと思っていたが。あの響きはもしかしたら、部活棟の他の階の生徒にも聞こえていたかもしれない。

 「えっと.....取り敢えずなんだ..... フラッシュバックだ!」

 どう言うことか。

 「まず、落ち着こうか.....」

 同時に自分もだな....と自覚する。気付けば今さっきの怒りは昨日のそれと全く同じだなと今更ながらに思う。ひたすらに言って、決めつけて.....。

 「そうか.....」

 「どうした?玖道」

 昨日の僕は許せなかったんだ。彼女の理不尽な目が。彼女の手を引いて、助けた自分が、いや、助けたと“思い込んでいた”自分は、それを否定されることに怒りを覚えたんだ。理由はどうであれ“必死にことを成す”。これの否定を僕は最も嫌う。無意識的にも意識的にも。だから頭に血が昇って....。だからと言って自分の昨日の言い分を否定するつもりはない。だが......なんだい、僕も変わらないじゃないか、太刀波と。英雄気取りの求道者だ。

 「すまなかった」

 「あ...いや、悪いのは僕の方だろう」

 「それはそれとして僕にも悪い部分があったよ」

 「そうか....そうだな。僕達は似たもの同士だものな。互いに自己中心的な思想家だ」

 思想家...?それは....違う気がする....。どうでもいいか。

 「で、フラッシュバッグとは、どう言うことだ?」

 「あ、ああ、それは....」 

 太刀波は腕時計を服の袖をずらして見る。そして続ける。

 「どうせ今日の予定はもうないんだろう?帰りながら話そう。茨色君絡みだ。

 って、そんな顔するなよ」

 そんなに自分は今ふざけた顔をしているだろうか?いやしていたのだろう。そして太刀波に笑い気味に言われたのだからそれはもう酷かったはずだ。

 僕は今、彼女に対し後ろめたい。だからこそ関わりたくない。修復しようとか、問題解決をしようとは微塵も思わない。そもそもそれは向こうだって求めていないもののはずだ。

 「そんな腑抜けた顔するんじゃないと言っている。君はあの日関係を切って、あの問題と責任から逃げれたと思っているんだろうが、そんな事はない。むしろ逆だ」

 逆.....。問題と責任の逆。

 「僕が増長させたと言いたいのかあの問題を?どうな根拠を持ってそんなことを言っているんだ?」

 「だからそれも話す。帰りながらにしよう。とるべき行動は早い方がいい」

 「行動....?」

 気にしなくていい、とこちらの疑問に奴は釘を打つ。

 「そうだな、取り敢えずここからだな。彼女は癖と言うか反射だろうな」

 突然、帰路に向けてだろう、歩き出した太刀波の背中はついてこいと言っている様で嫌な予感がしつつも、追いつこうと自分も足を進める。

 「男性が絡むと手が震えると言う特徴がある」

 「は?」


 茨色に僕、太刀波掻が話しかけるのは性格上、必然だった。困っていたら見過ごせない。救済したいと言う僕の欲求、玖道が傲慢だと言ったそれは治しようのない悪癖であり、性だ。プラスして自分はいらない知識の量と、観察力には自信がある。特に観察力には。

 彼女と僕は同じクラスの1-A組。いつも自分は人間観察に耽っている。その時茨色もよく見て、聞いている。取ってつけた様な薄い言葉の数々や共に薄い演技。これはまぁ結構いろんな人に見られる特徴だけれど秋になってもう一つ。それはもっと明確に身体に現れていたもので、条件は限定的で、他の人にはない特徴的なものだった。茨色、彼女は、男性に優しくされると手が震える。そしてもう一つ、男性に怒られた時だ。

 手の震えに気づくだけなら入学すぐ、四月の時点で分かっていた。だがどうも条件を絞るのには時間を費やした。幸いしたのは、綺麗な見た目のお陰で寄って行く男性が多かったことだろう。これにより、手の震えの条件として、男性に〇〇されると、までの特定は簡単にできた。もう一つ、”何をされると“、これの条件にはかなり時間を費やした。殆どが考察による、時間の浪費だけど。

 キッカケが訪れるのは、いつも突然...とう言うのは嫌いだったので、こちらから仕掛けた。待ってはいられない質なのだからしょうがない。それはつい最近、一昨昨日のことだ。

 「やぁ!茨色さん」

 「......」

 「どうしてそんな怪訝そうな顔をしているんだい?さっきまでは真顔だったのに」

 「なんでかしら。一度も話したことのない人に距離感を間違われるとこうなるのかもしれないわね」

 「あぁっ!」

 

 自転車を漕ぎながら、こいつの働いたとても無礼な話を聞く。

 「今回のこの実験をするにあたり、僕は幾つか条件を設けたんだ。まず一つ目はリアクションは基本オーバー。これは言動における反応の差を分かりやすくする為だね」

 「お前は高校生活をなんだと思っているんだ」

 「褒め言葉として受け取っておくよ」

 違うけど。

 「この時の”あぁ!“は特に大きな声を出した。どれくらい大きいかと言うと周りの人間の注目を一斉に集めるくらいには大きかった」

 「分かってるならそんなことするなよ」

 それに対ししょうがないと奴は呟いた。

 太刀波は昨日僕が帰りに右に曲がった大通りを、左に曲がろうとする。

 しかし僕は自転車を止める。

 「おいそっちは帰り道じゃないだろう。僕も、お前も」

 その問いかけに

 「いや、こっちでいいんだよ。玖道」

 と言った。

 「それもまた茨さん絡み....か。お前は僕に何をさせたい?自分は正直もうあの女性とは関わりたくない.....」

 僕は申し訳なく思っている。公園での一方的な怒りと、思い上がり。太刀波への八つ当たり。罪と感じるべき事柄を多くした。しかし、謝らず終わる関係もある筈だ。人間生きてきてそんなすれ違い、生まれないはずがない。まして、この問題は互いに悪いと言っていいものであるはず。だからこれもよくある喧嘩の一つと放っておけばいいんだ。仮にも彼女はご令嬢で、元々只の他人。自分との距離は遠く、きっとそんな関係流れて終わっても不自然には思わない。

 「玖道、君は二言のない男だと思っていたよ」

 「どう言うことだ?」

 「君だぞ丁寧に、説明してくれたのは。それはもう丁寧に、それで絵が描けてしまうくらいには。言ったのだろう?分かった。自分にできることがあるなら手伝おう.....」

 やつが言ったあと、自分で自分の発言を呟いて、思い返す。そうしたら言い訳が浮かんできた。言ったからなんだと。自分も心ある人間であると。ならば諦めてしまう事もあるだろう?と。命は重い。だと言うのに、彼女はそれを軽く扱う。自分にはそれを制御できる自信などない。自分がもしそれを最後までやり通そうとするならば、悪いがきっとそれこそ自殺ルートだ。事実昨日は失敗したのだ。あれはその証明のいい証左となっただろう。

 「君が貫徹という言葉が好きならば、見せて欲しいものだ、この問題を解決する術を」

 「手伝うと言ったんだ。解決するなんて言ってないぞ」

 「そんなつもりで言ったのかい?その言葉を」

 「それ....は.....」

 ....それは違う。最初彼女が何を望んでいるか分からなかった。だから手伝うと言う言葉は、仮に使っていたに過ぎない。彼女の助けを求める目に、我慢できなくなって、無知な自分がそれに応えてしまったにすぎない。それ以上の意味などなく、言葉通りの意味もそこにはない。

 「君は卑怯だ」

 「何?」

 いきなりなんだ。茨色と言い最近の高校生は人を煽るのが趣味なのだろうか.....。

 「そんな白けた顔をしてどうした?聞こえなかったのかい。君は卑怯だと言ったんだよ」

 黙っていれば、

 「お前にだけは言われたくないな!」

 即座に言い返す。おおよそ責任という言葉が一番似合わぬこの男が言っていいセリフではない。特に今回、悪い方向に転がった責任の一端はそちらにだってある筈だ。なのに.....。

 太刀波は急に静かに空を見上げる。まだそこまで夕暮れに染まっていない、なんて事はない普通の空だ。しかし何故か、太刀波は急に懐かしそうにそんなものを眺め始めた。

 「君はよく言っていたね。届かぬからこそ手を伸ばし、欲して。結局転んで擦りむいて、泣いて叫んで救済を求めるしかないと」

 「いきなりなんだ?たしかに言ってはいたが...。希望とかって言うのはいつも自分の内にはなくて、だから外へ探すけれど、最後には諦める以外の道がないことに人は気付いてしまう。だから探す人間は最後には外部に助けを求めるんだ。みっともなく」

 僕の持論。この世は理不尽で、どうしようもなく出来ないことに満ちている。打ちのめされるだけの僕達は、やっぱり理想を理想通り実行することなどできなくて、故に自分の理想も理想でしかなく、つまりは夢でしかない。

 「それは本当にそうなのかい?僕はね、そうじゃないと思うんだよ。確かに欲しいものは常に懐にないし、手に入れようとするときには大抵高いところにあって、それはきっと、僕らの背では届かない」

 自転車のハンドルを握り込む。それは指が過去の悔しさを思い出してしまったからであった。全てが無意味だったと思い知らされてしまったあの年を思い出してしまったからだ。

 「.......」

 希望が嫌いだった。何故、正義だとか、夢だとか、価値だとか、この世には測れなくて存在すらない概念が蔓延っているのか。全てなければいいのにとよく願ったものだ。自分は最初、そんなものの光に魅せられたせいで、純粋に人生を歩んできた。しかし、それが背が大きくなるにつれて絶望へと変わっていく。そしてその理を解するまで大して時間は要さなかった。僕は無力で虚空を必死に手繰り寄せようとする、愚か者でしかないと気付くには、それは酷いくらいに早すぎた。

 「君のいつも言っていた事は、そこで止まっている」

 止まっていると言われてもその向こうに先はない。なぜなら進めないからである。掴めないからである。そこは無だからである。

 「恥を晒してまでとる理想が、本当に理想足りえるのか?個人差はあるだろう、だが自分は....そんなの考えたくはない。だから僕の道にはここから先はない筈なんだ....。それが僕の道だから。永遠に届かない」

 そう言った僕に太刀波は笑った。そしてため息を吐き、バカバカしいと言わんばかりにわざとらしく両手首と肩を上げるようにして動かした。

 「理解はできるがね、うん。なんで皆極端なんだろうね」

 「僕が....極端?」

 「だってそうだろう。たかが自分を守るためのプライドをそこまで高く設定してなんの意味があるのか、理想が高いと比例するんだなきっと」

 頭に血が登るのを感じて....堪える。これは別に怒りを覚えてるわけではない。只向きになっているだけだ。どうしても自分はそれを認めたくないと感じてしまって、自己否定されたくなくて、否定の否定をしようと思って抗おうとしているだけなのだ。

 お前の言葉は正しい.....。


 「そこまで来ると...なんか、生きにくそうだね」


 自分の言った言葉だ。

 

「とても生き難い。でもね仕方ないないじゃない。私に自由なんてないんだから」


 彼女ですら分かっていた事柄だ。

 さっきから何故だ?誰かへ向けたはずの言葉が自分に返ってきてグシャグシャに自分を貫いて行く。刺された痛みの変わりに恥と後悔が僕を連続して何度も何度も傷付ける。まるで死体蹴りだ。もう勘弁して欲しい。それは、度がすぎていると言うものだ。

 「人は一人で何もできない。それは当たり前だし、君も流石に分かっていると思う。なのに何故泣かない?泣けない?いらない矜持など穢してしまえよ」

 「多少ならいいと?」

 「気にする様なことではないと言っているんだ」


 「汚れた矜持など捨ててしまえばいいんだよ!そうすれば死ななくて済む。生活の幸福だって笑顔だって増える!」


 言い回しが違うだけ。太刀波の言葉と中身はほぼ同じだ。何故気付けない?何故間違いを正せない?

 「君が今感じている疑念も、人間の社会性が前提で成り立っている生物だからこそのモノだ。理想に届かない情けなさと同質なんだ。

 愚かだろう。人は一人では間違いにすら気付けない。だからさ、今更気にする必要ないんだぜ。仲間と協力して、人間好きにやるのが一番だ」

 「協力....か」

 「そうすればさ。届くだろう?肩車一つで少し高い位置にある、君が言う理想ってやつがさ」

 「そうかも....しれんな」

 もう少し頑張ってみるのも悪くないかもしれない。彼女に対して、ちゃんと謝ったり、人のこと言えないなんて笑ったり....。そしたら、もしかしたら、彼女の存在が僕の悲願を叶えてしまえるかもしれない。必死に手繰り寄せていたものに、質量が宿るかもしれない。だから、もう少しだけだ。大して理解せぬまま、今は馬鹿で通してみよう。どうせ間違いにも気付けなかったのだから、自覚したとて差して違いはあるまい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る